エピソード3.5:原点
「――はい、確かに。今日もお疲れ様でした」
時刻は間もなく20時になろうとしているところ。倫子を自宅近くまで送り届けて、いつもの研究室がある利府に戻ってきた聖人と華蓮は、一旦それぞれの部屋に戻る。そして、華蓮から蓮に戻った彼が、いつもの書類を持参して、聖人の部屋を訪れていた。
ちなみに今日は珍しく、彩衣が奥の机で何か作業をしている。蓮が入ってきたことに気付くと顔を上げて軽く会釈をしてから、再び自分の作業を再開した。
ちなみに、聖人はこのハイツ(2階建て軽量鉄骨の賃貸住宅)の1階と2階を借りており、これまで1階は荷物部屋や彩衣の簡易宿泊部屋として使っていたのだが……今はそこを蓮が間借りしている状態。
そして、1日の終わりは、蓮が聖人に今日1日のことを報告して、それらを直接聞いた聖人が、規定の書類にサインをする。その記録を1ヶ月ごとに提出することで、蓮の存在が名杙から認められることになっている。
今日も今日とて棒立ちで、いつも通りの報告を終えた蓮は……目の前の椅子に座って、バインダーに挟んだ書類に笑顔でサインをする聖人と、奥で作業をする彩衣を交互に見やり……。
「……1つ、聞きたい事があります」
意を決して話を切り出すと、聖人が意外だと言わんばかりに、少し目を開いて蓮を見つめた。
普段は報告が終わると即座に自室へ戻る蓮なので、こうして自分から話しかけてくるのは、珍しいことだったから。
「ん? 何かな?」
「さっき、『仙台支局』で……僕と彼女は特異体質だという話がありました。それは果たして、僕ら2人だけなのでしょうか」
刹那、聖人の目が一瞬細くなる。
「それは……どういう意味かな?」
「単刀直入に言うと……伊達先生、そして富沢さん、お二人も僕達と同じ、特異体質の持ち主なんじゃないですか、ということです」
一瞬、彩衣の手が止まったが……すぐに再び手を動かし始める。
聖人は表情を変えずに……ただ一度、軽く息を吐いた。
「やっぱり、あの場で眼鏡を外すように言ったのは……自分が少し浅はかだったかな」
「阿部さんに気を取られていたので、最初は思い過ごしかと思いましたが……そう思うと、全て辻褄が合うんです」
「辻褄?」
「伊達先生が僕を引き取った理由です。それは……『縁由』に関する研究を進める上で、実験体が欲しかったから、ですよね?」
話を聞いた時から、何かおかしいと思っていた。
名杙家が伊達聖人という外部の人間に、名波蓮の処遇を丸投げしたことが。
それは単に、厄介事を名杙家から排除したい、伊達聖人ならばスポンサーである名杙に対して反抗することもなく、人並みの生活を提供することが出来るだろう……理由はそれだけだと思っていた。
ただ、もしも……名杙が聖人の話した特異体質の話を知っており、その上で蓮を預けたのだとすれば。
蓮を聖人へのモルモットとして提供することで、未だに全容が解明されていない『縁由』の研究を進め、その研究結果を名杙に提供することで、例えば、名杙が名雲より優位に立とうとしているのだとすれば――名波連の存在価値が生まれたことになる。
どこか自嘲気味に告げた蓮へ、聖人は苦笑いで溜息をつくと……「彩衣さーん、ちょっと来てー」と、奥にいた彼女を手招きする。
そして、蓮を真っ直ぐに見つめ、いつも通りの笑顔を向けた。
「蓮君、君はちょっと……まぁしょうがないけど、一部、大分残念な誤解をしているみたいだね。よければ少し詳しくお話したいと思っているけど、時間は大丈夫かな?」
その後、彩衣が自分の作業を片付けている間に、奥のキッチンで聖人が飲み物を用意。どうやらフラスコでコーヒーを作っているようだ。蓮はその間、ダイニングテーブルの椅子に腰を下ろし……不意に振動したスマートフォンをポケットから取り出した。
届いたメールはユカからのもの。内容は、明日に今後の打ち合わせをするから、よほどのことが無い限り参加して欲しいというものだった。
了承の返事を作っていると、3人分のカップを持ってきた聖人が、蓮の前に湯気の立ち込める白いマグカップを置く。
「可愛い女の子からのメールかな?」
「職場の先輩からです」
「じゃあ、可愛い女の子からだね」
そう言って蓮の目の前に腰を下ろす聖人は、自分の隣に座る彩衣に、幾何学模様の刻まれたカップを横流しする。そして――改めて、その事実を認めた。
「最初に言っておくけど……蓮君、君が言ったように、自分と彩衣さんは君と同じ『特異体質』――『縁由』の持ち主だよ。ただし、コレを知っているのは現名杙当主のみ。今は統治君を含め、他の人達は一切知らないことなんだ」
「どうしてですか?」
「事務所でも説明したけど、このことはまだ、研究途上なんだよ。『縁』や『縁故』に関することはサンプルも実績も沢山あるから、今、蓮君に渡している眼鏡ような便利グッズを作ったり出来る。けれど、『縁由』に関してはサンプルも少ないから、対処法がないと言っても過言じゃない。そんな状態でこの話を表に出すと……『縁由』は『痕』や『遺痕』を引き寄せるから、それを悪用されてしまう可能性もある。何よりも、名杙は自分たちに制御できない能力や人材を嫌うからね。話が通じるのは現当主くらいなんだよ」
「そうですか……」
名杙は自分たちに制御できない能力や人材を嫌う、それを間近で見てきた蓮は、ため息を付いて納得するしかない。
そんな彼を見つめる目元を優しくして、聖人は言葉を続ける。
「自分が蓮君を直接見たのは、確か、君が名杙に囚われたその日だったと思うけど……その時に素質は見抜いていた。だから、当主に進言して、自分預かりにしてもらうよう、少し手を回してもらったんだ。蓮君は、自分と初めて会った時……何か感じなかった?」
彼の問いかけに、蓮は首を横に振る。
「あの時は……混乱していて、正直、よく分かりませんでした」
「まぁ、そうだよね。その眼鏡もかけていたし……ま、今こうして仲良くしてくれていること、君がここにいることが、その答えだと思ってるよ」
聖人は優しい笑顔でそこまで語った後、パンダ模様のカップに入ったコーヒーをすすった。
そんな彼へ、蓮は一呼吸おいてから……核心的なことを尋ねる。
「……引き取ったのは、僕を実験体にするため、ですか?」
「だから、そんなことしないってば。自分、どれだけマッドサイエンティストだと思われてるかな……」
カップを置きつつ苦笑する聖人は、どこか懐疑的な眼差しの蓮を、改めて見つめた。
「蓮君は『縁』まで見えているのに『縁由』も残ってる、非常に珍しいケースなんだ。だから、蓮君は『縁故』としても働く事ができるけれど……自分や彩衣さんみたいに半端な能力者は、生きていくのがちょっと大変だった時期があるんだ。殊更……この『縁由』は、歳を重ねると能力が弱くなるみたいでね。それも研究が進まない理由の1つ。自分も全盛期ほどの能力は持っていない……と、思うよ。まぁ、実際に数値を測定したことはないけどね」
「それでも、何かデータを残しているんですか?」
「自分なりの尺度で、だけどね。例えば『痕』が見える、見えなくてもその存在を認識出来る場合、今週はおおよそ何体の『痕』を感じたのか、とか、時間帯や場所に変化はあるのか、とか。そんな感じでコツコツデータは蓄積しているんだ。ただ……」
言葉をきった聖人が、どこか自嘲気味に言葉を続ける。
「残念ながら自分も、『縁由』が年々消えていくのが分かるんだ。今日みたいに、その人を近くで見れば……まだ、何となく感じることは出来るんだけどね」
「これはこれは……実に興味深いタイプの子、だね」
蓮は先程、仙台支局で倫子と対面したときの彼を思い出す。
この言葉は、ただ適当に意味深なことを言っているだけかと思っていたのだが……どうやら、そういうわけでもないらしい。
蓮が脳内で話を整理していると、聖人はコーヒーを一口飲んでから、更に言葉を続けた。
「それに、これまでにサンプルとして協力してくれていた子達もほとんど、『縁由』能力が退化、もしくは消失してしまっていて……『縁故』と比べると不安定で、いつ、どうなるか分からない……それが『縁由』、自分が最終的に解明したい、永遠の謎ってところかな」
世界に少し違う気配があることが、当たり前だと思っていた。
けれど、それが当たり前『ではない』ことに気がついた瞬間……世界の全てに、疑問を感じた。
自分が感じている世界は、どうなっているんだろう。
どうして自分だけ? 本当に自分だけ? そこには一体……『誰』が、『何』が、存在している?
年令を重ねるごとに薄れていく世界に、自分まで消えてしまうような恐怖心を抱いたこともある。
それらを払拭したくて……彼は、誰も知らない世界を解明する、終わりの見えない『研究』を始めた。
そこまで話し終えた聖人はチラリと彩衣を一瞥して、静かに話を聞いている彼女を、同じ壇上へ引っ張り上げることにする。
「彩衣さんは手伝い兼、データ提供っていう立場で、こうして自分のところにいてくれるんだ。最初に会った時から、無条件に安心できる人だとは思っていたけど……恐らくそれも、『縁由』の影響の1つなんだと思う。こんな自分の近くにいてくれる人なんか、今までいなかったからね」
彩衣は何も語らず、ただ、飲み物を持って軽く会釈をした。
蓮の中でもこの2人の接点は謎だったのが、これまで聞くことも出来ず……ようやくそれが少しだけ氷解した。でも、まさかその理由が、自分にも関係があることだとは。
「今後はそのデータ提供に、蓮くんや倫子ちゃんも名を連ねてもらえると有り難いかな」
そういう聖人を見つめながら、1人、脳内で論点を整理しつつ……蓮は、まだ足りない情報を聖人から引き出すことにする。
「具体的には……どうすればいいんですか?」
強く興味を示す蓮に、聖人は笑顔で話を続けた。
「記録用の書類に、日毎の記録をつけてもらうことと、可能ならば週に1度のカウンセリングかな。それ以外は普通に生きてくれて大丈夫だよ。学校も、アルバイトも、これまで通り。ただ……『縁故』との両立は難しいから、その辺は自分が政宗君や統治君と方針をすり合わせておくよ」
刹那、蓮は無意識のうちに、口元に笑みを浮かべていた。
「そうですか……分かりました。それに僕は元々、『縁故』になるつもりはありませんから」
コレは蓮の本音だった。自分は『縁』が見える世界で生きていくつもりではいるが、それを生業にして生きていこうとはどうしても思えない。
姉を棄てた――姉との『縁』を切ることを選択した彼らと同じ立場で生きていくなど、まっぴらゴメンだからだ。
だから、この提案は、蓮にとっても渡りに船。いつか、この能力をもっと使いこなすことが出来れば――なんて、物騒な未来さえ想像してしまう。
とりあえず今は……自分にもう少しだけ生きる理由が出来た、それで十分だ。
「僕に出来ることであれば協力しますよ。それに……僕に拒否権があるとも思えませんからね」
少し自嘲気味に答えを告げると、聖人はカップの中にあるコーヒーを飲み干した後、蓮に向けて右手を差し出した。
「改めて……宜しくね、名波蓮君」
蓮は迷わず彼の手を取る。
握った聖人の手は……思っていたよりも暖かかった。
「それで、伊達先生は……阿部さんをどうするつもりですか? 彼女は相当に能力が強いので、今後も同じことを繰り返すと思いますけど」
「だろうね。でも、蓮君の力を借りれば……少しはマシになるんじゃないかな」
倫子が無意識の内に垂れ流している『縁由』は、己の能力に気付いていない蓮……もとい華蓮を惑わせ、ユカの『縁故』としての感覚をも鈍らせた強敵だ。
今後を懸念した蓮の指摘にも、聖人が動じる気配はない。これは既に、何か策を考えている証拠だ。しかもそこに自分の名前がでてきたことで、蓮は背後からジワジワ接近されているような嫌な感覚になる。それに気付かないフリをして、その真意を尋ねることしか出来ない。
「それは、どういう意味ですか?」
「蓮君は……まぁ、あの時は桂樹さんの力も借りていたからだろうけど、『縁故』を隔離したり、『縁』の見え方を誤魔化す『呪い』を行使出来るよね。それを少し応用すれば……倫子ちゃんの影響力を抑えることくらいなら、可能なんじゃないかと思っているんだけど」
刹那、蓮の眉がピクリと動いた。そして、笑顔で蓮を見つめる聖人に、観念して白状するしかないことを悟る。
「……可能かもしれませんが、僕にどうしろと?」
「あの事件で君が使った『呪い』の手順を、現当主と統治君に洗いざらい吐き出して欲しいんだ。もしも活用出来るようであれば、後は向こうが何とかしてくれると思う。その辺は自分も専門外だから、任せようと思うんだ。それで少しは改善される……と、いいよね」
「……」
あの時のからくりは、現に事件直後に名杙家からも尋ねられたが……茫然自失のフリをして、具体的なことは何も喋らなかったのだ。恐らく桂樹も詳細は告げずに出ていっただろう。
可能であればこのまま最終兵器として秘密にしておきたかったけれど、そうも言っていられないのが今の自分の立場。今の言葉が『提案』ではなく『命令』だと悟っている蓮は、諦めの表情でため息をつく。
そして、ここまで言ってコーヒーを飲み干した聖人に、蓮は負け惜しみのつもりで懐疑的な視線を向けた。
「それで一時的に改善されるかもしれませんが、恐らく、その『呪い』は永続的に続くものではありませんよ。彼女に定期的に名杙に通わせるつもりなんですか?」
「うん、それも考えたけど、もっと面白いうことを思いついたんだ。だからとりあえず……こんな提案をしてみようと思うんだけど」
相変わらず穏やかな笑みをたずさえ、聖人が『提案』を軽く説明した。その突拍子もない話に、蓮は思わず、持っていたカップを取り落としそうになる。
「それ……本気ですか?」
「まぁ、自分としては大マジだよ。それに恐らく、今はコレ以外の方法はないと思っているからね」
「それは……そうだと思いますが……」
聖人の提案には同意出来るが、しかし、彼が言っていることを名杙が簡単に許可するとは思えない。
蓮がチラリと彼の隣に座る彩衣を見つめると……彼女は涼しい顔でスマートフォンをいじりながら、特にコメントをすることはなかった。
伊達先生が『縁』の研究をしている理由や、蓮を引き取れた本当の理由などを、何となく紐解いてみました。彼は彼なりに色々なものを見て、感じて、今の立場に落ち着いたのですな。彩衣ともある種の運命共同体というか、同じ立場で世界が見える者同士として協力し合っています。
そして、蓮が『縁故』になることを拒む理由も語らせてみました。蓮は絶対に名杙と同じ道は歩みたくないと思ったんです。そんな中で新たな才能を見出され、ここから本当に自分の道を探していきます。




