第33話 川島恭介の受難
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この喫茶店で過ごした日々は、本当に楽しかったように思う。
最初は何てところに来てしまったんだと思ってた。
そもそも俺がここへ来た理由は、押し潰されそうになっていた心の逃げ場所とするためだった。
それなのにここの住人と来たら、とにかく人の話を聞かない我の強い連中ばかりで、全く逃げ場所になっていない。というか、この喫茶店から逃げたいとすら思っていた。
だがそんな日々も、過ぎてみればなかなか楽しいと思えるもので、きっちりと逃げ場所として機能してくれていた。
お陰で俺は潰れずに済んだし、記憶も元に戻った。
記憶が元に戻っても心境に変化はなく、俺は俺のままで、あのとき悩んでいたのがバカみたいだった。
だからここからはようやくゆっくりとした日々を送れると……そう思っていた時期が俺にもありました。
「イヤァァァァァァァァァァァァァッ!」
俺は絶叫しながら、桜際公園の中を疾走していた。
背後からは様々な色をした火の玉が飛び、時おり俺の横を掠める。
そしてその中心には、両手に筒を持ちながら追いかけてくる椎名の姿があった。
何故こんなことになっているのか。話は数分前へと遡る。
霊園から帰った後、すっかり調子を取り戻した椎名が、皆で花火を見る事が出来なかったことを唐突に思いだし、これまた唐突に公園で花火をやろうと言い出したのだ。
それを俺が知ったときには既に決まっていたのか、俺が帰るのと同時に拉致された。
そして、あれよあれよという間に、気が付けば花火をしていた。
望月は何事もなかったかのような調子で普通にその場に居た。なかなかのメンタルだ。
そして椎名を筆頭に、皆で線香花火を持つと、一人を起点にどんどんと火を移しあっていく。
やがて六人の火が灯り、それを無言で眺めた。
そんななか、最初に沈黙を破った小林が、ふと何気ないような質問をした。
「なぁ、皆は打ち上げ花火、下から見るか横から見るか上から見るか、どれが良いと思う?」
「それ映画のタイトルだろ……つか、上ってなんだよ……焼かれたいの?」
「良いから。どれが良いと思う?」
自分の間違えを誤魔化すように小林は答えを急かした。
俺は少し考えて。
「横かな……その方が全体を見れる気がするし」
「ふーん。横、か」
小林は特に興味無さそうに頷くと、丁度終わった線香花火を水につけて立ち上がった。
「興味なしかよ。何で聞いたんだよ?」
「ただの会話だよ。会話。こういうのから話題は広がってくもんだろ?」
「全然広がってないんだけど……寧ろお前の方から終わらせに来たんだけど?」
話していると、皆もどんどんと線香花火を終え、次の花火を取りに行く。
そして最後に俺も線香花火を終え、水につけたときだった。
バシュッと音が鳴ったかと思うと、赤い光が足下の砂を焦がしていた。
俺はその光景に一瞬目を丸くして、ギギギと音が鳴りそうな動きで顔をあげると。
無数の火の玉が俺の方へと飛んできた。
「うぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
俺は咄嗟に横に転がりそのまま不安定な姿勢で走り出すと、遠くから声が飛んできた。
「川島くーん! 打ち上げ花火を実際に横から見た感想はどう?」
「どうじゃないですよ! 横から飛ばしてどうすんですか!? 大体それ、ロケット花火なんですけど!?」
全く見当違いなことをやる椎名にツッコむも、俺の話を聞いていないのか、俺への攻撃は止まない。
両手に筒を持っているため、撃たれる頻度がかなり多いのに、今だに俺に直撃しないのはもう奇跡としか言いようがない。
そうすること数秒、ようやくロケット花火も終わったようで。
「くっ、ここまでか」
などと呟きながら、椎名は意味もなく膝をつく。
俺もそれを見て走るのを止めて、膝に手をついた時だった。
椎名の後ろに四人の男女が並んでいた。
「椎名先輩、俺も加勢しますぜ?」
「椎名ちゃん、こんな面白そうなことに誘ってくれないなんて水臭いじゃん。あたしも手伝う!」
「小林君もやるみたいだし、私も手伝いますよ。椎名先輩」
「あたしも、川島君には常々言いたいことがあったんだよね。だから、手を貸しますよ」
「皆……うん、やろう!」
「……なんだこれ」
そうして、小林、九頭、御島、望月が椎名にロケット花火を渡して、全員構える。
俺はその光景に走る気も失せ、呆然と眺めていた。
「「「「「覚悟!」」」」」
五人の声がハモり、各々がロケット花火に火をつけた。
そして、同時に発射された火の玉が、逃げ場のない俺へと飛んでくる。
俺が一体何をしたというのだろうか。
確かに、何だかんだ言って楽しい思い出になると言いはしたが、思い出になるまでは傷となることを彼ら彼女らには分かって欲しい。
しかも今回に限っては身体的に怪我をする。
正直痛いのは勘弁してもらいたいのだが、これはもう、全発外れるのを祈るしかない。
これからも、この騒がしくも退屈しない日々が続くのだろうか。
俺はそうであって欲しいが、時間というものは必ず物事を変えてしまう。
一日一日の差は分からないかもしれないけれど、それが五年十年と時間が経ってから今日というこの日を振り返ってみれば、あの時とはずいぶん変わったと言うだろう。
それは避けられない現実。
そして、この六人がいつまでも一緒にいるとは限らない。
それでも今は……この今という時間だけは変わらない。
いつ明確に変わったと言う日が来るのか分からないけれど、しばらくはこんな日常を送れるだろう。
この俺の――川島恭介の受難な日々が。




