最初のさよなら
「姫様、姫様」
細かな装飾の施された扉の前で、クロウは呼びかける。
しかし、中から反応はない。
しばし待っていたクロウだったが、そのうち根負けしたらしくその場を去った。
ハクアが部屋に閉じこもり始めてから一ヶ月。
姫様の気鬱ということで、王宮内では噂が広まりつつある。
友人が呼びに来ても、親が呼びに来ても、ハクアが部屋から出てくる様子はない。
ハクアの部屋の前に広がる庭園では、ハクアの友人である庭師見習いが今日も花の手入れをいていた。
「どうしたものだと思う」
「私は庭師ですので」
庭師見習いは、クロウの問いに苦笑顔で返す。庭師の仕事は、庭を綺麗にすることであって姫様の悩みを解消することではない。
「しかし、貴女は姫様のご友人だろう」
「友人なんていらない、とのことです」
庭師見習いは苦笑交じりに返す。
「本格的に心を閉ざしておられるご様子だ」
「……この王家には、そう珍しいことでもないが。姫様の年齢からと言うのは聞いたことがないな」
クロウはそう言って頭を抱える。
「まあ、不老不死の悩みだなんて、私達凡人には想像がつかないものです。一緒にいても、味わっている時間が違うのですよ」
庭師見習いは、諦めたように言う。
「それは違うぞ」
真面目な口調でクロウは言う。
「例え寿命が違おうと、我々と姫様は同じ時間を共にした。それは変わらぬはずだ。その事実さえ捨てようと言うならば、私にも考えある」
「やめておくことですよ、クロウさん。いくら貴方が出自に恵まれていようと、相手はお姫様だ。扉を蹴りやぶろうとでもしたならば、それなりの罰が与えられるでしょう」
頑固一徹なこの男なら、それぐらいやりかねない、庭師見習いは苦笑交じりに釘を刺すことにした。
「姫様の興味を引きそうな話を集めてくる。私は口下手だが、中には姫様の興味を引くものもあるだろう」
そう言って、クロウは去って行った。
彼女が扉を開いたのは、全ての呪いを解除すると言う聖なる泉の話を持って来た時だけだったそうだ。
それからしばらく、ハクア姫の書庫篭りが始まったのだった。
周囲は、部屋から出てきた姫の姿にとりあえず安堵した。
それは、二人が今の大陸に移動する数年前の話である。
ジンの剣は、まるで踊っているかのようだ。
混戦で敵の剣を避けるために退いたり進んだりしている間に、周囲に血の雨が降り、その足跡は異形の者の死体で埋め尽くされる。
マリの剣は、荒々しい。
力の篭った素早い剣で敵のフォームを崩しては刺し、腕で敵の頭を引っつかんで爆破させ、気がつくとその背後には死体の山ができている。
セツナの剣には、無駄がない。
全ての攻撃を前もって読みきり、自分がダメージを負わない進路を選んでいる。
その手に握る刃が走るたびに、敵の鮮血が噴出した。
三十体のオークは、たった三人の剣士の前に地面に倒れ伏せることとなった。
レベルが違う。それが、ハクアの実感だった。
この町のトップクラス層に比べれば、ハクアなどただの少女に等しいのかもしれない。
「敵が強化されたと言う訳ではなさそうだな」
セツナが、感想を述べる。
「ええ。今までと大差ない強さの敵です。これなら、行けそうですね」
ジンもそれに同調する。
そして、胡散臭げにマリに視線を向けた。
「お前、さっき魔術使ってなかったか?」
「お、師匠、目聡いですねー」
マリは誇らしげに手を掲げる。
「姫様との一件以来、体の中を走るエネルギーを自覚できるようになったと言いますか、その一部を敵に放出したらどうなるだろうと思ったのです。結果的に、爆破の魔術となっていました。触れないと、使えないんですけどね」
「なるほど。それなら刺したほうが速いよな」
「師匠にはロマンってものがないですね。魔術ですよ、魔術。めでたいですよ」
「世の中にはまだ魔術師ってだけで危険勢力と考える連中もいるのに、めでたいこったよ」
「その割に僕の予知眼やフクノの魔術は伝統があるとありがたがられてたりもする。まったく変な話だ。まあ、一般人なら遠くの脅威よりも近くの脅威か。権力を持つ人間が持てばありがたく見えるものなのだろう」
セツナがどうでも良さげに言う。
三人は剣を鞘に収めて、歩き始めた。
「怪我はないですか?」
ハクアは三人に歩み寄って、訊ねる。
「ないな」
「ノーダメージだ」
「同じく」
「私の出番、食料に神術かけるぐらいですね」
ハクアが拗ねたように言う。
「怪我して欲しいのか?」
ジンが、苦笑交じりに言う。
「いえ。ノーダメージで行ってほしいと思ってますよ。ねえ、クロウ」
「まったくです、ハクア様」
そう言ったクロウは、剣を抜いていなかった。
最近のクロウは、どこかおかしい。悩みこんでいるのを隠しもしない。
けれどもハクアは、それを気にせぬことにした。
気にしても、精神的な負担になるだけだと思ったのだ。
それが見つかったのは、地下五階に入った時のことだった。
遺体が五つ、地面に倒れ伏している。
ジンとセツナが、率先して調査に当たった。
「こっちは骨がくだけて内臓に刺さってるな。魔物の仕業か?」
セツナが、遺体の胸部を触って呆れたように言う。遺体の口からは、血の溢れた跡がある。
「違いますね」
ジンは否定する。
「こっちは的確に心臓を一突き。これは魔物のできることじゃない。人間の技術ですよ」
「そう言えば、敵には怪力の男がいるんだったか。例のグループと見て、間違いないんじゃないかな。問題は、こいつだ」
三人目の遺体に、セツナは視線を向ける。
黒焦げになった、焼死体だった。
「……これ、魔術だよな」
「まあ、魔術ですね」
「魔術に対抗するには魔術師がいたほうが楽ができる。マリ、君の魔術で対抗できると思うか?」
「……私のは、触らないと爆発しないから」
マリは、自信なさげに言う。そして、縋るようにジンに視線を向けた。
ジンは、鬱陶しげに頭をかいた。
「……多少なら、私も魔術の扱いには覚えがあります」
「本当か?」
セツナが、胡散臭げにジンの顔を見る。
ジンは指先に炎を灯して見せた。その炎はみるみるうちに大きくなり、人の顔ほどのサイズになる。
それは、ジンが指を左右に振っただけで消えた。
「今ひとつ、心許ないな。魔術戦の経験はあるのか?」
「本格的でなければ、多少は」
「しかし、お前が魔術師の相手をするとなると、剣士サイドのパワーダウンが否めないな」
「一度地上に出て、編成を組みなおしてはどうでしょう」
クロウが、思いもしないことを言った。
「私とハクア様は、編成から抜いてくださっても構わない。その分、フクノの魔術師を組み入れればベストメンバーとなるでしょう」
セツナが苦い顔になる。
「怖気づいたか」
「どうと取っていただいても構いません。今回の冒険、ハクア様にとって危険すぎる」
セツナの視線が、ハクアに向けられる。
「戦闘もこなせる神術師を外すメリットなんざ何処にもないんだぞ」
「このまま、進みましょう」
苛立ちを篭めて、ハクアは言う。
「引き返せば、その分犠牲者が増える。私達が、遺跡で人を殺している連中を止めるのです。それに、私達は十分に厳選されたメンバーだと思いますが?」
クロウは、喉に小骨でも刺さっているような表情で引き下がった。
夜になると、五人は仮眠を取りに宝物の間に入った。
最初に仮眠を取るのは女性陣二人だ。
「変な話になったものだ」
セツナが、苦笑交じりに言う。
「僕達の目的は宝を持ち帰ることだった。三つの剣士隊はそれぞれ上手く回ってるとは言い難かったが、日に日に成果は現れていた。それが今は、別の組織に翻弄され、恐怖させられている」
「変なのは今の状況だけじゃないですよ。どうも、内部に連中を手引きしている勢力がいる気がしてならない。今回の遺跡侵入だって、手引きする連中がいなければ無理な話だ」
「問題はそこだよ。相手は、旧王家の血筋を引いていると言っているんだったな」
「ええ」
「今更力の一つも持っていない旧王家に、そこまで従う人間がいるかな」
「あるいは、世界を平和にするなどと言う夢見話を信じている人間がいるのかもしれません」
「人間は聞こえの良い夢見話が大好きだからな。胡散臭いとは、思わぬものかね」
「さあ。少なくとも、我々は胡散臭いと思いましたが。結局は、洗脳装置ですからね。使いようによってはどうなるかわからない」
「争いがないなんて、そもそもつまらん世界だよ。剣術も競技も何もかもが衰退する。僕はそんな世界は耐えがたいね」
水滴が落ちる音がした。
三人の間に、予期せぬ沈黙が漂う。
「お前、僕に敬意を払っていないだろう」
ふいに、悪戯っぽく笑ってセツナが言う。
ジンは、戸惑うしかない。
「敬語で喋っているつもりですが」
「しかし、興奮すると敬語が抜けるよな。度々、そんなことがあった」
振り返ってみると、確かにジンは度々セツナに敬語を使っていないことがある。
「……注意します。下級剣士の身の上ですからね」
「なに、気にしなくても良いさ。そう言えばお前は新婚だったな」
「はい」
急に何を言い出すのだろう。ジンは身構える。
「家のベッドが恋しいのではないか。今夜は抱きしめて寝る相手もいないだろうからな」
ジンは、言葉に詰まった。
この手のからかいに対して、ジンは耐性がなかった。
マリの体を、背後から抱きしめて寝た日々のことが脳裏に蘇る。
やっとのことで、口から言葉をひねり出す。
「別に変わりませんよ。普通に寝るだけです」
「新婚で何もなかったということはなかろう」
セツナはからかうように言う。
「いや、それは……ごっこですからね」
「なら、今の間は何かな」
中々手強い相手のようだ。
「夜の床の話を外に持ち出すのは、夫婦だろうと恋人だろうとマナー違反だと俺は思いますがね」
クロウが、ぼんやりとした表情で口を開いた。
「真面目だな、クロウ君は」
面白がるようにセツナは言う。
「決意が鈍った表情に見える」
セツナの言葉に、クロウは俯いて表情を隠した。
「確かに、今回のお前には覇気がない。いつものお前らしくないぞ。肝心なところで役に立たなかったら困る」
ジンの言葉に、クロウは顔を上げて、苦笑した。
「ハクア様に、このような危険な町からは逃げようと、ここ数日申し上げていた」
「……まあ、話を聞くタマじゃないわな」
「ああ。世界の危機に何を言っているのだと一喝されたよ」
クロウは苦笑いを顔に浮かべる。
「それでも私は、ハクア様に危険な目に陥っては貰いたくないのだ」
「前衛がしっかりすれば良い」
セツナが、淡々と言う。
「神術使いは、基本的に後衛だ。前が崩れなければ後ろがやられる道理はない。精々、奮戦するんだな」
クロウは、無言で一つ頷いた。
「それに、今回は敵の戦力を計る意図もある」
セツナはそう言うと、ジンとクロウの顔を、静かな表情で見つめた。
「やばそうなら、遠慮なく逃げるぞ」
ジンも、クロウも、頷いた。
みすみす、無駄死にする気はないのだ。
次の遺体を見つけたのは、地下二十三層だった。
「力技だな」
セツナが、しゃがみこんで遺体を眺めながら呆れたように言う。
その遺体は、首が綺麗に切り落とされていた。
「だんだん帰りたくなってきたな」
セツナが、ぼやくように言う。
「確かにここは魔物の巣だった。だが、化け物の巣ではなかったはずだ」
「しかし、私達がなんとかしないと、洗脳装置が……」
「まあ、そうなんだがな」
マリの言葉に頷いて、セツナは立ち上がる。
ジンは、その傷痕を見て、思うところがあった。
師の一の太刀。あれが完全に放たれたら、このような鋭い切り口になるのではないかと。
あの剣の鋭さは異様だった。
事実、ジンは剣で防いだにも関わらず、右肩の鎖帷子を半ばまで裂かれていた。
ただでさえウラクがいるのだ。師匠クラスの敵までいては困る、と思うジンだった。
そして、二十四層から二十五層へと移る階段の手前の広場で、二組のチームは相対した。
周りには倒れ伏した剣士達の死体が十以上。いずれも、焼け焦げている。周囲が広い空間であるため、遠慮なく魔術を使えるようになったのだろう。遺体は移動の邪魔にならないように通路の端に移動させられていた。
敵は、若い男、フードの女、顔に傷のある男、ウラク、その背後にコウキ。お互いの間に距離を置いて立っている。
フードの女の両手に、炎が灯った。
そして次の瞬間、炎の風が五人に襲い掛かった。
ジンは先頭に出て、炎の壁を作ってそれを相殺する。
「……中々、やる」
ジンは、呟く。
フードの女の周辺に掌サイズの火球がいくつも浮かび上がる。
その数は五十を超えるだろう。
「行けるか?」
セツナが問う。
「相手は魔力量で勝負に来ているようだが」
ジンの周辺にも掌サイズの火球がいくつも浮かび上がり始めた。
その数は、三十と言ったところか。
「まあ、しばらくは凌げます」
「その間に護衛を排除したほうが勝ちと言ったわけか」
「単純なゲームですね。簡単ではありませんが」
クロウとハクアは、緊張のためか押し黙っている。
「私は顔に傷のある男を貰います」
そう言って、マリが駆け出した。
「じゃあ、噂のにやけ面は俺が貰っていこう」
セツナも駆けて行く。
空中で幾重もの火球と火球がぶつかって爆発を引き起こす。
魔術戦が始まった。
炎の魔術と一口で言っても色々とある。
ボール型、ウォール型、ストーム型、アロー型、ランス型。様々な型にはそれぞれの相性がある。
二人はその中でも一番単純な、ボール型のみで勝負を競っていた。
フードの魔術師は火球を広く展開し、ジンを囲む。
数で劣るジンは、体の周辺に火球を集め、襲い掛かってきた相手の火球を打ち消しては即座に新たな火球を生成すると言う消極的にも見える手法を取っていた。
移動しながら大量の火球を維持することは困難だ。大量の火球を維持するには極度の集中力を必要とする。
だから、どうしても、この手の魔術戦は足を止めての打ち合いとなる。
フードの魔術師は微笑んでいる。
彼女はまだ、気がついていない。
火球を一個相殺するたびに、ジンが一歩前に進んでいることに。
多くの火球がジンの周囲を飛び回り、そのたびジンの作り出す火球とぶつかっては消えていった。
持久戦に焦れたのか、女の火球が三個、頬に傷のある男と戦っているマリへと向った。
その瞬間に、ジンが周囲に展開していた火球のうち半数が混じり合い、槍の形を取っていた。
ランス型。
ウォール型でも防御が難しい一点突破型の炎の魔術。
それが、フードの女に向って放たれた。
フードの女は回避する。
しかし、炎のランスは角度を変えて女に喰らいつこうとする。
女のフードの端が、焼け焦げて煙を上げた。
集中力が途切れたのだろう。マリに向かって飛んでいた火球は既に消えている。
「浮気は良くないな」
そう言ったジンの周囲には、また彼が作った火球が生み出されている。
フードの女の顔から、笑みが消えた。
ジンの周囲を、再び女の作った火球が包囲する。
マリは、頬に傷のある男と向かい合っていた。
「私の顔に、見覚えは?」
マリは、男に問う。
「この前鐘を守ってた時に、腹に穴を開けられた。あれは痛かったぜ」
男は何が楽しいのか、笑いながら言う。
「それ以前には……?」
「それ以前……? 名前は?」
「……マリ」
忌々しげに、マリは吐き出す。この男に知られることで、自分の名が穢れるとでも言いたげに。
「俺はバクだ。まあ、記憶にないな」
バクは、本当に記憶にないようだ。
ならば、それで良いかとマリは思う。
相手が覚えていなくても良い。
復讐さえ、果たせればそれで良いのだ。
マリは腕輪のロックを二つ外す。反動も少なく、長期戦に向いた数の呪法解放。
今のマリは、ガーディアンとしての恩恵で普段から二段階解放程度の能力を得ている。
それに二段階解放を加えることによって、普段の四段階解放分とまではいかなくても、かなり高いレベルまで自分の身体能力を高めることが出来るはずだ。
「覚えてないならかまわない。覚えてても私の吐く言葉は一緒だから」
「へえ、聞きたいもんだな」
バクは、腕を組んで剣を構えすらせずに言う。
「地獄に落ちろ」
マリはバクに向かって突進していた。
その蹴りが、バクの腹部に突き刺さろうとする。
しかし、それよりもバクの初動の方が速かった。
鞘から抜かれた剣が振り下ろされる。それは丁度、突進してきたマリを斬るには良いタイミングだった。
マリは慌てて踏みとどまり、後方へ飛んで剣を回避する。それと同時に、自らの腰から剣を抜いている。
バクはそれを追うように、跳躍していた。
バクが剣を振り下ろす。
それを、マリは剣で受け流す。
まともに打ち合っていては剣が何本あっても足りない。
バクが足を振り上げる。
マリはその足を蹴ってさらに後方へと飛ぶ。
マリは違和感を覚えつつあった。
違和感は二つ。
一つは、男の力の源が自分とは異質なものであること。同じく呪いを受けているのはわかる。けれども、種類の違いを感じるのだ。
もう一つは、思ったほどに、自分の体に力が沸いてこないことだった。
呪いを解放したというのに、マリの身体能力は期待したほど上昇していなかった。
「確かに、素早い」
ウラクとセツナは向かい合っていた。
互いに、肩で息をしている。
一度目の長い攻防を終えた後だったのだ。
「噂通りだ。ここまでとはな」
その攻撃を全て回避されたと言うのに、ウラクは微笑み顔を崩さない。それがセツナには、酷く不気味に見えた。
「けど、僕には君の動きが」
「見える、だろう?」
言い当てられて、セツナは苦笑いを浮かべる。
「そうだな。今のあの町にはスパイが沢山いるんだったな」
「違うさ。昔から知っていた。ずっとずっと、知っていたんだ」
ウラクの表情から、笑みが消える。セツナは、戸惑いが胸に浮かぶのを感じた。
この男の感情は、呪いに似ている。セツナは、直感的にそう感じていた。
「才能だけでは勝てない。そう教えてやる」
ウラクは言い放ち、セツナに向って駆けて行く。
セツナは、集中した。
この神速の相手には、一手の過ちが致命傷になりえた。
「君の剣、迷いがありますね」
言い当てられて、剣を構えていたクロウは怯んだ。
男の攻撃を、一通り受け流した後のことだった。
「心に迷いがなければ、君は相当レベルの高い剣士だ。けれども、今はそうじゃない」
若い男は微笑んで、クロウの心をかき乱そうとする。
どこかで見覚えがある顔だ。そんなことを、クロウは男に対して思う。
しかし、それが誰だったのか思い出せない。
「心配事は、あのお嬢さんかな」
クロウの剣先が、小さく震えた。
次の瞬間、クロウの腹部に男の蹴りが突き刺さっていた。
クロウは胃液を吐きながら、男の横薙ぎの一撃を剣で防ぐ。
攻防は続く。
素早い剣捌きだった。しかし、クロウの対処できない速度ではない。だというのに、いつの間にかクロウの肩を相手の剣が貫いていた。
まるで、そこに隙が出来ると予見していたかのようだ。
クロウは、相手から距離を取った。
神術の光がクロウの肩を癒す。
ハクアは神術に専念している。それがなければ、クロウは既に倒れていただろう。
「心臓か首を狙わなければ勝負はつかない。けれども、そこは流石にがっちりとガードされている。厄介ですよ、貴方達の流派は。崩すのに、いつも時間がかかる」
男はそう言いつつも、微笑んでいる。
「戦いの最中に良く喋る男だ」
呆れたようにクロウは言う。
「失礼。喋っていても、私は集中しきっているんです。そう言う人間も稀にいるのです、悪しからず」
クロウは、苦悩していた。
目の前の男に勝てるビジョンが思い浮かばない。男の実力は自分より数段上だ。自分に出来ることは、時間稼ぎしかないだろう。
倒れるわけにはいかなかった。
背後には、ハクアがいるのだ。
魔術合戦が火花を散らす中、マリはバクと戦っていた。
身体能力はバクのほうが上。
剣の技術はマリのほうが上。
マリは二本目の剣を折られて、三本目の剣を背中から抜いていた。
呪いの解放を進めようかとも考えたマリだったが、懸念があった。
それは、今の状態で呪いの解放を進めても、身体能力は向上するのだろうかという懸念だ。
今、ジンは魔術を使うに当たって、呪いの力を容赦なく使っている。
彼が使っている力は、マリと共用している呪いが元となっている。
彼が、本来マリが使うべき分の力まで使っているとしたら。
呪いを解放しても、マリにはデメリットしか生まれなくなる。
それは、仕方が無い事だ。
あの魔術師を止めない限り、こちら側のパーティーの全滅は避けようがなかった。
後は、残された力の中でマリがいかに活躍するか、だ。
(こちらが人質になって足を引っ張っていたいつぞやとは立場が逆転しましたね、師匠)
マリは、そう思って苦笑する。
「お前」
バクは、剣を下ろす。
「相当身体能力が高いな」
「他人を褒めることで自分を持ち上げるつもりかな?」
この男に対しては、嫌味しか出てこないマリだった。
「いや、俺は裏技を使って身体能力を向上させているからな。お前もそのクチか?」
そう言ったバクが、考え込むような表情になる。
「いや、お前。もしかして、あの村の小娘か?」
嘲笑するような口調に、マリは眉間にしわを寄せる。
それを見て、バクは確信を得たようだった。
「そうかそうか、あの小娘か。お前は強かったなあ。俺の部下どもが紙切れみたいに千切られてってよ。びびったもんだぜ。お前のおかげだ、感謝している」
「感謝、だって……?」
「ああ、お前のおかげで知れた。人の呪いは集めれば力になると」
そう言って、男は自らの服を破った。
首元に、宝石のようなものが埋め込まれているのが見えた。
「人の感情を吸い込んで魔力の源とするアイテム。こんなものも、世界中の遺跡を探れば出てくるんだぜ。過去の魔術師様は偉大だよな。連中は大抵、地下や見え辛い場所に自分の研究成果を隠している。この遺跡のようにな」
「つまり、お前は呪いを吸ってその身体能力を得たと」
マリは、手に力が篭るのを感じた。
その手に握った剣の切っ先が、怒りに震えた。
「何人、殺した。何人、その身体能力を得るために殺した」
「ん? 二十から先は覚えていないな。学習したこともある。殺すなら、魔力を持ってる魔術師だってな。その点、あそこで戦っている男なんて良い感情を発散してくれそうだ」
バクの唇の端が、持ち上げられる。
「お前の、男なんだろう?」
「……どうしてそうも簡単に、人を殺せる」
「いやいや、思うに、我々の存在に価値などないんだよ、お嬢さん」
男は、どうでも良さげにそう言った。
「だってそうだろう。百年後に俺やお前の名前はこの世の中に残っているか? 答えはノーだ」
「けど、百年の間にやりたいことや、夢がある。皆、それを抱えて生きていく」
「いやいや、我々は生命とか言う、どこから来てどこへ行くのかもわからんものを代々繋いでいく為の器に過ぎん。お前らが貴重がっているそれは、ただの器だ」
マリは絶句していた。
男の考えに、賛同出来なかった。あまりにも違いすぎる価値観に、言葉が出なかった。
「その器が二十や三十割れたところで、世界にどんな影響が出る? 出ないんだよ。最悪、人類が滅亡したとしても他の種が生命というものを繋いでいくだろう。だから、俺は器を壊すことに頓着がない」
男は本当にどうでも良さげにそう言い切ったのだった。
「だから、たかが二十人や三十人殺されたぐらいでぐだぐだ言うなよ。それぐらいの数、死んでもすぐに生まれてくるさ」
マリは、自分の左手に手をかけた。
「あんたの御託と言い訳は聞かせてもらった。そして、理解した」
マリは、腕輪の封印を解いた。
四段階解放だ。
「あんたは、本当の意味での化け物だ。今日、ここで、私が潰す」
ウラクとセツナの攻防は続いていた。
ただ、速度を競うだけの攻防だった。
ウラクの速度が先か。セツナの予知の補助を受けた反射神経が先か。
呼吸をするのも忘れた一進一退の攻防に疲れ、両者は後退して間を取る。
お互いに、肩で息をしていた。
ウラクの攻撃は正確極まりない。
しかし、それを予知したセツナの防御も正確極まりない。
お互いに、きりがなかった。
「カミト領最大の才能も、こんな程度とは、笑わせてくれる」
ウラクが言う。
「肩で息をしてる奴に言われたくないな」
セツナは、苦い顔でそう返すしかない。
「だから貴方はカミト領を継げないんだろうかねえ」
「なに……?」
セツナの表情に、戸惑いの色が浮かぶ。
「せっかく、君の障害となる婚約も破談にしてあげたというのに」
「なんだと……?」
「僕の顔を覚えていないのかな。まあ、能力を得ずに生まれ、厄介者として育った人間の顔など誰も覚えてはいまいか」
ウラクは微笑んで、自らの真の名を名乗った。
十数年前に失踪した、カミト家本家の嫡男の名前だった。
「カミト領なんて君にあげるよ。僕はもっと良いものを手にするからねえ」
「ほー……」
セツナは、荒い呼吸が収まっていくのを感じた。
「つまる所、カミト領を俺にくれてくれる為に、婚約を台無しにしたと」
「本家も往生際が悪いね。昔の風習にこだわるのなら、地位も明け渡せば良いものを」
「……事故だと思って諦めていたが、案外良いものだな」
「なにがだい?」
「人を呪えるってことが、さ」
セツナはウラクに駆け寄り、切りかかった。
セツナには、奥の手があった。
「クロウ!」
ハクアの悲鳴が響き渡ったのは、そんな時のことだった。
マリとバクは剣で押し合いをしていた。
「んぐっ」
「くうっ……」
お互いに、剣は進もうとしない。
そのうち、お互いの剣にヒビが入ったのが見えた。
先に動いたのは、バクだった。
後退し、自らの剣を捨てたのだ。
マリも剣を捨てて、それを追いかける。
互いに、剣を新たに抜かせる隙はなかった。
残ったものは肉体のみだ。
マリの蹴りがバクの腹部に突き刺さる。一方、バクの拳は、マリの腕に防がれていた。マリは、頭だけはガードしようと腕をそこにおいておいたのだ。
バクの口から血の混じった液体が吐き出される。
そして、マリがさらにバクを殴ろうとした時のことだった。
「マリ、クロス!」
ジンの叫び声を聞いて、マリは動きを止めた。
それを見逃すバクではなかった。
マリは回避しようとしたが、バクの蹴りをその身に受けて、後方へと吹き飛んだ。
それを追いかけようとしたバクの前に、姿を現した男がいた。
ジンだ。
「単調な動きだ」
言って、ジンは駆け抜けざまにバクの首筋を斬っていた。
吹き飛んだマリは、地面に着地していた。
その目の前にいたのは、フードの女だった。
「バク、あの馬鹿……っ」
フードの女が悔しげに言う。
マリの拳が、空中に逃げようとする女の腹部に突き刺さり、女は背後の壁に叩きつけられた。
ジンとマリは軽いステップで後退してすれ違うと、互いの拳と拳をぶつけあわせて、互いの敵へ向って駆け出した。
後方のコウキが神術を使っているのだろう。バクはゆっくりと立ち上がる。しかし、その体は赤い血に染まっていた。
「……やってくれるじゃねえか。俺も、本気を出させてもらおう」
まだこの男は本気を出していなかった。その事実に、マリは怯えなかった。
ただ、怒りだけが今のマリの中にはある。
空中に浮いている女を見上げて、ジンは話しかける。
「さて、地面に足をついて集中している俺と、空中に浮かぶ術を使い、骨折の痛みに耐えながら炎の術も使わなきゃならないお姉さん。どちらに分があるかな」
「まあ、互角と言ったところか、ややそちらに分があるでしょうね」
女は、潔かった。
「悪いが、降参じゃすませてやれねえ。お前は、危険すぎる。時間はかかるが、きっちりとどめを刺させてもらう」
「そう」
女の口元が、緩んだ。
女の手が自らのフードに伸ばされる。そして、黒いフードが、下ろされた。
下から現れた顔に、ジンは言葉を失った。
「貴方は、私を二度殺すのね」
切なげに微笑む彼女は、シホそのものだった。耳に、金のイヤリングをしている。
彼女と過ごした記憶が、彼女を失った時の苦しい感情が、ジンの心の中で荒れ狂う。
「嘘だ。嘘だ、幻影だ」
ジンは、迷うように言う。
「世界平和の為に私が戦っている。そこに、なんの不自然があるかしら」
女は球状の炎を幾重にも空中に浮かび上がらせた。
「さて、動揺している貴方と、冷静な私。どちらに分があるかしら」
ジンは、返答できない。
「クロウ!」
ハクアの叫び声が聞こえてきたのは、そんな時だった。
クロウは、胸を剣に突き刺されて倒れていた。
血がどんどん胸から溢れていくが、クロウにはそれを止める術がない。
ハクアが神術を発動させるが、無駄だ。剣が胸に突き刺さったままのクロウの傷は、癒える事がない。
「クロウ、クロウ、立ちなさい!」
ハクアが泣き叫ぶように言うが、クロウは少しも動かない。
クロウと戦っていた男が、徐々にハクアに近付きつつあった。
「無駄ですよお嬢さん。胸に剣が突き刺さってるんだ。神術の力であろうと治癒しようがない。いや、しかし、君達コンビには随分苦戦させられた」
そして、男はハクアの前に立った。
殺される、とハクアは思った。
いや、ハクアは死んでも蘇るだろう。しかし、ハクアとクロウの死をきっかけにこの場のパワーバランスは崩れる。仲間達は死んでしまう。
それほど、目の前の男が自由に動けることは、自分達のチームに対するデメリットだと感じてしまうハクアだった。
この男は、強すぎた。
クロウが、まるで相手にならなかった。
男が、背中に差した剣を抜く。
ハクアは、本当ならばクロウに駆け寄りたかった。その胸に刺さった剣を抜いて、神術をかけてやりたかった。しかし、目の前にこの男がいては、それも不可能だろう。
不可能だとわかっていながらも、ハクアは剣を抜いた。
自分だけが生き残り、仲間達が死ぬ。そんなのは、嫌だった。
「相手にならないとわかっていながらも抵抗しますか。まあ、それも良い」
そう言って、男が剣を振りかぶる。
その頭部から、血が流れ出した。
男は唖然とした表情で、目を見開いている。
その背後には、クロウがいた。どうやら、自分で胸に刺さった剣を引き抜いて、なんとか立ち上がり、男を不意打ちしたらしい。傷口は神術で閉じたが、出血多量なのだろう。ふらついている。
男に、隙が生まれていた。
今ならば、男の体の何処へでも一撃を繰り出せた。
そして咄嗟にハクアが選んだのは、剣を持った男の右腕だった。
ハクアの突きが、男の右腕に突き刺さる。
「馬鹿な子ですねえ」
男は、嘲笑うように言う。
「こういう時に狙うのは、一撃必殺の箇所でしょうに」
男は右腕から左腕に、剣を持ち変える。
そして、軽く剣を振るった。
その鋭い一撃を、ハクアは辛うじて受け止める。
そうだ、どうして自分は一撃必殺の箇所を狙えなかったのだろう。
今更になって、自分の甘さに歯噛みするハクアだった。
皆で笑って帰れる未来を、ハクアは自ら潰したのかもしれなかった。
後からやってくる悔いは、刃物のように鋭くハクアの胸に突き刺さった。
「大丈夫。貴女は殺しませんよ。丁重に捕虜にさせていただく。まあ」
そう言って、男は振り返りざまに柄でクロウの顔を殴る。
「こちらの男は、死んでもらうしかないようだ」
その時、男は目の前に浮かび上がった火球を目にして、驚いた表情になった。
慌てて、男は火球を避ける。
そこに、剣を振りかぶったセツナが追いついてきていた。
「逃げるぞ! クロウを担いで、行け!」
ハクアは頷いて、クロウを背負って駆け始めた。
セツナはしばらく男と対峙していた。ジンは炎の魔術を乱射して、他の敵の足止めをしている。そのうち、三人の味方が二人の背後に逃げると、敵と味方を隔てる炎の壁が現われた。
そのまま、セツナとジンも後のメンバーに続く。
「あの炎の壁、どれぐらいの時間稼ぎになる?」
セツナがジンに問う。
「数秒、でしょうね。あの女がすぐに突破してくるでしょう」
「数秒か、厳しいな」
「ハクア様、下ろしてください」
クロウが、静かな声で言う。
「……走れるのですか?」
「いえ、頭がふらふらとしている。走るのは無理でしょう」
「それなら、黙っておぶさっていなさい」
「時間稼ぎなら、出来る」
「クロウ?」
そう言った次の瞬間、首筋に鈍い衝撃を感じて、ハクアの意識は失われていた。
意識を失ったハクアは、夢を見た。
懐かしい夢だった。
まだ、ハクアは姫としてドレスを着ており、クロウも貴族の服を着ている。
「自ら不老不死を捨てる?」
ハクアの意見に、クロウは目を丸くした。
「そうよ。私は不老不死じゃなくて、普通の女の子になる。普通の女の子として生きて、普通の女の子として結婚して、普通の女の子として死ぬの」
「……これは、困りましたね」
クロウは、この姫の奇行を誰に報告したものだろうとでも言いたげだ。
「ちょっと、誰にも言わないでよ。幼馴染の貴方だから話したことなんだから」
「私は説得されませんよ。私には姫様を守る義務がある」
ハクアは俯いた。
苛立ちが、体の中から膨れ上がって、口から零れ出た。
「なら、最後まで守って見せなさいよ」
「ハクア様……?」
「最後の最後まで守って、私の死に顔を見取ってから死になさいよ!」
それは、悲鳴のような声だった。
「私は嫌。皆が死んでくのに自分だけが生き残るだなんて。絶対に嫌」
「そうと言われましても、ハクア様……」
「貴方が協力してくれないなら、私は時間を無為に過ごすわ。貴方の葬式にも出てあげないんだから」
「……これは、困りましたね」
クロウは、黙り込んでしまった。
そのうち、呟くように、彼は語り始めた。
「貴方を最後まで守る。その決意に、揺らぎはないつもりです」
ハクアは、頷く。
「ならば、貴方の死に顔を見取るのも、私の責務なのかもしれない」
「そうでしょう? そう思うでしょう?」
「そうなのかもしれないと思うだけです。城を抜け出るなんて、馬鹿げている」
「頭の固い男ねえ。それじゃ、私の邪魔だけはしないでよね」
「姫様、何を考えておいでですか」
クロウが、狼狽したような表情になる。
「私はどんな手を使ってでもこの城を抜け出すわ。それを邪魔するなら、また閉じこもってやる。どちらが、生きているって言えるかしらね」
「姫様……」
クロウは、両手で顔を覆って考え込み始めた。
「誇りなさいよ。貴方だから喋ったんだからね」
目が覚めた時、ハクアは宝箱の間で寝かされていた。
セツナは寝ていて、マリはうなされている。
ジンだけが、座って中空に視線を向けていた。
クロウの姿は、どこにもなかった。
それだけで、ハクアは全てを察した。
察したが、認めたくはなかった。
「ジンさん、クロウは……?」
「わかってるだろう?」
ジンは淡々と言う。
現実を、突きつけられた気持ちだった。
ハクアの目に、薄っすらと涙が浮かんだ。
「ならば、貴方の死に顔を見取るのも、私の責務なのかもしれない」
クロウの言葉が、ハクアの脳裏に蘇る。
「嘘つき……クロウの、嘘つき……」
思わず、そんな言葉が口から零れ出た。
「責めてやるなよ。あいつは目一杯やった」
「それでも、約束を破ったら嘘つきです……いや、私が甘いのが、いけなかった」
「そうだな。俺も、心に甘さが残っていた」
二人は、黙り込む。
覚悟が足りていなかったのだ、とハクアは思う。
これは、世界を守るための戦いだった。けれども、自分達の心構えはどうだっただろう。ただ強敵を相手にすると言う覚悟しかなかった。
規格外の化け物を相手にすると言う覚悟はなかったのだ。
「私の覚悟の足りなさが、クロウを殺した」
ハクアは、呟くように言う。
「……耳が痛いぜ」
ジンは、呟くように言う。
「ジンさんのせいではありませんよ。どの道、クロウが突破された時点で、撤退はやむないことだった。一人が一人を抑えれば、私達は勝てていた。けれども、私とクロウではあの男は抑えきれなかった」
悔いは、次から次へとハクアの胸から溢れ出てくる。
「逃してあげれば良かった。私がいる以上、彼は逃げなかっただろうけれど。逃して、あげれば良かったんです。彼は、迷っていたのに」
しばし、沈黙が流れた。
「そういや、伝言があった」
ジンがふと、思い出したように言った。
「なんです?」
「聞くか?」
「……ええ。聞いておきます。ダメージになるかもしれないけれど」
「貴方を守るには、私は弱すぎた。それを謝罪したい。だってよ」
「……馬鹿な人」
ハクアは、溜息を吐いた。
「私のほうが、よほど守られるには不適格な主です」
ジンは何も言わなかった。
何も言わないのが彼の優しさなのだと、ハクアは思った。
遺跡を出た時のことだった。
交代の門番が五人、門を潜っていく。
そのうち一人が、弾き返されて尻餅をついた。
「あれ?」
「どうしたんだよ」
彼らの会話に気がついて、ジン達も振り返る。
五人の門番の一人が、どうやっても門の中に入れずにいるのだ。
この門は、一度に五人までしか入れない。
「四人が出てきて、一人が中に入れないってことは……」
セツナが、驚いたような表情で言う。
「生きている……?」
ハクアは、呟いた。
その瞳からは、次から次へと涙が流れ出ていた。
ハクアはその場に座り込んで、しばし、泣いた。
次回
新しい五人目




