神々の物陰
本当に必要なものについて。
本当に必要なものは何かに隠れている。
「聖書」の事実性も科学の事実の裏側に隠れている。
ともかく、この書にしても、キリスト教の信仰やムスリムの信仰の裏に隠れている。
信仰するならば、主なる神という信仰の裏に隠れている為に、相対神もそう有名には成らないだろう。絶対神程には。
「聖書」の裏側に、これら三界教の教えは隠れているが、金を通さない媒介にて世に現れる。
私は他でもない「聖書」の事実性を認めている。それゆえに、金の無為性をも認めている。金をため込まない事はマモンに仕えない事と関係する。だましたり、押し売りした金は汚い。ただでさえ、油を使った食べ物を好む者は貧乏に成るとされているのだ。物を売る事は愚か、何かを配る事でさえ、細心の注意を払わなくては成らない。金儲けに成らない様に。それは「聖書」に与えられた道である。私と共に歩む者は利益を期待しては成らない。
仕事としてではなく、飽くまでボランティアとして、心の低い者でなくては成らない。
その受け入れるべき現実の裏に精神的な報酬である真理があるのだ。
飽くまでも現実は現実として、真理と区別しなくては成らないのだ。
八百万の神は神々の物陰に。隠れて久しく成る。それ程、神という概念は利用価値が高く、今も私が幻想の神、自由の神、渾沌の神として、完全なる第三世界の主、クリスティー・スカーレット、妹カムー・スカーレット、遠縁のアマドヒ・プレイヤーズ、明らかに、事実上の神が三位一体の神として、「クルアーン」の語るアッラーフは生まず、生まれずの存在であるから、事実上の御子であるイエス・キリストの末裔、事実の世界の最初で最後のまとめ役であられる幻想の神、クリスティー・スカーレットこそ、世界を超絶された超絶美少女でありながら、世界に対する神として、大いなる幻想をまとめる幻想の神として、世界にとって、新たなる神として、私の信仰から生み出されたる神であられる。今まで世界として、世界の一部としての幻想の神は幻想にあらずして、存在し得なかったのだが、神は私を用い、新たなる神を生ませた。
私はそれで、願い事を持っていなかったのだが、幻想にて、夢を見、幻想をも生み出したのである。幻想の願い事は叶えられるもので、純粋に持っていれば、いつか神に叶えて頂ける。そういう信仰もあるのだ。
信仰は力であり、国にあたるものの法であり、さかへ(え)である。
神は信仰を無下にはされない。




