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「しっ、死体が動いてます!」
警官の叫び声で振り返った俺達が見たのは、横たわっていた死体がゆっくりと起き上がるところだった。
もちろん、それだけでも衝撃の光景なのだろう。だが、それ以上に驚いたのは、その後の死体の状態であった。
「おい、緋色!傷が……!」
驚くべきことに、起き上がった死体には、あれほど酷く付いていた全身の傷が綺麗さっぱり無くなっていたのだった。
その見た目は、まるで生きているかのごとく。
「やはり、火車にこんな真似ができるはずがない。これは、大陸で言うところの僵尸か……?だとすれば……」
「おい緋色、何でもいいけど、とにかくとっ捕まえるぞ!」
目の前の死体に怯むことなく、成田警部は身構る。俺は内ポケットの呪符を取り出して、サポートを試みる。
しかし、俺達の動きよりも、死体が動くほうが一瞬早かった。
のそりと起き上がった動きからは想像も出来ない素早さでドアに向かうと、乱暴に体当たりして廊下へと飛び出したのだ。
「うにゃぁっ!!」
ドアの外で、ドスンという何かがぶつかる音が聞こえ、それに合わせて珍妙な叫び声が聞こえた。
その声で俺はようやく気付く。そうだ、ドアの外には銀華さんが!
「銀華さん!」
「嬢ちゃん!」
成田警部と2人で、慌ててドアの外に飛び出す。
「ってててててて……」
そこにはお尻をさすりながら、尻餅をついている銀華さんがいた。その様子を見るに、とりあえず大したことはなさそうだ。
ホッとするが、落ち着いているわけにはいかない。
「追うぞ、緋色!」
「はいっ!銀華さん……、銀華さん!?」
倒れている銀華さんを起こそうと手を伸ばした俺は、少しばかり彼女の様子がおかしいことに気がついた。
銀華さんは何かうにゃうにゃとつぶやきながら、床を転げ回っている。
「ちょっと!どうしたんですか銀華さん」
「うにゃ?なんにゃ、ひーろにゃないか。うにゅ~、このゆかでごりょごりょしてりゅと、とってもきもひいいにゃ~。ひーろもやってみるにゃ?」
銀華さんの様子は、先ほど猫猫飯店で見たヨッパライ状態のようだ。まさかと思い銀華さんの周りを見れば、茶色い粉が散乱している。そして、傍らには破れたビニール袋が……。
「……っ!」
おそらく、飛び出して行った死体とぶつかった拍子に、袋が破れマタタビをばら撒いてしまったのだろう。
こうなってしまっては、さすがに銀華さんを連れて行くわけには行かない。
「いいですか?とりあえず、ここから動かないでくださいよ!」
「え~?ずりゅいにゃ。ぼきゅをのこして、ふたりれあそびにいくつもりにゃ?ぼきゅもいっしょにいきゅにゃ~」
「違いますって!」
「だまされないにゃ~。ひーろはえっちだきゃら、きっとえっちなおみせにいくきにゃ~?おい、なりちゃっち!りんこひゃんにいいつけるじょ!」
「はいはい、終わったら遊びに連れて行ってあげますから。今は大人しく待っていてください!」
「ほ、ほんとにゃ?りゃあ、こないらひりょみが、かぞくれあそびにいったっていう、あの、てーまぱぁくにいきたいにゃ!」
「わかりましたよ。でも、あそこの入場料は高いんでしょ?今の俺の時給じゃ、当分遊びになんか行けませんよ?」
「りゃ、りゃあ、ひーろの、りきゅ……、びきゅ、じきゅうあっぷするにゃ~!」「はいはい、ありがとうございます。じゃあ、ここで大人しくしててくださいね」「う~。わかっちゃにゃ。やくそきゅにゃ~。ふ、ふ、ふちゃりだけで、あそびにいくにゃ~。あ、れも、えっちなことをしちゃら、だめにゃからね!」
「はいはい、とにかく、そこで大人しく待っててくださいよ」
「ふふふ、やくそくにゃ。いってらっひゃい」
酔っ払った銀華さんを残して、俺と成田警部は死体を追って駆け出した。
「そっ、それにしても、じょ、嬢ちゃんは相変わらず……、だな」
「まっ、まあ、肝心なトコでやらかすのが、ぎっ、銀華さんですからね」
「おっ、おいおい、だ、大丈夫か?い、息が切れかかってん……ぞ」
「そっ、そっちこそ……。もう、い、いい歳なんだから、無理しないほうがいいです……よ」
「馬鹿……言うな。こちとら、お前さんとは、きっ、鍛え方が違うん……だよ」
あれから、俺と成田警部は、ひたすらに走る死体を追いかけていた。死体は死体で何の目的があるのかはわからないが、別段通行人を襲うわけでもなく、ひたすらに走っているだけだ。
しかし、状況を考えれば仕方ないとはいえ、全裸で走る死体というのもシュールである。今頃警察署の電話は、110番通報でジャンジャン鳴り響いていることだろう。
「ま、まあ、でもあれだ。じょ、嬢ちゃんがいないってことぁ、お、お前さんも少しは、やり……やすいんじゃないのか?」
「…………。そ、それはそう……ですが……」
「な、なんだ?やっぱり、と、隣に嬢ちゃんがいないと、さ、寂しいか?かぁ~、せ、青春だねぇ。う、うらやましい限りだよ」
「な、成田警部には、凛子ちゃんと奥さんが、い、いるじゃないですか」
「ま、まあな。し、しかし、だいたいお前さん、じょ、嬢ちゃんの最後の言葉の意味を、ちゃ、ちゃんとわかってんのか」
「は……?何ですか、さ、最後の……、言葉って……?」
「はぁ、鈍いねぇ~……。ま、これも、せ、青春か……」
「何なんですか……?」
疲れるだけだし、お互いに喋らなければいいと思うのだが、単純に追いかけっこをしているのも辛いのである。
しかし、何か妙だ。死体は目的も無く、ただ俺達をあの場所から遠ざけようとしているだけのように見える。
「や、やはりおかしいと思いませんか?あ、あの死体、目的も無く、ただ走っているだけに見えます」
「た、確かに……な。凶悪犯なら、通行人をひ、人質に取ってもおかしくなさそうだが……」
「まるで、に、逃げ続けることが、目的みたいじゃありませんか?」
「お、おい、そりゃどういう……?」
とはいえ、いつまでも鬼ごっこを続けているわけにはいかない。ましてや、相手はおそらくバテることはないであろうし……。
死体が人目につかない路地裏に逃げ込んだ時、俺は動いた。
「クーコ」
「はっ!」
「アレを、あ、足止めしてくれ、止めるだけでいい。そ、そうだな、転ばせて、立てなくする程度で……、じゅうぶんだ」
「かしこまりました」
言うが早いか、俺の胸元からふわりと浮き上がったクーコは、そのままの姿で一直線に飛んでいくと、走る死体の足元をぐるりと回った。
すると、小指ほどの管狐に絡まれただけにも関わらず、死体は足をもつれさせてその場に転倒した。
「よくやった、クーコ」
俺と成田警部は死体に駆け寄る。必死の反撃で襲い掛かってくるかと思われた死体だったが、この期におよんでも俺たちには目もくれず、ひたすらに逃げようと、立ち上がれない足をバタバタとさせているだけだ。
「やはり、そうか……」
一息ついた俺達は、呼吸を整える。
「して、いかがいたしますか?後が面倒であれば、喰らっておきますが」
「いや……。気持ちはありがたいが、大事な『証人』だからな。とりあえずは戻って休んでくれ。それに、お前には悪いが、あんまり旨そうには見えないし……」
「かしこまりました。しかし、私も旨いから食うわけではありませんが……」
そう言うと、クーコは大人しく竹筒に戻って行った。
「お、おい、こいつはいったい何をしようとしているんだ?」
「おそらくですが、こいつの目的は、ただ『逃げる』だけですよ。俺達を遺体安置室から遠ざけるためにね」
「何だと!?」
俺は死体の頭に呪符を貼り付ける。バタバタともがいていた死体は、ピタリと動きを止めた。
そして俺は、死体の体を探り始めた。そして、
「ありましたよ。やはり……」
俺は、死体の口の中、それもわざわざ舌の裏に隠された、折りたたまれた小さな紙切れを取り出した。
広げてみれば、何やら文字が書き込まれている。
「おい、緋色。まさかそりゃ……、お前さんたちが使う呪符か!?」
「ええ、俺達の使う物とは、少し違いますが」
「てことは、つまり犯人は……」
「はい。謎は解けました。この事件の犯人は火車なんかじゃありませんよ。悪意を持ったれっきとした人間、『死霊術士』です。




