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妹、来る

「これって運命だよねって、よく口にする女だったよ」

 男は、そう言って語り始めた。

「明るい女だった。魔術の才もあった。優しい奴でもあった。ただ、押し付けがましいところはあった」

 女は黙って、それを聞いている。

「それを差し引いても、俺はあいつが好きだった。あいつ以外は考えられないって、自然にそう思ってた」

 これは、一人の男が過去を語る物語。

 引きずってきた過去に、終止符を討つだけの、ただそれだけの物語。


 ハクアは剣を振るっていた。心の中の雑念を払い落とそうとするかのように、ただ同じ動作を繰り返し続ける。

 ハクアは、戦いが嫌になってきていた。

 魔物相手の戦いならかまわない。けれども、人を傷つけるのも、傷つけられるのも嫌だった。

 恐ろしいのだ。その結果に待ち受けるものが。

 しかしハクアには、遺跡の中で他領の剣士隊とぶつかることを避けることを祈るしかできない。

 そして、この剣士隊を後にすると言う選択肢も、存在ないのだ。

 この世界から争いが消えれば良いのに、とハクアはそう思う。

 しかし、世界というのはいつもままならないものなのだった。

(思い通りに運ぶなら、不死者になんてなってないわよね……)

 ハクアは苦笑して、腕を止めた。

 いつの間にか、雑念に心を絡め取られている。こんな状態では、いくら剣を振っても無駄だった。

 ハクアは、剣を鞘に収めて、剣士隊の宿舎入り口へと向った。

 声をかけられたのは、その時だった。

「あの、サクマ領の剣士隊宿舎というのはこちらであっているでしょうか?」

 見慣れぬ町娘が、そこにはいた。

 黒い髪は腰まであり、肌はやや日に焼けている。膝に手を置いて肩で息をしているので、顔立ちは見えない。大きな荷物が足元に置いてあった。

「ええ、こっちであってますよ」

「ああ、良かった。じゃあ、ジンという人もこちらにいるんですね」

「ジンさんの知り合いですか。私もジンさんの知り合いなので、案内できますよ」

「本当ですか」

 町娘が顔を上げる。ぱっちりとした可愛らしい目を輝かせていた。

 その瞳が、戸惑うように動きを止めた。

「……シホさん?」

「私、ですか?」

 町娘は、大きく首を縦に振る。

「人違いをしてらっしゃるようだ。私はハクアと言います。名前を変えたこともない」

「生まれはサの国ではありませんか」

「違う大陸の出身です」

「じゃあ、縁者でもない、か」

 町娘は、少し落胆したような表情になる。

「がっかりさせてしまったみたいですね。ごめんなさい」

「いえ、良いんです。私こそ勝手に吃驚しちゃって。けど、兄がここにいる理由が、少しわかった気がします」

「兄……?」

「ええ」

 町娘は、頷いた。

「ジンは、私の兄です」

 ハクアは眼を丸くして、硬直した。

 このぱっちりとした眼の素直そうな娘と、あの目つきの悪い捻くれた男が兄妹。

 それは、少し信じられない話だった。


 それは、幼い頃の話だ。

 ジンは両手に意識を集中して唸っていた。

 ジンの考えが正しければ、ジンの体内の魔力が変換され、空気中に炎が現れるはずだった。

 しかし、一向に炎が表れる気配はない。

 ジンはただ、唸り続ける。

 そのうちそれにも飽きて、ジンはその場に座り込んだ。

 村の近くにある花畑の中だった。

「やっぱり無理だよ……」

 ジンは溜息混じりに言う。

「無理なんて言わないの」

 ジンより少し年長の少女が、優しく言った。

「僕には才能がないんだ」

「ちょっと人より目覚めるのが遅れてるだけよ」

「妹はあれだぜ?」

 そう言ってジンが指差す先では、ジンより幼い少女が指先から火を発して空中に模様を描いている。

「がっくりくるよなー」

「いつか追い抜けるわ」

 少女はどこまでも優しかった。

「私を守れるぐらい強くなってもらわないと困るんだからね」

 ジンは、頬が熱くなるのを感じた。

「じゃあ、シホは俺がそうならなかったら見捨てるのかよ」

「その時は、私が貴方を守るわよ」

 臆面も無く、シホはそう言ってのけた。

 こんな幼馴染に恵まれているだけでも、自分は果報者ではないかとジンは思った。

 風が吹いて、花びらが舞った。

 少女が長い髪を押さえて、微笑みながらジンに手を差し伸べる。

 それはまだ、幼い頃の話。

 世界が黄金色に包まれているように見えた時期の話。


「やーなこと思い出しちまったなあ」

 ジンはぼやくように言って、手紙を書く手を止めた。

 結局、この手の記憶を思い出すのが嫌でジンは地元に足を伸ばせずにいる。

 他の幼馴染達がどう育っているか人並みに興味が無いわけではないのだが、その興味よりも物憂い気持ちが勝った。

(まあ、今後も地元の連中と顔を合わせることはあるまい)

 そう思い、ジンは腰を上げた。

 少し酒でも飲みたい気分だが、時刻はまだ昼だった。

 部屋の扉がノックされる。

「いますよー」

 ジンは投げやりに返事をする。

 部屋の扉を開けに行くのも物憂かったのだ。

 扉が開く。

 そして部屋の中に、腰に手を当てて仁王立ちをしている少女が現れた。背には、大きな荷物がある。目がパッチリとした、可愛らしい少女だった。

「……どちらさんですか」

 少女の唖然とした表情が、みるみるうちに怒気に染まる。

 少女は背の鞄からリンゴを取り出し、ジンに投げた。

 ジンはそれを、片手で受け止める。

 少女の突然の行動に、ジンは唖然とするしかない。

「妹の顔も忘れたの? この親不孝者の馬鹿兄!」

(あっ……)

 少女が叫び、ジンはやっとこの相手が誰かに思い至った。

「……でかくなったなあ」

「適当なことを言わないで。兄さんが里を飛び出た時には私の手足はもう伸びきっていました」

「ああ、じゃあ女らしくなった」

「私のことはどうでも良いの。兄さんのこと」

「いや、つかなんでお前ここにいるの?」

 ジンは、心底迷惑げに言う。

「手紙の内容からこちらの国にいるのを調べました。領地を拝領したということなので、その土地の名前から調べて王都に訪ねていき、やっと兄さんの所在をつかめました。そうやって、何ヶ月もかけてようやくここに辿り着いたんです」

「はあ、それはそれはご苦労様な。このご時勢に女の一人旅なんざ無謀なことをするもんだ」

 ジンの投げやりに言ってリンゴをかじった。

 会いたくなかった、という気持ちがジンの中に色濃くある。

 故郷の知り合いは、否応無く嫌な記憶と直結する。

「……何ヶ月もかけて訪ねてきた妹に対する態度がそれなの? 信じられない」

 妹の顔が真っ赤になり、その瞳から涙が零れた。

「そうですよ、ジンさん。せっかく妹さんが会いに来られたのに、その態度はない」

 呆れたような表情で、ハクアが部屋に入ってくる。

「案内したのはお前か、ハクア」

「ええ。兄に会いたいという妹を案内するのは自然なことでしょう?」

「面倒な奴を連れてきたとは思わないのかな」

 ハクアは戸惑ったような表情になる。

「まあ、面倒な話はこれから始まるんだろうがな」

「ええ、話は沢山あります。兄さんは一体どうなされるつもりなんですか!」

「手紙に書いたとおり冒険していますが」

「いつまでふらふらするつもりなんです。領地を拝領したと聞きます。こちらで身をかためるつもりはあるのですか」

「身をかためる?」

「結婚のことです。兄さんは自分の歳を覚えていますか」

「二十四だか、六だか……」

「皆結婚して子供を作ってる歳です!」

「そうでもないぞ。他の国じゃもっと晩婚の場所は沢山ある」

「他の国は知りません。私達は私達の国の常識に従えば良いんです」

 妹は斬って捨てるように言った。

「わかってるんですか。兄さんは家の跡取りなんですよ。代々続いた魔術師の家系を断つつもりですか」

「あー、五月蝿いな。お前が後継げば良いだろ」

「才があるのは兄さんです。私は凡庸でした」

「そんなことないぞー。お前、小さい頃から炎の魔術を使いこなしてだな」

「昔の話です。ともかく、私は兄さんの存念を聞くまで帰りませんから」

「ああ、俺の考えてることな。いいぜ、聞かせてやろう」

「はい」

「適当にぶらぶら冒険して適当にどっかで後腐れなくおっちぬ。別に骨を拾ってもらう必要も無い。手紙が絶えたら俺は死んだものと思ってくれりゃ良い。以上だ」

 妹は絶句した。

 頭の中が真っ白になっているのが、表情を見るだけでわかった。

「さっさと帰れ。ここにいられても邪魔だから」

 ぱっちりとした大きな瞳に、再び涙が浮かぶ。

「どうして兄さんはこんな風に……領地を貰ったというから、一箇所に落ち着く決意ができたのかと思ってここまでやってきたのに……なんて情けない」

 妹は顔を手で覆って、さめざめと泣き始めた。

 ハクアが、妹の肩に手を置く。

「ジンさんー……もうちょっと、言葉を選ぶというか、妹さんに配慮したほうが良いと私は思うのですが」

「お前も親捨てて旅に出てここに来た身だろー? 人のこと言えた立場か?」

 痛い所を突かれたのだろう。ハクアは小さくなる。

「……それを言われたら、まあ、弱いですが」

「お前が連れて来たんだからな。お前が面倒見ろよな、そいつ。んで、できればさっさと里に帰しといてくれ」

(あ、なんか勢いで凄い勝手なこと言ってる。まあいいや、押し付けちまえ)

 ジンは妹とハクアの肩を無理矢理押して部屋から追い出した。

 そして、溜息を吐いた。

「普通、手紙の断片的な情報から何ヶ月もかけて会いに来るかね」

 その執念が、薄情なジンには今ひとつ理解出来ない。

 ジンは呆れながら、片手に持ったリンゴをかじった。


 部屋の扉がノックされて、マリは部屋の扉を開けた。

 部屋の前には、泣いている少女とその肩に手を置くハクアの姿。

 何が起こっているのかマリにはまったく状況が判らない。

 とりあえずマリは、部屋の中に二人を通した。

 少女はベッドに座り、ハクアはその肩に手を置いて慰めている。

「大丈夫? ジンさん酷いよね。泣きたくなるのもわかります」

「師匠のお知り合いの方ですか?」

 女性関係で不祥事でも起こしたのだろうか。そんな考えがマリの頭に思い浮かぶ。

 しかし、あの面倒臭がりな師匠が女性を口説くのに手間をかけるというのもイメージし難かった。

「妹さんだそうです」

 ハクアが苦笑交じりに言う。

「ええっ」

 マリは跳ね上がりそうになった。

 泣いている少女の顔をまじまじと眺める。

 目のぱっちりとした可愛らしい少女だ。人目を憚らず泣いているところを見ると、感情豊かなのだろう。

「……義理の妹とか、そういうんじゃなくて、血繋がってるんだよね?」

 マリは思わず、無遠慮なことを聞いた。

「なんのことです?」

 少女はしゃくりあげながら、不思議そうに聞く。

「その、師匠って捻くれてるじゃない? 目つきも悪いし。なんか、あんまり似てないなあって思って」

「……昔は兄は、女の子みたいに可愛らしくて、素直な子でした」

(嘘だ、ありえない)

 マリは思わず、心の中で叫んでいた。

 女の子のように可愛らしくて素直な子供がどのような間違いを犯したらあんな可愛くない生き物に育つというのだろう。

「あの事件があってから、全部の歯車が狂ってしまった……」

 ジンの妹は、悔しげにそう語る。

 ハクアとマリは、黙って彼女を見守ることしか出来なかった。


 ジンの妹は、名前をリンと言うらしい。

 リンの寝床は、すぐに用意することができた。

 マリがエリィと名乗って使っていた家が、手付かずで残っているのだ。

「マリさんの妹さんの次は、ジンさんの妹さんですか。大歓迎ですよ」

 シズクは微笑み顔で、全てを了承してくれた。

 そして、リンを家に案内した後で、小声でマリに囁いた。

「なんだかジンさんの妹だけど、可愛らしいですね。雰囲気が柔らかいっていうか」

 似てないと思うのは、誰もが一緒らしい。

 リンは二階の寝室のベッドに腰掛けて、窓の外を眺めていた。

「三ヶ月も旅をして、大変だったでしょう? ここは皆良い人ばっかりだから、しばらく休んでったら良いですよ」

「ええ、大変でした」

 リンは、俯いて暗い表情で言う。

「けど、それ以上に兄と会ってショックでした。あんな人になってるなんて……」

「……口では投げやりなことも言うかもしれないけれど、優しい人ですよ」

 嘘は言っていない、とマリは思う。

 誤解されやすい性格をしているが、ジンが優しいことは偽りではない。

「優しいのはわかってるんです。今だって、家に手紙とお金を送ってくれるし。心配してくれてるのもわかります。けど、私はそれ以上に心配なんです」

 リンは、縋るようにマリの顔を見た。

「このまま一人で旅を続けて、どこかでのたれ死んでしまうのではないかって」

(否定できないなあ)

 マリは思わず心の中でそう呟いた。

 ジンの将来を考えてみると、確かに明るい要素はない。

 まず、女を口説くような性格ではない。結婚する可能性はないだろう。平凡な日常の中に居場所を作れる人でもない。冒険の旅を続けるだろう。今は若くて魔物退治や用心棒ができるものの、歳をとって腕が鈍ればその渦中で死んでしまうだろう。

 いや、むしろ、ジンはそれを望んでいる節がある。だからこそ、マリの呪いを半分請け負うというような真似をやってのけているのだろう。

 妹の分析は的確だと思えた。

「ここでも用事がすんだら、兄はまたきっと旅に出てしまう。また、行方知れずになってしまうんだわ」

 沈んだ表情で、リンは言った。

「師匠は死んだりしませんよ」

 マリは、優しい声で言う。

「弟子の俺が、守ってますから」

 リンは、疑わしげにマリを見た。

「俺が手紙を送っても良い。師匠は今、ここでこんなことをしていますよって」

「……そうして貰えると、ちょっと助かります」

 リンが始めて、笑顔を見せた。

 花のように可愛らしい少女だな、とマリは思う。

 もしもマリが本当に男だったなら、惚れていたかもしれない。

「貴方は兄を師匠と呼んでいますけれど、お弟子さん?」

「ええ、そうですよ。剣術の弟子です。貴女のお兄さんは、俺の恩人だ」

「一人旅じゃないと知って、ちょっと安心しました。兄にも、心許せる人がいるのね……」

「いえ、心許してるかどうかは知らないけれど」

 何せ、マリはジンに妹がいたことすら始めて知ったのだ。

「手紙に、俺のことって一行も書いてないんですか?」

「それがですねえ……」

 リンは苦笑いを顔に浮かべた。

「兄の手紙って、いつも簡潔というか。山賊を倒した、報酬を貰ったから一部送る。魔物を倒した、報酬を貰ったから一部送る。領地を拝領した、領主になったらしい。どうでも良いことなので給料の一部を送る。そんな感じで、危険に顔を突っ込んでいることしかわからないんです。お父さん、いつも困り顔です」

「それは、師匠らしいな」

 思わず笑ってしまったマリだった。

「拝領した領地の名前から、やっといる国を探し当てて、王都へ行って、やっといる町を探し当てて。長い旅でした」

 しみじみと語るリンだった。

 女の一人旅だ。不安もあっただろう。心細い思いもしただろう。それを乗り越えて彼女はやってきた。

「貴女は、兄思いですね。そんな妹さんがいてくれて、弟子の私もうれしいです」

「兄のことを思ってくれるお弟子さんがいて、私も嬉しいです」

 マリとリンは、微笑みあった。

「兄がどんな調子なのか、聞いても良いですか?」

「うーん……」

 自分の口で語ったら、悪口になってしまう可能性をマリは危惧した。さらに、妹さんを怯えさせるような怖い話も口にしなくてはならないかもしれない。

 ならば、町の人々に語らせてみるのが一番か、とマリは思った。


 リンとハクアを追い出して、ジンは部屋でぼんやりとしていた。

 ふと気がつくことがあった。

(あの馬鹿妹、余計なことを周囲に言わねえだろうなあ……)

 そうと気がついてしまうと、とたんに妹のことが気になってしまったジンだった。

 人には周囲に知られたくない過去と言うものもある。それを、ジンは故郷に葬った。

 そのはずの過去が、今、墓穴の下から這い出かねない状況にある。

 自分は間違いを犯してしまったのではないか、とジンは思う。

 妹を無理矢理町から追い出すのが得策だったのではないか、と。

 ジンはハクアを訪ねてみる事にした。

 すると、リンはマリが連れて行ったのだという。

(あの馬鹿弟子、余計な真似をしてないと良いが……)

 不安に思いながらも、ジンは町に出た。

「よう、ジン。お前の妹さん、可愛いな」

 酒飲み仲間が、そんな風に声をかけてくる。

「はあ?」

「照れるなよ。大事にしてやれよ」

 そう言って、彼は去って行く。

 ジンは血の気が引いていくのを感じて居た。

 自分の周囲の世界が、塗り替えられていくような錯覚にジンは陥った。


「わかり辛いが、良い人間なのだと思う。腕は信用が置ける」

 そう語るのはクロウだ。

「あいつの妹さんか。お前の兄は大したものだぞ。僕と引き分けたんだからな。速度、技術、どちらも一級品だ。ちなみに僕は上級剣士の中でも強い部類だ」

 セツナは、誇りに思えとでも言いたげだ。

「懐の広い人だと思うよ~。私が悪さしても、ああそうですかですませてくれたからね。まあ、いい加減なのかもしれないけどね。あ、マリさんまだ怒ってる?」

「まだ怒ってますよ~。リッカさんとは二度とお酒を飲みません」

 マリは微笑んで、リッカにそう答えた。

「頼りになる部下ですよ」

 ハルカゼはそう断言した。

「ジン君に任せればこなせない仕事はないんじゃないかな。そう思って、私は何かあると真っ先にジン君を頼るんです」

 師もそれで困っていますよ、とマリは心の中で呟いた。

「先生の師匠は強いですよ。なんたってうちの先生を倒したんですもん」

 まず、マリの強さを説明できないのだからリコの言葉は根拠がないに等しかった。

「ところで先生、そちらの女性、お綺麗ですね。どんな関係なんですか?」

 そう訊ねたリコの目は笑っていなかった。

「ちょっとぶっきらぼうな人だけど、マリさんを見ていたら信頼の置ける人なのだと言うことがわかります。二人でこの町に定住して欲しいですね」

 シズクはジンと話した回数が少ないので、あまり良くわからないといった感じだった。

「おや、ジン君の妹さんじゃないですか」

 そんな反応を示したのは、イッテツだった。

「覚えてませんか? 私は覚えてるんだけれどな。ジン君について、ですか? 彼は天才ですよ。ついに師である私を越えた。この町で道場でも開けば、盛況するでしょうね。いや、それにしてもお美しくなったものだ」

「ジンさんですか?」

 最後にマリは、ハクアの部屋を訪ねた。

「感情表現が下手だけれど、優しい人ですよね。酒飲み友達も結構いるみたいだし、充実してるんじゃないかなあ。腕は相当立ちますね。クロウでも勝てるか、どうか……」

「なるほど」

 兄に対する評価を聞いて回って、リンは戸惑ったような表情になった。

「冒険してるんですもんね。あの兄が、今じゃこんな剣士だらけの町の中でも強い部類だなんて」

「三指には入る実力者だと思うよ」

 マリが自信を持って言う。

「寂しい生活をしてるのかと思ったけど、結構賑やかな生活をしてるみたいですね。上司もいて、友達もいて、知り合いも多いみたいだし。そういう生き方も、あるのかなあ」

 リンは考え込んでいる。

「けど、歳を取ったらそういうわけにもいきませんよね。皆、若い方ばかりだもの。ねえ、ハクアさん。兄に嫁ぐ気はありませんか?」

 唐突な指名に、ハクアは戸惑う。

「私、ですか?」

「ハクアさんなら、兄も納得してくれると思うんです。兄はああ見えて領地持ちです。腕もあるなら、戦争で死ぬという可能性も少ないでしょう。ハクアさんを不幸にすることはないと思うのですが」

「いえ、不足があるわけではないですが、私もジンさんもまだ結婚は考えていないというか」

「むしろ、ハクアさんじゃないと駄目だと私は思うんです」

 マリもハクアも、リンの言葉に困惑する。

「ハクアさん、兄の恋人だった人にそっくりだから」

「師匠に恋人!?」

 マリの口から、素っ頓狂な声が出てきた。

「恋人がいた、と聞いたことはあります。けど、喧嘩別れでもしたなら、逆に思い出したくない顔なんじゃないでしょうか」

 ハクアが、戸惑うように言う。

 リンは、目を伏せる。

「亡くなりました。だから、兄はハクアさんになら心を許すんじゃないかと思うんです。どうでしょうか。悪い話ではないと思うんですが」

「いや、確かに、悪い話ではないですが……。リンさん、世の中には、結婚を考えてない人もいるんです」

「確かに、今は、仕事、仕事で良いかもしれません。けど、歳を取ってから相手を探すのってきっと大変だと思うんです」

「それもそうなんですが、私は歳をとらないというか」

 そう、何せハクアは不老不死の呪いを身に受けているのだ。

「皆そう信じてるんです。けど、気がつくと歳を取ってるって母が言ってました。私も結婚をせっつかれている身なので」

「じゃあ自分の心配をしろよな」

 苛立たしげに会話に乱入してくる男がいた。

 ジンだ。

 どこかを駆けてきたのか、肩で息をしている。

「あちこちたらい回しにされてやーっと見つけたぜ」

 低い声でジンは言う。

「おい、マリ。こいつ何か余計なことを喋らなかったか」

 マリは小さく肩を震わせ、無言で首を横に振った。

 口では上手く誤魔化せる気がしなかった。

「ハクアさんが、シホさんと似てるって話をしていました」

 リンが、覚悟を決めた表情で言う。

「兄さんも、ハクアさんとなら幸せになれるんじゃないですか。それとも、過去が怖いですか。思い出すのが、怖いですか」

 ジンと、リンの視線が絡み合う。

 そのうち、ジンはリンの顔から目をそらした。

「自分の結婚の心配しやがれ馬鹿野郎」

 そう言って、ジンはリンの首根っこを掴んで引っ張って行った。

「私は兄さんの心配をしてるのよ! 一人で生きてどっかでのたれ死ぬなんて許さないんだから!」

 リンが喚く。

「うるせえ余計なお世話だ。俺はもうお前と他人みたいなもんなの。他人みたいな人生送ったってどうでも良いだろ」

「三ヶ月も遥々旅をしてきた妹にその言い草……酷い」

「ああ、三ヶ月三ヶ月って恩着せがましいな」

「仲が良いんだか、悪いんだか」

 ハクアが、苦笑交じりに言う。

 そしてふと、呟くように言った。

「……そんなに似てるのかな」

 マリには、答えようがない。


「妹が来て俺の生活は滅茶苦茶だよ、めーちゃーくーちゃー」

 酒場で、ジンは顔を真っ赤にしてぼやいている。

 それを眺めながら、マリは半ば呆れていた。

「ちょっと飲むペースが無茶だと思いますが」

「良いんだよ。こんな嫌な時は飲むに限る」

「というか、私ともう飲まないって言ってませんでしたっけ」

「お前が飲まなきゃ良い。俺は飲む」

「それって私、損な役回りですねえ。飲めないし、介抱しなきゃいけないし」

「弟子だろ」

 据わった目でジンが言う。

「まあ、弟子ですが」

「ならそれぐらい我慢しろい」

「あー、もー、わかりましたわかりました」

「まったく周りは妹、妹ばっか言うし」

「ええ」

 マリは苦笑しながら相槌を打つ。

「ハクアがシホに似てるってばらされるし」

 ジンはそう言ってしばし黙り込むと、思い出したかのように酒をあおった。

「お姉さん、おかわりー」

「はーい、良く飲むねえ。吐かないでね」

 苦笑交じりの声が飛んできて、すぐに酒が注ぎ足された。

 荒れているなあ、とマリは思う。

 しかし、仕方もないだろう。友人が元恋人とそっくりなことを暴露されたのだ。今後、その間にはどうやっても気まずさが残るだろう。

「……どんな人だったんですか?」

「ん?」

「恋人さん」

「お前に話す筋合いはない! お前は俺の愚痴を黙って聞いてりゃ良いの」

「……それ、新手の拷問ですか?」

「弟子だろ?」

「まあ、弟子ですが」

(愚痴を話してくれる程度には心を許してくれてるってことかなあ)

 喜べば良いのか、虚しく感じれば良いのか、マリにはわからない。

 そもそも、ジンがマリに酒の席で愚痴を零すのも珍しいことだった。

 再び、沈黙が場を包む。

 ジンはテーブルに突っ伏したまま動かない。

 しかし、そのうち思い出したようにまた酒をあおるのだろう。

「大体なんなのあいつ。なんで三ヶ月もかけて俺に会いに来てんの」

「心配なんでしょ」

「もう何年も会ってない兄貴だろ。普通どうでも良くなるよ」

「慕ってるんでしょ」

「それが俺には重たいの、ったく」

 ジンは体を起こして、再び酒を勢い良く飲んだ。

 そして、またテーブルに突っ伏した。

「……あんなことがなければ、全部上手く回っていたのかもしれん。俺も里で良い兄貴をやってたのかもなあ」

「あんなことって、どんなことですか」

「お前に説明する筋合いはない!」

「なら、言わないでくださいよね」

 マリは、呆れるしかない。

 そのうち、ジンが反応しなくなった。

 酔い潰れたのだろう。

 やれやれ、と思いながらマリは溜息を吐いた。

 そして、ジンを抱えて店を出た。

「いるんでしょ?」

 闇夜にマリは声をかける。

 しばらくすると、諦めたように足音が近付いてきた。

 リンだった。

「お兄さんが心配なのはわかるけど、ちょっとやりすぎだったね」

「……私は、兄に幸せになってほしいんです。富豪になんてならなくても、領主になんてならなくても良い。人並みに、幸せな人生を歩んで欲しい」

「けど、この人は捻くれてるからな。そうもいかないのかもしれない」

「なら、私は兄をずっと心配しなくてはならない。それこそ、拷問です」

「……そうだね。身内って言うのは、簡単に忘れられるものじゃないから。一緒に、お兄さんを運んで行こうか。家にも送るよ、夜道は危ないし。最近まで通り魔騒動とかあったんだぜ、ここ」

 リンは肩を震わせた。

「ありがとうございます」

「マリい」

 ジンがマリの背中で喚く。

「はいはい」

 マリは苦笑する。

「どうしたんですか?」

「呼んだだけだ」

「はい」

 リンが驚いた表情をしている。

「兄が人にここまで心を許すの、あれ以来始めてみました」

「心、許されてるのかなあ。お兄さんの昔の話、俺は一回も聞いたことがないよ。恋人がいたって言うのも、さっき知って吃驚した。女に興味のない人だと思ってたから、さ」

「兄だって、健康な男です。女性に興味ぐらいあります」

 何故か、拗ねたようにリンが言う。

「そうなのかなあ」

(なら、長年一緒にいて貧相だ貧相だ言われてる私って本当に女性的魅力が皆無なのかなあ……)

 思わず悩んでしまったマリだった。

(ま、こっちも師匠に異性的な興味を持ってないからお互い様か)

「それに、心許してない相手に愚痴なんて吐きませんよ」

「俺は、心閉ざされたまんまだと思ってるけどな。さっきだって、肝心な話は全然喋らない。壁に話してるようなもんだよ」

「それでも、付き合ってくださるんですね」

「師匠のこと、嫌いじゃないからね」

「……マリさんが女性だったら良かったのに」

 リンがしみじみと言う。

 マリは小さく肩を震わせた。

「女性だったら、兄と結婚することも考えたんじゃないですか?」

「向こうが嫌がるよ」

 マリは苦笑して返すしかない。

「そうだー。こんな女俺からお断りだー」

 ジンが、唐突に大声を上げた。そして、すぐにまた寝入った。

「はい、はい」

 マリは苦笑するしかない。

「どうして、そんなにお兄さんに拘るんだい?」

 マリは、思わず訪ねていた。

「女の一人旅で三ヶ月。お父さん達だって、許してはくれないよね。無理をして、出てきたんじゃないかな」

 リンは黙り込む。図星だったようだ。

 マリは空を仰ぐ。

 神々が宝石箱をひっくり返したような星空が輝いていた。

「私の幸せの形って、兄から学んだものなんです」

 リンが、呟くように言った。

「兄とシホさんの関係を見て、ずっと良いなと思っていた。私も、そんな相手を探そうと思っていた。嫉妬する私に、お前も必ず幸せになれるからって、兄は何度も言ってくれました」

 リンは、少し照れ臭げな表情だった。

 その表情に、影が差す。

「その兄が、今は住所不定の冒険家。一人で生きて一人で死ぬと言っている。全然、幸せに見えない。自分を追い込んでるみたい」

 リンの言葉を、マリは否定できない。

 ジンは実際、自分自身を追い込んでいる。

「悲しいじゃないですか。そんなの。幸せだった人には、ずっと幸せであってほしいじゃないですか。仕事を頑張るのが幸せだって言う人がいる。強くなるのが幸せだって言う人もいる。けれど、私が兄から教えてもらった幸せの形って、そうじゃない」

「そっか。長いこと一緒に育ったんだものね。そりゃ、影響も出るよね」

 マリだって、師に幸せになってほしいという気持ちがないわけではない。

 ただ、より近くでジンを見てきたマリには、ジンがもう取り返しのつかない状況にあることが見えている。

 ジンは頑なで、自分の気持ちを変えようとしないように見える。

 しかしふと、マリの脳裏に蘇る記憶があった。

「頑固かと思ってたけど、そうでも、ないのかもしれない」

 急に呟いたマリに、リンは戸惑うような表情になる。

「一度だけ、ね。師匠はこう言ってくれたことがあるんだ。一緒に領地で農耕しないかって」

「……兄が、ですか?」

「腰を落ち着けることを考える余裕も出てきたってことじゃないかな」

 リンは、考え込む表情になる。

「きっとね、お兄さんは今、何かから逃げてるんだ。それをすることしか余裕が無くて、必死に走ってたんだ。けど、時間が経って余裕が出てきた。最後には、また元に戻るかもしれない。貴女の優しいお兄さんに」

「……お兄さんじゃなくて、おじさんになってなければ良いんですけどね」

「それは、保証できないけどね」

 マリは苦笑するしかない。

「もうちょっと、待ってあげても良いんじゃないかな」

「私は、十分待ったつもりです」

「人生は長いから、きっとそのうち何かあるよ」

「……マリさんが、責任取ってくださるんですか?」

 リンは、真剣な表情だった。

「ずっと、兄といてくださるんですか?」

 マリは、少し考え込んだ。

 ジンと一緒に町を作ろうと話した時、それは凄く楽しそうだと思わなかったか。

 しかしあれは、師の、一時の気の迷いだ。

「向こうが嫌がるよ」

 マリは、そう言って苦笑した。

 リンは、納得していないような表情だった。


「これって運命だよね」

 シホは、よくそんな言葉を口にした。

 彼女は、幼い頃に両親を亡くしていた。

 それを引き取ったのが、ジンの両親だった。

「こんなに傍に生まれて、ひとつ屋根の下で育って。これって運命だよ」

 シホがそう言う度に、なんだか胸が弾んだのを覚えている。

 親から魔術の勉強を受ける時間を除けば、ジンはシホと妹を連れて、よく近所の花畑で遊んだ。

 当たり前のようにジンとシホは大きくなり、当たり前のように恋人になった。

 問題と言えば、ジンがいつまでも魔術を扱えなかったことだ。

「貴方が使えない分、私が使えれば十分でしょう?」

 そう豪語するだけあって、シホの才は確かなものだった。

 手足が伸びきる頃には、ジンの両親の魔力を上回っていたほどだ。

 山奥の農村での平和な日々。

 恋人がいて、妹がいて、優しい両親がいる。

 そんな幸せの中で、ジンの少年期は過ぎて行った。


 嫌な夢を見て、目が覚めた。

(だから里の連中と会うのは嫌なんだ。余計なことを思い出す)

 そんなことを考えながら部屋を出た。

 どうやら昨日、飲みすぎたらしい。足取りがおぼつかなくて、頭の中に鈍痛があった。

 よろけたジンを、支える影があった。

 ハクアだった。

 ジンは自然に、ハクアから視線をそらしていた。

「大丈夫ですか?」

「ああ、ちょっと飲みすぎた」

「ジンさんは最近酒量が増えたんじゃありません? 体に良くないですよ」

「ああ、気をつけるよ」

 ジンはそう言って、ハクアの横を通り過ぎていく。

「あのー」

 ハクアが、気まずげに声をかける。

「私ってそんなに、似てます?」

「その話は、したくない」

 妹のせいで、小隊の仲間との間が気まずくなる。

 最悪だった。

 どうにかして妹をこの町から追い出さなければならない。

 そうすれば、今の気まずい思いもそのうち風化していくだろう。

 ジンはそう考えて、妹の仮住まいへと向った。

 妹は既に起きていて、部屋の掃除をしていた。

「住み着くつもりじゃねーだろうな」

「このまま帰っても、お父さんになんて報告して良いかわからないんだもん。やさぐれてた、なんて言いたくないでしょ」

「この町の連中に話を聞いて回ったなら、俺の剣の腕は知っただろう」

「剣が強いからって何? そんなのなんの意味もないじゃない。馬鹿みたい」

「名誉はある」

「名誉があろうとお金があろうと、幸せであるかとは関係がないよね」

 ジンは黙り込む。上手い返しが思いつかなかったのだ。

 口から出てきたのは、嫌味だった。

「お前は、俺の横にシホがいないと納得できないんだろうな。結局、一番過去に拘ってるのはお前なんだよ」

「ううん。過去から逃げてるのは兄さんよ」

 逃げている。その一言が、胸に突き刺さった。

 里を出た。数々の危険に身を晒してきた。死に場所を求めるかのように。

「なら、ハクアさんに過去の話をしてみて」

 唐突な一言に、ジンは戸惑う。

「何の意味があるんだよ」

「兄さん、過去の話をするのはずっと避けてたってマリさんが言ってた」

「過去の話をしたぐらいで何かが変わりゃしないよ」

「ハクアさんに、ハクアさんとシホさんは別人だって説明もしなくちゃいけないんじゃないの?」

「それは……お前のせいだろ」

「それじゃあ、私は兄さんが過去と向かい合えたら帰るわ。ハクアさんに、過去の話をきちんと説明できたら、帰ってあげる」

「なんでよりによってシホに似てるハクアにシホの話をせにゃならんのだ……」

「シホさんに似てるから、良いんだと思う。ねえ、兄さん」

 リンは、大きな瞳で、じっとジンを見た。真剣な眼差しだった。

「過去から逃げるのは、もうやめて。口に出して、少しでも整理して。そうしたらきっとわかるわ。自分がムキになってるって」

 ジンは、反論できなかった。

 屁理屈が思いつかなかったわけではない。ただ、リンの真剣な瞳に押されて、何も言えなくなってしまったのだ。

 結局、最後に口から出てきたのは嫌味だった。

「……いきなりハクアの部屋を訪ねていって昔の恋人の話をし始めるのかよ。どんな変人だ、俺は」

「ハクアさんには、もう話し通したから」

「は?」

 ジンは、唖然とするしかない。

「マリさんにも手伝ってもらって、お願いしたから。あとは、兄さんの意思だけよ」

「俺の意思っていうかそれ、もう強制なんじゃないかね」

 どの道ハクアには、シホの件を説明しておかねば気まずいままだろう。その状況は、避けたかった。

(つか、あの馬鹿弟子は妹に加担して何やらかしてくれてるんだよ……)

 思わず歯噛みしたジンだった。

「話せば、帰るんだな」

「しっかりと話したら、帰る。私、扉の外で聞いてるから」

「……どんな拷問だよ」

 溜息を吐きたくなったジンだった。


 ハクアの部屋のベッドに座り、ジンは椅子に座ったハクアと向かい合っていた。

 ハクアは楽しげな表情だ。

「今日は、ジンさんの貴重な過去の話や恋バナを聞けると聞いて、楽しみにしてました」

「あー……俺はうんざりしてるよ。誰にも話して来なかったのに」

「話したほうが楽になることもあるし、整理できることもあります。私達は少なくともそう思いましたけど」

「整理、ねえ。整理、することなんざないように思うがね。ただ事実として過去に起こったことがあるだけで、それを反芻することに意味なんざねえ」

「反芻するの、避けてるのではありませんか?」

 ハクアは、優しく微笑んで言う。

 その顔が、シホとだぶって見えた。

 ジンは、観念して項垂れた。

「これって運命だよねって、よく口にする女だったよ」

 ジンは、そう言って語り始めた。

「明るい女だった。魔術の才もあった。優しい奴でもあった。ただ、押し付けがましいところはあった」

 ハクアは黙って、それを聞いている。

「それを差し引いても、俺はあいつが好きだった。あいつ以外は考えられないって、自然にそう思ってた」

「私って、そんなに似てるんですか?」

 ハクアはそれが気になって仕方がないらしい。

 ジンは顔を上げて、苦笑した。

「生き写しだ。仕草とか口調で、別物だってわかるがな。黙って立ってりゃ見分けつかねえよ」

「そう言われるのも、変な気持ちですね。くすぐったいような気持ちです。魔術の才ということは、そういった集団の中で産まれたんでしょうか?」

「ああ、そうだ。統一王の魔術狩りから逃れた人々が作った集落だったんだろうな。小さな村だったよ。俺達はそこで産まれ、そこで育った。物心ついた頃には、あいつの両親はいなかった。だから、俺の家で一緒に育った。それを運命だと、あいつは繰り返し繰り返し俺に言った」

 そこまで言って、ジンは言葉を区切った。

「まあ、洗脳だな。初心だった俺はまんまと奴に洗脳を受けたわけだ」

「ジンさんらしいけど、酷い言い草ですね」

 ハクアは苦笑いを浮かべる。

 ジンは語る。シホの人柄を。シホとの生活を。穏やかな集落の日々を。妹やシホと駆け回った花畑の話を。

「その頃俺は魔術が使えなくってな。十代になっても、十代半ばになっても、使えなかった。妹は楽々使えたし、シホは天才と呼ばれるレベルの能力を持っていたのにな。拗ねて、ちょっと遠くにある町に住み込んで剣術道場に通ったりもした」

「シホさんを守りたかったんじゃありません?」

「あー……そうだな。そうかもねー。だってみっともないだろ。君が使えない分私が使えるから大丈夫よ、なんてさ。それなら、俺は剣の腕が優れてなけりゃ、釣り合いが取れてない。まあ、それが間違いだったわけだ」

 ジンは久々に、あの光景を思い出した。

 路地裏に充満する焦げ臭い匂い。黒く焦げた遺体の数々。

 それは、無意識のうちに頭の奥底に封印した記憶のはずだった。

 封印のタガが、崩れようとしていた。

「ある日、シホが俺を訪ねて町にやってきた。俺は有頂天になって、シホに町を案内した。ちょっとした都会人気取りだった。シホは寂しそうだったよ。たまにしか帰ってこないから、寂しいって言ってた。けど、魔術を使えない俺は悔しくって、素直に帰るとも言えなかったんだ」

 ジンは、自分の語尾が小さく震えたことに気がついた。

 その理由に、ジン自身気がつかなかった。

「男の子してたんですねえ、ジンさんも」

 ハクアは微笑ましげに言う。

 しかし、ジンは構わず、熱に浮かされたように言葉を続けた。

「夕方、だった」

 ジンは、言葉に詰まる。

 そこから先は、親に一度話したきりだった。

「シホが、さらわれた」

 ハクアが、黙り込む。

 沈黙が、部屋に漂った。

「変な連中だった。ローブを着て、フードで顔を隠していてな。狙いは最初からシホだったんだと思う。魔術を持っている子供を誘拐して売り払いたかったのか、それともシホの外見が気に入られたのか、今となっちゃわかんない。まあ、美人だからな、お前ら」

「ありがとうございます」

 ハクアは苦笑して、頭を下げる。

 けれども、それは作り笑顔である事が容易にわかった。

「俺は、後頭部を殴られて倒れてた。あれは……今思えば魔術封じの腕輪だったな。当時はわからなかったけど、腕輪をされて連れて行かれるシホの悲鳴が響いていた。俺は、シホを助けなきゃって思った。だから、体中から魔力を振り絞ったんだ」

 沈黙が、部屋を包んだ。

 風が吹いて、白いカーテンが舞った。

「生まれて始めて俺は魔力を使った。数人が焼け焦げたよ。奴らは俺を危険因子だと認識したらしい。俺に向かって剣を振り下ろした。俺は目を瞑ったけど、中々死はやって来なかった」

 ジンは、その時の光景を思い出す。

 まず、目に入ったのは、シホの微笑顔だった。

「俺を庇って、シホが斬られてた。シホは俺を見てほっとしたような表情になって、倒れて、動かなくなった。血がどんどん地面に広がっていったよ。気がついたら、周囲は焼け焦げて、俺一人が残っていた」

 魔術の暴走。

 全身の魔力と集中力を代償にして産んだ炎が、全てを焼き尽くしていた。

「俺のせいで、シホは死んだんだ」

 話し終えて、ジンは溜息を吐いた。

 これがなんだというのだ、とジンは思う。

 そんな過去を繰り返し語ったところで、ジンにはなんの影響もない。

「まあ、話を聞いててわかったと思うけど、シホとハクアは全然違うよ。シホはもっと押し付けがましくて人懐っこくて悪く言えば厚かましかった。ハクアはもっと気が強くて、気高い感じだろう? 外見は似てても、全然違うから、俺がハクアにシホを重ねることはないし、それで変な目で見ることもないし」

 ハクアは悲しげな顔をしてジンの顔を見ていた。

 ジンは戸惑い、自分の顔に手を触れる。

 涙が流れていた。

 自分が泣いているのだと気がつくと、涙は次から次へと流れてきた。

 もう、枯れたと思っていた涙だった。

 ジンは、慌てて涙を拭う。

「くそ、どうしてこんなんになってんだ? 俺は……。おかしいぞ。昔の話をしただけで」

 ジンは戸惑い、涙を拭い、自分の目に手を当てる。それでも、涙は止まらない。

「……まあ、俺は好きな人も守れなかったってわけだ」

 自嘲するように、ジンは笑った。

 暖かい感触が、肩にあった。

 ハクアの手が、ジンの肩に触れていた。そしてハクアは、優しくジンを抱きしめた。

「ジン。辛い時にするべきことは、故郷に背を向けることでも、死地に自分を追い込むことでもないんだよ」

 ハクアが優しくジンの背を撫でる。

 まるで押し出されたように、なおさらジンの瞳からは涙が零れた。

「誰かに、辛かったよって話すこと。それを、ずっと我慢していたんだね」

「くそ、なんでこんな……」

 みっともない姿だ、とジンは思う。

 しかし、涙を拭っても、次から涙が溢れてくるのだ。

「私がシホさんだったら、自分の為に苦しむジンなんて見たくないと思う」

 ジンの心に、その言葉は抵抗なく落ちて言った。

 捻くれたフィルターが、その時ばかりは消えてしまったようだった。

「もう、立ち止まって良いんだよ。ジンは、十分走ってきたじゃない」

 それはまるで、シホの台詞のようだった。

 ジンはしばらく、抱きしめられたまま、動けなかった。

 泣き顔を見られるのが嫌だったし、何より、ハクアの温もりが心地良かったからだ。


「まあ、私はこうやって慰めてあげれますけれど」

 粗方泣き終えて、気まずげな表情になったジンに、ハクアは悪戯っぽく笑ってこう切り出した。

 二人はベッドに隣り合って座っている。

「ジンさんの恋人にはなってあげれませんね。顔そっくりって、比較されそうだし。昔の恋人の影を追われそうでねー」

「恋人は募集してないから余計な気を回さんでいい」

 ジンは苦い顔で返す。

「お嫌じゃないですか?」

「何がだよ」

「シホさんと似た顔の私が、周囲をうろつくの」

「嫌って言ったら国に帰るのか?」

 ジンは意地悪い問いをする。

「いいえ。ジンさんとチームを分ける気もないですね。今のチームが一番聖なる泉に近いんですから」

「なら、聞くなよな」

 ジンは苦笑するしかない。

 ハクアは、じっとジンを見つめていた。

 真剣な表情で、見つめていた。

 ジンは観念して、正直に答えた。

「親父辺りが見たら、泣いて喜ぶんじゃねえかな。俺も嬉しいよ。あいつに似てるお前が元気に飛び跳ねてて」

 ハクアは納得したらしく、視線を自分の膝に移した。

「皮肉なものですね。死んじゃいけない人が死んじゃって、そうじゃない私は不老不死だなんて」

「……お前は、元気にしてれば良いよ」

 ジンは、立ち上がった。部屋の扉に向って数歩進み、そして一度だけ立ち止まる。

「誰にも言うなよな」

「どっちをですか?」

 ハクアは悪戯っぽく笑っているのだろう。

 みっともなく泣いた話と、過去の恋人の話と、どちらを口止めしたいのかと彼女は訊ねている。

「両方だ」

 ジンは、溜息混じりに言った。

 そして、こう言葉を続けた。

「すまん」

「仲間じゃないですか。また泣きたくなったら抱きしめてあげますよ」

「この件ではもう二度と頼らん。今回のは、気の迷いだ」

 ジンは苦い顔で言って、部屋を出た。

 部屋を出ると、リンが泣き顔でドアの前に立っていた。

「どうしてお前が泣くんだよ」

「……泣いてないよ」

「目の下真っ赤」

「ちょっと、シホさんのこと、思い出してただけ」

「そうか」

 リンにとっても、シホは姉のような存在だった。

 近しい存在だったのだ。

「お前、帰れよ。約束だからな」

「……兄さんは手紙、もうちょっと丁寧に書いてよ」

「……弟子に代筆でもさせるかね」

「うん、それが良い。あの人のほうが、よっぽど丁寧に書きそう」

「うんざりするほど丁寧に書くと思うぞ。あいつ、そういうのマメだから」

「楽しみにしてるよ」

 リンはそう言って、寂しげに微笑む。

「結局、私は兄さんのことを変えてあげれなかった。無力な妹です」

「本当、余計なことしかしないよ、お前は」

 ジンは投げやりに言う。

「……けど、私は諦めないから」

 リンはジンに背を向ける。

「じゃ」

 リンが歩いて行く。

 その背中に、ジンは声をかけた。

「今は、帰るつもりはない」

 リンが、足を止める。

「まだ、俺がいないといけない件がある。魔術絡みで、一個問題を抱えてるんだ」

「……そう」

 リンは、振り返らずに、寂しげに言う。

「けど、全部終わったら、一回顔出しに行くよ。親父の顔も、久しく見てないし」

 いかに自分が、シホのことで親に負い目を抱えていたかをジンは自覚した。

 ジンはずっと駆けていた。故郷から、シホの死から逃げていた。危険に身を投じて、自分を苛め、全てから遠ざかって死のうとしていた。

 けれども、ハクアの言う通り、シホはそれを望んでなどいないだろう。

 今ならば、ありのままの自分で故郷と向き合って、受け止めることが出来る気がした。

 リンは振り返った。

 大きな瞳を細めて、微笑んでいた。

「その一言が、お父さんへの何よりのお土産だよ。待ってるからね、お兄ちゃん。絶対にお弟子さん連れて、帰ってきてね」

「おう。まあ何年かかるかわからんが、気長に待ってろ」

「手紙は頂戴ね」

「わかったわかった。マリに書かせる。さっさと行け。見送りしてやるし、護衛もつけてやるから」

「うん。あの花畑で、待ってる」

 リンはそう言って、去って行った。

「んで、いるんだろ」

 ジンは、背後に向って話しかけた。

 何故か一つだけ開いている窓から、マリが顔を覗かせた。

「やっぱり師匠には敵いませんね」

 ジンは思わず、頭を抑えた。あのやり取りを盗み聞きされていたかと思うと、気が重かった。

「あー、なんだかなあ。なんであんな情けない所を見せなきゃいかんのだ」

「情けなくなんかないですよ。師匠は強がりだから」

「その私は理解してますって感じの態度やめてくんないかな。ああ、今日も酒飲むわ、俺」

「妹さんの見送りに差し支えますよう」

「朝起こしてくれ、頼むわ」

「はいはい、妹さんにお願いされましたからね。兄のことをくれぐれもお願いしますって」

「なあ、お前、気付いてるか?」

「何をですか?」

「あいつ、お前が女だって、とっくの昔に気付いてるぞ」

 昔からリンは、勘の鋭い女だった。

 だからジンも、薄々マリのことはばれるのではないかと思っていたのだ。

 酒に酔い潰れてマリに担がれて帰った夜、二人の会話を盗み聞きしていたが、その時点で怪しいと思っていたジンだった。

「はっ!?」

「だからわざわざお前連れて里帰りしろっつったりくれぐれもお願いしますっつってるんだよ。だからお前に責任取れって迫ったりしたんだよ」

「いや、考えすぎでしょ」

「じゃあなんでお前同伴で里帰りなんぞしなくちゃならんのだ」

「……確かに、親子水入らずにわざわざ連れて来いっておかしな話ですが」

「ついて来るか? 俺の故郷」

「興味はあります。嫁が来たって騒がれたら困りますが」

「そんなの俺も困るわ」

 ジンは苦笑するしかない。

「まあ、先の話しだな」

 ジンは言う。

「遠い遠い、先の話しだ。けど、投げやりにやってた時よりは、目標が出来た分、幾分か良い」

 マリが顔を覗かせている窓から、風が吹いた。

 心を洗ってくれるかのような、爽やかな風だった。

 自分を責めながら生きるのはもうやめよう、とジンは思った。

 そして、せめてその前に、この目の前にいる少女を救おうと思った。

 シホは救えなかった自分だが、マリを救えれば何かが変わる気がした。


「ジン。ねえ、ジン」

「そのジン呼びやめてくんないかな。さん付けしろよこの野郎」

「野郎じゃないですよ。良いじゃないですか。ジンって良い響きで。この外見のせいでお忘れかもしれませんが、私とジンは大体同い年なんですよ?」

 あれ以来、ハクアが少し馴れ馴れしくなった。そして、マリは少し優しくなった。その、私達は理解していますよといった顔がジンには気恥ずかしくてならない。

「剣の修行に付き合ってくださいませんか。ジンなら良い練習相手になりそうです」

「あー……お前には借りもあるしな、良いぜ」

「運動したらその後は飲みにでも行きましょうか」

「悪いが、女と飲むのは当分やめることにしてるんだ」

 ハクアは滑稽そうに笑う。

「そんな。私とジンが飲んで何が起こるって言うんですか。それとも、誰かと何か起こったことがあるんですか?」

「ねえよ」

 流石に、マリとのこの前の事件を語る気にはなれないジンだった。

「つーかお前、クロウの監視はどうなってんの?」

「最近、緩くなったんですよね。ジンやマリさんがいるから大丈夫だ、と考えているようです。まあ、流石に酒の席にはついてくるのでしょうが」

「へー、あいつの頭も流石に鉄では出来ていなかったわけか」

「さ、行きますよ、ジン。今日は中々帰しませんから」

(そう、気を使われても困るんだけれどなあ)

 ジンはぼやきたくなる。

 そしてふと、全ての元凶である妹のことを思った。今頃、王都に辿り着いている頃だろう。


 王都の人ごみの中を、リンは歩いている。

 自分の国へ向う馬車の手配をしなければならなかった。

 重い荷物を抱えながら、なんとか人ごみの中を歩いて行く。

 護衛が前を進んで道を作ってくれるので、幾分か楽ではあった。

 そもそも、魔術師であるリンに護衛など無用の長物ではあるのだが。

(なんだかんだで、心配性よね、兄さんは)

 そういう点は変わっていない。それが、リンには少し嬉しい。

「もし、そこのお嬢さん」

 話しかけられて、リンは立ち止まった。

 いつの間にか、隣に女性が立っていた。こんな夏だというのに、フードを目深に被った女性だ。

 どこかで聞いたことがある声だ、とリンは思う。

「貴女は魔術の素養があるようだ」

 リンは警戒する。魔術師というだけで、嫌悪するような人間や、悪意を持つ人間が、世の中には存在するのだ。

 女性は言い訳をするように、言葉を続ける。

「いえ、私は悪意を持って貴女に近付いたわけじゃない。ただ、自分が持っていても無用だと思う品を、貴女に役立てて欲しいのです」

 そう言って、女性は数冊の古びた本をリンに差し出した。

「魔術書です。貴女の里なら、有効に使えるでしょう」

「……どうして私が、そういう里の出身だと?」

「匂いでわかります。魔術師のことはね」

 なんだか適当な言い分だな、とマリは思う。

 彼女が差し出した本を見ても、悪い気配は感じない。

 とりあえず、リンは本を受け取っておくことにした。

「ありがとうございます。お返しも出来ませんが」

「お構いなく。お父さんと、お母さんを大事にしてあげてくださいね」

「はあ……」

 戸惑いながらも、リンはその女性が歩き去っていくのをしばらく眺めていた。

 そして、ふと気がつくのだ。

 今の声は、シホの声と似ていなかったか、と。

 女性は既に人ごみの中に消えて、見えなくなっていた。

次回

祭りの日

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