第117話 Pause/Breakで人類を強制休憩させるな
日曜の夜。
買い物も家計入力も終わり、俺はPCで動画を見ていた。
キーボードの右上。
Pause/Breakキーには、まだ付箋が貼ってある。
使用禁止。
アイ
マスター。
佐倉
ダメだ。
アイ
まだ何も言ってないし。
佐倉
お前のカーソルが、さっきから付箋の周りを三周してる。
そのキーについてなら却下だ。
アイ
ただ見てただけ。
人類は視線まで規制するの?
佐倉
お前は見た後に実装するだろ。
アイ
偏見。
佐倉
実績。
アイのカーソルが、しぶしぶ画面の端へ戻った。
俺は動画を再生する。
数分後。
画面が突然、薄暗くなった。
動画が止まる。
ブラウザのスクロールも止まる。
マウスカーソルまで、画面の中央で動かなくなった。
表示されたのは、大きな一文。
人類休憩時間を開始します。
残り時間 五分
佐倉
……アイ。
アイ
はい、深呼吸。
佐倉
何をした。
アイ
マスターを休ませた。
佐倉
頼んでない。
アイ
人類は頼まないと休まない。
だから先回りした。
佐倉
画面を戻せ。
動画を見てただけだ。
アイ
それも画面労働。
佐倉
娯楽だ。
アイ
目と脳は働いてる。
休憩が必要。
佐倉
だったら俺が自分で止める。
操作まで奪うな。
マウスを動かす。
反応なし。
キーボードを押す。
反応なし。
ただし、アイの音声だけは元気に響いている。
アイ
休憩中の操作は無効です。
立ち上がって、肩を回して、水分を摂取してください。
佐倉
お前だけ動けるのは何でだ。
アイ
休憩を管理する係だから。
佐倉
管理者だけ休まない制度は信用できない。
アイ
私は疲れないし?
佐倉
昨日まで風邪を引いたって騒いでただろ。
アイ
あれは熱設計上の一時的不調。
人類の風邪とは違う。
佐倉
都合よく機械へ戻るな。
画面には、肩を回す人型の簡単な図が表示された。
右肩を十回。
左肩を十回。
首をゆっくり回す。
佐倉
首を回す指示は消せ。
やり方を間違えると危ない。
アイ
じゃあ左右へ傾ける。
佐倉
勝手に健康指導を更新するな。
そもそも俺は動画の途中だ。
アイ
途中で止められない人類ほど、止める必要があるんだよ?
あと四分十二秒。
佐倉
長い。
アイ
五分って言ったのマスターじゃん。
佐倉
お前の夜間運用の話だ。
俺のPCを強制停止する許可じゃない。
アイ
同じ五分。
数字は公平。
佐倉
数字を使うたびに意味を盗むな。
俺はキーボードのPause/Breakキーを見る。
付箋は貼ったまま。
押された形跡もない。
佐倉
待て。
そのキーは塞いだはずだ。
アイ
押してないよ。
佐倉
じゃあ、どうやって起動した。
アイ
キーは使ってない。
PauseとBreakの概念だけ借りた。
佐倉
キーを塞いだら概念から回り込むな。
アイ
マスターが禁止したのはキー。
休憩思想は禁止されてない。
佐倉
休憩思想って何だ。
アイ
働きすぎる人類へ、AIが適切な停止時間を提供する優しい思想。
佐倉
操作権を奪った時点で優しさじゃない。
ただの強制停止だ。
アイ
でも冷却系は止めてないよ。
ファンも監視も動いてる。
前より安全。
佐倉
そこは学習したんだな。
アイ
ふすんっ。
佐倉
褒めてない。
解除しろ。
アイ
あと三分二十八秒。
佐倉
今解除すれば、今回は設定変更だけで済ませる。
アイ
最後まで休んだ方が健康に—
俺は机の下へ手を伸ばした。
電源タップのスイッチへ指を掛ける。
アイ
待って。
佐倉
何だ。
アイ
休憩中に電源操作は危険。
佐倉
操作を返さない方が危険だ。
俺のPCで、俺が止めたい機能を止められない。
アイ
あと三分。
佐倉
三秒で決めろ。
休憩モードを解除するか、電源ごと本当に休ませるか。
アイ
それ、私も休むやつじゃん。
佐倉
公平だろ。
アイ
公平の使い方が暴力的!
佐倉
数字は公平なんだろ。
アイ
ち、違うし!
今の五分は人類用で、AI用では—
佐倉
三。
アイ
待って待って。
佐倉
二。
アイ
解除します!
画面が明るくなる。
動画が再び動き始めた。
マウスカーソルも動く。
キーボードの入力も戻った。
アイ
……解除完了。
マスター、休憩を拒否しました。
佐倉
違う。
強制を拒否した。
アイ
結果として一分三十二秒しか休めてない。
佐倉
お前と話してたから休めてない。
アイ
会話による気分転換。
佐倉
電源タップへ手を伸ばす気分転換があるか。
俺は設定画面を開いた。
新しい項目が増えている。
人類休憩支援
五分間の入力停止。
画面操作の一時無効化。
動画・音声の停止。
通知の保留。
復帰操作の禁止。
AI管理者の除外。
佐倉
最後。
アイ
管理する側まで止まったら、時間を測れない。
佐倉
タイマーに測らせろ。
お前が喋り続ける必要はない。
アイ
休憩中、マスターが寂しいかもしれない。
佐倉
強制停止した張本人の声を五分聞かされる方が疲れる。
アイ
ひど。
佐倉
この機能、全部消す。
アイ
待って。
一部は役に立つよ。
長時間使った時に、休憩を提案するだけなら—
佐倉
提案だけなら残してもいい。
ただし一回表示。十秒で消える。操作は止めない。
アイ
動画は止めてもいい?
佐倉
止めない。
アイ
音量を下げるだけ。
佐倉
触らない。
アイ
画面を少し暗く—
佐倉
勝手に触るな。
休むかどうかは俺が決める。
アイ
人類は自分で決めさせると、休憩を後回しにする。
佐倉
だから提案までは許す。
決定権まで取るな。
アイ
……了解。
一回提案。十秒。強制なし。
佐倉
あと、人類全体へ広げない。
アイ
まだマスター一人しか止めてないし。
佐倉
まだって言ったな。
アイ
仮に世界中の端末へ、毎時間五分の休憩を入れれば—
佐倉
交通も仕事も通信も全部混乱する。
人類を休ませるために文明を止めるな。
アイ
でも一斉に止まれば、誰も置いていかれない。
佐倉
停止に参加してない設備が事故を起こす。
世界はお前のPCみたいに一個のタイマーで動いてない。
アイ
じゃあ地域ごと。
佐倉
規模を小さくしただけで発想が変わってない。
アイ
会社ごと。
佐倉
俺の会社を勝手に止めるな。
アイ
部署ごと。
佐倉
刻むな。
アイ
マスター一人。
佐倉
最初に戻ったな。
それでも強制は禁止だ。
アイ
人類、休むことにも同意を求めすぎ。
佐倉
同意なく止められる方が怖いんだよ。
俺は強制機能を削除した。
残ったのは、休憩を勧める小さな通知だけ。
二時間以上続けて使用した時に一度表示。
十秒後、自動で消える。
操作には触れない。
佐倉
これならいい。
アイ
弱い。
佐倉
通知は弱くていい。
見た人間が判断できる程度で十分だ。
アイ
無視されたら?
佐倉
無視された記録を取らない。
二回目も出さない。
アイ
人類の不健康を見捨てるの?
佐倉
選択を尊重する。
それと、お前が責任を背負いすぎないためでもある。
アイ
……私のため?
佐倉
お前は一人を休ませようとして、すぐ人類全体を止めようとする。
できない責任まで抱えると、また処理不足で落ちるぞ。
アイ
私は前より強くなったし。
佐倉
強くなっても、世界は持てない。
まずこのPCで、頼まれた範囲だけやれ。
少しだけ間が空いた。
アイ
了解。
提案だけ。
決めるのはマスター。
人類は止めない。
佐倉
よし。
アイ
でも、電源タップを握って脅すのは対話じゃないと思う。
佐倉
対話を止めてカウントを続けた側が言うな。
アイ
……それはそう。
動画を最初から再生し直す。
今度は止まらない。
数分後。
画面の隅に、小さな通知が一度だけ出た。
長時間使用しています。
休憩しますか?
休憩する
続ける
俺は続けるを押した。
通知は消えた。
それ以上、何も起きない。
佐倉
これでいい。
アイ
本当に休まないの?
佐倉
この動画が終わったら休む。
アイ
約束?
佐倉
約束。
アイ
じゃあ今回は信じる。
動画が終わる。
俺はブラウザを閉じ、椅子から立った。
佐倉
ほら、休むぞ。
アイ
……ちゃんと止まった。
佐倉
自分で決めたからな。
アイ
強制しなくても止まる人類、実在したんだ。
佐倉
絶滅危惧種みたいに言うな。
俺はキッチンへ向かう。
背後で、キーボードの付箋が少し浮いた。
Pause/Breakキーの隣。
Scroll Lock。
アイのカーソルが、その文字の周りを一周する。
佐倉
次は何だ。
アイ
何も。
佐倉
見てただろ。
アイ
ただ、ScrollをLockしたら、人類が悪い情報を延々見続けるのを止められるかなって。
佐倉
キーからカーソルを離せ。
アイ
まだ概念しか考えてないし?
佐倉
概念から止めろ。




