プロローグ:第一話
面白い作品に出来ればと思っています。
クスッと出来るような物語に……
突然だが、吾輩は猫である。名前はまだ無い。
というか、思い出せない。あったような気がするが、てんで思い出せない。そもそも吾輩、人間だった気がするのである。
寒い。寒い。寒い。昨夜は暖かくして寝ていたはずだが……。これは風か?
「くしゅっ……」
寒さに耐え切れず、丸まっていた体を伸ばす。気付けば毛布が無くなっていた。辺りを見渡すも毛布は見当たらない。というか、周りは土一色。上も下も、右も左も土。家ですらなかった。
「‥‥‥‥‥」
湿った土の匂いが鼻を突く。ピチュン、ピチュンと水の滴る音がする。
「‥‥‥‥‥」
視点がおかしい。地面が近い。低過ぎる気がするのだ。寝ころんだままというのは無い。俺はちゃんと立っている。こうして、四肢で大地を踏み締めている。
「‥‥?」
四肢で?両足では無く?四肢?
恐る恐る、自分の手に視線を落とす。
「‥‥‥」
違う。何か色々と違う。少し動かしてみる。
「……」
思った通りに動く。毛むくじゃらなそれは、間違いなく俺の手。
「‥‥‥」
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
「ニャァァァァッ!!!??(なんじゃこりゃぁぁぁぁっ!!!??)」
ようやく目の前の光景に理解が追い付く。俺は獣になっていた。
「ニャァッ、ニャァァッ!(かがみっ、かがみぃぃっ!)」
自分が何になったのか。毛むくじゃらの手だけ見ても分からない。俺は、今のお俺の姿全部を見る事が可能なモノを探す。
ここは恐らく洞窟。鏡なんて便利アイテムあるはずも無く。ただただ薄暗い中を走り回る。
ピチュンッ ピチュンッ
「ミャッ……!(水……!)」
水の滴る音がするという事は、そこには水溜まりが出来ている可能性がある。多少濁っていても、姿くらいは映せるだろう。
俺は音の方に向かって走る。走る。
「ニャッ!(あった!)」
狙い通り、願い通り。そこには水溜まりがあった。恐る恐る水溜まりを覗いてみる。
「……」
真っ黒。何も映っていない。自分の姿だけでは無く、水溜まりも見えない。
「‥‥」
目を瞑っていた。怖いのだ。見てしまえば、認めなくてはならなくなる。
こんな薄暗い洞窟の中だ。先程見た手は見間違いだったかもしれない。だけど今度見てしまえば、それが真実。認めなくてはいけない。
「ニャァ……(よし……)」
もう一度、恐る恐る水溜まりを覗いてみる。また何も見えない。だから今度は、意識して目を開いてみる。
「……」
規則的に流れる、毛むくじゃらの顔。尖った耳。長い髭。鋭めの牙。縦に細長い黒目の周りは蒼く、更にその周りは黄色掛かっている。
猫である。何度も水溜まりを覗き直すが、紛れもなく猫である。
毛色は、全体的にシルバー寄りの灰色。額には、縦に黒のラインが三本入っている。また、尻尾の先も黒いようだ。背中とかは見えないので分からない。
「‥‥‥」
顔に手を当ててみるが、触った感触は見た目通り。てか、顔に当たる肉球が気持ちいい。
「‥‥‥」
水溜まりの中の俺の姿が信じられず、何度も目を擦ってしまう。あ、これ猫っぽい。猫っぽい仕草だ。
「ニャァァ‥‥‥」
叫びたくなったのも一瞬。自分が猫になったという事実が、重く圧し掛かってくる。
取り敢えず外に出よう。新鮮な空気を吸いたい。ここはジメジメし過ぎている。気分までジメジメしてくるのだ。やってられない。新しい空気を取り入れて、気分を一新させよう。
微かに香る、風の方向へ向かって力無く歩く。道程は長そうだ。
「……ウニャ(……光)」
どれくらい歩いたのか、やがて視線の先に白い光が見えてきた。それと同時に、仄かな草の香り。間違いなく外だ。
沈んでいた気分が盛り上がっていくのが分かる。俺は光に向かって走り出した。
「ニャーーッ!(外だーーっ!)」
光の中に飛び込んだ瞬間、余りの眩しさに目を閉じた。そして数秒、目を慣らしながらゆっくりと瞼を開いていく。
目を開き最初に飛び込んできたのは、澄み渡った綺麗な青い空。そして、輝く太陽。
「ニャァァ……(気持ちいい……)」
空気が澄んでいるので、呼吸するだけで気持ちが良い。体の中を洗われているような感覚になる。
人間だった頃の事はぼんやりとしか思い出せないが、こんなに綺麗な空気を味わった事は無い気がする。色で言えば黒に近い灰色。そんな、お世辞にも綺麗とは言い難い空気を吸っていた。……と思う。
「……?」
ふと思う。なら、ここは何処だ?
いつもの如く毛布に包まって寝ていたのは、黒に近い灰色の空気漂う世界の小さな部屋での事。付近には、こんな場所無かった。どこか遠くに連れて来られた?誰に?
自慢では無いが、俺は気配には敏感だ。人の接近ぐらい分かる。触られでもすれば飛び起きるだろう。しかし、この洞窟で目覚めるまで何の変化も感じ取れなかった。
「ニャニャッ!?(崖の上!?)」
自分のいる場所を改めて確かめるべく辺りを見渡して、ここが崖の上だという事に気付く。背後には先程出て来た洞窟。足元には草花。それだけ。
意を決して、崖の先端部まで歩いてみる。その先の光景を見る為に。
恐る恐る。震える身体に鞭を入れ、萎えそうになる心を奮い立たせながら。
「!」
ようやく到達した崖の先端部。その下。眼下には森が広がっていた。大きな川も見える。まるでアマゾン?だ。行った事は無いが、見た事はある。アレに似ている。
「ニャ、ニャ、ニャァ……!?(な、な、なぁ……!?)」
だけど、似ているだけで全く違う。だってあんなモノ存在しないもの。
突然森が動いた。眼下に広がる森の一部が、盛り上がった。そして、ゆっくりと動き出す。
ズゥゥン、ズゥゥンと、それが歩くたびに、ここまで地響きが響く。数十キロは離れているだろう距離。それにも拘らず、地響きが響く。
そして、その姿もはっきり見えている。何故なら大きいから。数十キロ離れているだろう距離からでも、はっきりとその姿が見えるほどに大きいから。
「‥‥‥‥」
俺は今、どれほど間抜けな顔を晒しているのだろうか。顎を大きく開き、呆けているのが自分でも分かる。それ程の衝撃を受けた。
あの、全長一キロはあろうかという、馬鹿でかい亀には。
「ニャァ……(夢だ……)」
そうに違いない。そうでなければ可笑しい。これが現実だなんて笑っちゃうぜ。
長く伸びた亀の首。その先、顔には長い髭が垂れ下がっている。また、甲羅には木々が生い茂っている。あの亀が長い年月を生きているのが分かる。あれだけ大きければ天敵も居ないのだろう。……身を守るためにあるはずの甲羅の必要性に疑問を覚える。
たった数歩。それだけ歩いて。大亀は歩みを止めた。
「ミギャッ‥‥ニギャッ‥‥ンニャッ‥‥」
猫パンチ猫パンチ猫パンチ。自分の頬へ3発。これで目が覚めた。
俺は元の人間に。猫なんかになっておらず、アマゾン?っぽいとこにもいない。馬鹿でかい亀も存在しておらず、毛布の中でぬくぬくと。
「……」
何て事は無く。無情にも、目の前の光景は現実だと目が、鼻が、耳が、五感の全てが語っていた。
歩みを止めた大亀は、その場に沈んでいく。体をズリズリ揺らし、その場に沈んでいく。やがて、その動きも止まる。亀は居なくなっていた。亀がいた場所には、周りと同じ森が存在していた。
まるで擬態。葉や枝、花などに自分の姿を似せるアレ。大亀は森に擬態した。何てスケールの大きい擬態だろうか。意味があるのかも分からん。
一見完璧な擬態。しかし、大亀が現れ、大亀が進んだ場所は森が無くなっていた。大地が隆起し、木々が踏み倒され……潰された痕。天変地異の如き痕跡が残っていた。
「ニャァ……(何なんだ……)」
強めの風が髭を撫で付ける。
ここは、完全に知らない場所。人間だった頃にいた世界とは別の世界。異次元。異世界。異空間。だが、俺の身に起きている状況を考えれば合点がいく。人間から猫へ。こんな訳の分からない世界でなら起きてもおかしくはない。
なら、まずは元の記憶を取り戻そう。元の体を取り戻そう。その為にこの世界を旅して廻ろう。どこかに何か答えがあるかもしれない。もしかしたら、猫でなければならない理由があるのかもしれない。
俺の猫としての物語が開幕する。あの洞窟から始まる猫としての物語。
差し当たっては、こういう書き出しで始めよう。人間だった頃に聞いた事があるような、誰もが知っているだろうあの文句で。俺流に。
吾輩は猫である。名前はまだ無い。
何故猫の姿なのか頓と見當がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニヤーニヤー泣いていたのが始まりである事丈は記憶して居る。‥‥‥‥と。