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【Day.2】開演



 そして週末。着飾ったご婦人方の間を縫って、劇場のロビーを抜ける。

 ユリウスによって案内されたのは二階にある特別席。仕切りによって個室となった空間に、しかし先客がいた。

 艶やかな黒髪に、煙る灰色の瞳。すらりとした体躯をグレーのフロックコートで包んだその人は、メイベルの姿を認めるなり破顔した。


「やあ、奇遇だね」


「ずいぶん作為的な偶然があったものね、……レオナルドさま」


 レオナルド・クレイトン──公爵家の嫡男さまは嫌みにもへこたれない。むしろ深まるばかりの笑顔。「つまりは運命だね」とわけのわからないことを宣う始末。

 被虐趣味の疑いありの遊び人はメイベルが皮肉を言うたび喜ぶのだ。それはこの春、はじめて出会った時から変わらない。メイベルを恋に落とすというはた迷惑なゲームを相変わらず楽しんでいるらしい。

 それ以外はいい人なんだけど……、


「負けちゃダメだよ、メイベル。こんなヤツと付き合ったら、困らされるのはあんたの方なんだから」


 溜め息をつきたくなるメイベルの後ろ、キャンディがこそこそと耳打ちをしてくる。この世界がゲーム盤だと知っている彼女にはレオナルドの策略もお見通し。

 つまりはこのやり取りもいつもの手ってわけね。メイベルが冷ややかな目を向けると、レオナルドは片眉を持ち上げた。心外だ、とでも言わんばかりに。


「邪魔しないでほしいな、レディ・レンジャー。これは僕とメイベルの話で、キミは部外者なんだから」


「メイベルを気安く呼び捨てにしないでよ。もう恋人気取り?勘違いもいいとこじゃない?片腹痛いってこのことね」


「なるほど、それがキミの本性か。優雅さの欠片もないね。伯爵家の名前が泣いているよ」


「家柄でしかものを語れないの?情けない、正々堂々その身一つで勝負してみたら?あっ、それとも自信がないのかな。爵位しか取り柄のないチャラ男だもんね、納得だわ」


「言うじゃないか。でも訂正が必要だね。爵位しか持ってないって?僕のこの顔を見てもう一度同じことが言えるかな」


「うっわ、見てよこのトリハダ。あんたこそこれ見ても同じこと言える?」


 メイベルの前で繰り広げられるのはレオナルドとキャンディによる罵り合い。すっかり置き去りにされたメイベルに、ユリウスは「大変だな」と囁く。


「我が妹だけでなく、友人まで……これほど幼稚だとは思わなかったが」


「……ユリウスさまこそ、お疲れ様です」


 家庭内のゴタゴタに加え、友人の遊びにまで付き合わされる彼からは疲れの色が見え隠れ。今回の観劇だって、きっとレオナルドがメイベルを連れてくるよう彼に頼んだのだろう。苦労のほどは察してあまりある。

 思わず同情してしまったメイベルに、ユリウスは「ありがとう」と僅かに口元を緩めた。


「でもあんたを誘えてよかったと思っているのは俺だって同じだ」


「え──」


「待てユリウス、抜け駆けは卑怯だぞ」


「そうだよ、ほんっと油断も隙もないんだから」


 ユリウスの真意を測りかねるうち、割って入って来たのは二つの影。言い争いをしていたはずのレオナルドとキャンディが不服そうに、或いは苛立たしげに口を挟む。

 と、ユリウスの方も眉根を寄せた。「何を勘違いしているんだ」と。


「俺は友人としてであって、お前たちのような邪な気持ちは一切ないんだが」


「ホントかなぁ?そもそもキミが女の子と友達になること自体、異例中の異例じゃないか。ゆくゆくは恋に発展したり……なんて、ね」


「そうそう。男女間の友情なんて成立しないのが世の常っていうじゃない」


「好き勝手言ってくれるな……」


 二対一の場面。ここはユリウスの味方になって、援護してあげるべきだろう。

 そうわかってはいるものの、しかしメイベルとしてはどうしても聞き逃せない一言があって。


「友人……、なのですか?」


「違うのか?」


 窺い見ると、逆に問い返されてしまう。不思議そうに、少しだけ悲しげに。

 「俺はそう思っていたんだが、」普段は悠然とした男のシュンとした声、伏せられた目に、……有り体に言えばキュンとした。

 何せ、面食いなものですから。『グッド・●ィル・ハンティング』当時のマッ●・デイモン似だと密かに思っていた人、ユリウスの思いがけない反応に、メイベルはときめきを隠せない。


「いいえ、いいえ!わたくしもそうであったらいいなと思っていたところですわ!」


「そうか、それならよかった」


「はい!わたくしたちはお友だちです!」


 淑女としての嗜みなど二階席から放り投げ、メイベルはユリウスの手を取った。心情としてはそのまま振り回してしまいたいところをグッとこらえ、両手で握り締めるだけにとどめる。

 ……ものの、口角は緩みっぱなし。恐らくだらしない顔をしていることだろう。けれど抑えられないのだから、仕方ない。面食いオタクの性である。


「なんか僕の時とえらく反応が違わない?いやまぁ僕の場合は友達で終わるつもりはないけどさ……」


「ダメだよメイベル、騙されてるよ!この人そんないい人じゃないからね!?」


 ぎゃあぎゃあ騒ぐ二人を尻目に、開演の時が訪れる。

 明かりの落ちた観客席。幕の上がった舞台上には一組の男女。年若い彼らのうち、その一人がレオナルドとユリウスの友人、エドヴィン・フォスターである。

 物語の舞台となるのは山の中の製粉所。この家の養女である美しいヒロインは、遊び人の跡取り息子の子供を宿しているが、彼の方は結婚まで考えていない。対して、男の異父兄弟は美しいヒロインを一途に想い、兄弟への嫉妬心に苛まれている。そんな三角関係はやがてヒロインが顔に傷を作ったことで変化していくことに……という物語である。

 原作となるのは戯曲『彼女の養女』。そのタイトルが示す通り、肝となるのはヒロインの母親──継母であり養母である『コステルニチカ』。娘の再婚に際して、邪魔者となった彼女の赤ん坊を悩み抜いた上に殺す決断を下す。すべては血の繋がりのない娘への愛ゆえ。最後には娘を庇い、罪の自白を行い、舞台から下りる──

 そんな難しい役を演じたのは、この劇場の名前にもなっている名女優、マーゴ・デイヴィス。稀代の名女優は圧巻の演技をこなし、みごと会場を湧かせた。

 カーテンコール。地響きにも似た拍手喝采。観客席の人々は皆立ち上がり、惜しみない称賛の声を捧げている。もちろん、メイベルもそのひとりだ。


「素晴らしい舞台だったわ!」


 幕が下りた後も興奮が冷めやらない。子殺しを決意するまでの自問自答、赤子を川に流す時の圧し殺した涙、罪を告白した瞬間の気高さすら感じさせる表情……どの場面をとっても、マーゴは正真正銘の『母親』だった。この、舞台の上では。


「ありがとうございます、ユリウスさま。このような特等席で観劇させていただけて……一生ものの思い出ができましたわ」


「それはよかった」


 柔らかな微笑を浮かべるユリウスの横で、「誘ったのは僕だけど」と主張するのはレオナルドだ。予想通り、発案者は彼だったらしい。


「なんなら会わせてあげようか。今日は難しいけど、また今度でよければ」


 あっさり言い放つレオナルドは、公爵家という地位を利用することにまったく躊躇いがない。


「ここの座長とは知り合いだからね」


 そりゃあ公爵家のご子息様がお願いすれば『イエス』と言う他ないだろう。座長兼脚本家だというその人をメイベルは写真でしか見たことがないけれど、ちょっと同情してしまった。

 ……だからといってこの誘いを断れるほど、誘惑に強くはないのだけど。


「……よろしくお願いします」


「うん、楽しみだね」


 握手とサインだけ貰ったら、それで退散しよう。せめて、迷惑は最小限に抑えなくちゃ。

 そう言い聞かせるメイベルは、まさか出会いの場が関係者勢揃いの稽古場になるなど想像だにしていなかった。



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