パパと呼んだ代償
本作品は毎週火曜日更新予定です。
第8話、少し雰囲気が変わります。
ここから一気に物語が動き始めますので、
楽しんでいただけたら嬉しいです。
「あいたかったよ、パパ!」
──そう叫んだ瞬間、
ギルド内の空気が凍りついた。
「…………はっ?」
目が点になったまま、私を見つめる男。
無理もないわね。
カーズでさえ、
真っ白に燃え尽きたみたいに、その場で固まっている。
「なっ、お前みたいなクソガキ、知らねぇぞ!」
慌てて引き剥がそうとする男。
私は靴にしがみついて必死に抵抗する。
だって、この男は──
「やーだー! すてないでよ、パパー」
「だから、俺はパパじゃねぇ!!」
そこで我に返ったカーズが、
背後から私を掴んで、勢いよく後ろに引っ張る。
あっという間に抱き寄せられて、
視界がふさがる。
……前が見えないんだけど。
「こら、アモ……アリス!
勝手に入っちゃダメだろう。帰るよ」
顔は見えないけど、
逆らえない空気だけは、はっきりと伝わってくる。
「はーい」
しぶしぶ返事をすると、
カーズが、胸を撫で下ろした。
「皆さん、お騒がせしてすみません。
あっ、誤解しないでほしいんですが……この子は・俺の・妹・です!」
扉の前に立ち、
よく通る声で訂正しては、颯爽と去っていくカーズだった。
静まり返ったギルド内。
一人が呟くように口火を切った。
『何だったあれ?』
『さぁ』
『カーズさんが妹だって宣言してたけど……』
答えを求めるように、視線が一斉に集まる。
……さっきの男に。
「チッ」
誰も尋ねない。
あるのは不躾な視線だけ。
苛立った男は、
逃げるように俯く。
そして、気づいた。
「なんだ、これ」
靴の隙間に、白いものが挟まっている。
指でつまむと、出てきたのは一枚の紙。
眉間に皺を寄せながら、躊躇いなく広げる。
──その瞬間。
男の顔色が変わった。
「あいつの……」
言い切る前に、
奥歯をぎりっと噛み締め、握り潰した紙を荒々しく放り投げた。
すっかりと日が暮れた帰り道。
重い空気のまま、
三人は無言で馬車に揺られていた。
「おにいちゃん。まだおこってるの?」
「怒ってません」
……強制連行された私は、
いまだカーズに抱えられたままだった。
「ごめんね、おにいちゃん。
どーしてもいってみたかったの」
潤んだ瞳で縋りつくが、
カーズは一度もこちらを見ようとしない。
「あーあ。そいつ、頑固ですからね。
一度へそ曲げたら、言うこと聞かないんですよ 」
呆れたように呟くレオン。
ため息が溢れそうになる。
とんだ似た者兄弟ね。
「別に気にしていませんから」
ううっ、面倒くさ。
だけど顔には出さず、カーズに微笑みかける。
「はじめてのまちで、はしゃいじゃったの。
もう、にどとしないから!」
……多分。
カーズはじろりと私を見つめて、口を開いた。
「俺のこと、拗ねた子供だと思っているでしょ」
ギクリ、とした。
でも、ばれる訳にはいかない。
「おにいちゃん。
アリスのことがきらいになったの? ひとりぼっちはやだよー!」
そのままカーズの胸へ、身体ごと張りつく。
頭上から呻き声が聞こえたけど、
本番はここからよ。
三歳の小さな手で、胸元をぎゅっとつまむ。
小さいからって、甘く見ないでよ──
「痛っ! ちょっ、アリ、アモリスお嬢さま、やめて下さい。降参、降参しますから」
──勝った!!
「ほんとう? うそついたらはりせんぼんだよ」
「は、はり? 痛っ、お願いだから離してください!」
お仕置きは、この辺でいいか。
本当にへそ曲げられたら面倒臭いし。
「ありがとう、おにいちゃん。だーいすき」
ふと、我に返る。
……他人に“好き”って言えるんだ。
その光景を見ていたレオンは、何も言わない。
けれどその視線は、
“幼い子供を見る目”ではなかった。
それに気づくこともないまま、
馬車は屋敷へと到着する。
「あー、お腹いっぱい」
膨らんだお腹で、
一人ベッドに寝転がる。
自分の手がお腹に触れた瞬間、
動きが止まる。
まるで妊婦のような張り具合……いや、私は幼児。
「私は幼児、私は幼児、私は幼児」
呪文のように繰り返していた時。
──コンコン。
窓から、音がした。
躊躇いなくカーテンを開く。
窓の向こう、テラスに男が立っていた。
茶髪で、無精髭を生やした男。
ギルドの時と同じ、
荒んだ目で見下ろしている。
私は笑みを浮かべ、
窓の鍵に手を伸ばす。
そこで、
ようやく致命的なミスに気づいた。
……届かない。
鍵に手を伸ばしたまま、沈黙が流れる。
だが、ここを開けなくては話が始まらない。
こうなったら、飛ぶしかない!
足に力を込め、渾身の力で飛び跳ねる。
一瞬で縮まる距離、いけた──
はずが、かすりもせず、ダンッと着地音だけが響いた。
……気まずい空気が流れる。
諦めて椅子に頼ろう。
そう背を向けた時……
──カシャン。
軋んだ音を奏で、窓が開け放たれる。
吹き込む風は生温かい。
月を背負った男が、一歩足を踏み入れた。
「こんばんわ、パパ」
昼間とは違う私の声に、男の眉が小さく歪む。
苛立った手つきで、足元に何かを放り投げてきた。
それは、小さく丸まった白い紙。
広げると、男に宛てた文面が並んでいた。
『私はヴェイン・ヴァルディスの娘。
屋敷に来なさい』
──そして。
『妹を守れなかった負け犬』と。
男の形相が、ゆっくりと歪む。
今にも襲いかかりそうな、獣のように。
「……何故だ。なぜ妹のことを知ってる。父親から聞いたのか」
その声は、低く沈んでいた。
「ひとまず座ったら──えっ?」
視界が弾ける。
私の身体は宙を舞っていた。
ドサッと、ベッドに叩きつけられる。
耳元に鈍い音。
首をわしずかみにされる感覚。
「……あら。幼女趣味があったなんて、知らなかったわ」
「三秒以内に答えろ。さもなくば……」
男が振り上げた右には、
鈍い光を放つナイフが握られている。
……困ったわね。
穴が空いた言い訳は、どうしようかしら。
「貴方、本当に情報屋のボス?
ここに来るまでに、何も調べなかったの」
「あ”ぁ”!!」
首を掴む手に力がこもる。
それでも、私の鼓動は変わらない。
男を見据えると、
息を飲み、目を泳がせ始めた。
「お前は……っ、お前は一体何なんだ!」
「私は、ヴェイン・ヴァルディスの娘。
生を受けてからすぐ母の命を奪い、実の父に殺されかけた人間……いえ、化け物かしら?」
……あぁ。
今更気づくなんて滑稽ね。
くだらなさ過ぎて、口角が吊り上がる。
父から……いえ、世界から見た化け物は──私。
「因みに、父は貴方のことを一つも調べてないわ。
たった一人である”親友”を追い出したあの日から、現在に至るまで、ね」
緩みかけた男の手に、力が戻る。
瞳には、見覚えのある感情が滲んでいた。
「で、あいつに捨てられた者同士、仲良くしよってか?」
男は鼻を鳴らして、吐き捨てる。
「はぁ、一緒にしないでくれる。
仲良しごっこするために、貴方を呼びつけた訳じゃないの」
「じゃあなんだ。
父親に構って欲しくて、こんなことしてるのか」
随分と立派なお花畑が育ってるのね。
吐き出すように、ため息が出る。
それでも男は、小馬鹿にする姿勢を崩さない。
「貴方、腐ったものが大好きなの?」
一瞬、空気が止まった。
「あ”っ?」
「腐れば、触れることすら嫌になる。
近づくだけで、吐き気がするような存在よ」
男の表情が歪む。
狼狽えだした。
「そんなもの、後生大事に抱えてばっかみたい。
だから、大切な妹を取りこぼすのよ」
その瞬間──
男の目が見開き、一気に首を絞めあげられる。
「ぐっ!」
息が、できない。
頭がぼんやりしてくる。
「お前に、ガキのお前に何が分かる!?」
空気を切り裂くような、悲痛な叫び。
えぇ、分かるわよ。
何十年苦しんできたと思ってるわけ。
そう言いたいのに、
男の腕を掴むことしかできない。
……私の手、震えてる?
何も感じないのに、どうしてなの。
少しずつ遠のいていく意識。
男の姿と重なるように、何か見える。
あれは、父だ。
托卵の子と、散々私に暴力振るった過去の存在。
こんなところまで追いかけてくるなんて、ご苦労なことね。
目の前が暗くなっていく。
……お母さんに、会えるかな。
ぎゅっ、と抱きしめて、頭、撫でて、くれる……かな。
男を掴んでいた手から力が抜ける。
鈍く、そして軽い音が──やけに遠くで響いた。




