エピソード1:名杙心愛は優秀である……?②
政宗の運転で4人がやって来たのは、仙台市街地から郊外へ抜ける途中、広瀬川にかかる橋のたもとだった。
仙台市を流れる一級河川の広瀬川は、この町のシンボルとしても有名である。
もう少し早い時間帯ならば、河岸に整備された遊歩道を散歩する人も姿もあっただろうが……日が落ちたこの時間帯に歩く人の姿はなく、住宅街でもないので街明かりも届かない。社会人の帰宅時間のため、橋の上を途切れることなく走る車のヘッドライトが、瞬間的に辺りを照らしていた。
そして……太い橋の柱の根本、1人、ぼんやり虚空を見つめている『遺痕』の姿を発見する。
『痕』――死んだ人間は繋がっている全ての『縁』が切れるが、何らかの理由で地上との『縁』が切れず、それが枷となって消えることが出来ない存在。
放っておけばいずれ『縁』が切れて消えてしまうことが多いのだが、『痕』の中でも繋がった『縁』が強固で、地上に悪い影響を与えると判断された存在は『遺痕』という別分類となり、ユカ達のような『縁故』と呼ばれる存在が、速やかに抹消するようにしていた。
『痕』は幽霊、『遺痕』は地縛霊だと思ってもらえると、より分かりやすいかと思う。移動してそのうち消えてしまう可能性が高い『痕』よりも、一定箇所に留まって周囲に悪影響を及ぼす『遺痕』の方が、より迅速な対応を求められる。
既に足がすくんで、政宗より先を歩かない心愛に……先頭を歩くユカはジト目を向けたが、すぐに目の前の『遺痕』に視線を戻した。
「さて……君が、川で溺れて流されてしまった遠山集人君、亡くなった年齢は10歳、この辺りで釣り人が引きずられそうになっていることに関係していると思われ、めでたく『遺痕』認定された期待の若者やね」
久しぶりに生前の名前を呼ばれた『彼』が、ユカに視線を向けた。
身長はユカより頭一つ分小さい130センチ程度。長袖のシャツに膝丈のズボンを着用しており、足元は裸足。そして、びしょ濡れの髪の毛が顔にはりつき、愛嬌があったであろう顔を覆い隠している。
慣れない人が見ると悲鳴を上げて逃げ出したくなってしまう外見だが、もっと強烈なものを見てきたユカや政宗、分町ママは、特に取り乱す様子もない。
ただし……。
「ひっ……わ、ない……こわ、怖く……ないぃっ……」
いつの間にか政宗のスーツを握りしめ、彼の背中に隠れながら自分を奮い立たせようと頑張っている心愛。スカートから見える両膝は冬でもないのにガタガタと震えており、顔色が白く見えるのは、決して周囲が暗いからではない。
薄目でチラリと彼を見ては目を閉じる……そんなことを繰り返している心愛を、振り返ったユカがジト目で見つめた。
「心愛ちゃん……あの子、特に攻撃とかしてこんし、それ以前に話しかけてもこんやん。あれなら怖くないやろ?」
「こっ、こわっ、こわ怖いわけななないじゃん!! こ、心愛、怖くなんか……っ!!」
刹那、『彼』が髪の毛の隙間から心愛を睨んだ。
「ひっ!?」
慌てて政宗の背中に隠れる心愛。その服を掴む手に汗が滲む。
怖くない、怖くない、怖くない、大丈夫、大丈夫、大丈夫……!
頭の中で何度も唱えているのに心臓が落ち着かない、ちっとも安心出来ないのは――どうしてだろう?
――何かあれば、心愛のところへ行く。
そう言っていた『彼』は……結局、来てくれなかった。
待っていたのに。ずっと……ずっと、信じて待っていたのに。
「こわっ……ない、だいじょっ……ふっ……!!」
小さな体を更に小さくして震えている心愛。苦笑いの政宗と目配せをした分町ママが、心愛と同じ目線までおりてきて、何とか彼女を奮い立たせようと声をかけた。
「心愛ちゃん、落ち着きなさい。あの程度の相手に怯むほど弱いわけじゃないでしょう?」
「わ、分かっ……分かって……!」
分町ママの言葉に我に返った心愛は、意を決して再び『彼』を見やり……。
「やっぱり無理!! 無理なの怖いの嫌いなの!! やっぱり『痕』も『遺痕』大嫌い!!」
瞼を固く閉じたまま、頭を振って大声で喚く心愛に……ユカが口元を引きつらせ、大きな大きなため息をついた。
結局――自分がやると豪語するユカを政宗が抑え、3人に説得された心愛がようやく開き直り、『彼』の『縁』を『切った』のは……4人が現地に到着してから1時間後のことだった。
「確かに……あれは長かったな」
あの時のことを思い出した政宗も、たまらず苦笑いを浮かべる。
これまでユカからの報告は受けていたものの……彼が心愛の仕事に付きそうのは、前回が初めてだったのだ。
渋くてぬるいコーヒーを意地で飲み干した政宗は、再び5月のカレンダーに視線を向けて……顔をしかめる。
「開き直れば強いんだがなぁ……時間がかかっても15分が限度だよなー……」
心愛は、幼少期に悪意のある『痕』に襲われたことがキッカケで、名杙直系でありながら『痕』が怖い嫌い大嫌い、という面倒なトラウマを抱えていた。
でも、これでも随分マシになった方である。ここに初めて来た時は、無害の『痕』を目の前にして何も出来なかった彼女だが……前回の事件の最中にとある出来事があり、ある程度時間をかければ、開き直って『遺痕』に近づき、残った『縁』を切ることも出来るようになってきた。
ただしこれは、先ほどのように、攻撃をしかけてこない『遺痕』でなければ仕事にならない。『遺痕』の中には自分が死んだことを認められず、もしくは、自分なりの目的があって、『縁故』に対して攻撃的になることも決して少なくはないのだ。それは、過去に『痕』に襲われた心愛が嫌というほど理解していること。
メールを確認しながら脳内で作戦を組み立てた政宗は、満面の笑みで隣に立つユカを見やる。
「と、いうわけでケッカ、頑張ろうな!! っていうか頑張れ!!」
「やっぱ他人任せ!?」
「俺はケッカのこと、信じてるからなっ!!」
そう言って右手親指を突き立てる政宗に、ユカはゲンナリした表情で捨て台詞を吐きすてる。
「新人育成げなやったことなかとに……どげんなっても知らんけんね!!」
と、頭を抱えつつ、ユカも内心では気合を入れなおしていた。彼女もこの業界(?)で働くようになって約10年。そろそろ上に立つ人間として、後輩の育成には携わるべきなのだ。それで自分も更に成長出来るのだから。
しかし、ユカも自身の特殊な境遇により、一握りの、癖の強い『縁故』以外の人間との交流がないままここまで来てしまった。心愛のように『初級縁故』の合格から新人をサポートするのは初めてのこと。ただ、相手にとって不足はない。
自席に戻って毒づきながらも今後のスケジュールを考えるユカに、政宗は机上のカレンダーを確認しながら、「そういえば」と2人にこんな提案をする。
「もうすぐ5月の大型連休だが……ケッカに統治、暇は日はあるか?」
「へ?」
唐突に、しかも業務とは恐らく関係のない話題をふってくる政宗に、ユカが間の抜けた声と共に、再び彼に視線を向ける。
同じく、パソコンから政宗に視界を切り替えた統治は、しばし考えて……。
「5日は実家で集まりがあるから無理だが、それ以外ならば特に問題ない。何かあるのか?」
「あたしは連日特に何もないけど……何かやることあったっけ?」
顔に疑問符を浮かべて政宗を見る2人に、彼は苦笑いで理由を説明する。
「いや、ケッカが仙台に来てから、ろくに市内さえ案内してなかったなーと思って。折角だから3人でどこか行ってみようかな、と、思ったんだよ」
まさかの観光案内の申し出に、ユカは極限まで目を見開いて政宗を見つめた。
「嘘!? 政宗が珍しくあたしを気遣おうとしとる!!」
「失礼なことを言うな、と、言いたいところだが……実際、ケッカには息つく間もなく仕事を頼んでるからな。あと、これから働く土地のことを良く知ってほしいとも思ってる。どこか行きたい場所があれば連れていけるぞ」
「本当? うーん……いきなり言われてもなぁ……」
ユカは仙台に来る前に福岡で立ち読みした仙台のガイドブックを思い出し、市内の観光地はどんなどころがあったかと……記憶をたどる。
混濁した記憶の中から真っ先に浮かんできたのは、仙台の観光地の見本とも言えるような……あの場所だった。
「あ、折角やけん、あの、伊達政宗の石像がある場所は見てみたいかな。あそこお城の跡地なんだっけ?」
「青葉城だな。他にどこか知ってるか?」
クイズのような問いかけに、ユカは首をかしげて……昨日、ローカル番組で見た地名を思い出す。
「んー……松島」
「確かに観光地だがいきなり遠くなったな……あと、連休中の松島はやめておけ。もう少し落ち着いてから、水族館が移転するまでには連れて行ってやるよ」
刹那、ユカの目がキラリと輝いた。
「水族館があると?」
「ああ、松島に昔からある水族館なんだが、施設の老朽化もあって、もうすぐ仙台市に移転することが決まっているんだ」
「ペンギン……おる?」
「沢山いるぞ。ただ、連休中の松島は本当にやめておけ。どうせ新しくなるんだから、落ち着いたら連れていくよ」
何かを思い出した政宗が、ゲンナリした表情で首を横に振った。
松島は、全国的にも有名な観光地である。日本三景の一つは伊達じゃない、美しい海と島々の景色を見るために、年間を通じて多くの人が訪れていた。
松島へのアクセスは電車、もしくは車になるのだが……松島の中心部は交通量が多いのにそれぞれ1車線しかなく、加えて道路を渡りたい観光客が常に横断歩道の押しボタンを押しているので、普通の土日でも渋滞が発生している。
これが連休になれば、普段以上の観光客が大型バスやレンタカーでやって来るため……地元の人間はよほどのことがない限り近づかない&松島の先へ行く場合は迂回するのが当たり前となっていた。
松島へのアクセスは、仙石線の松島海岸駅がオススメです!! 電車を使いましょう!!
自分でも市内の観光スポットを脳内で思い描き、特に何も浮かばなかった政宗は……無言で考えている統治に視線を向け、助け舟を求めた。
「青葉城以外だと……統治、どこがいいと思う?」
「……瑞鳳殿」
瑞鳳殿とは、伊達政宗やその家臣が祀られている……ざっくり言うとお墓である。
第2次世界大戦の空襲で消失したが、その後再建されて、今では観光スポットの一つとして定着している。
一言で言うと……思ったより派手。伊達政宗がここに眠っているなら、某ゲームで「レッツパーリィ!」と言っているのも頷けるくらい、きらびやかな名所である。
政宗は脳内で市内の地図を思い浮かべ、思案する。実際に住んでいる土地の観光名所とは、地元の人間ほど行かない場所だったりするのだ。
「なるほど。ベタだな。あとは動物園とベニーランドか……?」
そこかられぞれに考えてみたが……特に前向きな意見が出ないまま、5分が経過した。
「まぁとにかく、5日以外で日程とルートを考えるから、何か意見があったら教えてくれ。以上。さあ働け、仕事に戻れー」
そう言って自分のパソコンに向き直る政宗。統治も再び自分の作業に没頭する。
ユカも机上に広げた書類に視線をおとしながら……どこに連れて行って何を食べさせてもらおうか、と、心はすっかりうわついていた。
連休中の松島に近づいてはいけません!!すっげー混雑します!!
可能であれば平日の方がゆっくり見ることが出来ますよ。以前は遊覧船からカモメにかっぱえびせんをあげることも出来たのですが、今は禁止されてしまいましたね……アグレッシブに船に食らいつき、えびせんを持っていくカモメは逞しかったです。
また、2015年に閉館してしまった松島水族館。88年という長きにわたって宮城の人を楽しませてくれた動物達は……新しくオープンした「うみの杜水族館」で元気にしていますよ。
なお、うみの杜水族館に関する小話は、既に外伝で書いています。(http://ncode.syosetu.com/n9925dq/9/)
参照:マリンピア松島水族館(http://www.marinepia.co.jp/)
また、青葉城は次の話で書くので詳細は書きませんでしたが……瑞鳳殿は、実は写真でしか見たことないんです!スイマセン……いつか行こうと思っているのですが……。
写真で見る限り、派手です。伊達政宗の名に恥じない名所だと思いますので、是非とも行ってみてくださいね。そして、感想を教えて下さい。(他力本願)
参照:Wikipedia 瑞鳳殿(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9E%E9%B3%B3%E6%AE%BF)