エピソード1:名杙心愛は優秀である……?④
仙台観光を楽しんで、ユカは新居の荷物整理、政宗は部屋の模様替え、統治は程よく親戚づきあい……と、それぞれの連休を過ごした3人。
そんな連休明け初日、リフレッシュしたことでやる気も充填されているだろうと思いきや……。
「……今日はとことんやる気が行方不明やねー……あーだるいだるい……帰りたかー」
ようやくここまで来た16時過ぎ、右手でパソコンのキーボードを適当に叩きながら、左手で頬杖をつくユカが……心の底からやる気のない声で呟く。
ユカの後ろにあるキャビネットの書類を整理していた『彼女』が、ウンザリした表情で振り向いた。
「そんな声出さないで仕事してください。勤務時間内ですよ」
少しウェーブのかかった長い髪を肩の位置で1つに結い、桃色のカーディガンにクリーム色の膝丈ワンピース、足元はストッキングに茶色いパンプスという、ゆるふわな服装。
声は少し低めで、薄い化粧でもよく分かる美少女なのだが……しかし、その目元は笑っておらず、ユカを冷めた目で見下ろしている。
彼女は片倉華蓮、高校1年生。昼間は仙台市内の高校に通い、学校帰りに『仙台支局』で書類整理や事務処理等のアルバイトをしている。
どこからどう見ても色白で薄幸な美少女なのだが……片倉華蓮は偽名であり、本名は名波蓮。生物学的には男である。
すったもんだで色々あった結果、女装してアルバイトをするという罰ゲームのような働き方しか許されないという……やっぱり薄幸の美少女だ。中身は男だけど。
政宗は得意先への営業、統治は名杙本家からの呼び出しのため、現在『仙台支局』には2人きり。そう遠くない過去に華蓮から殺されかけたこともあるユカだが……今は同じ職場で働く仲間として、また、同じ業界で働く先輩として、それなりの人間関係を築いている、つもり。
ユカも肩越しに彼女を見やり、口を尖らせて愚痴を吐く。
「心愛ちゃんの『初級縁故』合格計画が頓挫しとるっちゃもん……ねぇ片倉さん、替え玉受験せん? 実技試験だけでよかけんが」
割と本気で訴えるユカを、華蓮は真顔でバッサリ切り捨てた。
「バカなこと言わないでください。第一、私は『縁故』じゃありません」
「えー? なろうよ『縁故』やろうよ『縁故』!! 片倉さんがやりたいなら、あたしが政宗とかそそのかしてもよかよ?」
いつの間にか椅子ごと後ろを向いていたユカに華蓮は完全に背を向け、手に持ったファイルを片付けながら、素っ気なく返答する。
「謹んで辞退させていただきます。第一……そんなこと、名杙の当主が許すわけがないでしょう?」
そう言ってキャビネットのガラス扉を閉めた華蓮は、政宗の席とユカの席の間に設けられた、簡素なパソコンデスクの椅子を引いた。
某お値段以上の家具店で一式を購入してきて、急ごしらえで作られた華蓮の仕事机には、備品のノートパソコンと、マニュアル等が立てられるようにブックエンドが2つあるのみ。スリープ状態だったパソコンを復帰させ、ユカに無言で右手を突き出す。
「……提出期限が過ぎている書類がありますよね、山本さん。私が出来ることならやりますので、一式渡してください」
「ををっ!? ありがとう片倉さん!! いやー気が利くねー」
ユカは満面の笑みで、パソコンの脇に置いていたクリアファイル――中には4月の領収書がごっそり――を手渡す。予想以上の量に華蓮が露骨に顔をしかめると、「いや、先月は移動とか引っ越しとかあったけん!」とユカが慌てて言い訳をした。
その言葉を右から左へ聞き流しつつ……華蓮はパソコンの画面を見つめたまま、ポツリと呟く。
「私のこと、もう少し疑ったほうがいいんじゃないですか?」
「ん? なして?」
「だって……ついこの間まで、私は皆さんを欺いていたんですよ?」
それはまだ、決して笑い話に出来ない過去の話。
内に秘めた強い願いを叶えるため、蓮は、同じ気持ちを抱いた名杙直系の桂樹と手を取り、統治の能力を奪い、政宗を追い詰めようとした。
その窮地を何とかするため、ユカは仙台にやって来た。そして……トラブルを解決した今、蓮は、自分を殺した状態で生きることを強いられている。
勿論、彼は現状に満足などしていないだろう。だからこそ、いつでも牙をむく可能性がある。
その割に、この『東日本良縁協会仙台支局』の人間は……ノー天気すぎるんじゃないのか、そう言いたいのだ。
この主張は最もだし、ユカも正直、もう少しペナルティを与えてもいいんじゃないかと思う。
でも……。
「そうやね。でも、本人があたしたちを欺いてたって自覚があるなら、それなりに反省しとるやろうって思っとる。それに……」
ユカは笑顔のまま、華蓮と……彼女の奥にある政宗の席を見つめた。
彼の処遇を決めた、この組織の責任者の席を。
「政宗が……いや、統治もやね。あの2人が君を信用してここに置いとるけん、あたしも信じるよ。2人ともお人好しで甘いところもあるけど……でも、敵味方の分別はつけられるはずやけんね」
そう、これは2人が決めたことだから。ユカは信じてついていく、それだけだ。
ただ……勿論、なにかトラブルが発生したら、一緒に責任を取るつもりで。
「まぁ、もしもその判断が間違っとったら……あたしが全員命がけで矯正してやるけん、覚悟しとき」
そう言って右手親指を突き立てるユカから華蓮は視線をそらし、まずは……膨大な領収書から経費に計上できなさそうなものを分別する作業に取り掛かったのだった。
「山本さん……先週の日曜日に買ったコンビニのアイスがどうして経費になると思っているんですか?」
「そ、それは、引っ越し作業が地味に大変で、仕事に心の余裕が欲しかったっていうか……」
「無理です。これは経費として認められませんので領収書は破棄します」
「うぅ……片倉さんが厳しかー……」
華蓮がバッサバッサとユカの領収書を破棄していると、政宗が戻ってきた。
「ただいまー……あー疲れた……」
低い声でそう言いながら、自分の席を目指す政宗。スーツが少しくたびれており、普段のよそ行きモードはもうちょっと締まりがある本人の表情も……完全に疲れが先行して、電池が切れかけている。
華蓮は無言で立ち上がると、自分の後ろにあるコーヒーメーカーをセットした。そんな彼女に「あたしもちょーだい」と自己主張を忘れないユカは、力なく椅子を引いて座り込んだ政宗に、自席から訝しげな表情を向ける。
「政宗……どけんしたと? 外回りでそげん疲れとるげな、珍しかね」
普段ならば、もう少し余裕がある状態で帰ってくる政宗なので、こんなに情けない姿は珍しい。これも連休明けの魔物の仕業なのだろうか……なんて思ったユカの問いかけに、自席の椅子に座った彼は首元のネクタイを緩めながら、渋い表情を向けた。
「今日はちょっとやる気が出て、連休前に紹介された新規のお客さんのところへ行ってみたんだがな……」
「をを、仕事熱心やね。んで、こっぴどく怒られたり、断られたりしたと?」
「いや、むしろ真逆だよ。これを成功させれば、1件大口のお客さんが増えるかもしれないんだが……」
「それは凄いやん、お手柄やん。だったらもっと喜んでもよさそうやけどねぇ……」
政宗の真意が分からず首を傾げるユカ。その横ではコーヒーを作った華蓮が、ユカと政宗それぞれにブラックコーヒーを配膳していく。
「ありがとう片倉さん。いただきます」
「熱いので気をつけてください。あと……山本さんの領収書がろくでもないものばかりなので、後で、経費になる領収書とは何たるかを、支局長からも説明をお願いしますね」
刹那、政宗がジト目でユカを睨んだ。
「ちょっと片倉さん!? そ、そげなこと言わんでよかやんね!!」
「ケッカ……疲れきった俺を更に疲れさせるつもりだな。しょうがないから、宅飲みしながら説教してやるよ」
「せめて仕事時間中に説明して!? そ、そうじゃなくて……新規のお客さんが増えるかもしれんとにそげな顔で、何か面倒な問題でもあると? まぁ、どうしようもない問題があるからウチに頼ってくるんやろうけど……」
「そうなんだよケッカ。ちょっと厄介なんだ」
「勿体ぶるね……あたしは聞かん方がいいってこと? じゃあ帰るよ、今すぐ帰るけんが、統治が戻ってきたら2人でゆっくり話をしてよかよ!!」
そう言って笑顔でノートパソコンを閉じるユカを、今度は政宗がジト目で押しとどめた。
「コラ、就業時間内に帰ろうとするんじゃない。とりあえず俺もまだ全容が見えていないから、概要だけざっくり説明するとな……心愛ちゃんが通っている中学校で、最近、不可解な現象が発生しているそうなんだ」
「心愛ちゃんが通ってる中学? 今回の依頼人は中学生なん?」
「いや、そこに通わせている親御さんだ。その方が言うには、最近、部活や勉強で校内に残っている生徒が突然その場で倒れて、翌日から1週間程度寝込んでしまう事件が頻発しているらしい」
「あらま」
「原因不明だから、本人が回復するのを待つしかないそうなんだが……気味が悪いだろう? それが1日に複数回発生しているそうだ。あと、倒れた人に話を聞くと、鮮明には聞き取れれなかったが、低い男性の声や甲高い女性の声なんかが聞こえた人もいるらしい」
あぁ怖いと顔を伏せる政宗に、ユカはジト目を向けた。
「……ある程度分かっとるくせに。白々しかよ、政宗。それ、完全に『痕』と接触した拒絶反応やん」
普通の人間に『痕』は見えない。それは、存在しているルールが違うから。
ただ、『痕』が存在して一定の場所に留まっていると、やがて『遺痕』という更に厄介で強力な存在になる。学校そのものに既に『痕』や『遺痕』が住み着いている場合、生徒と彼らが知らず知らずのうちに接触していることで、何か異常が発生している可能性が高い。
そして、異質なものと接触したことで、『縁故』ではない人間は、『痕』や『遺痕』の世界に引きずられないようにする防衛本能が働き、それが負担となって自分の体に戻ってくる。それが今回中学生が倒れた原因ではないか……と、ユカは言いたいのだ。それにしても、そんな怪事が1日に複数回発生しているとは……ちょっと数が多すぎる気もするが。
勿論それは、政宗も分かっている。その上で……悩んでいることが、1つ。
「実は、その件が早々に名杙本家に知れてしまってな……統治が呼び出されたのもその件だ」
刹那、ユカの眉間にしわが寄った。
「……どういうこと?」
そして、なんかデジャヴというか……そこはかとなく嫌な予感がする。
ユカの不安を裏付けるように、政宗がゲンナリした声で言葉を続けた。
「名杙家としては、その中学校の1件を、主に心愛ちゃんに処理させたいらしい。いつも通っている学校内ならば、彼女も緊張することなく力を発揮できるだろうって魂胆だ」
刹那、ユカは真顔で首を横に振った。
「いや、どう考えても無理やろ。心愛ちゃんの問題は、環境云々じゃないやん」
「俺もそう思って一応進言はしたんだがな……丁度初級試験のために案件を処理したいし、何よりも心愛ちゃん本人が乗り気というか、何というか……」
「も……もう話が心愛ちゃんまでいっとると!?」
予想以上に早い情報伝達に、ユカは驚いてコーヒーを吹き出しそうになってしまった。
そして……大きなため息を付いてしまう。
「……全くあの子は、自分が出来ないことに関してもグイグイ話を進めるっちゃけんが……それを全力フォローせないかんこっちの身にもなってよね……」
つい先日も、『痕』が苦手なのに『縁故』の修行をすると言って実家の力を使って政宗を巻き込み、ユカもとばっちりをくらい……結果、今に至る(三歩進んで二歩下がったような状態)のに。
もう少し、自分に出来ることを考えてから行動して欲しいものだ……既にパターン化されているような気がする現状に嘆息するユカに、政宗は開き直った笑顔を向ける。
「と、いうわけで……ケッカ、頑張ろうなっ♪」
「無責任だーっ!!」
ユカの大声が響き渡る室内で、蓮は1人、心愛の通う中学校に関する資料をまとめ始めるのだった。
仕事が出来る男の娘・片倉華蓮の登場です。
華蓮がどうして『仙台支局』で再び働くことになったのかは、その詳細を音声化したりしたので、ご存知の方も多いと思いたい。ええ、完全なる罰ゲームです。(https://tmbox.net/pl/1186348)
華蓮が言及しているように、裏切り者を近くで大分放置している『仙台支局』は甘いのかもしれませんが、その理由は、ユカが本文で喋っている通りです。物理的に人材不足であることも否定出来ませんからね。仕事が出来る人材は貴重なのです。
と、いうわけで、外伝やボイスドラマでは大分浸透していた「冷静に仕事をする華蓮」が、小説でも本格的に動き出します。ええ、終始こんなテンションなので……霧原も書きやすいですね。
そして、彼らのゴールデンウィークはたった1話で終わったわけですが(笑)……それこそ『隙間語』(ボイスドラマ)でもうちょっと補完しようかな、と、妄想しております。