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解散騒動

結婚騒動の予定でしたが、解散騒動をお送りします。

最終回ではございません。

「ああ、貴方は、町長さんの時の」

 サクマ領剣士隊の宿舎を出る時に、声をかけられて、右腕に包帯を巻いたジンは小さく肩を振るわせた。

 声のした方向に顔を向けると、シズクが両手に野菜を抱えて立っているのが見えた。

「あの時はお世話になりました」

 シズクが、苦笑交じりの表情で頭を下げる。

「いえ、こちらこそお力になれず」

 ジンも、つられて頭を下げた。

「マリさんは元気かしら。調子が悪くなって部屋から出られないということなので、図々しいかなと思いながらも見舞いにやって来たのです」

「ああ、マリは前回遺跡に入った時からちょっと調子が悪くて、部屋から出られないのですよ」

 シズクは、穏やかに微笑んだ。

「それなら、私の神術で様子を見ましょう。マリさんにはお世話になったから、良い機会です」

「いや、それが、あいつ遺跡で変な水を飲んで錯乱状態に陥りましてね。今は、誰も近づかないほうが良い」

「まあ、錯乱状態」

 シズクが青ざめた。

「ええ。下手をすれば襲われます……いたっ」

 ジンは隣に立っている女性に足を踏まれて、思わず声を上げた。

 シズクの視線が、興味深げに女性に向けられる。

「それは、大変な状況なのですね……」

「また調子が戻ったら見舞ってやってください。あいつもシズクさんと会いたいと思いますし」

「……そうですね。無理にお邪魔しても迷惑でしょう。残念です。ところで、隣の女性は?」

 ジンは、その言葉で隣に立っている女性に目を向けた。

 町娘といった感じの格好をした女性だ。長い髪を頭の上でまとめて、眼鏡をかけている。人の目を引く大きな胸をしていた。

「どことなく、マリさんと似ているように思うのですが……」

 シズクが、興味深げに女性の様子を窺っている。

 沈黙が周囲に漂った。

 女性が、意を決したように口を開く。

「マリの妹のエリィと言います。姉……兄の非常事態ということで、この町にやってきた次第です」

「まあ、マリさんの妹さん。似ているわけですね。マリさんも、女性のように綺麗な顔立ちをしているから。このお野菜、マリさんに見舞いの品として預かってもらっても良いかしら」

「兄も喜ぶと思います」

 女性が微笑んで野菜を受け取る。

「早く、良くなるといいですね」

 シズクは心配げな表情で去って行った。

 後には、ジンと女性だけが残される。

 女性の顔に張り付いていた笑顔が、仮面だったかのように消えた。

「襲われるってなんですか襲われるって」

 女性が恨めしげに言う。

「仕方ないだろ。追っ払うには身の危険を感じさせるのが一番だ」

「もっと言いようがあるじゃないですか。あれじゃあ私は不審者ですよ」

「相手は神術師だぞ。体調が悪いなんて言ったら追い返すどころか食いついてくるだろう」

 神術は傷の治癒や病の軟化に使われる術だ。恩人の体調が悪いとなれば、シズクは無理を言っても部屋に入ろうとするだろう。

「それもそうですが……」

「そんな体になったお前が悪い」

「不可抗力ですよう。私も好きでこうなったわけじゃないし」

 この女性は、エリィなどではない。ただの男装をやめたマリである。

 いや、正確に言うならば、遺跡の水を飲んだために胸が大きくなり、男装をすることが不可能になってしまったマリだった。


 ソウフウ隊詰め所の隊長室に、ジンとマリはやってきていた。

 隊長のサキリは、胡散臭げな表情でマリを眺めている。

「男性のふりをして下級剣士の位を頂いていたとは、問題になるのではないかな」

 サキリは酷く面倒臭げだ。

「その……リッカさんも、女性で上級剣士の位を頂いてるじゃないですか」

 視線を伏せたまま、マリは恐る恐る言い返す。

 マリはまだ、サキリのことが苦手なのだろう。

「リッカさんは代々続く剣士の家系の跡取りです。貴女のやったことは王家を謀ったに等しい。まるでケースが違う」

「なんとか、男性ってことで話を進めてくれませんかね」

 ジンが物憂い気持ちを抱えながら言う。下手をすれば、この一件は面倒事に発展する可能性もあった。

 サキリはしばらく考え込んでいたが、そのうち溜息を吐いた。

「その件は検討しておきましょう。水に関しては大体の調査が終わり、大体貴女と同じ結果が出ました。王宮ではちょっとした騒ぎですな」

「はあ」

「正直、ちょっとした宝物を持ち帰った時より反響が良い」

 王族というのも、くだらぬことで騒ぐのだなあとジンは他人事のように思った。

「で、だ。問題はここからだ。貴女がその格好で宿舎をうろついていれば、隠蔽のしようもなくなる。不用意なことをされては私も困るわけだ」

 サキリは淡々と言葉を紡ぐ。

「まあ、そうでしょうね」

 ジンも、淡々と返事をする。

 マリだけは俯いて黙り込んでいた。

「しばらくは町のどこかに拠点を持って生活して欲しい」

「その……遺跡に入ったりとか、できませんよね」

 恐る恐るマリが言う。

「当然です」

 サキリの声は、少し大きかった。

「男性だけど胸が大きくなったと言い張ることは不可能ですか?」

 ジンの問いに、サキリは言葉に詰まったようだった。

「……あの水、男性にも……その、別の効果がありましてね。それでまた、王宮じゃ大騒ぎなわけですが……」

 サキリは、言葉を選ぶように、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「まあ、不祥事は起こさぬことです」

 余計なお世話だ、とジンは心の中だけで呟いた。

 二人はソウフウ隊の詰め所を後にした。真夏の日差しが二人を照らす。

 マリが地面を蹴って、長いスカートが翻った。

「ってことはなんですか!? 私達はそんなくだらん水のために命をかけて遺跡に潜ったってわけですか?」

 この世の全てに怒っているような声だった。

「それだけじゃないぞ。そんなくだらん水のために先生やセツナさんと命がけの戦いを繰り広げたわけだ」

 ジンも馬鹿らしく思いながらも言う。

 沈黙が場に流れた。

「……神とか、そんな水をあんな大層に残しといた旧王家とか全部呪いたい……」

 地の底から這い出てきたような声でマリが言う。

「珍しく気があうな。神でも呪ってみるか。俺不神論者だけどな」

「しばらく暇になりそうですしね。儀式の用意ぐらいやってみせますよ」

 今のこいつなら本当にやりかねないな、とジンはつい思ってしまう。

 マリは肩を怒らせながら歩いて行く。そして、ふと気がついたように足を止めた。

「遺跡に入れなくなったら、私はどうなってしまうんでしょう」

 呪いを解くことはマリの生きる目標だ。中でも彼女は、ジンを呪いから解放することをに全てを捧げているような節がある。それを叶える聖なる泉は、遺跡に眠っている可能性が高い。

 こんな時に優しい言葉をかけられるのが理想の師なのだろう、とジンは思う。

「まあ、俺が適当にやっとくからお前は適当に生活してれば? 変わりも適当に見つけるし」

 投げやりな言葉しか出てこないのがジンなのだった。

「私の穴を埋めるなんて大変じゃないですか」

 恨めしげにマリが言う。

「いや、結構腕の立ちそうなのがサクマ領にもいてな。前から声かけてたんだ」

「準備万端ですね……」

 マリは深々と溜息を吐いた。

「欠員が出るのを想定しとくもんだろ。人は死ぬからな。まあハクアは別だが」

 ジンの言葉は、いつも通り投げやりだった。

「ところでお前、明後日の飲み会どうすんの?」

 その言葉で、マリは我に返ったような表情になる。

 明後日は、リッカも含めた飲み会を開くことを企画していたのだ。

 他領の上級剣士であるリッカと、席を共にする機会は滅多にない。

「師匠、遺跡に篭って胸を小さくする水捜してきてくださいよ!」

 無茶なことを言うものだ。ジンは溜息を吐いた。

「当番制だから入れないし、そんな水メリットあんのか? 作ってあるかね」

「ああ、もう、男ときたら胸、胸、胸ですね。男装してあの胸で歩いてたら、知り合いの半数が胸揉ませろよ~男同士だから良いだろ~とか迫ってきましたよ。胸か、結局胸か! お前ら男は胸の奴隷か!」

「俺が一度でもお前の胸に興味を持ったかよ」

 面倒臭くなってきたジンだった。


 マリの宿所は、町長の家となった。

 シズクが用意してくれたのだ。

 埃一つないのは、今でもシズクが掃除をしているからなのだろう。その心中は、わからない。

 マリは暇なので、町の中を歩いてみることにした。

 途中、何度か声をかけられた。

「貴女、マリさんに似てるわね?」

「もしかして、マリさん? 女装してるの? 似合うね~」

 それは、髪形を変えて眼鏡をしただけでは目に付くのも仕方がない。

「マリの妹のエリィと言います。兄がお世話になっています」

 そう言って笑顔で誤魔化すマリだった。

 果物屋へ向うと、聞き覚えのある声が聞こえて、マリは思わず路地裏に隠れた。

 リコが、見知らぬ青年と話をしている。

「見舞いとか、馬鹿らしいよ。勝手に遺跡に入って勝手に危険な目にあってる連中じゃないか」

 青年が苛立たしげに言う。

「マリ先生は立派な方だわ。優しいし、私達に無償で文字を教えてくれるもの。貴方に同じことが出来るかしら」

 リコは、マリが聞いたこともない冷たい口調で言う。

 マリに話しかける時のリコの声は、大抵は明るくて元気の篭ったものだった。

「ただのご機嫌取りさ。所詮は流れ者だろ。そんな相手を追っかけてもお前が傷つくだけだから俺は注意してやってるんだ」

(いいぞ、もっと言え)

 思わず心の中で青年を応援してしまうマリなのだった。

 リコがマリに思慕の情を抱いていることはマリも知っている。知っているどころか、直に告げられても居る。しかし、マリは所詮、普段男装しているだけの女性なのだ。

「貴方は私の何? 親? 心配してくださってありがたいことだけど、赤の他人の貴方に関係ないわ。あ、そのリンゴ五個ください」

「赤の他人ってな。幼馴染だろ」

「幼馴染だから何よ。あんたの家に嫁げとでも言うわけ?」

「そう言うわけじゃなくてな……」

「じゃあ邪魔しないでよ。私、先生のとこ行くから」

 青年は黙り込んでしまった。

(押し弱いって、もっと頑張れって)

 マリは心の中で応援するが、そんなものは青年には届かない。

 リコは青年を置いて、リンゴを鞄に入れて歩いて行ってしまった。

「くそっ」

 青年は呟いて、逆の道を去って行く。

 マリは、路地裏から表道に出た。

(この胸をなんとかしないと、子供達に心配かけっぱだなあ)

 なんとかしなくてはならない、とマリは思う。

 しかし、流石に胸を切り落とす勇気はなかった。

 そして、こうも思うのだ。

(あの男の子、本当押し弱いなあ)

 残念なものを見てしまった気持ちなのだった。


 飲み会の当日がやってきた。

 マリは体のラインを隠すローブに身を包んでいる。

 それでも、胸の大きさは隠しようがない。

「お前の格好見てるだけで俺まで暑くなるわ」

 ジンはぼやくように言う。

「というか髪型とか眼鏡とかは女装の時のまんまなのな。凄い中途半端だな」

「町の人と会った時にはエリィをやろうと思いまして。というか、女装じゃなくて女性なんですけどね、私……」

「ああ、男装があまりにも似合いすぎてたから」

「はいはい、すっかり忘れてた、ですね。耳にタコです」

 二人は夜の道を歩いて行く。

 そのうち、剣士隊の宿舎から離れた場所にある酒場に辿り着いた。

「お~う、待ってたよ~」

 リッカが、テーブルを一つ確保して席についていた。傍には、思わぬ来客がいた。

 セツナだ。

 右腕に包帯をして、苦い顔をしている。

 その顔が、マリとジンを見てますます苦い顔になる。

 不味いところを見られた、とでも言いたげだった。

「リッカさん、こんばんは。どうしたんですか? セツナさん」

「それがさ~。今こいつ、私の治療受けてんのよ~。まだ傷口痛むだろうからね~」

「お前の生半可な神術がいかんのだ」

「仕方ないでしょ~。私の神術は魔術の片手間で覚えたものなんだから。そりゃ専門家には劣るさね~」

「治療はゲッカさんの担当じゃ?」

 ソウフウ隊の副隊長には、剣士隊の怪我人の治療を任せられたゲッカが就任しているはずだった。

「ゲッカさんはこの前やらかした貴方達の衝突のせいで手一杯でね~。サキリさんを通して私に泣き付いてきたわけ。シズクさんも手伝ってるんじゃないかなあ」

「なるほど。それは、ご迷惑をかけてしまいまして」

 マリは頭を下げて、席につく。

 その隣に、ジンが並ぶ。

 二人はウェイターに酒を注文した。

「いいのいいの。こいつとは腐れ縁みたいだからね~」

「よりによってこんな町でまで顔を合わせるとはな」

 セツナは疎ましげに言う。

「お二人は、どういう関係で?」

「振った側と振られた側~」

 リッカが酒を飲んで、笑いながら言う。

「元婚約者だ」

 セツナは恨めしげな声だ。

「カミト領とフクノ領の橋渡しになるようにと婚礼の準備が進んでいた。けど、こいつの兄が事故死してな」

「事故死なのかなんなのか、未だに良くわかんないんだけどね~」

「まあこいつが剣術と魔術を修めて後継ぎになるというから破談になった、それだけだ」

 セツナは苦い顔だ。

「せっちゃんさ~。本当マメに手紙送ってくれたよね~。婚約者だからって気使って、それは長い長いうんざりする手紙を。最初は普通の長さだったのに~。返事遅れたらどうしたのかって手紙がさらに届くしね。男の人をあんまり知らなかった私はこういうものなのかな~って困惑したもんだったよ~」

「……一応仲良くなっとこうと思うのは当然だろ」

「全部無駄だったね~」

 身も蓋も無い事を言ってリッカは笑う。

「帰る。デリカシーのない女と飲む酒はない」

 立ち上がって、セツナは店の出入り口に向って歩いて行く。

「よ~し、邪魔者はいなくなったぞ~」

 そう言って、リッカは悪戯っぽく笑った。

「リッカさん、セツナさんのこと結構嫌いですよね」

 マリが、やや呆れたように言う。

「嫌いじゃないよ~。諸々の事情から苦手なだけ」

 リッカはそう言って、酒にまた口をつける。

「しかし良かったね。シズクさんも町長としてしっかりやってるみたいだし」

「ああ、結局町長を継いだんですか、シズクさん」

 マリの表情が和らぐ。

 それを見て、ジンもつい微笑んでしまった。

「うん~。長老会とビシバシやりあってるみたい~。結構芯の強い人みたいだよ」

「それは良かった。本当に、良かったです。早く話したいなあ」

「会いに行けば良いじゃん~。つか、どしたのその胸。髪型も女の子みたいだし」

 呆れたようにリッカが言う。

 それはそうだ。ローブなどで誤魔化せるわけがなかったのだ。

 どう誤魔化すものか、ジンはどうでも良かったのでマリを観察することにした。

 どの道、リッカなら周囲に言いふらす事もあるまい。

「遺跡の水で……」

「あれは女性の胸が膨らむって奴だよね。私も分けて欲しいもんだよ」

「どうしてか俺は男なのに胸が膨らんだみたいで」

「へえ~。そういうケースもあるんだね~。王様の胸が膨らんでたら、私不謹慎にも笑っちゃいそうだな~。不興を買っちゃいそう」

 誤魔化せはしたようだった。

 そのうち、ハクアとクロウが合流し、飲み会は続いた。

「話してよ、セツナ達との遺跡内の衝突とやらの話をさ~」

 リッカが話を振る。飲み会は深夜まで続いていく。

 ジンともマリとも少しだけ打ち解けたクロウが、印象的だった。

 そして、夜は明けた。

 ジンは床に寝転がっていた。

 どうしてか裸だ。

 酒場で飲んでいた記憶はあるのだが、どうやって帰ってきたのかその記憶がない。

 リッカと飲み比べになって、散々飲まされたから、記憶が飛んでいるのだろう。それにしても、リッカの酒の強さは異常だった。すぐに顔が赤くなったのを見た時には勝ったと思ったが、そのまま表情も変えずに酒を次から次へと飲んで行く。

 そうして結局ジンは敗れ、自分の部屋に戻ってきたのだろう。

 ジンは酷い眠気に襲われて、ゆっくりとベッドの中に入った。

 柔らかく暖かい感触が、手に触れた。

 まるで、人肌のような感触だった。

「ん……?」

 戸惑いながら、その得体の知れないものを触る。

 しかし、眼を開けてそれを確認するのを、睡魔が阻む。

「何してるんですか、師匠……」

 低い声が、上から降ってきた。

 四苦八苦しながら目を明けると、どうしてか裸のマリと、目があった。

「まあ、不祥事は起こさぬことです」

 淡々としたサキリの声が脳裏に蘇る。

 遅れて理解がついてきて、ジンは血の気が引いていくのを感じた。


「何やってるんですか!」

 マリの叫びと共に、渾身の蹴りがジンの腹部に入った。

 ジンは咳き込み、地面を転がる。

 口の中に血の味がした。

「師匠だけはそういう人じゃないと思ってましたよ。胸とかそういうの興味ないって。女の人にだらしなく鼻の下伸ばさないって。見境のない人じゃないって!」

 早朝であることも構わずに、マリが喚きたてる。

 彼女はまるで被害者の如く、布団で体を隠して小さくなって震えている。

「待て、マリ。ここはどうやら宿舎のようだ。早朝だ。ばれるぞ」

 マリははっとして黙り込む。

「それに無実の罪だ。俺は何もしていない」

「じゃあ、なんで私が裸でベッドに寝転がってて師匠も裸でベッドに寝転がってて師匠の手が私の体をまさぐってたんですか」

 マリもやや混乱しているらしく、言葉がまとまっていない。

「裸で寝てたのは知らん。俺は地べたで寝てた。体に触ったのは眠たくて眼ほとんど瞑ってたからなんだろうな~って」

「大体ここ、師匠の部屋でしょ? 師匠が連れ込まないと私こんな場所で寝ないんですけど」

 マリは疑わしげにジンを睨む。

 眼の端には涙が浮かんでいる。

 罪悪感がジンの心を突く。

(おかしい。俺何もしてないのに。無罪のはずなのに。何この罪悪感)

「出てってください!」

 マリが、小声で宣告する。

「出てって!」

 ジンは部屋から押し出された。

「おい、服! 俺、裸!」

 ジンが叫ぶ。

 部屋から服が放り出された。それと同時に、部屋の鍵が閉まる音がする。

 どういうわけか、ジンは自分の部屋から追い出され、明け方の町に放り出された。

 開いている店もないだろう。

 ジンは服を着て、途方に暮れて朝の町を歩く。

(俺がマリを連れ込む? いや、それはない)

 そう思うのだが、現実としてマリとジンは同じ部屋で裸で寝転がっていた。

 というか、何の記憶もないのにジンは蹴られて責められている。

 それはただの蹴られ損ではないかとジンは思うのだ。


「おかしいと思ってたんですよ。急に、一緒に農耕しないか~なんて誘って来て」

 ジンとマリは、町の酒場で向かい合って朝食を取っている。

 この酒場は、朝と昼も普通に食事を提供しているのだ。

 マリは苛立たしげな表情で、ジンは不服げな表情だ。

「全部下心があってのことだったんですね」

「違う」

「胸に意識がいってたんでしょ」

「お前、自意識過剰もいい加減にしろよな」

 ジンは苛立ちを抑えきれずに、低い声で言う。

「胸がこうなってしまって世界は変わってしまいました。私は遺跡から追い出され、尊敬する師匠はただのけだものに成り下がった」

「変わったのはお前だよ。胸が大きくなっただけでどこの町にも一人はいる自意識過剰な糞女に成り下がった」

「軽蔑しますね」

「軽蔑するよ」

 沈黙が場に流れる。

 マリが鶏肉を咀嚼する音だけが周囲に響いている。

 ジンも、サラダを口に入れる。

 気まずい沈黙が続いた。

「私達のコンビも長かったけれどこれにて終了のようですね」

「組んだ覚えはないな。たんにたまたま目的が一緒だっただけだ」

「全ては貴方の下心のせいです」

「だからお前なんかに興味はないと言ってるだろう。俺にだって選ぶ権利がある」

 マリは疑わしげにジンを見る。

「……なんか今となっては師匠が怖いんです。酒の力を借りてこんなことをするなんて」

 ジンは深々と溜息を吐いた。

「被害者ぶるのもいい加減にしろよな。俺も記憶がないんだからある意味被害者だよ」

「もう師匠とは飲みません」

「結構だよ。もう俺もお前なんかとは飲んでやんないよ」

 沈黙が、再び場を支配した。

 マリが、鶏肉を食べ終えた。

「……今後の身の振り方を考えます」

 そう言って、マリは立ち上がる。

「そうだな。遺跡にも入れなくなったし、その体じゃ領地の受領も出来やしねえ。この町で精々エリィとして平凡に過ごしたらどうだ」

「……師匠は、私のことなんてどうでも良いんですね」

 その言葉は、どうしてか今までのどの台詞よりも深くジンの心に突き刺さった。

 ジンのために遺跡の壁を蹴り破って現れたマリの姿や、セツナの片腕を身を犠牲にして潰したマリの姿が脳裏に蘇る。

 それを振り払うように、ジンは瞼を閉じた。

「お前がいなくても、俺は何もかわらんよ。元から呪いが解けるまでの付き合いだろ。それがちょっと早まっただけだ」

「……がっかりしました。師匠は口でなんて言ってても、もっと情のある人だと思っていました。ただの無神経で色欲の抑えられない、どこの町にでも一人はいる糞男だったんですね」

 マリは店から出て行った。

 後には、もやもやとした気持ちのジンが残された。


 それから数日が経った。

 ジンは机に向って、手紙を書こうとしていた。

 広げられた紙には文字が一つも書かれていない。

 ジンの頭は、疑惑と不満で一杯で、文字をひねり出す余裕など無かったのだ。

 他のことをやろうとしても、マリのことが頭に浮かぶ。

 特に、最後の捨て台詞はジンの心の中に深く刻み込まれていた。

「……がっかりしました。師匠は口でなんて言ってても、もっと情のある人だと思っていました。ただの無神経で色欲の抑えられない、どこの町にでも一人はいる糞男だったんですね」

 ジンは、紙を丸めて、捨てた。

 扉がノックされたのは、その時だった。

「こんにちは~」

 ハクアの声だった。

 ジンは深呼吸して気持ちを落ち着けると、部屋の扉を開けた。

「どうしたんだ? ハクア」

「マリさんと今日一緒に出かける約束をしていたのですが、お留守のようなので。マリさん、知りません?」

「ああ、マリなら前町長さんの家で生活してるよ。あの胸だろ? 男のふりはできんでな」

「なるほど~。じゃあ、そっちにお邪魔してみようかな。あ、その前にジンさん、ちょっとお話しません?」

「良いぞ」

「じゃあ、部屋に上げてくださいな」

 女性を部屋に上げる。

 女性と部屋に二人きりになる。

 その状況をイメージして、ジンの肩は強張った。

 否応無く思い出されるのは、裸を布団で隠していたマリの姿だ。

「いや、部屋には上げれない」

「え?」

 ハクアの眼が、戸惑うように丸くなる。

「男の部屋に上がりこむなんて無防備だ。相手が下心を持っていたらどうする。もう少し自重するんだな」

 ハクアはしばし戸惑うようにジンを見つめた。

「あの~……クロウみたいなこと言っちゃってますけど、なにかあったのですか?」

「あいつと一緒にされるのは不満だが部屋に上がらなければ話せないというならば仕方がない。今は話せない」

「ジンさん……? なんかおかしいですよ」

「何もおかしくなどはない。さらばだ」

 ジンは扉を閉め、椅子に座り、手紙を書くために紙を広げ、そして頭を抱えた。

(駄目だ、なんか自分でまで自分を信じられなくなってる。おかしいぞ。あの水を飲んだせいで世界が変わってしまった)

 混乱の渦に巻き込まれるジンなのだった。


 マリはぼんやりと椅子に座って窓の外を眺めていた。

 今後の自分の身の振り方について考えているのだが、答えは出そうに無い。

 マリは失踪したことになるだろう。しかし、その妹であるエリィをこの町の人々は歓迎してくれるだろう。

 呪いに関しては、師匠がどうにかしてくれるだろう。何故かそのことに関する確信だけはあった。

 あの人はなんだかんだ言いつつも、マリの呪いを解こうと足掻き続けるはずだ。

「……こんな呪いなんて、なければ良かったのに」

 この力でジンの手助けをできる自分を誇らしいと思ったこともあった。

 けれども、今となってはそれはただの枷でしかない。

(そもそも、師匠は私の為に呪いを解きたいわけじゃない。人生を浪費したくて呪いに取り掛かってるんだ。なんでそんなに投げやりなのかも、私、教えてもらってない……)

 クロウの言葉が、脳裏に蘇る。

「マリさんもこう感じたことはないのかな。あの男は自分に心を開いていないと。斜に構え、心を閉ざし、周囲を小馬鹿にしていると」

 どうして彼がどうしてあんなに投げやりなのか、マリも聞かされてはいないのだ。

 彼が昔話をすることは一度も無かったからだ。

 ただ、時に手紙を書いていることだけはマリも知っている。

 その送り先も、マリは知らない。

(結局師匠のこと、私、全然知らない)

 マリは膝を抱えた。

(そもそも、一晩性欲を満たせたらご破算になっても良い程度の関係だったんだ。私があの人との間に感じていた絆なんて、錯覚だったんだ)

 玄関のベルが鳴ったのはそんな時のことだった。

 マリは階段を下りて、玄関の扉を開ける。

 ハクアが立っていた。

「こんにちは、マリさん。今はエリィさん、でしたっけ」

「あ、ごめんね。拠点移動したこと、まだ話してなかったね」

「ええ。だからジンさんに聞いて、ここに来ました」

「大丈夫? 何もされなかった?」

 ハクアが戸惑うように眼を丸くする。

「……ジンさんが、私に何かするわけないでしょう?」

「あの男は信用したら駄目なタイプの男だから。今後はクロウさんの言うことを信用したほうが良いよ」

 ハクアが、眼を細める。

「……何か、ありましたか? お二人」

「何もない」

 ハクアは疑わしげにマリを見ている。

 マリは、ハクアから視線を逸らしている。

 沈黙が、二人の間に漂った。

「まあ、良いですけどね。出かけましょうよ」

 ハクアは何かを察したようだったが、追求はしなかった。

 気を使ってくれたらしかった。


 その日の昼のことだった。

 ジンは町で、マリの姿を見つけた。

 マリはシズクと楽しげに話している。

 いつものマリならば、ジンを見つけた瞬間に微笑んで、駆け寄ってきただろう。

 けれども、今日のマリは、何も言わずに通り過ぎていくだけだった。

 ジンは立ち止まった。

 そして、そのままその場を歩き去った。

 そのうち、夜になった。

 ジンは夜道を歩いていた。なんとなく、海を眺めに行きたくなったのだ。

 振り返ってみると、今までの生活にはいつも傍にマリがいた。

 日常のことも、遺跡での冒険も、マリと話すことができた。

 今は、そのマリがいないのだ。

 思ったよりも、マリの存在は、ジンの中で大きくなっているらしかった。

 ジンは感情を持て余して、一人で夜の町を歩いているのだった。

 そのうち、砂浜に辿り着いた。

 海の向こうに、遺跡が見える。

 全ての元凶となった、あの遺跡が。

 そして、それを座って眺めている一人の女性が、眼に入った。

 声をかけるか、かけまいか、ジンは迷った。

 昼に無視された時のことが、ジンの脳裏に蘇る。

「私達のコンビも長かったけれどこれにて終了のようですね」

 マリの冷たい言葉が、脳裏に蘇る。

 このままでは、二人は本当に、永久にすれ違ったままだろう。マリは町で生活し、ジンはそれと会わずに遺跡に通い続ける。

 それも良いかと、ジンは思った。

 人生とはそんなものだ。

 人間同士は、最後に別れるようにできている。

 ジンは、女性に背を向けた。

「なあにやってんですか、師匠」

 マリの声がした。

 ジンは、振り返る。

 マリは、海に視線を向けたままだ。

「……なんとなく、海を眺めたくなってな。超能力でも身につけたのか。なんで俺だとわかった」

「わかりますよ。近くまで来て、話しかけようか迷って考え込んで、結局去ってこうとするなんて。それに、師匠の足音ぐらい、聞き分けられます。付き合い、長いんですから」

 ジンは黙り込んだ。

 沈黙が、場に漂った。

「こっち来たら、どうですか」

「近寄ったら胸を見ただのなんだの言いがかりをつける気だろう」

「……人をなんだと思ってるのかなあ。あ、けどあんまり近寄らないでくださいね。まだ怖いんで」

「……人を、何だと思ってるのかな」

 ジンは呆れたように言って、マリに近寄った。

 そして、人間三人が座れるほどのスペースを間に作って、座った。

「なんか、言ってくださいよ」

「……特に、話題はないな」

「私も、話題はないですね」

「そうか」

 波の音がしていた。

 夜の海は真っ暗で、何もかもを吸い込んでしまいそうだった。

「帰るって言い出さないんですね、今日は」

「ん?」

「話すこともないし俺は帰るぞって。いかにも師匠がやりそう」

「話すべきことがある気はするんだが、それがなんだかわからん」

「師匠らしくない言い分ですねえ」

 マリは、呆れたように言う。

「まあ、私も帰る気はないです」

 マリは、そう言って、黙り込んだ。

 ジンは安堵した自分に少しだけ戸惑った。

 沈黙が、再び周囲に漂った。

「悪かったよ」

 ジンが言う。

「悪かった、じゃあすみませんよ」

「酒に飲まれるんじゃなかった。多分間違いは犯していないとは思うが、紛らわしいことをした」

「……あの状況で何もなかったって言うのは流石に苦しくありません?」

「正直、何も覚えてない」

「残念ながら、先に潰れたのは私です。それははっきり覚えてます」

「……じゃあ俺が悪かったで良いよ」

「悪かったで良いよってなんですか。悪かったんですよ。極悪人です」

「……軽蔑されるような真似をして申し訳ありませんでした。これで良いか?」

「……師匠らしい、言い草だなあ」

「けど、間違いは犯してないと思う」

「まだ言いますか」

 呆れたように、マリは溜息を吐いた。

 ジンは、話題をひねり出そうとした。

 しかし、頭が上手く回らない。焦りにせかされてジンの思考は空回りをし続ける。

「将来のことを、考えてました」

 マリが、呟くように言った。

「多分、この町にいても、私は幸せになれるだろうって」

「そうだろうな。お前はこの町に知己が多い。ハクアも、当分この町に留まるだろうしな」

「けど、師匠に呪い解きを任せて、それって何か違うんじゃないかなって」

 ジンは、黙り込む。

 マリなら、そんな考えに至ることはわかっていたことだった。

「それなら私、死んだほうがマシです。私が死ねば、師匠が半分担いでいる呪いも解けるでしょう?」

 思いもしないことを、マリは言った。

「呪いの元凶となって、それを他人に半分担がせて。馬鹿みたい」

「お前に死なれても、後味が悪くて困る」

「私は清々します」

「……そこまで嫌うかね」

「まあ師匠に世話になるぐらいなら投身自殺したほうがマシですね」

「言うね」

「嫌なものですよ。私の立場になって考えてみればわかることです」

「そこまで嫌うか」

「……それに、想像つかなかったんです。冒険してない、私なんて」

 それもまた、思いもしない言葉だった。

「私の半生は、ずっと師匠と一緒にあった。師匠と一緒に、あちこちの町を回った。剣の手ほどきを受けて、呪いの制御の仕方も勉強して。師匠と隣合わせで、色々な敵を倒した。それがなくなるなんて、ちょっと想像つかないかなって。私の居場所は、ずっと師匠の傍にあったから」

「……全部、夢だったように思うようになるさ」

 ジンは、優しく声をかけていた。

「良いんじゃないの。その怪力と知識で町の人の役に立てば。そこに居場所は生まれる。そうして生活していたら、冒険のことなんて一夜の夢みたいに思えるさ。男装できなくなったのも、神様とやらの思し召しだと思えば良いじゃないか。お前はもう、戦わなくて良いってな」

 マリは黙って、ジンの話を聞いている。

「まあ、良いきっかけだよ。平和な世界のが、お前には似合う」

「ま、結局呪いの問題は残るんですがね」

 マリは苦笑交じりにそう言った。

「それは俺の暇潰しの為に残しといてくれ。今度は俺が途方に暮れる。嫌な繋がりだと思っても、顔を合わせなきゃまあ忘れるもんさ。人生にはちょっとぐらいの我慢が必要だ、ってな」

 話せて良かった、とジンは思った。

 これでマリと別れることはあっても、最後の記憶は拒絶の言葉ではなくなる。

 二人で穏やかに話して別れたことになる。

 それだけでも、後味がまるで違うものだ。その後の人生への弾みが、まるで変わるものだ。

「師匠は故郷とかないんですか?」

「あるよ」

「帰らないんですか」

「帰らないよ」

「なんでですか」

「なんででしょう」

 無感情にジンは答える。

 マリは眉間にしわを寄せた。

「過去の話をする気は一切無いんですねえ」

「知ってどうする。俺の過去なんて詮索しても面白いことはないだろう」

「五年ぐらい一緒にいて、何も知らないほうが不自然だと思いますけど。なんでそんな投げやりなんですか?」

「……性分だよ」

「そう言われちゃったら、追及のしようがないですけどね」

「だろ? 俺は悪どいんだ」

 マリは、苦笑した。

 それは、久々にマリがジンに向けた笑顔だった。

「お前はこの町で生きる。俺は暇潰しに呪いをやっつける。それで良いじゃねえか。顔も合わせる必要も無い。互いが元気にやってることは大体想像がつくだろ」

「……それも、良いのかな」

 マリは、微笑んだ。

 マリも、話すことで、心の中の整理がついたのかもしれない。

「……師匠は男としては最低だと思いますが、最後に話せて良かったです」

 マリは微笑顔のまま言った。

「ああ。お前も自意識過剰の勘違い女だが最後に話せて良かったよ」

「ムカつくなあ」

「忘れたか? 俺は一貫してそういう奴だったろ」

「ま、そうですね。今までは私が盲目だっただけ、か」

 ジンは立ち上がった。

「じゃあな。お前は、長く付き合った相棒だった」

 そう言って、ジンは去って行く。

「さよなら。貴方は、私の人生の一番の恩人だった」

 背後から、マリの声がする。

 その一言だけで、ジンは救われた気がした。

「貴方のこと、まったく知れなかったけど」

 最後のマリの一言は、少し寂しげだった。


(やっぱり異性の相棒というのは良くなかった)

 昼下がりの町を窓から眺めながら、ジンはそんなことを考えていた。

(ややこしいことになるからなー異性は。次に旅を共にするなら同性だな)

 頭に思い浮かぶのはクロウとハルカゼの顔だ。

 どちらも、冒険の相棒としては不適格だった。

 多人数のグループとして付き合うならともかく、個人個人と付き合うには骨が折れそうだ。

 その点、マリは精神的に疲労させられることがしばしばあるが、気を使ってくれる良い相棒だった。

 もっとも、当面は遺跡で五人グループで行動することになるだろうから、旅の共の問題はあんまり考えなくて良さそうだ。

 部屋の扉がノックされた。

 ジンは誰だろうと思いながらドアを開ける。

 地面に頭をこすり付けているリッカと、その頭を踏みつけているセツナがいた。

「おら、ごめんなさいはどうした」

 セツナが低い声で面倒臭げに言う。

「ごめんなさい~……」

 リッカが、酷く情けない声で言った。

 ジンはその光景を見て、しばし硬直していた。

「……仲が良いのは宜しいんだけれど、特殊なプレイは部屋でやって貰えませんかね」

 やっと出てきた言葉は、それだった。

 リッカが頭を上げて不敵に微笑んだ。

「上級剣士相手にその物言い、ハルカゼ君も中々度胸の良い子を飼ってるよね~」

 その頭が、セツナの足によって無理矢理地面にこすり付けられた。

「ごめんなさいだろ、コラ」

「……ごめんなさい~」

 ジンには状況が掴めない。


 師の言葉は、正確だった。

 町の生活に慣れると、冒険の日々はまるで夢の中の出来事だったかのように思い出された。

 長い夢だった。辛いこともあったが、楽しい夢だった。

 けれどもマリは、この町での日常を過ごしていくのだ。

 エリィとして。

 当面の生活には十分な金はある。後は、その金を使ってどう生活していくかだ。

 師を呪いから解放してあげなければいけない、という焦燥感に似た思いは、いつも胸にある。

 けれども、遺跡に入れないマリにできることはなにもなかった。

 あてがわれた家の掃除をしていたマリに、来客があった。

 近所の男だ。

 近所の人々は何かとマリに良くしてくれる。

 人が死んで使われなくなっていた家の片づけを、いつも手伝ってくれるのだ。

「重い荷物は持ちますよ、エリィさん」

 本棚を運ぼうとしていたマリに、男が言う。

「ああ、私、力は人並み以上にあるからー」

 そう言ってマリは、人より高い身長の本棚を一人で浮き上がらせて見せた。

「貴方は廊下の清掃とかしててくれると嬉しいな」

「まったく、エリィさんには敵わないな」

 男は苦笑して、廊下の拭き掃除を始めた。

 そうして作業が続き、時刻は昼となった。

 マリは料理を作り、テーブルについた男の前に並べていく。

 男が、あることに気がついて目を丸くした。

「……あの、エリィさん」

「なに?」

「非常に言い辛いんですが」

「うん、言って良いよ。お世話になってるから、大抵の無礼は許そう」

「なら、言わせて貰うんだけど……」

 男は、自分の見たものを再確認するかのようにマリの体に視線を向けると、言った。

「胸、しぼんでます」

「へ?」

 マリは、自分の胸元を見た。

 服が、胸の辺りだけ酷く余っていた。

 マリは、自分の胸に手を伸ばし、触る。

 昔の自分のサイズに戻っていた。


「男色って言葉を知ってるか」

 二度と足を踏み入れないと思っていた、サクマ領剣士隊宿舎の一室にマリは足を踏み入れた。

 机に肘を置き、椅子に座り、ジンは遠く窓の外を見ている。

「暖かい色のことですね」

「それは暖色だな。男の色、と書く」

「ああー……」

「戦場等に女性は連れて行けない。しかし欲求は溜まる。そんな時に美少年をはべらせた将兵の記録が残っている」

「つまり、師匠は男色のケがあるから私を襲っていないという話ですか?」

 今更、終わった話の言い訳をされてもな、とマリは思う。

「蹴鞠にするぞ」

 ジンが低い声で言い、マリは唾を飲んで黙り込んだ。

 今回ばかりはジンが本気で怒っていることがわかったのだ。

「あるところに、そんな男色の記録を好んで集めている女性がいた。わかるかな」

「わかりません。私の中の恋愛のイメージは男女でするものです」

「俺もそうだ。だがマイノリティの弾圧は良くない。人の趣向は尊重されるべきものなのだ」

「はあ……」

「まあ、世の中にそう言った本を集めた眼鏡をかけた女がいてだな」

「あー、リッカさんですか」

 意外な趣味だ、とマリは思う。リッカは上流家庭に生まれ、読む本にも恵まれていただろう。中には、そんな記録もあったのかもしれない。

「まあ、リッカさんだ。彼女は思ったわけだ。胸が膨らんだ男がいる。さて、この男と仲の良さそうなもう一人の男を裸で一つの部屋に置いたらどうなるだろう、と」

 なんだか話が嫌な方向に転がり始めたぞ、とマリは思う。

「色々妄想したんだろうな。その後の会話とか。胸を触り始めるのかなとか。関係が変わるのかな、とか。で、一人を脱がして床に置いて、もう一人を運んでベッドに寝かせて脱がせて見たら、なんとこれが女じゃないか。どうしようかとそいつは思った。その時、間が悪く、男のほうが目を覚ましかけている。お前ならどうする?」

「……放置して逃げます」

「そうだよな。誰だってそうする。俺だってそうしただろう」

「……つまり、そういうことですか?」

 頭の中で、全てのパズルのピースが繋がった気がしたマリだった。

 マリはずっと、あの晩自分の服を脱がせたのはジンだと信じていた。けれども、それは違ったのだ。酔っ払った眼鏡をかけた女性が、勢いでマリの服を脱がせていたのだ。

「ああ、つまりそういうことだ。この前、セツナさんがリッカさんの頭を踏みつけながら俺に謝罪してきた」

 なんとも言いがたい沈黙が場を包んだ。

 男性集団の笑い声が窓から聞こえてきた。

「頭、踏みつけですか」

「本当に踏んでたぞ~。見物だった。ありゃ自分の恨みも篭ってたな」

「作り話じゃなくて、マジですか」

「そう思うならリッカさんに確認すればどうだ。持って来てるらしいぞ。男と男がベッドを共にする小説」

 マリは沈黙する。

 そんな、すぐばれる嘘をつく必要も無いだろう。

 リッカの側にも、そんなしょうもない嘘に信憑性を持たせるために話を合わせる必要性はない。

 つまり、答えはひとつだ。

「……リッカさんとお酒飲むの、もうやめましょうね」

「俺はお前と酒を飲むのもやめとくよ」

 ジンは淡々とした口調で言った。

「散々言ったよな。男としては最低だの、なんだの」

 マリは言い返せない。

 しばしの沈黙が、二人の間に漂った。

「で、エリィは辞めるのか?」

 ジンは問う。

 マリは、躊躇いつつも、頷いた。

「この呪いは、私が原因です。私が、解決しなくちゃいけないことだと思うんです」

「平和で穏やかな生活だっただろう。未練はないのか」

「師匠をいつまでも、私に縛りつけておくわけにはいけません。それに、いざという時には、師匠は私が守らなければならないでしょ?」

「調子の良い奴だな」

 風が吹いた。白いカーテンが揺れ、ジンの前髪も揺れる。その表情は、見えない。

「俺は、お前がこの平和な生活の中に戻っていくのも、良いかと思っていたよ」

 ジンはしみじみと言った。

 だからこそ、彼はリッカの悪行を知っても、マリに直接話しには来なかったのかもしれない。

「また、遺跡に潜る日はそのうちやってくる。鍛錬を怠らないようにな。俺からかける言葉は、それぐらいだ」

 マリは口に笑みが浮かぶのを感じていた。

「わかりました、師匠。また、一緒に冒険しましょうね」

「……これでまた、弟子付きだ」

 苦笑しているような、そんな口調だった。


「マリ、喉渇いた、水持ってきて」

「はい!」

「果物食いたい。お前のおごりな」

「はい!」

「宿舎裏の草むしり、誰かやらなくちゃいけないらしいからお前やれな」

「はい!」

 ハクアはジンの部屋のベッドに座り、部屋に戻ってきては用事を言い渡されて出て行くマリの姿を呆然と眺めている。

 マリは男装に戻っているので、この宿舎にいても違和感が無い。

 ジンは椅子に座って、手紙を書いていた。

「……それにしても、なんか、ありました?」

 ハクアは問う。

「何も無いぞ」

「けど、凄いこき使ってますよね?」

「ちょっと恨みがあってな」

「やっぱり、何かあったんですよね?」

「まあ、あったっちゃあった」

 ジンは何かを思い出したかのように、苦い顔になる。

「まあ、些細なことだよ」

「草むしり、終わりました!」

 マリが駆け足で戻って来る。呼吸が乱れてもいない。今回ばかりは、彼女の人並みはずれた体力がマイナスに働いているのだろう。

「あー、お前に蹴られた腹が未だに痛いなー。骨折れてないかなー」

 そう言って、ジンは腹をさする。

「あー……あの時は、手加減する余裕が無かったって言うか」

「遺跡の壁を壊す蹴りだもんな。血の味したものな。こりゃ骨折れて内臓に刺さってんな」

「呪いを解放しないとあんな威力出ませんよう……」

 マリは情けない声で言う。

 そして、悪戯っぽく笑った。

「撫でてあげましょうか?」

「いらね」

 ジンは吐き捨てるように言うと、手紙を書く作業に戻る。

「相変わらず、仲が良いですね」

 ハクアが苦笑混じりに言う。

「私と師匠は相棒ですからね」

 マリが胸を張って言う。

「いや、こいつに言わせると俺は男として最低で極悪者らしいからな。きっと仲が悪いんだろう」

「師匠……そろそろしつこい」

「この前しつこかったのはお前だよな?」

 ハクアは、思わず笑い声を上げていた。

「羨ましいな。私も、喧嘩できるぐらいに好き勝手言い合える相手が欲しいものです」

「欲しけりゃやるよ」

「欲しかったらあげる」

 ジンとマリが同時に言って、ハクアはますます笑ったのだった。

次回

妹、来る

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