エピソード4:名杙兄妹ラプソディ②
「心愛の、お兄様に……?」
統治は、政宗の言葉が理解出来なかった。だって、自分は生まれた時から彼女の兄なのだから。
そんな統治の疑問を見透かしている政宗は、新しい缶ビールをあけると、それを一口煽ってから……統治を少し据わった目で見つめ、一気に語りだす。
「大体なー、統治はたまに考え過ぎなんだよ。そりゃあ、統治の背負ってる名杙はおっかねぇよ。俺みたいな凡人には理解出来ない特殊な世界だって分かってる。でも……今の統治は名杙家次期当主候補でもあるが、『東日本良縁協会仙台支局』の副支局長だ。要するに俺の部下の一般人なんだよ。だから、その時くらいは名杙とか当主とかそういうこともうぜーんぶ忘れて、心愛ちゃんのお兄様になればいいんだ」
あー始まったと内心でぼやきつつ、統治はまだ混乱していた。
「そうは言うが、俺は……」
「分かってるよ、統治はそういう切り替えが苦手だってことくらい。だから……例えば、彼女が『初級縁故』に合格するまでは、『同じ職場で働く同僚』でも『名杙家次期当主』でもなくて、『頑張る妹を励ますお兄様』になってあげて欲しいんだ。でないと……あの子、絶対に合格出来ないぞ」
政宗が最後にボソリと本音を呟くと、統治が苦笑いで彼を見つめる。
「……結局、自分の保身目当てでもあるんだな」
こういう場で統治に嘘をつかない政宗の性格は、あまり嫌いではなかった。だからこそ本音を呟いた政宗は、自分を見つめる統治にニヤリと笑みを浮かべる。
「当然だろう? 俺は自分勝手な男だからな。仲間を助けるためだけに組織を作って、親友をこき使うためだけに支局長になった。『東日本良縁協会仙台支局』は、俺達が作った、俺達の居場所だ。ここにいてくれるなら、生きていても死んでいても……『縁』が切れるまで俺が守る、それだけだよ」
そう断言する彼の瞳に、迷いはない。
統治は心底羨ましかった。時折見せる政宗のこの自信は……一体、どこから湧いてくるのかと。
そして同時に疑問さえ感じる、どうして彼は……その言葉を実行できるだけの行動力を持っているのかと。
だから、ついていきたいと思った。
彼と一緒ならば、「名杙統治」という一個人として――家柄に左右されること無く――生きていけると確信しているから。
例えその時間に限りがあったとしても――いつかは道を分かつとしても――彼と共に、様々な景色を見てみたいと心底思う。
ただ。
「仲間を助けるために、か……本当に仲間なのか?」
統治は唐揚げを取り皿に取ると、2本目を勢いで飲み干した政宗を見やる。
彼の意味深な言葉を受けた政宗は、顔を更に赤くして、少し不機嫌な表情で食って掛かった。
「何だよ統治、お前はケッカのこと、仲間だと思ってないのか?」
誰もユカのことだなんて言ってないのに……と、内心でほくそ笑みつつ、統治はいつものしたり顔で言葉を続ける。
「当然、山本は大切な仲間であり、信頼出来る『縁故』だ。ただ……俺の評価と佐藤の評価は、少し違うのだと認識しているぞ」
刹那、統治の言いたいことを痛いほど理解した政宗が……露骨に視線をそらして、酒臭いため息を付いた。
「……うるせー。お前まで俺をヘタレ扱いするのかよー」
「事実そうだろう」
そう言って唐揚げを半分ほどもさもさ食べる統治に、殻になった缶をテーブルに叩きつけた政宗が八つ当たりする。
「何だよー、自分は週末にお見合いが決まってるからって余裕じゃねーかー!!」
「余裕……ではないな。彼女がどんな人物なのか、俺はまだ見極めることが出来ていない」
「フンッ、透名さんは良い人だよ。俺が直感でそー思ったから間違いないっ!!」
「佐藤の直感を信じる根拠が一切ないんだが……」
統治が呆れ顔で溜息をつくと、ヤケクソで3本目を手繰り寄せた政宗が、プルタブを弾いて遊びながら……空いている手で三度頬杖をつき、息を吐いた。
「遂に統治も結婚すんのかー……」
「まだ決まったわけじゃない」
「結婚したら……名杙に戻るのか?」
この質問に、統治は一度、首を横に振る。
「俺はもう少し、仙台で自分の力を試したいと思っている。万が一、親父に何かあれば考えるが……今のところは特に問題もなさそうだからな」
「……そっか。助かる」
そう言って軟骨をつまんだ政宗の顔は、どこか安心したような緩みがあった。
だからこそ、統治は残りの唐揚げを食べきると、3本目を開けそうな政宗にストップをかける。
「話を戻すが、佐藤が山本に好意を持っていることは周知の事実――ただし本人をのぞく――であり、佐藤の行動力をもってすれば、事態はいくらでも好転しそうなものだと思っているんだが……どうして行動にうつさないんだ?」
まだその話かよ、と、言わんばかりに口をひん曲げる政宗。そして、更に据わった目で統治に食って掛かる。
「周知の事実なのにどうして本人には1ミリも伝わってねぇのか教えてくれよマジで」
そんな政宗に、統治は真顔で自分のスマートフォンを取り出し、こう、切り返すのだ。
「知りたいのならば、俺が山本本人に聞いてみても構わないぞ」
「スイマセンでしたやめて下さい俺も本気で頑張りますんで……」
敗北した政宗がこう言った直後、インターホンが鳴り響いた。
時刻は20時近くになろうとしている。こんな時間の訪問者など、得体の知れない訪問販売くらいのものだ。部屋の主である政宗が面倒くさそうに立ち上がり、少し千鳥足で、リビング扉の脇にある受話器を手に取る。
「はい、どちらさまで――ケッカ!?」
刹那、政宗の素っ頓狂な声に、統治は呑んでいたビールを吹き出しそうになった。
慌ててオートロックを解除し、玄関へ飛んでいく彼の背中を見送りつつ、統治は机上に残った惣菜の残骸を見つめ……大きめの皿に適当に一人分を盛り付けて置いていけばいいだろうと判断し、台所へその皿を探しに行くことにした。
程なくして、二人分の足音が近づいてくる。そして……。
「統治、悪いが酒宴は一旦終了だ。大分問題が厄介になってやがる」
リビングに戻ってきた政宗の顔に、先程までの酔いは感じられなかった。
その後ろから続くユカの表情もどこか暗く、何かを抱えているように見える。
統治は台所でユカの分のコップを用意しながら、上着を脱ぐ彼女に問いかけた。
「山本、夕食はもう食べているか?」
「ううん、まだやけど……」
「余り物でよければ食べてくれ。今、飲み物と米を用意するから――」
「――あああよかよか、それくらい自分でやるけんがっ……!!」
慌てて台所へ走っていくユカは、冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注いだ。
そのコップと、ご飯が入った茶碗を持ってテーブルについたユカは、ビールの缶と茶色いお惣菜が並ぶ机上に気付き、肩をすくめる。
「何というか……統治にしては栄養バランスなんかを大分無視した食卓やね」
「苦情なら、選んだ佐藤に言ってくれ」
「そうやねー。自分からメールを送れって指示したくせに、あたしからのメールにちーっとも気付かんかった支局長なら、しょうがなかねー」
今まで座っていた椅子をユカに譲り、持ってきたパイプ椅子を誕生日席に置いて腰掛けている政宗は……明後日の方向を向いて、吹けもしない口笛を声で表現した。
そんな政宗に、ユカと統治は顔を見合わせ、2人して溜息をつき、同じことを思う。
やっぱりこの支局長には、自分たちがついていなければダメじゃないか、と。
「食べながらで悪いけど、2人が帰ってから何があったのか、簡単に説明するとね……」
ユカがあの後の経緯――倫子や華蓮の特異体質、『縁由』に関する情報など――をかいつまんで説明すると、統治は無言になり、政宗は水を飲んでから、頭を抱えて重いため息を付いた。
「何だその設定は……聞いたことねぇぞ」
「あたしだって初めて聞いたよ。でも……これで、あの中学校に『痕』が集まる理由は説明出来る。とりあえず阿部さんに『絶縁体』は持たせとるけんが、彼女の身は安全やろうけど……『痕』が集まるのを減らすことにはならん可能性が高いし、何よりも、現時点で集まった分に関しては、あの場に留まる可能性も高いけんが、一度対処する必要があるよね」
「だな。阿部さんのお父さんについては、俺が明日警察で聞いてくる。あの災害で亡くなったのならば、情報を持っているはずだ」
「そうやね、って……統治、どげんしたと? そげん考え込んでから……」
イカリングを箸でつかんだユカが、目の前で考え込んでいる統治に問いかける。
ユカの言葉に彼は顔を上げてから、どこか面倒くさそうな表情で理由を説明した。
「いや……山本の話を聞いて、心愛の影響力に関しても何とかしなければならないと思っていたところだ」
そういえばそうだった。思い出したユカが頭を抱えてため息をつく。
「ああああそれもそうなんよねぇ……ってそういえば、統治はそげなことなかったと?」
「俺は……」
尋ねられ、自分のことを思い返す。統治が心愛と同じ年齢だった頃、自分は一体、何をしていたのか――
「……あ。」
刹那、珍しく間の抜けた声を漏らした統治を、10年前――丁度、今の心愛と統治が同じ年齢の時、彼と共に切磋琢磨した2人が、キョトンとした表情で見つめたのだった。
時間は更に遡り、場所も変わって、宮城県塩竈市にある名杙本家……と、同じ敷地内にある別邸は、2階建ての木造住宅。
ここに両親や統治と一緒に住んでいる心愛は、自室に里穂と分町ママを招き入れ、制服のまま座り込んでいた。
畳の上にラグを敷き、勉強机とベッドが壁に沿って整然と並んでいる。部屋の中央には小さな円卓があり、ガラスのコップに入ったお茶が2つ置いてあった。里穂はその円卓を挟んで、心愛と向かい合って座っている。
あの後――『仙台支局』を飛び出した心愛に仙台駅で追いついた里穂は、一緒に電車に乗って、ここまでやって来たのだ。家に入ると心愛の母親である名杙愛美が心配そうな眼差しで見つめたが、特に多くを尋ねることはなく……二人分のお茶を用意して渡してくれた。「時間がかかるようなら、里穂ちゃんもココで夕食を食べていきなさいね」と付け加えて。
そして、部屋に入って5分ほどが経過した今……これまで黙り込んでいた心愛が、口を開く。
「りっぴー……心愛、どうすればよかったのかな」
「ココちゃん……」
「心愛は……心愛は、やっぱりダメなのかな。だって……怖いんだもん。名杙なのに、名杙の長女なのに……『痕』が、怖いんだもんっ……!!」
今までずっと、頑張って押さえ込んでいた恐怖心。一旦堰が切れると、心の奥底から……止めどなく、止めどなく溢れてくる。
目に見えないモノが『普通』で、優しかった世界。
優しさが一変して、自分の『普通』が『普通ではない』と知った時。
世界は――心愛の敵になった。
「本当は心愛だって『縁故』として頑張りたい。お父様やお母様……お兄様の力になりたい!! 何も出来ない子どもだって思われるのは、もう、嫌なのに……!!」
あの事件があり、心愛が『痕』を怖がるようになってから……周囲は、心愛に期待しなくなったように思う。
名杙本家、当主長男の長女なのに……誰もがそう言ってため息をつく。親は必死に守ってくれたが、それでも、全ての雑音をかき消すことは出来なかった。
時に、心愛のトラウマを解消しようとしてくれる大人もいた。でも、彼女が成果を出せなければ……やはり、ため息を付いて離れてしまう。
何も出来ないならばせめて早くうちの息子と結婚しろ、なんて……心無いことを陰で言われることもあった。
悔しくて。
本当に悔しくて。
必死で、兄の背中を追いかけたつもりだった。
でも、兄は――統治はすぐに、もっと先へ行ってしまう。
心愛に背を向けて。心愛を置いて。政宗やユカと――心愛以外の、仲間と共に。
「心愛は……お兄様にとって、必要ないんだよねっ……!!」
必要がないから、心愛に関心がない。
関心がないから、自分の方を見てはくれない。
子どもじみた嫉妬だと、嫌になるほど分かってる。でも、これが10年近く続いているのだ。統治の側にはいつだって自分以外の誰かがいて、彼と共に先へ進もうとしている。
統治は、ユカのことを自分なりに乗り越えて、『縁故』として自分の足で歩き続けている。
心愛は、あの時から――幼稚園で『痕』に襲われたあの瞬間から、一歩も、前で踏出してはいないのに。
悔しい。
悔しい。
統治が自分を見てくれないことに責任転嫁をして、足がすくんだまま、一歩も踏み出せない自分自身が。
とても、悔しい。
涙が、溢れる。
思いが、溢れる。
話を聞いていた里穂は、彼女の正面から隣へゆっくり移動した。そして、うつむく心愛に寄り添い、背中に自分の手を優しく添えて……息を、つく。
「ココちゃん……そんな寂しいこと、ずっと、考えていたっすね」
呟く里穂の声は、震えている。
「りっぴー……」
心愛が顔をあげて里穂を見つめると、彼女は大きな瞳に目一杯の涙をためて、精一杯、言葉を絞り出した。
「寂しいっすよ、そんな……うち兄が、ココちゃんのことを必要としていないなんて……そんなこと、あるわけないじゃないっすかぁっ……!!」
里穂は取り出したハンカチで涙を抑えつつ、心愛の背中に手を添えたまま、更に寄り添って話を続ける。
「先月の事件だって……自分の『因縁』がないっていう非常事態でも、うち兄はギリギリのところで頑張っていたっすよ。現にココちゃんがいなくなったときは、本気で取り乱していたし、心から心配していたっす」
「……」
「私は……名杙と離れていた時期もあるから、全てを知っているわけじゃないっす。でも、うち兄はずっと、『名杙』の先頭に立つために頑張ってきたと思ってるっすよ。それこそ、ココちゃんが将来的には『縁故』にならなくてもいいように、って」
刹那、心愛が目を見開いて里穂を凝視した。
そんな話……一度も、聞いたことがなかったから。
「え……!? お兄様、が……?」
信じられないと表情で訴える心愛に、涙を拭いた里穂が苦笑いを向ける。
「はっきり言葉で聞いたわけじゃないっすよ、私の憶測と願望が混じってることは否定出来ないっすけど……でも、うち兄はうち兄なりに、ココちゃんのことを考えていてくれていると思うっす。ただ……あの人は自分の感情を出すのが苦手なので、特に、若い女の子には伝わりづらいっすよね」
そう言って肩をすくめる里穂に、心愛も思わず頷いてしまった。
そんな心愛に里穂は笑顔を向けると、こんなことを尋ねる。
「確か、ココちゃんが華さんの『縁』を切った時は、一緒にいてくれたっすよね? その時のうち兄は、どんな感じだったっすか? ココちゃんが思っているように、ココちゃんのこと……必要としていなかったっすか?」
「あの時は……」
言われて、心愛はあの時のことを思い出す。
「こうして輪を作り、この輪にナイフを食い込ませると切りやすいと思う」
自分の経験から、アドバイスをくれた統治。
「ふ、フン! 心愛もそうしようと思ってたんだから!!」
お礼を言いたかったのに、結局……ちゃんと、ありがとうも言えていないことに気付く。
自分は、どうして、こんなに……。
「……本当、子どもだなぁ……心愛は」
自分で言って、思わず笑ってしまった。分かっていた。自分があの『東日本良縁協会仙台支局』で働くためには、まだまだ未熟で、子どもだということが。
でも、追いつきたかった。隣に並び立つのはまだ無理でも、同じフィールドで背中をおいかけたいと思った。
だから……怖くても、どうしようもなく自分の不甲斐なさを思い知らされても、あの場所から離れたくないんだ。
でも、今日の心愛の態度次第では、もしかしたら……。
再び無言になって肩を落とす心愛に、これまで部屋の隅で事の成り行きを見守ってきた分町ママが、「よっこいしょ」と声を出して、2人の方へ近づいてきた。
「しょうがないわねぇ……心愛ちゃん、ママがとっておきの話をしてあげるわ」
「とっておきの、話……?」
心愛が恐る恐る顔を上げて、テーブル越しに自分を見つめる分町ママを見やる。
そんな心愛へ、分町ママは意味ありげな視線をむけると、こんな話を始めたのだ。
「心愛ちゃんの名前を決めたの……統治君だって、知ってた?」
政宗と統治は、ずっと一緒に働けるわけではありません。統治はいずれ、必ず名杙に戻ることになります。それまでの時間を楽しく、有意義に過ごそうと決めている2人なので、今後の『仙台支局』は安泰だと思います。
一方の心愛、彼女もまぁ悩んでおります。そんな心愛に寄り添ってくれる里穂の安定感……!!




