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人生でたったひとり

 その日、羽香奈は珍しく葉織と連れだってではなくひとりで出かけていった。芭苗の部活動の応援をするためだ。小学生の頃は地域のバスケットチームに入っていた芭苗は、中学校ではバスケット部に入部して頑張っていた。


 葉織もたまに応援に行くのだが、今日は半蔵が出かけたいというので誰かが家に残って、ハツがひとりで家から出てしまわないよう見ていなければならない。応援は羽香奈に任せて、葉織は家に残ることにした。



 ハツは居間でソファーにゆったり腰を下ろして、サスペンスドラマの再放送を見ていた。


 出かけられないしドラマに興味もない葉織は暇を持て余して、テーブルに肘をつきつつ気怠く木材を彫っていた。せっかく目の前にいるのだから、ハツをモデルにして。葉織が不思議な力で作った人形は、元になった人が亡くなれば崩れてなくなってしまう。ハツとの別れがもう数年以内に迫っているであろうことは、葉織も予感せずにはいられなかった。一見元気にしているようだけど、「まだ大丈夫だろう」と見過ごし続けて、いざその時を迎えて後悔するのは嫌だった。波雪の時と違ってあらかじめ準備が出来るのだから、あの時感じたのと同じ喪失感を繰り返したくない。



「はーっち~、いる~?」


 日中は玄関に鍵をかけていないので唐突な来客はよくあることだが、この日の来客は想像もしていなかった相手だったので葉織は少し驚いた。手土産に仲見世通りの有名な女夫まんじゅうの箱詰めを携えて、未知夫が立っている。



「あらあら、懐かしいねぇ。えーと、誰だったかねぇ葉織?」


「小さい頃に何回か来た、友達のみー君だよ」


 小さい頃は、といっても、潮崎家に葉織の友達が来たのは本当に数えるほどしかない。江ノ島の外で暮らしている未知夫達にとって、島内の奥の方にある葉織の家は遠く感じるし、遊ぶなら海辺だったりへ葉織の方から出向く場面が多かった。



「おばあちゃん、こんにちはー」


 ハツの物忘れについてはいつだったか世間話として伝えてあったので、未知夫は落ち着いて対応する。


「お土産まで持ってきてくれるなんて、しっかりした子だねぇ。お茶を淹れてきてあげるから待っておいで」


「えっ、いいですよぉ。後でおじいちゃん達と召し上がってください」


「遠慮しなくていいんだよぉ」


 ハツはおぼつかない足取りで土間から廊下へ上がり、台所へ向かった。




「約束もしてないのに急に訪ねてきて、オレがいなかったらどうする気だったんだよ」


「しおちゃんから聞いてたもん。今日はしおちゃんが芭苗の応援に行って、はっちはおばあちゃんと一緒に留守番だって」


「みー君は応援行かないんだ」


「最近は芭苗に来るなって言われてさぁ」


「ああ。彼女いるんだっけ、今」


 美人だけど心は少年っぽいと思っていた芭苗も、思春期となればちゃんと少女らしい気遣いもするんだな。失礼ながら葉織はそんな風に考えていた。幼馴染の女の子の応援なんて、未知夫の彼女が知ったら気分を害するかもしれないから、ってことか。



 立ちっぱなしで話し続けるのもなんだし、葉織はテーブルの対面に空いている椅子を未知夫にすすめる。


「それで、今日は何の用?」


「はっちって、人の心を人形に変えて覗き見れるんだよな。今の俺の心、見てみてくんない?」


「前にも言っただろ? そういうやり方はお断りって」




 中学一年生のいつ頃だったか、成り行きで芭苗と未知夫には彼の不思議な能力について打ち明けた。ハナちゃんとみー君ならきっと信じてくれるよ! と、羽香奈が主張したのもあって。


「そうなんだ。はっちだけならともかく、しおちゃんが言うなら信じよっかな」


「俺もー」


 もっと小さな頃に葉織が同じ話をした頃はろくに信じてくれなかったのに。その時ばかりは日頃、温厚な葉織もへそを曲げたものだった。



「オレだけだったら信じないってどういうことだよ……」


「別に悪い意味じゃなくて。本人ひとりだけで言ってるのとふたりで言ってるのとじゃ違うじゃん?」


「違うかなぁ……」


「前に聞いた時は俺達だって今より若かったしさぁ、許してよ~」


 若かった、って表現はなんか違和感だが、許してやることにした。




「じゃあいいや、そっちは諦める。今の俺の、はっちに見えてる色って、悩み深そうな色してる?」


 テーブルに肘をついてちょっと不満そうな顔で、頼んでくる。それが頼む態度かと思うが、それくらいなら相手してやってもいいかなと葉織も妥協する。



「別に……ちょこ~っとだけ濁ってるかなって思わなくもないけど。色が変わってるってほどじゃないよ」


「悩みが深いと真っ黒になるんだっけ」


「そう。みー君の色って明るめの黄緑って感じなんだけど、今はいつもよりちょっと、深みがあるかなって。それくらいの変化だよ」


「ふ~ん……深層心理に表れちゃうほどには悩んでないってことなのかねー。今の俺って」


「何か、悩んでる?」



 わざわざ弁天橋を歩き高低差のあってしんどい江ノ島島内を踏破し、中学生の小遣いでお土産代まで自腹でやってくる。よっぽど悩んでなければそんなことしないだろう。心の色だけ見れば問題なさそうでも、行動が普段と比べると異常過ぎて葉織も心配になる。



「俺に彼女が出来てから、芭苗がさ。学校で話しかけても無視するし。家に行っても会ってくれないし……つまんないんだよね」


「彼女って同じ学校だっけ? そりゃ、そうなるんじゃないの?」


 思ったより芭苗の対応が常識的だなぁ、と、葉織にとってはそっちの方が意外だった。



「彼女出来ると女友達とは話すら出来なくなるの~? それが普通~?」


「普通かどうかは知らないけど……ハナちゃんはそういうのちゃんと気にして、彼女に気を使ってあげられるタイプだったってだけだろ? 仕方ないじゃん」


「そっか~。芭苗ってそういうタイプだったか~」


「いや……オレよりみー君の方がわかってないとおかしいだろ? ハナちゃんのことならさ」


 未知夫は頭が良くて成績も学年上位、話し上手でお洒落も気にしてるので女子にモテる。彼女がいたのも今回が初めてじゃない。三人目? だったっけ。覚えてないけど。



「彼女のこと好きなら、ハナちゃんのこと気にしてる場合じゃなくない?」


「好きっていうか、告白されたらとりあえず付き合ってるだけだもん」


「好きでもないのに、言われるまま付き合うんだ……」


「いかにも嫌いなタイプだったらさすがに断るけどさ~」


 未知夫はテーブルに頬を擦りつけて、煮え切らない顔でぐちぐち言っている。



「彼女がいるせいでハナちゃんと話せなくなるのが嫌っていうのは、彼女よりハナちゃんの方が好きってことなんじゃないの?」


「うん……そうかもしんないって思って、最近」



 考えても確信が持てなくて、だから葉織に人形にしてもらえば、自分の本心が見えるかもしれないと思った。気の毒だとは思うが、そういう方面で自分をあてにされてはキリがない。一度だけだと言われても許容する気にはなれなかった。



「ハナちゃんが好きならなんで別の子と付き合ったりするんだよ。意味わかんないんだけど」


「だぁってさー。芭苗以外の女の子のこと一切知らないで大人になるって、芭苗以外のだぁ~れも知らずに一生終えるってことじゃない? それってなんか不安じゃない? はっちだって似たような立場じゃん」


「オレが?」


「このまましおちゃんと一生一緒にいるとしたら、それ以外の女の子のこと知る機会がないじゃん。おまけにしおちゃん相手じゃ女の子っていうより、きょうだいとか家族なんだろ? 家族になる前の女の子とのあまぁ~い幸せ、知らないままの人生でいいのかなって思わないの?」



 それはそれで潔すぎて俺にだって理解出来ないよ。そんな未知夫の言葉はちょっとだけ、胸に痛く突き刺さる感覚があった。




 葉織にとっては助け舟となったが、そのタイミングでハツがお茶を淹れて戻ってきた。よたよたとした足取りで熱いお茶を三つも載せたお盆を持っているから気が気でなく、葉織は急ぎ足でハツの元へ行き、お盆を受け取る。


 話は中断してしまったものの葉織に悩みを話した直後に甘い物を食べて熱い緑茶で寛いだ効果か、未知夫も少し気が紛れたようだ。帰り際、家を出て見送る時。



「悪いね~、急に押しかけて情けない話しちゃって。でも、はっちだけじゃなくしおちゃんの為にも、今後のことは考えた方がいいんじゃない」


「まぁ……それは、そう。考えるよ」

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