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第八話  告白

 残されたわたしたちは、少し足を延ばして駅前の居酒屋に場所を移していた。ここは大学生よりも社会人が多いようだ。店の中の大部分はスーツ姿の男性やハイヒールを履いた女性でしめられている。この人たちから見たら、わたしたち大学生はずいぶんと頼りないひよっこに見えるのだろう。

「ごめんね、麻奈。僕が理沙を怒らせたから」

 席に着くと、友也はすまなそうな顔になってわたしに謝った。

「友也は悪くないよ。ただ、自分の意見を言っただけだし」

「でも、それが人を傷つけることもある。わかってはいたんだけどね。ただ、誰も何も言わなかったら、理沙は前に進めない気がしたんだ」

 そう。友也にはそんなところがあった。本人のためになると思ったら、言いにくいことでもはっきりと言う。つい遠慮してしまうわたしには、なかなかできないことだった。

「何か飲む?」

友也はテーブルの奥にあったメニュー取ってわたしに差し出した。わたしはそれをパラパラとめくったが、炭酸が苦手なわたしには、飲めるお酒がそれほど多くなかった。

「じゃあ、カシスオレンジ」

 わたしがオレンジを使ったカクテルの名前を上げると、友也はにっこりと笑った。

「うん、麻奈らしいね」

「どうして」

「絵にかきたくなるきれいな色合いだから。ちなみに僕は焼酎のロックにするよ。美しさとは縁遠い感じだけどね」

 でも、運ばれてきた焼酎は、透明な液体が氷に反射して流氷みたいだった。わたしのカシスオレンジはと言えば、底に行くほどオレンジが濃くなって、なんとも混沌とした感じだ。わたしは、友也の描く絵を思い出した。さらりとしたタッチなのに、人目を引きつけるインパクトがある。人物画でも静物画でも、それは変わらなかった。

「麻奈。理沙が心配してたよ。麻奈の元気がない。きっとなにかに悩んでるんだって」

 乾杯の後で、友也はそんな風に切り出した。

「理沙が……」

 わたしが考えているよりもずっと、理沙はわたしのことを見てくれていた。なのに私は、理沙に悩みがあることに全く気づかなかった。わたしは自分が恥ずかしくなった。

「向こうで何かあった?」

「何かあったって言うか……ちょっと先が見えなくなっただけ。なにをしても楽しくなくて、行き詰った感じがしたの。でも、きっと、みんなの方が大変だね」

 転科を決めた友也。留学を迷う理沙。漫画にのめり込む孝太。みんなそれぞれに悩み苦しんでいる。それに比べれば、わたしの迷いなど、取るに足らないような気がする。わたしは結局優柔不断で、自分のことさえ決めることができないだけかもしれない。

「麻奈。いつも言ってただろ。比べない方がいいって」

 友也はそう言って、焼酎のグラスを口に運んだ。氷がグラスに当たる音が、カランと心地よく響いた。

「それぞれの悩みはまるで別物で、そこから受けるダメージもみんな違う。自分が『つらい』と思ったら、きっと傷は深いんだ」

「うん……。でもわたしはきっと大丈夫だから」

「……春樹もあの時そう言った」

「え……」

 突然春樹の名前が出てきて、わたしは思わず友也を見つめた。友也はわたしから目をそらして、また焼酎を口に運んだ。

「春樹を見かけたんだろ?理沙から聞いたよ」

「…そう。春樹、なんだか様子がおかしかったから、気になって……」

 あの時見た春緋の顔が、また目に浮かぶ。わたしはうつむいて唇をかんだ。

「春樹から最後に連絡があったのは、ちょうど二年前だ。あいつはあの時も、様子がおかしかった」

 わたしは、驚いて顔を上げた。

「おかしかったって、どんな風に……」

「この時春樹と話した内容は、まだ誰にも言ってない。それが一番いいと思ったんだ。でも、麻奈には話すよ。麻奈が春樹を心配してるのに、僕が知っていることを話さないわけにはいかない」

「……うん。ありがとう」

 友也はもう一度焼酎のグラスを口に当てた。焼酎はすぐになくなって、氷だけが残っていた。

「あの時の電話は、最初からおかしかったんだ。春樹は、『友也か?』と言った後、しばらく黙ってた。あいつは大人しい方じゃないし、だいたい電話を掛けてきたのは春樹だ。僕は妙だと思いながら、『春樹、どうした?』って、そう言った」

 わたしは、思わずごくりと唾を飲み込んだ。口の中は乾いているが、今は目の前の甘いお酒に手を出す気にはならなかった。

「それでも春樹はしばらくの間黙ってた。もう、電話を切るべきだろうか。そう思い始めた頃、やっと春樹が口を開いたんだ。『友也。僕は、あの人を殺したんだ』」

 わたしは、思わず口に手を当てた。そうしないと、悲鳴が漏れ出してきそうだった。

「『お前、何言ってるんだ。だいたい、あの人って誰だ?』僕がそう尋ねるとあいつのかすれた声が返ってきた。『美月さんだよ。美月先輩。とってもきれいな人だった。……なのに僕は、この手で殺してしまった。取り返しのつかない事をしてしまったんだ……』僕は動揺して言葉をなくした。何か言わなければいけないと思うのに、焦れば焦るほどなにを言えばいいのかわからなかった。『……ごめん。今の話忘れて。……なんでもないんだ……』無理矢理沈黙を破るように、春樹はそう言った。『僕は大丈夫だから。悪かった。こんな電話して』

その後、唐突に電話が切れた。僕はしばらく、茫然としていたよ」

 気がつくと震えが止まらなくなっていた。友也が腕を伸ばして、わたしの手にそっと触れてくれた。それは一瞬のことだったのに、大きな掌のぬくもりが、心を落ち着かせてくれた。

「美月先輩が亡くなったことは、七瀬先輩に聞いたの。その時そばに春樹がいたことも……。でも、美月先輩は突然心臓が止まってしまったんでしょう?わたしはそうとしか聞いてない」

「そうなんだ。僕もその後すぐに調べたよ。同じ大学に通ってる後輩に聞いたり、ネットで調べたりした。でも、そんな事件はなかったんだ。『美月先輩は、突然の心臓まひで亡くなった』みんなそう思ってるし、きっとそれが真実なんだと思う」

「じゃあ、どうして春樹は……」

「その日春樹は、美月先輩と会った。それは間違いない。自分が美月先輩と会わなければ先輩は死なずにすんだ。もしかしたらそう思い込んでるんじゃないのかな。しかも春樹は……多分美月先輩に惹かれてた。だから余計後悔してるんだと思う。……こんなこと、麻奈に聞かせたくなかったけど……」

「……友也。それは知ってたよ。高一の時からずっと、春樹は美月先輩のことが好きだった」

 わたしの答えに、友也は一瞬目を見張った。

「そうか……。春樹のことは、なんでも知ってるんだね」

「そんなことないよ。それを知ったのは偶然だから……」

「麻奈、つらかったな。僕はそんなこと、少しも知らなかった」

 友也のなぐさめの方が、わたしにはつらい気がした。わたしはカシスオレンジに手を伸ばした。溶けた氷が味を薄くしている。微かなオレンジの風味が、わたしの舌をすべって行った。

「じゃあ、春樹が大学をやめたことも知ってる?」

「うん。七瀬先輩に聞いた」

「春樹は自分で自分を責め過ぎて、暗い穴の底に落ちたのかもしれない。なのに声を上げて助けを呼ぶどころか、外から見えないように身を潜めているんだ。まさかこっちの家に帰ってきて、誰にも知らせずにひっそりと暮らしているなんてさ。考えもしなかった……。結局、麻奈と春樹はどこか似てるんだよ。思い詰め過ぎて周りが見えなくなる。もっと肩の力を抜いて生きた方が楽なんだ。それが一人ではできないなら、周りの人間が手を貸してあげないと」

 友也の言葉は当たっているのかもしれない。わたしと春樹はどこか似ている。でも春樹は、わたしより遥かに重いものを抱え、苦しんできた。もしわたしが同じ痛みを抱えてしまったら、きっとつぶれてしまう。

「もう一度、春樹に連絡を取ってみるよ。携帯は繋がらないし、チャイムを鳴らしても玄関は開けてくれないだろうけど、手紙なら届くよね。家の電話に掛けて、留守電に声を入れるのもありかな。いろいろやってみて、繋がる方法を一緒に探そう」

「うん。そうだね」

「だから麻奈も元気出して。こっちにいる間は、みんなと一緒に遊ぼう」

「ありがとう」

 友也は頼りになる友達だった。いや、友達と言うよりも『お兄ちゃん』に近い。大好きなお兄ちゃん。でもそれは、きっと友也を傷つける感情だった。

「麻奈、もう少し飲めるよね?次は何を頼む?」

「さっき友也が飲んでた、焼酎のロックがいいかな」

「ああ、あれ?あんな色気のないものを?よし、わかった。じゃあ次は僕がカシスオレンジを飲む」

「友也が?」

「うん。ちょっとでも女の子の気持ちが理解できるようにね」

 そう言って友也は笑った。周りを安心させるような、穏やかなほほえみだった。



◇◇

 店を出たのは、まだ人通りのある時間だった。一人で帰ることができると思ったが、友也は『送って行く』と言って譲らなかった。

 二人でバスを降り、坂を上った。酒が入ったせいで二人ともいつもより饒舌になっていたが、少しずつその口数は減って行った。そして緩やかなカーブの先に、春樹の住む家がその姿を現した。

「あっ」

 わたしは思わず声を上げた。春樹の部屋に灯りが灯っていた。

 引かれたカーテンが薄い暖色系なのかもしれない。灯りは、熟れた果実のようなオレンジ色に染まっていた。わたしは、引きつけられるようにその光を見つめた。

 さっき飲んだカシスオレンジなんかより、遥かにきれいなオレンジ色だった。その色から連想される、甘さと温かさがわたしの中に広がって行く。

「麻奈」

 手首に感じた痛みに、わたしはぎょっとして振り返った。友也がわたしの手をぎゅっとつかんでいた。

「行こう」

 友也はわたしを引きずるようにして歩き出した。友也の指が手首に食い込む。

「ちょっと……」

 抗議しようとして、わたしは思わず口をつぐんだ。友也はまっすぐに前を向いている。なのにその目は悲しげで、傷ついた子供のようだった。

 家の前にたどりついて、友也はやっと足を止めた。けれどその手は、わたしの手首をしっかりと掴んだままだった。

「……友也?」

 わたしはもう一度友也の名前を呼んだ。友也は虚空を見つめたまま、つぶやくように口を開いた。

「あのオレンジ色をした灯りの中に、麻奈が吸い込まれてしまいそうな気がした。僕の方がずっと近くにいるのに……。そんなのおかしいよね。麻奈、頼む……行かないでくれ……」

 手首が熱い。友也の熱が、わたしの中に流れ込んでくるようだ。

 わたしは、友也になんと答えればいいのかわからなかった。わたしはきっと、あのオレンジ色の光に飛び込むことはできない。でも、見つめることはやめられない。あの光を、少し離れた場所からずっとずっと見ていたい。そう願う自分がいる。

 その時、二人の携帯がほぼ同時になり始めた。友也がそっと手を離す。でもわたしの震える手は、鞄を開けることさえできなかった。

「……ごめん……怖い思いさせて……。多分理沙からだよ……僕が見るから」

 友也はポケットから携帯を出した。携帯の光が、友也の顔を下から照らし出す。その光のせいだろうか。友也の顔はひどく青白く見えた。

「……まずいな……」

 友也がつぶやくのが聞こえた。わたしはぎょっとして、思わず友也の顔を見上げた。

「孝太がいなくなった」

「孝太が!?」

「『探さないでくれ』っていう置手紙があったらしい。……でも、心配なのは孝太だけじゃない……」

「理沙……」

 わたしにも、友也の言いたいことはわかった。理沙は孝太の失踪に責任を感じるだろう。そばにいなかったこと、留学を考えていたこと、そんなすべてのことを失踪の理由にしてしまう。

 『麻奈と一緒にすぐ行くから。それまでじっとしてて』

 友也はわたしの目の前で返信を打った。わたしの心臓が、どんどんと加速し始める。もしも理沙に何かあったら、わたしはどうすればいいのだろう。

「行こう」

 友也がわたしの手首をつかんだ。わたしはとっさに硬直した。でも友也はそのまま走り出した。

「後でいっぱい怒っていいよ。でも今は急がなくちゃいけないから……ごめん……」

 振り向かない友也の言葉は、少し遠回りをしてわたしの鼓膜にたどりついた。

―今は、理沙と孝太のことを一番に考えなきゃいけない時なんだ。

わたしは焦りと不安とかすかな痛みを抱えたまま、友也と一緒に急な階段を駆け下りて行った。

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