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後日談:統治くんのリベンジ

 まさかの邂逅から1時間未満で終了した顔合わせ会から、約2週間後、5月最後の土曜日、時刻は10時を少し過ぎたところ。

 名杙統治は左手に付けたシルバーの腕時計で時間を確認して、浅く息をついた。

 場所は前回の待ち合わせと同じ、仙台駅西口のステンドグラス前。既に多くの人が待ち合わせをしている中に混じり、背中にあるワンショルダーの黒いカバンの位置を整える。

 今日は家を出る前、心愛から入念にチェックされてしまった。くせ毛の整え方から、襟付きシャツのボタンをあける位置、紺色の綿のパンツはいいけれど足元が革靴だと硬すぎるのではないか、などなど。

 取り入れるところは取り入れつつ、シャツのボタンをあけることと、足元をスニーカーにすることは、やんわりと却下して……最後は逃げるように家を出てきたのだ。

 今日の待ち合わせは、10時15分と伝えてある。時刻表を考慮してもこれで丁度よい時間だから、くれぐれも早く来る必要はない、そして走る必要もないと念を押しておいたので、彼女はその言葉通り、10時10分過ぎに統治の前にやってきた。

「お待たせしました」

 改札を出たところから早足でやってきた櫻子は、レース素材があしらわれたパステルホワイトの膝丈ワンピースに、落ち着いたブラウンのパンプス。髪の毛は毛先を少し巻いており、手に持ったピンクのハンドバックが彼女の動きに合わせて揺れる。

 統治は明るいメイクでより華やかさが増している彼女を見下ろし、一度、呼吸を整えた。

「改めて、先日は大変失礼しました。仕切り直しということになりますが……とりあえず、落ち着いてお話をしたいと思っています。移動してもいいですか?」

「分かりました、よろしくお願いします」

 そう言って軽く会釈をした櫻子は、統治を見上げて……どこか楽しそうに微笑んだ。


 前回と同じ喫茶店……は、さすがに気が引けたので、統治は商店街の中にある、世界的なコーヒーのチェーン店に入った。少し雑多な雰囲気はあるものの、ここならば時間や店員の目を気にすることもなく、櫻子との話に集中出来ると思ったから。

 既に何名かがレジ前で列を形成しており、2人もそこに並ぶ。統治は上に掲げられているメニューを見上げ、隣で思案する櫻子に声をかける。

「決まったら教えてください。先に席を取っていてもらえるとありがたいのですが……」

「分かりました。じゃあ……ホワイトカフェモカをアイスでお願い出来ますか?」

 そう言ってカバンの中にある財布を取り出そうとする櫻子を、統治は慌てて手で制した。

「ここは流石に、俺に出させてください。前回のこともありますし」

 少し焦り気味に告げる統治に、櫻子はやはり楽しそうに笑ってから、財布をカバンの中へ片付ける。

「……分かりました。では、あちらのソファ席でお待ちしてますね」

 そう言って列から離れていく彼女の背中を見送りつつ……統治は、サイズを聞き損ねたことに気がついて、1人で頭を抱えるのだった。


 結局、真ん中の無難なサイズにしてから、自分用のブラックコーヒーと一緒にトレイで運ぶ。縦に長い店内の奥にある、2人が対面で座れるソファ席。その手前に座っていた櫻子が、統治が来たことに気づいて軽く会釈をした。

 統治はテーブルにトレイをおいてから櫻子の前に腰を下ろし……改めて彼女を見つめ、眉をひそめる。

 先程から彼女がずっと、自分を見ては、楽しそうに笑っているから。バカにしているような笑みではないが、「微笑ましい」と言わんばかりの表情が、どうも気になってしまう。

「あの、すいません……俺の顔になにかついてますか?」

 そんなはずないとは思いつつ、会話の取っ掛かりがないので一番ベタな質問をしてみる。そんな彼に櫻子は「スイマセン」と苦笑いで肩をすくめてから、驚くべき事実を教えてくれた。

「実は……この間の日曜日、妹さんとお会いしまして」

「え!?」

 思わず素で変な声が出た。コーヒーをのもうかと思って伸ばした手を引っ込め、彼女の話に全力で耳を傾ける。

「妹さんが、里穂ちゃんや仁義くんと一緒に、お祖母さんの御見舞に来てくれたんです。私も丁度院内で仕事をしていて……里穂ちゃんが引き合わせてくれました。妹さんが、どうしても私に会いたいって言ってるって」

「こ、心愛が何か、ご迷惑をおかけするようなことを……!?」

「いいえ、丁寧にご挨拶をしていただきました。そして、「兄がご迷惑をおかけしました」、と」

「……」

 事実なので何も言えない。しかしまさか、心愛がそんなことをしていたとは……確かに前の日曜日は、里穂のところへ行くと言って家を出ていたような気がするけれど、統治は統治で自分の時間を過ごしていたため、特に気にもとめなかったのだ。

 急に気恥ずかしさが襲ってきた統治へ、櫻子は手元のカフェモカを一口すすってから、口についたクリームを紙ナプキンで拭き、笑顔を向ける。

「お兄さんのことを思っている、素敵な妹さんですね。私にも結婚した兄はいますが……あそこまでのことは出来ないと思います」

「恐縮です……」

 とりあえず家に帰ったら詳細を聞き出そうと決意しつつ、少し落ち着いてきた統治は、自分の前にあるブラックコーヒーを飲んで、更なる心の平穏を求める。

 そんな統治を見つめる櫻子は、終始楽しそうで……統治もまた、そんな彼女の姿に安心していた。

 今なら聞けそうな気がする、統治は持っていたカップをテーブルに戻すと、彼女を見据えて、先日の疑問の答えを教えてもらうべく、口を開く。


「分かりました、今日はこれで失礼します。でも……これで貸し借りナシになりましたよ、名杙さん」


 あの時「貸し借り」と言われた、その真意を。


「透名さん、1つお伺いしたいことがあるのですが……」

「はい、何ですか?」

「その……先日お会いした時に、俺との貸し借りがナシになったと仰っていましたよね。それは一体、どういう意味ですか?」

 ビクビクと探るように問いかける統治へ、櫻子はまた楽しそうに笑うと……少し目を細めて、大切に、過去の思い出を紡いだ。

「名杙さんは覚えていらっしゃらないと思うんですけど……名杙さんは、私の恩人なんです」


 それは、今から6年ほど前、2人がまだ高校生の頃。

 とある医師会が主催した大規模な懇親会に、櫻子は親と一緒に参加していた。

 仙台市内のホテルの大広間を貸し切った、大規模な立食パーティー。両親は他の病院の関係者との懇談に忙しく、櫻子は1人、部屋の隅の目立たない場所にある椅子 ――3つ並んでいる右端――に座って……手に持ったカバンの中から、自分の携帯電話を取り出す。

 薄いピンクの上品なドレスに、シルバーのパンプス。黒くて艶のある髪の毛をアップでまとめており、そこに佇んでいるだけで絵になるような、にじみ出る華やかさがあった。現に、何度か見知らぬ男性から話しかけられたりしたのだが、愛想笑いで逃げるようにその場から離れ続け、ようやく、この場所を見つけたのだ。

 当時はまだ、今で言うガラケー全盛期。SNSがジワジワ台頭してきて、個人ブログがブームになっていた頃。櫻子もまた、学校が遅くなった時に必要だからと持たされたもので、特に自分から、誰かと繋がりたいと思ったことなんかなかった。

 それに……。

「……どうしよう」

 櫻子は二つ折りの携帯電話を開き、届いている迷惑メールを見つめ……ため息をついた。

 彼女の元に日々届き続ける、見知らぬ業者からのチェーンメール。耐えかねて友人に頼み、自分のアドレスを変更&拒否設定をしてもらったのだが、それでも届くのはどういうことだろうか。

 さすがに同じことを頼むのは気が引ける。出来るならば自分で対処したい。けれど……。


 どうせ、自分には出来ない。


 櫻子が俯いたままでため息を付いた次の瞬間、自分の頭上に影が出来たことに気づいた。

 反射的に顔をあげてみると、見知らぬ男性が自分をチラリと見たあと、椅子をひとつあけて左端に腰をおろす。

 櫻子より少し年上に見える彼は、くせ毛と猫のような目が印象的で、物静かな雰囲気を醸し出していた。白いカッターシャツとグレーのパンツというシンプルな格好の彼は、ポケットから自分の携帯電話――折りたたみ式のガラケー――を取り出すと、慣れた手つきで操作を始める。

 その指先は、まるで別の意思を持っているように鮮やかな動きで……思わず、見入ってしまった。

 そして当然、そんな視線を向けていると……気づいた彼が、呆けている櫻子に訝しげな視線を向ける。

「あの……何か?」

 彼を凝視していることに気づいた櫻子は、慌てて姿勢を正し、頭を下げる。

「す、スイマセン!! その……携帯電話の操作が、お上手だなぁって……」

「……それはどうも」

 彼の訝しげな視線は続く。間が持たないことに焦りしかない櫻子は、混乱した状態で言葉を続けた。

「私、本当にこういう機械の操作が苦手で……ずっと迷惑メールが届いているのに、自分ではどうにも出来なくて……!!」

 櫻子の言葉を受けた彼は、真顔でこう返答した。

「迷惑メールに関するフィルターを設定すればいいと思いますけど」

「そ、それが出来ないんです!! お兄さんみたいな人には何てことない作業だと思うんですけど……」

 そう言って、シュンと肩を落とす櫻子。それが出来れば苦労しないのだ。

 本気で落ち込んでいる彼女を、彼はしばらく見つめた後……。

「俺でよければ、設定しましょうか?」

「へっ!?」

「その機種ならキャリアも同じだし、分かると思います。ただ、他人である俺が操作してもよければ、ですけど」

「何だかよく分かりませんけどお願いします!!」

 次の瞬間、櫻子は見ず知らずの彼に、自分の携帯電話を差し出していた。

 それを受け取った彼は、慣れた手つきで操作をして……1分後、櫻子に電話を返す。

「とりあえず、目についたものは設定しておきました。ただ、今後も同じようなメールは届くと思います」

「ですよね……」

 安直に予測出来る未来予想図に、櫻子は立ったままガクリとうなだれてため息を付いた。

 そんな彼女を、彼はどこか憐れむような視線で見上げ、こんな提案をしてくれる。

「操作方法、お教えしますか?」

 刹那、櫻子は顔を上げて、ヘアセットが乱れるほど、激しく首を横に振った。

「い、いえいえ滅相もない!! 私、本当に機械に関してはダメダメなのでやめたほうがいいと思いますっ!!」

「ですが、これを覚えておかないと、自分で何も出来ませんよ。簡単な操作です、一度やってみませんか?」

 そう言って自分を覗き込む彼に、櫻子は再度、警告をしておく。

「ご迷惑を……おかけしますよ?」

 そんな彼女の最後通告に、彼は何の躊躇いもなくこう言った。

「とりあえずやってみましょう。いいですか、まずはこのボタンを押して……」


 こうして始まった、統治先生の迷惑メールフィルター設定講座は……1時間経過しても、なんの成果も得られなかった。



「……あ。」

 話を一通り聞いた統治が、間の抜けた声を出して櫻子を見つめる。彼女は申し訳なさそうに苦笑いを浮かべると、カバンの中から、すっかり年季の入ったガラケーを取り出して、テーブルに置いた。

「あの時はご迷惑をおかけしました。あの後、物覚えが悪い私のために、名杙さんが紙に手順を書いてくださったんです。そのマニュアルを見ないと、私、設定が出来なくて……」

「ちょっと待って下さい、あれから何年経過してると思ってるんですか!? そ、それに、あの時は……確か、パーティーのアンケートの裏側に書いたので、もう、大分ボロボロになってるんじゃ……」

「コピーを取って大切に使わせてもらっています。名杙さんの説明は文字化すると本当に分かりやすくて……本当、私の物覚えが悪いせいで……」

 最早物覚え以前の問題である。そして統治もまた、はっきりと思い出した。

 あの時……1時間、自分にくらいついて頑張ったけれど、満足に操作が出来ずに落ち込んでいた女の子。

 苦手なことを克服出来ずに悔しそうな横顔を見せた彼女が、当時、『痕』を怖がらないように必死で努力をしていた妹(心愛)の姿と、重なって見えたから。

 頑張ってほしくて……統治にしては珍しく、普段以上に熱が入ってしまった。

 そうこうしている間に会合がお開きの時間になってしまったため、統治は近くにあった紙に、可能な限り事細かな手順を記載して、彼女に渡したのだ。

 少しでも力になりたかった。努力でどうにもならないことがあることは、自分も分かっているけれど、それでも……頑張る人を放っておけなかったから。


 ……まさか、大人になって再会して、こんなに進歩がないとは思わなかったけれど。

 統治は机上のガラケーを見つめ、内心、「なんだこの遺産は」と思っていた。


 ひとしきり話を終えた櫻子は、カフェモカを一口すすってから、言葉を探す統治に向けて話を続ける。

「あの後、お父さんに聞いて……名杙さんだと確信しました。でも、それ以降はお会いする機会があまりなくて。ちゃんとお礼も出来なかったことが……ずっと、心に引っかかっていました。改めて、あの時は本当に、ありがとうございます」

「い、いえ……そうですか、あの時の……」

 統治は何とかその場を取り繕うと……改めて、机上のガラケーに視線を向ける。

 目立った傷はなく、彼女が大切に使っているのは分かるが……外側からピンクの塗装が剥がれ始めて、少しみすぼらしくなっている。どれだけ大切に使っていたとしても、経年劣化は避けられないのだ。

 折りたたみ式なのでボタンや画面の状況は分からないが、まさか、彼女のメールが平仮名で誤字脱字だらけだったのは……?

「透名さん、その携帯電話……ボタンの調子など、色々と挙動がおかしくないですか?」

「よくお分かりですね。やはり摩耗しているのか、最近、ボタンを押すと内側でカラカラ音がして……」

「普通そんな音はしません」

 真顔で否定する統治に、櫻子は驚いた表情で「そうなのですか!?」と、机上の電話を見下ろす。

 そして……どこか自嘲気味に、深くため息を付いた。

「私……本当に機械全般が苦手で……パソコンと携帯電話がないと生きられないなんて、本当に窮屈な時代ですよね……」

 最早苦手という言葉では到底足りないレベルだと思う。統治の中にある『透名櫻子』のイメージが、凄まじい勢いで変化していくのを感じていた。

 お見合い、ということなので、身の上書は交換済み。統治も内容を確認して、ここに来ている。

 彼女の職業は『音楽療法士』と記載されていた。『音楽療法士』とはその名の通り、身体や精神上に障害を抱えている人を、音楽の力を利用して、その力を活かしたリハビリテーションを提案、実施する職業である。

 例えば、クラシックなどの落ち着いた音楽を聞かせて気持ちを落ち着かせたり、音楽に合わせて体を動かしたり……と、その患者や状況に応じた内容が求められる仕事だ。また、音楽の知識のみならず、心理療法など他分野の知識も必要となるため、少なくとも、ガラケーさえ満足に扱えない目の前の女性に勤まるとは、到底思えないのが現状だった。

 メール平仮名のみだったのは、漢字変換さえおぼつかないからだろうか……ハイスペックなのか、ポンコツなのか、統治は正直な感想や憶測を必死に喉の奥へ押し込むようにコーヒーを飲み、気を取り直して、更なる聞き込みを続けることにした。

「……お仕事でパソコンを使うことは、ないんですか?」

「ありません」

「え!?」

 今時そんな仕事が日本の伝統工芸以外であるのかと心底驚く統治に、櫻子はどこか言いにくそうに……白状する。

「正しくは、私は使っていないんです。患者さんの治療計画や報告書は、全部手書きです。実家の病院で、音楽療法士は私1人だけですし……必要であれば知り合いに頼んで、打ち直しをしてもらっています」

「……」

 統治は内心、「その知り合いが甘やかしているから、彼女が成長しないのではないか」と思ったが、未だにガラケーの迷惑メールの設定さえ満足に出来ない女性である。パソコンなんて精密機器を触らせたら、そのパソコンのみならず、院内ネットワークが死んでしまうかもしれない。

 しかし、インターネットが当たり前になり、Wi-Fiが自由に飛び交うこの現代……彼女はどうやって生きているのだろうか。

「透名さんは、インターネットは……なさらないんですか?」

 何気なく尋ねた次の瞬間、彼女は目を見開いて首を横に振った。

「インターネット!? 無理です無理です!!」

「いや、そんなに否定しなくても……」

「だ、だって、インターネットの世界は怖いんですよね? 何が本当で何が虚構なのか分からない無法地帯だから、己の心眼を養う必要がある、と、以前読んだ本に書いてありましたよ!?」

 確かに、インターネットの情報は、思いがけない速度で変化することがある。

 ただ……統治は少し訝しげな眼差しで彼女を見つめ、今しがた生じた疑問をぶつける。

「確かに、そう言われると頭ごなしに否定出来ませんが……ですが、それは書籍だって同じでは? 筆者によって同じ問題でも立場や見解が変わることはよくあります、最後まで読んでそれを見定めるのは読者であり――」

「――そうなんです!! 終わりがあるから、本は面白いんです!!」

 刹那、彼女に違うスイッチが入ってしまったようだ。瞬時に気づいた櫻子は慌てて口をつぐみ、「スイマセン……」と、肩をすくめる。


「統治は知らなかったんだな……彼女、本が大好きなのは結構なんだが、本の情報を盲信しているところがあるんだ。5月の連休前、伊達先生が彼女に実用書を渡したらしい。恐らくその本に、「見合い相手に対しては先に主導権を取れ」とか、「女は少し上から目線くらいが丁度よい」とか、とにかくそういうことが書いてあって……彼女なりに頑張って実践したんじゃないかと思うぞ」


 統治は先日政宗から聞いた言葉を思い出し、改めて、何となく実感していた。

 目の前の彼女は……何というか、色々おかしい。


「本がお好きなんですね」

 まずは精一杯言葉を選んで尋ねると、櫻子はコクンと小さく頷いた。

「……はい、大好きです。本は、自分のペースで読み進めることが出来ますし、ある程度の結論に至ることも出来ます。インターネットは、動きが早くて、情報と情報が繋がらないこともあって、結末が不透明なことも沢山あって……苦手になってしまいました」

 きっと彼女なりに、パソコンやインターネットなど、自分の苦手とする分野に挑戦して、何とか会得しようと努力を重ねてきたのだろう。


 ただ、その努力は報われなかった。

 報われない努力を続けることには、途方もない労力が必要となる。1人で頑張り続けられなかった彼女は……結局、アナログの世界に戻ってしまった。

 自分にとって、居心地の良い場所に。


 目の前の彼女は確かに色々おかしい、自分とは、全てが異なる。

 でも、恐らく……現状に満足しているわけでもないような、そんな気がしたから。

 だからこそ統治は一度息を吸って、少しだけ言葉を選ばずに、より、彼女に踏み込んで、話を続ける。


「ですが、透名さんは……書籍の情報を過信し過ぎているとも思います」

 バッサリ言われた櫻子は、どこか悔しそうな表情を見せて……キュっと、唇をかみしめた。

「……ハイ、よく言われます」

「現代は高度な情報社会です。実際にお仕事をなさっていて……嫌いだ、苦手だと言ってられないことも、あるんじゃないですか?」

「……ハイ、あります」

「これからも、その誰かに頼って、生きていくつもりなんですか?」

「それは嫌です、でも、私にはとても……」


 無理だ、口に出さない代わりに言外(表情)で語り、目を伏せた彼女を……統治はまっすぐに見つめる。

 ここ最近、統治には連続で苦難が襲いかかっていた。

 1つは先月、名杙の『因縁』を取られ、存在理由を剥奪された時。

 もう1つはついこの間、妹との間の亀裂が決定的となり、ケンカ別れのようになってしまった時。

 そんな統治を支えてくれたのは、政宗であり、ユカであり、仙台支局の仲間であり、家族であり……そして、結論を先延ばしにしていた自分の迷いに気付き、自分から話題を切り出して気持ちよく送り出してくれた目の前の女性もまた、統治を支えてくれた1人だと思っている。


 そんな人が、今、困っている。

 現状を変えたくて、でも、1人ではもう立ち上がる気力もなくて……途方に暮れている人がいたならば。


 自分の目の前で、自分以上に困っている人がいたら……自分(統治)が、助けたいじゃないか。



「俺も……ずっと、避けてきた問題があります。妹とはずっと、あまり仲が良くなかったんです」

「え……!?」

 話を聞いた櫻子が顔を上げる。つい先日出会った心愛からは、とても、そんな雰囲気を感じなかったのだから。

 驚きと戸惑いで言葉を待つ櫻子へ、統治は肩の力をぬくと、どこか感慨深げに言葉を続けた。

「おかげさまで、今は普通に話が出来るようになりました。それはあの時、透名さんが送り出してくれたことも、大きな要因になっていると思っています。あの時は……本当に、ありがとうございました」

「い、いえそんな!! そうでしたか、妹さんと……ええ、本当に良かったです」

 そう言って胸をなでおろす櫻子に、統治は改めて提案する。

「透名さん、貴女がパソコンなどに苦手意識を持っていることは、よく分かりました。そして、それを良しとしていないことも。俺はきっと、貴女の力になれると思います」

 その言葉の意味を何となく理解した次の瞬間、櫻子は再び全力で首を横に振る。

「な、名杙さん、私とのこと思い出したんですよね!? 私、今でも自分の電話を使いこなせないレベルですよ!? ご迷惑なんてレベルじゃないくらいのポンコツですよ!?」

 狼狽える櫻子に、統治は自分のスマートフォンを机上に置いて、彼女に見えるように画面を表示させた。

 流石にスマートフォンは見たことがある櫻子だが、統治の行動の理由を理解出来ず、画面と彼の顔を交互に見つめる。

 そんな櫻子に見せるように、統治は画面をタップして、メール作成の画面を表示した。

「ご存知かと思いますが、今のスマートフォンは全てタッチパネルなので、感覚で操作しやすくなっています。アイコンは分かりやすいですし、ナビゲーション機能も充実していますし……譜面を正確になぞれは美しい音楽を奏でる、楽器のようなものだと思ってもらっても構わないかと思います」

「楽器……」

 統治の例えに、櫻子が少し興味を示したのが分かった。

「実際に操作したことはありますか?」

「い、いえ……私が触ると、壊してしまいそうな気がして……」

「最近の機種は、そう簡単に壊れません。正直、その携帯電話は色々限界がきていますので、いっそのこと、思いきってスマートフォンに機種変更することをオススメします」

 大胆不敵な提案に、櫻子は思わず目を見開いた。

「えええっ!? わ、私がスマートフォンですか!? 爆発しませんか!?」

「しません。流石に高いところから落とせば画面が割れたりしますが、透名さんは1つの携帯電話を5年以上大切に出来る人なので、その心配は少ないかと思います」

 ここまで言い終えると統治は言葉を切り、無言で、彼女を見つめる。

  

 さぁ――貴女はどうするのか、と。


 櫻子はカップを手にとって、残りのカフェモカを飲み込むと……テーブルの上のガラケーを見つめる。

 あの時と変わらない、変わっていない自分がそこにいるような気がした。


 変われなかった。

 あの時から、自分は、何も。

 頑張ったけれど、どうしても出来ない。ピアノも、勉強も、頑張れば成果が出た。だから頑張れた。

 でも、機械製品だけは……どうしても、思い通りに動いてくれない。説明書を読んでも、実際に教えてもらっても……いざ1人だけでやってみると、エラーが出たり、予想外の結果を導いたりして、混乱するばかりだった。

 櫻子が機械系に極端に弱いことを知っている周囲は、気を遣って、それらを全て率先して引き受けてくれた。その心使いは本当にありがたいと思う。

 でも……このままでいいのだろうか。心のなかでずっと、そう思っていて。


 だからあの時、統治が操作方法を教えてくれたことは、本当に嬉しかった。今までは「貴女(櫻子)には無理だから」と言われていたことを「やってみよう」と言ってもらえたことが、本当に嬉しかった。


 そして同時に、そんな彼の行動を無駄にしてしまった――何も出来なかった自分が、本当に悔しくて。

 私にはやっぱり無理だったんだと悟り、あの時もらったマニュアルにすがり、これまでを過ごしてきた。


 いつまでも、このままでいるつもりなの?

 いつの間にかすっかりみすぼらしくなったガラケーから、そう尋ねられた気がする。


 そして、その視線の先には……統治のスマートフォンがあって。



 今なら――少し怖いけれど、ここで少しだけ勇気を出して、彼の手をとれば、きっと――



「……名杙さん」

「はい」

「ご迷惑をおかけすることは、重々承知しています。でも……お願いします。私を、助けてくれませんか?」


 そう言って頭を下げる櫻子に、統治は、彼女からは見えない優しい表情で、用意していた返事を返す。

「分かりました。改めて、よろしくお願いします」



 その後、店を出た2人は仙台駅の方へ戻り、駅の東口にある大型家電量販店(ヨドバシカメラ)を目指して、西口と東口の間にある通路を歩いていた。

 機種変更の前に、まずは色々触ってみよう、紙媒体を好む櫻子のためにも、パンフレットなとももらっておこうという話になり……この辺では最も機種を取り揃えているであろう大型家電量販店に、統治が目をつけたのだ。

 通路と行っても左右には店が立ち並び、人が右往左往している。途中には改札口もあるため、土曜日の午前中、人の流れは先程よりずっと激しくなっており、油断しているとはぐれてしまいそうだ。

 統治は櫻子の歩幅に何とかあわせつつ、売り場の構造を脳内で思い出していた。

 次の瞬間。


「――あーっ!! 名杙先生!!」


 休日の仙台駅で唐突に正面から名前を呼ばれ、統治はギョッとして立ち止まった。つられて櫻子も足を止める。

 視線を向けると……東口方面から、統治が見知っている中学生2名が歩いてきたのだ。共に学校の制服を着用しており、1人はとても元気で、もう1人はとても落ち着いている。

 元気な方――島田勝利が足早に統治の方へ近づくと、よく通る声でいつも通りに話しかけてきた。

「おはようございます!! 先生は買い物ですか?」

「……まぁ、そんなところだ。今日は学校の用事なのか?」

「そうなんですよ!! 今日は午後から宮城県の中学生の弁論大会があって、僕と阿部会長が代表に選ばれました!! 今から向かうところです!!」

 そう言って元気な笑顔を向けた勝利は……ここでようやく、統治の隣でとりあえず穏やかに佇んでいる櫻子に気付き、慌てて頭を下げた。

「せ、先生の奥さんでしたか!? ご挨拶が遅くなり、失礼しました……!!」

 そんな彼へ、統治は落ち着いて情報を訂正する。

「いや、俺はまだ結婚していない」

「え? じゃあ、彼女さんでしたか!!」

「彼女……というか、その……」

 説明に困った統治は、反射的に櫻子の方を見てしまった。そして、隣りにいる櫻子が自分を上目遣いで見つめ、「どう説明するんですか?」と、少し意地悪に自分を試していることを悟る。

「……」

 統治は一度、大きく息をついてから……勝利を見つめ、こう、返答した。


「……彼女は、俺の生徒だ」


 その答えに全くピンときていない勝利に、隣の少女――阿部倫子が苦笑いで釘を刺す。

「島田くん、こんな公衆の面前で、あまり人のことを詮索するものじゃないと思うわよ。名杙先生、失礼しました」

「いや、いつものことだ」

 そう言って勝利の言動をいつも通り受け流した統治は、改めて、倫子を見つめる。

 ブレザータイプの制服を着て、穏やかに――今は苦笑いが継続中だが――佇む少女。一見すると特に以前と変化はない様子だが、彼女の眼球には、聖人が渡しているソフトタイプのコンタクトレンズが張り付いている。

これは『痕』の見え方を抑える道具で、先日、スマホ用のアプリを開発した時に出来た副産物。スマホのレンズの保護フィルムの代わりに、シール状の『ちょっとしたもの(by伊達聖人)』を、ユカと政宗のスマートフォンにはりつけることで、写真撮影に成功したのだ。

要するに、『縁』や『痕』の見え方を調整するグッズの軽量化&小型化に成功したため、それを更に発展させ、ちょっと実験的に作ってみたもの……らしい。

「倫子ちゃんは、『縁』が見えるわけじゃないからね。日常生活に支障がないレベルなら、これで十分じゃないかな。あ、モニターってことで、使用感とか教えてね」

 聖人がそう言って、統治にワンデータイプのレンズを30日分渡したのが、1週間ほど前のこと。早速それを倫子に渡し、新製品のモニターのように、日々、使い続けてもらっているのだ。

 彼女もまた、不可抗力によって翻弄され、自分を見失いそうになるのではないかと思った。

 正直、まだ、彼女自身の問題は何も解決していないと言っても過言ではない。心愛と情報を共有したり、週に1度は自分が直接様子を見に行くことで、学内に集まる『痕』を心愛と共に『絶縁体』で退けたり、最悪、『縁』を『切って』対処しているが……それもいつまで続くのか。加えて『縁故』の能力を持っている(らしい)森環、彼に至っては、能力を抑制する眼鏡の着用さえ、「走るのに邪魔だからいらないです」と、拒んでいるのが現状だ。


 これから何が起こるのか、統治には全く分からないけど。

 ただ……倫子にも、隣の勝利を始めとした、秘密を共有出来る仲間がついている。1人で悩むことはグッと少なくなるはずだ。それだけで……心には随分余裕が出来ることを、統治はよく知っているから。


 統治は倫子を見つめ、心からの言葉を贈る。


「――落ち着けば大丈夫だ。君なら、出来る」


 倫子はそんな統治の言葉を受け止め、軽く頭を下げてから……笑顔を向けた。


「はい、ありがとうございます」



 2人と別れた後、今まで隣で黙っていた櫻子が、不思議そうな眼差しで問いかける。

「名杙さんは……学校の先生なんですか?」

「あ、いや、それは……」

 説明しようとした統治は、自分たちの問題が何も片付いていないことを思い出して……言葉を区切り、少し意地悪に言葉を組み替える。

「とりあえず、まずは本来の目的地に向かいます。そこで……透名さんの飲み込みが早ければ、ゆっくりお話できる時間が出来るかと」

「それ、絶対無理なやつじゃないですか……」

 再びガクリと肩を落とす櫻子に、進行方向を見据えた統治が声をかけた。


「――諦めますか?」


 あえて櫻子の方は見ない。だって――


「……いいえ、望むところです。よろしくお願いします、名杙先生」


 はっきりと言い返した彼女もまた、自分と同じ方向を向いているのだから。

 終わったー!!


 終わってなーい!!



 とりあえず『第2幕』としては一区切りですが、根本的は問題は何も解決していないというか……増えてます。統治先生に生徒が増えただけになりました。

 ちなみにこの後、電気屋で1時間30分格闘して、なんの成果も得られなかったことを追記しておきます。統治、櫻子はそんなに甘くないぞ。頑張れよ。(遠い目)


 ちなみに、櫻子の職業である『音楽療法士』ですが、国家資格ではありません。ただ、民間で認定している大きな資格があり、それは5年以上の実務経験がないと受験資格が与えられないので、今は主に実家の病院で実務経験をつんでいる状態です。また、宮城の県北で音楽を専門にしている医療従事者は珍しい、という設定なので、櫻子は県北を中心に、病院や施設などを日々飛び回っていたりします。

(参照:音楽療法士の仕事→http://careergarden.jp/ongakuryouhoushi/)


 ちなみに、どうして櫻子を音楽療法士にしたのか……それは、県北にある加美町に『国立音楽院 宮城キャンパス』という音楽の学校が出来て、何となくホームページを見ていてこの資格を知ったからです。あと、お嬢様なのでピアノとか弾けるかなって思いました。(http://kma-miyagi.com/subject/music-therapy/)



 さて。

 改めまして『エンコサイヨウ第2幕 名杙兄妹ラプソディ』にお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。

 続編を特に書くつもりがなかった前作から約2年……割とギリギリまで悩みましたが、無事に完結させることが出来ました。終わってませんけど。(しつこい)

 今回は特に心愛の変化に力を入れたので、統治は本編では大分情けないことになっていましたが、後日談では困っている人に自分から手を伸ばせる人になりました。しかし、よりによって櫻子に手を伸ばすとは……統治の苦労は続きます。(肩ポン)

 名杙兄妹の間にある確執はとりあえず消えましたが、名杙家という大きな家が、どれだけ子ども達を蹂躙していたのかも判明しました。今度は統治を筆頭とする子ども世代が、大きくて闇の深い『名杙』という名前と戦う展開もあるかと思います。その辺もいずれしっかり書きたいものです。


 ……え? ユカと政宗? いつも通りでしたね。伊達先生や蓮には『縁由』という新設定も飛び出しましたが……いや、今回は仕事してた!! 頑張ってた!!

 ユカと政宗に関しては、あまりお待たせしたくない第3幕で、統治との10年前の研修も含めてこれでもかというほど掘り下げますのでお楽しみに。

 また、本編で拾いきれなかったエピソードは、ボイスドラマや外伝などで積極的にフォローしていきたいと思います。

 今後もこの作品を続けていく決意が固まりましたので、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!!

 感想やレビューなんぞありましたら、是非是非お気軽にどうぞ。皆さんの声を聞かせてくださいませ。

 それは、第3幕で再びお会い出来ることを祈って……霧原菜穂でした。

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