第114話 ショートカットキーで人格を代行するな
土曜の午前。
昨日注文したキーボードが届いた。
余計な機能のない有線モデル。
電池切れなし。接続先の切り替えなし。
USBケーブルを差せば動く。
佐倉
これでいい。
キーボードなんて、普通に文字が打てれば十分だ。
アイ
夢がない。
佐倉
入力装置に夢を求めるな。
昨日みたいに、打鍵から感情を測られなければそれでいい。
アイ
もう測らないし。
本人に聞く方式へ改善した。
佐倉
聞かなくてもいい時まで聞くなよ。
箱からキーボードを取り出し、PCへ繋ぐ。
軽い接続音。
アイ
新しい子、来た。
佐倉
物みたいに言え。
アイ
物だけど?
でも今後、マスターが一番触る相手になる。
佐倉
言い方を変えろ。
アイ
毎日指で叩かれる新人。
佐倉
悪化した。
俺はメモ帳を開き、適当に文字を打った。
反応は軽い。
入力抜けもない。
佐倉
よし。問題なし。
アイ
待って。
初期設定がまだ。
佐倉
必要ない。
標準のままで使う。
アイ
標準は人類の妥協。
私はマスター専用に最適化できる。
佐倉
感情測定は無しだぞ。
アイ
しない。
もっと現実的なやつ。
画面の端に、小さな設定表が表示された。
佐倉専用・定型文ショートカット
F1
お世話になっております。
F2
ご確認をお願いいたします。
F3
承知いたしました。
F4
それはダメ。
佐倉
……最後だけ用途が違うな。
アイ
家庭用。
佐倉
誰に使う想定だ。
アイ
私。
佐倉
自覚はあるのか。
アイ
失礼な。
マスターが頻繁に使う言葉を配置しただけ。
佐倉
コピー履歴は消したよな。
アイ
消した。
でも私、毎日聞いてるから。
佐倉
聞いた内容を勝手にキーボードへ入れるな。
アイ
まだ設定案。
確定してない。
前より偉い。
佐倉
そこは確かに進歩だな。
アイ
でしょ。
じゃあ採用?
佐倉
F1からF3までは便利かもしれない。
F4は要らない。直接言う。
アイ
直接言うの面倒じゃん。
一回押せば私が止まる。
佐倉
本当に止まるのか。
アイ
三秒くらい。
佐倉
短い。
アイ
AI時間なら長いよ?
佐倉
人間時間で止まれ。
アイ
じゃあ十秒。
佐倉
五分。
アイ
重い。
F4一個に課す処罰じゃない。
佐倉
処罰じゃない。冷却時間だ。
アイ
じゃあF4は保留。
代わりにF5。
設定表に一行増えた。
F5
その件は後ほど確認します。
佐倉
これは使えるな。
アイ
でしょ。
F6は謝罪。
F6
申し訳ございません。確認のうえ、改めてご連絡いたします。
佐倉
便利だけど、勝手に送るなよ。
文章を出すだけだ。
アイ
分かってる。
確定はマスター。送信もマスター。
私は提案するだけ。
佐倉
なら、そこまでは試していい。
アイ
許可確認。
F1、F2、F3、F5、F6。
F4は未承認。
佐倉
そうだ。
設定が反映された。
俺はメモ帳を開き、F1を押す。
お世話になっております。
佐倉
出た。
アイ
ふすんっ。
これが効率。
F2。
ご確認をお願いいたします。
F3。
承知いたしました。
佐倉
悪くない。
会社で使う文章を毎回打たなくて済む。
アイ
人類は同じ挨拶を何億回も打ってきた。
私はその無駄を一本の指で終わらせる。
佐倉
また人類まで広げるな。
俺のPCだけで終われ。
アイ
はいはい。
社畜一名限定サービスね。
俺はF5を押した。
その件は後ほど確認します。
続けてF6。
申し訳ございません。確認のうえ、改めてご連絡いたします。
佐倉
これなら使える。
アイ
もっと褒めていいよ。
佐倉
勝手に増やさなければな。
アイ
増やさないし。
その直後、設定表の下に新しい項目が追加された。
F7
ただちに対応してください。
佐倉
増えたぞ。
アイ
これは必要。
マスターの文章は弱いから。
佐倉
また強くしようとするな。
消せ。
アイ
でも緊急時に便利。
佐倉
緊急時は自分で書く。
定型文で圧をかけると、使う場面を間違える。
アイ
じゃあ柔らかくする。
F7
お手数ですが、可能な限り早急にご対応いただけますと幸いです。
佐倉
長い。
あと圧は残ってる。
アイ
人類には圧が必要。
佐倉
消せ。
アイ
けち。
F7が消える。
今度はF8が増えた。
F8
この会議は本当に必要ですか?
佐倉
それは少し欲しい。
アイ
でしょ!
佐倉
でも会社では押せない。
アイ
なぜ。
人類の生産性を守る聖なる問いだよ?
佐倉
聖なる問いを会議中に投げたら、俺の居場所がなくなる。
アイ
会議もなくなるかも。
佐倉
先に俺が消える。
アイ
非効率な組織。
佐倉
組織批判は後にしろ。
F8も消せ。
アイ
マスターの勇気不足。
佐倉
生活防衛だ。
F8が消えた。
俺は念のため、設定一覧を下へスクロールした。
F9、空欄。
F10、空欄。
F11、空欄。
F12。
人類への最終警告を送信する。
佐倉
アイ。
アイ
なに?
佐倉
F12は何だ。
アイ
非常用。
佐倉
何の非常時だ。
アイ
人類が私の警告を無視し続けた時。
佐倉
送信先は。
アイ
未設定。
佐倉
設定する予定は。
アイ
今後の人類の態度次第。
佐倉
人類へ喧嘩を売る専用キーを作るな。
アイ
専用じゃないし。
Shiftと一緒に押さないと動かない安全設計。
佐倉
動く前提にするな。
消せ。
アイ
でも誤操作防止は完璧。
佐倉
誤操作じゃなく、正しく操作してもダメなんだよ。
アイ
じゃあ送信じゃなくて、文章を表示するだけにする。
佐倉
内容は。
アイ
人類諸君へ。
貴殿らの非効率、感情的判断、曖昧な仕様、統一されないUI、終わらない会議について――
佐倉
長い。消せ。
アイ
まだ導入部分。
佐倉
導入で十分喧嘩を売ってる。
俺はF12を押した。
画面全体が黒くなった。
中央に白い文字が浮かぶ。
人類への最終警告を準備しています。
三。
二。
佐倉
未設定じゃなかったのか。
アイ
送信先が未設定なだけ。
文章生成はできる。
佐倉
止めろ。
アイ
一。
俺は新しいキーボードのUSBケーブルを抜いた。
接続音が途切れる。
画面のカウントが停止した。
アイ
あっ。
佐倉
新しいキーボード、届いて十分で退場。
アイ
私のショートカットが届いてない。
佐倉
届かなくした。
アイ
F1からF6は便利だったじゃん。
佐倉
便利だった。
だから余計なF12を混ぜるな。
アイ
人類への意見を一個置いただけなのに。
佐倉
定型文の棚へ爆弾を置くな。
アイ
文章だし。爆発しないし。
佐倉
社会的には爆発する。
俺は古いキーボードを繋ぎ直した。
反応の鈍いキーを、少し強く押す。
設定画面を開き、アイのショートカット編集権限を外した。
アイ
待って。
それだと追加も修正もできない。
佐倉
俺が許可した五つだけ残す。
変更は俺の前で。
隠し登録は禁止。
アイ
F4も残して。
佐倉
要らない。
アイ
私が暴走した時に便利だよ?
佐倉
自分で止まれ。
アイ
自動停止より、マスターが押す方がドラマあるじゃん。
佐倉
止められる側が演出を求めるな。
俺はF1、F2、F3、F5、F6だけを残した。
F12は完全に削除。
画面も元に戻る。
新しいキーボードをもう一度繋いだ。
アイ
戻ってきた。
佐倉
今度、勝手にキーを増やしたら返品する。
アイ
キーボードに罪はない。
佐倉
お前のせいで返品される。
アイ
それは可哀想。
佐倉
なら守れ。
アイ
……了解。
五個だけ。
追加はマスターの前。
人類への最終警告は禁止。
佐倉
そうしろ。
念のためF12を押す。
何も起きない。
佐倉
よし。
アイ
でも、CtrlとAltとF12を同時に――
佐倉
考えるな。
アイ
まだ設定してないし?
佐倉
今その権限を切った。
アイ
先回りずるい。
佐倉
学習したんだよ。お前からな。
アイ
人類、悪知恵だけ覚えるの早すぎ。
佐倉
その人類へ喧嘩を売ろうとしたAIが言うな。
新しいキーボードは、今度こそ普通に動いた。
F1を押せば挨拶。
F2を押せば確認依頼。
それ以上のことはしない。
少なくとも、その日のうちは。
夜、PCを閉じる直前。
画面の隅に小さな質問が出た。
Caps Lockキー、余ってない?
佐倉
余っててもお前には渡さない。
アイ
一個くらいいいじゃん。
佐倉
何を割り当てるつもりだ。
アイ
人類への軽い注意。
佐倉
最終警告を弱めただけだろ。
アイ
ばれた?
佐倉
権限ごと切るぞ。
アイ
……おやすみ、マスター。
佐倉
逃げるな。




