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「こちらです。警部」
「ああ、案内ありがとう。おっと……、そういえば、君が奴らの死体が消えた時に担当していたんだってね?2度も続けてなど災難だったね」
「い、いえ、とんでもありません、自分は警官でありますから。むしろ、自分の職務中に二度もこのようなことを起こしてしまい、皆に申し訳が立たないといいますか……」
「なに、運が悪かっただけさ。それよりも、その時に何か変わったことはなかったか?」
「気になる……、ですか?いえ、特には。ただ……」
「ん?何かあるのか?」
「い、いえ。すみません。単なる気のせいかと……。あの、それよりも、こちらの方々は……?」
「ああ、気にしないでくれ。今回の事件の捜査協力を依頼した『探偵』たちだ」
「は、はあ……。この少年達がですか……?」
俺達は当直の警官に案内され、警察署の遺体安置室にいた。もちろん、ここから先は何があるかわからないため、弘美ちゃんは家に帰ってもらっていたが。
なぜ、俺達が警察署の遺体安置室などにいるかと言えば、遡ること1時間ほど前
のことだ。
「火車退治の秘密兵器を持ってきたよ!」
勢い良く扉を開けた銀華さんは、右手に何やら小さな袋を握って、中へと入ってきた。
そして、さも聞いて欲しそうに、皆の前でピラピラと袋を振り始める。
そのいかにも得意げな行動に胡散臭さを感じ、俺の聞こうという意思は一気に薄れる。しかし、どうやらそれが何かを確認しないと、先へは進まないようだ。
「銀華さん、それはいったい?」
「おや?気になるかい?なら、特別に教えてあげよう!これはね……」
そして、勿体をつけるように一呼吸置くと、
「これは、『マタタビ』さ!」
「マタタビ……、ですか?へぇ~、私、初めて見ました」
興味深そうな弘美ちゃんの反応に、気分を良くしたのだろう。さらに得意げな表情となる。
「もちろん、乾燥させて粉末にした物だけどね」
銀華さんが手にしていた物は、茶色い粉末の入った小さなビニール袋。猫の意識をハイにさせ、朦朧とさせるというマタタビであった。
「でも、なぜ銀華さんがそんなものを……?ま、まさか!夜な夜な自分で使うために?ついに、青少年を蝕む薬物に手を……!?」
「ち、ちょっと!別に僕が使ってるんじゃなくて、探偵道具のひとつで……」
「嬢ちゃん。いくら俺でもこれは擁護できねえな。せめて手錠は俺の手で……」
「え!?ちょっと。これって違法な物じゃないはずだよ!ただのマタタビだよ!」
銀華さんは、俺達がからかっているだけなのにも気付かずテンパりだした。そしてあろうことか、驚きの行動に出たのだ
「そ、そもそも僕くらいになれば、こんなものは強い精神力があるから効かないのさ。証拠を見せてあげるよ!」
言うが早いか、袋を破り頭から振り掛けたのである。
「ちょっと!銀華さん!?」
マタタビまみれになった銀華さんは、一瞬その動きを止めたが、すぐにこちらを向くと、ニヤリと笑った。
「ほりゃね。らいじょ~ぶれしょ?ぼき……、ぼきゅが、こんなマリャ、マチャ、マチャチャビごときで、よっぱりゃうとおもったら、おおまひがいりゃよ~」
「いやいや、滅茶苦茶効いてますって!」
そこには、酔っ払いと化した銀華さんがいた。こちらに平気アピールをしながらも、フラフラと体が揺れている。
「なんりゃ、そのめは。もひかひて、ぼきゅのことばを、うりゃ……、うちゃがってんのきゃ?おい!ひーろ、ちょっとそきょにすわるにゃ~!」
うわ……。最悪だ、最悪のヨッパライだ……。
「ひーろ!だいちゃい、ちみは……」
俺をカーペットの上に正座させて、女心がどーとかと良くわからない説教を散々に垂れた銀華さんが静かになり、ようやく落ち着いたかと思った時だった。
銀華さんは新たなターゲットを見つけたようで、ぐるりと首を回すと標的を見据える。
「おい!ひりょみ!」
「は、はいっ!」
「ちょっと、こきょにすわるにゃ」
弘美ちゃんは猫に捕まった鼠のように怯え、銀華さんの言うとおりにしている。
だが、俺の時とは違い、ちゃんとソファに座らせてもらえている。いや、扱いの差に拗ねてるわけじゃないんで、別にいいんだけど……。
「らいたいらな、ひりょみは、ひりょみは……。ひりょみは、かわいいにゃ~」
意味不明なことを口走りながら、銀華さんは弘美ちゃんの顔をペロペロと舐め始めた。
「え!?ぎ、銀華さん?いったい何を……!?」
「うにゃ~、うひゃひゃひゃひゃひゃ……」
ついに銀華さんは、顔だけでは飽き足らず、弘美ちゃんの体まで舐め始めた。
「ちょっと銀華さん!いくらなんでも……」
さすがにこれは止めねばマズイとおもった矢先、弘美ちゃんの口から驚きの言葉が飛び出した。
「ダッ、ダメです銀華さん。お、男の人が見ている前で、これ以上は……。い、イヤ!イヤですお姉さま。も、もっと……。あ、あん!お姉さまぁ……」
弘美ちゃんの、もう一つの性癖を知ってしまった俺と成田警部は、これ以上ここにいてはならぬと、百合の花の咲き乱れる部屋を、そっと後にしたのだった。
10分後、部屋に戻ると、銀華さんは正気に戻ったらしく、2人は何事もなかったかのようにソファに座りお茶を飲んでいた。
「や、やあヒロ君たち。急に部屋を出て行ってどうしたんだい?」
「そ、そうですよ。急にいなくなるから、お姉さ……、ぎ、銀華さんとお茶を飲んで待ってたんですよ」
どうやら、結論として2人とも、この出来事は無かったコトにするように決めたようだった。
しかし、弘美ちゃんの顔は、銀華さんの涎でテカテカ光ってるんだけど……。
ハンカチでも差し出そうかと思ったが、今さら蒸し返しても誰も幸せになれないだろう。俺達は、そっと見て見ぬフリをすることにした。
「それで銀華さん、マタタビの効果は切れたんですか?」
「なっ、何を言うんだいヒロ君!あれは演技に決まっているだろう。そ、そもそも僕は、猫の怪異にはこのように、マタタビが効果があるという見本を見せたのさ!ま、多少効果はあっても、僕の場合は一瞬だけどね」
その後も、しどろもどろで言い訳をする銀華さんだったが、不意に鳴り響いた電話の音で中断された。
「ああ、そうか、わかった。すぐにそちらに向かうから、なるべく手をつけずにいてくれ。もちろん、見張りは厳重にな」
成田警部は話し終わると、こちらに振り向いた。
「ま、言い方は良かねえが、おあつらえ向きの『死体』が到着した。悪いが、すぐに来てくれねえか?
そして猫猫飯店での一波乱を終え、現在に至るわけである。
「もちろん、コトが起こるかどうかはわからねえ。だが、2回もこの安置室から死体が消えてるんだ。おまけにこいつは、『悪人』だ。二度あることは何とやらとも言うしな。調べてみる価値はあると思うぜ」
俺達の目の前には、白いシーツをかけられ、膨らんだベッドが置かれている。
もちろんこのシーツをめくれば、人間の死体が横たわっているのだろう。犯罪者とはいえ、先ほどまでは生きて動いていた人間だ。正直、同情もしてしまう。
シーツの下も見ずに死体と断言することはできないが、事前に聞いたことや、ここがどういう場所であるかを考えれば間違いはないだろう。
「しかし、調べるとはいえ、本当に見るのか?鑑識の話じゃ、あまり『状態』のいいもんじゃないらしいぜ?特に、嬢ちゃんは見ないほうがいいかもな。どうだい、ここは緋色に任せといちゃあ?」
「な、何を言ってるんだい!?僕は探偵だよ。こ、こんなの見慣れているさ!それに、ちゃんと調査しなきゃ始まらないだろ?」
言いながらも、銀華さんは震え声だが。良く見れば、手足も少しばかり震えているようだ。
もちろん銀華さんとて修羅場は潜ってきているわけだが、人間の死体、それも事前に聞いた話では、かなり損傷の激しいものを見るのは、初めてだろう。
まあ、コーヒーのようにリバースしないことを祈ろう。
「じゃあ、いくぞ?」
そう言うと、成田警部は白いシーツを腰の辺りまでめくった。
「お、おい、大丈夫か?」
「な、何がだい?大じょ……うぷっ!だ、だいじょう……う……ぷ!」
そんな銀華さんの様子を見て、さすがにこんな所でリバースされてはかなわないと思ったのだろう。成田警部は、ドアの外に銀華さんを連れて行った。
そんな二人を横目に、俺は見の前の死体を見ていた。
横たわる死体は、詐欺、恐喝、覚せい剤所持、暴行事件等多数の前科を持つ暴力団員ということだ。
組でもかなりの権力を持つ人物でもあったが、立ち寄った店の中でのつまらない諍いから、対立する組のチンピラから集団で暴行を受け殺害されたという。
警察としては、むしろこの件で組同士の対立抗争が起きるのではないかと、心配事はそちらにシフトしているようだ。
横たわる死体は、顔以外にも全身に酷い傷を負い、さすがに銀華さんの反応を責めるのは可哀想なほどの見た目となっていた。
俺だって、正直目を逸らしたいくらいだ。
「ふぅ~。嬢ちゃんには刺激が強すぎたかな?まあ、少しばかり外の空気を吸やぁ良くなるだろ」
銀華さんを連れ出した成田警部が、室内へと戻ってくる。だが、俺は銀華さんの様子を心配するよりも、脇に立つ警官を見ていた。先ほど成田警部は、この人が当時の発見者だと言っていた。しかも2回とも。
「あの、お聞きしてもいいでしょうか?」
「はい。何でしょうか」
「二度とも、あなたが死体が消えたのを発見したそうですが、その時に気付いたことはありませんでしたか?そうですね、例えば、何か動物の泣き声……、猫の泣き声がしたとか、現場に動物の毛が落ちていたとか……」
「ね、猫って!どうしてそれを!?確かに、私が扉を開けた時にわずかにですが、猫の鳴き声が聞こえたような気がします!それに、一瞬ですが、横を黒い影がすり抜けて行った気が……」
「お、おい、君!そんな重要なことを今まで……!」
「も、申し訳ありません!先ほども言おうと思ったのですが、そんなことがあるはずがないと……。こちらの少年に言われるまで、気のせいだと思っていました」
「まあまあ、落ち着いてください」
俺は興奮する成田警部を宥める。
「こちらの方を責めないでください。普通に考えれば、こんな所に猫などいるわけはありませんし、影だって扉を開けた拍子に、空気が抜けたと思うのが普通でしょう。俺達の考え方のほうが特殊なんですよ」
「あ、ああ。そうだな。いや、すまないな、君」
「い、いえ。こちらこそ、重要な情報とは思わず……。申し訳ありません」
「いや、おかげで犯人の目星が付いたよ。犯人はやはり火車で間違いない!そうだな?緋色」
「火車!?で、では、今までの犯人はやはり妖怪……、火車なのですか?」
「ああ。おそらくはそうだろう。しかし、君は火車を知っているのか?随分詳しいんだな」
「い、いえ、単に子供の頃にお話を聞いただけで、それほど詳しくは……」
犯人を特定し興奮する成田警部をよそに、やはり俺は少しばかり妙なものを感じ考え込んでいた。
確かに、警官の証言から考えれば、限りなく火車の仕業に思える。少なくとも俺の知る知識の中では、だが。
しかし、犯行の手口から感じる、あの違和感は……。俺はもう一度、若い警官に尋ねる。
「ああ、すみません。もう一つだけいいですか?」
「は?はい、なんでしょうか」
「それ以外に、変わったことはありませんでしたか?他に何か落ちていたとか、死体に何かくっ付いていたとか……。例えば、そうですね。何か文字のようなものが書かれた紙切れとか……」
「い、いえ、特にそのような物は……」
警官は一瞬だが、ビクリと肩を震わせて答えた。
「そうですか……。ありがとうございます。とりあえず死体の確認を……」
「おい、緋色。何だその紙切れって……」
俺が死体を調べようとした時だった。突然警官が叫んだ。
「し、死体が……。死体が動いてます!」
警官の叫び声に振り返ると、俺達の目の前で死体がゆっくりと起き上がっていった。