第三話
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吾輩は猫である。名前はまだ無い。
走り回ってお腹が空いたため、食べ物を探している所である。
あっちの実も、こっちの実も、そっちの実も。とても瑞々しくて、美味しそうである。しかし、食べるのが怖い。毒があるかもしれないのだ。こんなにも沢山生っているのに、食べられた形跡が殆ど無い。無闇に食べられないではないか。
せめて、見知った果物でも見つかればいいのだが、それすら見つからない。
となれば、次に目を付けるのは動物の肉。ここは森の中。動物なんてうじゃうじゃ、ゴロゴロいる。だけど、その全てがどデカかったり、訳の分からん化け物のような奴らばかりなのである。
さっきも、リスのような見た目の動物が体からバチバチと放電しながら、口から火を吐くキツネのような動物と睨み合っていた。意味不明である。
ただの猫でしかない吾輩には、レベルの高すぎる森である。
「ニャァ‥‥」
最悪イモムシ系に肉球を出す事を視野に入れつつ、目の前の岩に前足を掛ける。柔らかい土に覆われているようで、ふかふかしている。
「ニャニャッ!?(地震か!?)」
岩を登り切った所で、突然地面が揺れ出した。不安定な足場の為、しっかりと立てるように爪を立てる。
「‥‥ニャ?」
揺れに耐えるように真っ直ぐに力を入れて立ち、前のみを見ていたはずなのだが、ゆっくりと目の前の景色が上に下に流れていく。そして揺れが収まった頃には、生い茂る枝葉と隙間には青い空。前を見ていたはずが、上を見ていた。
岩じゃ無かった。どうやら吾輩が登ったのは、岩じゃ無かったのである。
「ガァ‥‥」
それと目が合う。鬱陶しそうに首を捻り、見下ろしてきた凶悪な顔と。
どうやら吾輩は、熊をよじ登っていたようである。目の合った熊が、ニヤリと笑った。‥‥気がした。
「……ニャ!(すまない!)」
取り敢えず飛び降り、非礼を詫びる。
許してくれ、吾輩小さいから、貴方の体を岩だと勘違いしてしまったのである。
「‥‥」
「‥‥」
「‥‥」
「‥ガァァァァァッ!」
「っ!?」
吾輩が再び餌となった瞬間であった。
熊の雄叫びが表すのは歓喜。そして威嚇。体が一瞬硬直するが、気力を振り絞り逃走を開始。
「ンニャァァァァァッ!(イヤァァァァァッ!)」
しかし、吾輩は過去に【疾風の猫】と呼ばれた猫。あの醜い化け物から逃げ切った俊足を持ってすれば、熊如きどうって事‥‥‥
「‥‥」
どうっ‥て‥‥事‥
「‥ニャ!?(‥ある!?)」
滅茶苦茶早い。熊が一歩足を踏み出すごとに、その距離は縮まってきている。小さな体の優位性を生かすべく、急な方向転換も交えて走るがあまり効果は無し。最早、捕まるのも時間の問題。
「ニャニャン!(これでどうだ!)」
近くにあった木に登る。吾輩木登りは得意である。
「ガァ‥‥」
熊も木登りが得意な事など百も承知。
熊も吾輩の登った木に手を掛けようとしていた。
「ニャニャニャ!(ワハハハ、だが登れまい!)」
吾輩が登ったのは、周囲と比べ比較的細い木。熊が登れば折れる事は必至。万一登って来ても、その折れたタイミングで隣の木に飛び移り、熊が木ごと倒れて慌てている間に、吾輩は悠々と姿をくらます。完璧な作戦である。
「……ニャ?」
タイミングを計るべく具に様子を窺っていた熊が、妙な行動に出る。木に掛けていた手を離したかと思えば、数歩下がり距離を取る熊。そして何故か、二本立ちに。
「……ニャ?」
これまた何故か。熊が大きく開いた口の前に、どこから現れたのか水が集まりだす。やがて、その水が見事な球体を作りだす。
「ガァァァッ!」
「ニャァァッ!?(何ですとぉぉ!?)」
咆哮と共に、放たれる水の塊。それは、吾輩が登っている木の一部を綺麗に粉砕した。
狙っていたのは熊の重さを支えきれずに折れる木の動き。こんな途中から消し飛んで倒れていくような木の動きなんて、欠片も予想していない。それ故に、反応が遅れてしまう。
結局、隣の木に飛び移る事など出来ず、そのまま地に着地。見上げれば、三日月形に歪んだ凶悪な顔。
「ガァァ‥‥」
お帰りなさい。そう言われた気がしたのである。
「‥‥ニャ!(ただいま)ンニャァァァァ!(そして、さようならぁぁぁぁ!)」
なので、吾輩は脱兎の如くその場を離脱。見逃して貰える筈も無く、間髪入れずに熊も追走。死の鬼ごっこが再び始まったのである。
吾輩が岩を飛び越えれば、熊は水を纏った体で体当たりして岩を砕き。木に登ろうとすれば、やはり水の塊が飛んでくる。
何処にどうやって逃げればいいのか、頓と見當がつかぬ。
どれくらい走ったか。未だ捕まっていないのが奇跡である。此処が何処だか分からない。まあ、場所に関しては元より分かっていないのだが。
吾輩も疲れたが、熊も相当疲れた様子。走って逃げ切るのは難しそうだが、一か八か上手く隠れられれば、そのままやり過ごせそうである。
そう例えば、この太い蔦やら根やらが幹に絡まった、この小さな隙間とか。
「‥‥‥」
吾輩は迷わず飛び込んだ。これは良い。一箇所一箇所の隙間が狭いため、熊の手も入らない。この中に居れば、熊も諦めるはず。吾輩は待つだけで良いのである。
「フニャァ~~」
思った以上に冷たい剥き出しの木の根に寝そべり、決死の逃走で火照った体を冷ます。ここは影にもなっている、ゆるりと体を休めようではないか。
「ガァァァッ!ガァァァァッ!」
苛立ちをぶつけるように腕を振るい、鋭い爪で蔦などを切り裂いていく熊。しかし、そこはまだ表層。吾輩の所までは、まだまだ届かぬ。
「‥‥ニャ?」
落ち着いた事で、気付いた事がある。この場所、やけに静かなのである。逃げる途中でも何度か見かけた動物の類が、この辺りには一切見当たらない。不気味である。なんだか心配になって来たのである。
熊は周りの妙な雰囲気にも気付かず、一心不乱に腕を振るっている。
ギィィィィン
有り得ない音が響いた。まるで、金属と金属強くぶつけるように擦り合ったような音。片方は熊の爪。じゃあ、もう片方は?
「ニャニャ!?(今度は何!?)」
周りにあった太い蔦やら根が、ゾゾゾと動き出す。そして吾輩が立っていた場所も。
「ガァァ……」
これには熊も驚いたか、静かに様子を窺っている。
「‥‥(んなアホな)」
開いた口が塞がらないとはこの事。
亀の時は、まだ遠くだったから精神的余裕があった。しかし、今回は違う。目の前の存在に吾輩、腰を抜かしたのである、少しちびったかもしれない。
現れたソレは、大蛇。それも、熊なんて容易く絞め殺せるくらい大きな大蛇。
「シャァァァ!」
幸い大蛇が睨んでいるのは熊。先程の爪が気に障ったのだろう。標的としてロックオンしている。
この隙に吾輩は逃げようと、抜けた腰を引き摺ってズリズリ後退し掛けた所でバシンッ!目の前に大蛇の尻尾が叩きつけられる。
熊を視界に入れつつ、僅かに斜めを向き吾輩の事も視界に入れたその目で、『逃げるな』と語っていた。
「ガァァァッ!」
一方熊は立ち上がり、勇猛に威嚇。やけくそになっているようにも見えるが。
「‥‥」
「‥‥」
睨み合う事数秒。
「‥‥ニャ!(始め!)」
吾輩の掛け声で、熊と大蛇の猛獣バトルが勃発した。熊が水を纏った鋭い爪を振るい、大蛇が巻き付き締め付ける。
吾輩がやるのは審判。などでは無く、逃走の隙を窺う事。
熊の爪を弾く強靭な体を持つ大蛇は余裕があるらしく、吾輩が少しでも逃げる素振りを見せれば尻尾で先程のように牽制してくる。どうやら、熊を倒した後に吾輩も食べるつもりらしい。
水なんて操る訳の分からない熊を圧倒するなんて、恐らく大蛇はこの辺りの主。だから、他に生き物の影が見えなかったのだ。
「ニャニャニャァ‥‥(熊さん頑張って‥‥)」
吾輩に出来るのは、相打ちになるように熊を応援する事だけである。