諦めない注意報
「おら」
「……」
「食わねぇと毎回『あーん』って言うぞ」
「いただきます」
今日はちゃんとお弁当を持ってきた拓己が、俺のお弁当を取り上げると早々に俺の口へおかずを運んできて。
今日はちゃんとお互いのお箸があるのに……と思ったけれど、自分で食べることは許されなかった。
「昨日大丈夫だった?」
「おー」
「今日は頭痛くない?」
「まあ、考えなければ」
「……そっか」
俺のことを思い出そうとすると、頭が痛くなるという拓己。
昨日倒れる程の痛みを感じていたから心配で聞けば、やっぱり痛む時は痛むようで複雑な気持ちだった。
無理はしてほしくない。
でも思い出そうとしてくれて嬉しい。
昨日伝えた通り、思い出すのはゆっくりでいいと心から思っていて。
けれど、思い出そうとするとこで拓己が苦しむのなら、もう思い出そうとすることを暫く止めた方がいいのではないか、とも思い始めていた。
「……拓己」
「諦めねぇよ」
「え?」
「『絶対取り戻す』って、お前が俺に言った言葉。俺もお前の記憶を『絶対取り戻す』って決めてんだよ」
真剣な目を向けられて、俺が言ったという言葉を思い出す。
オバケの拓己を体に戻して、拓己本体の意識を取り戻す為奔走していた時、確かに言った記憶がある。
確か、学校の図書室で。
体に戻ることを諦めているような拓己を、俺は諦めたくないと思って言った記憶だ。
それを拓己が覚えてくれていて、今、あの時の拓己のように諦めかけている俺に向かって言ってくれたことが胸に突き刺さる。
「た……くみ……」
「泣くなよ」
「ボケ、って、言わっ、ないの」
「……最近は怒らせるより照れさせる方が楽しいんだよ」
「何それぇ」
「ああもう」
泣いた俺に、呆れた拓己が手の甲を差し出してくる。
そのまま雑に涙を拭われて、もっと涙が出た。
オバケの拓己が泣く俺に対してやってくれようとしてできなかったことを、今目の前の拓己がしてくれた。
ちゃんと俺の目元に拓己の手の甲が当たって、涙を拭ってくれた。
俺の知らない何処かではなく、拓己がちゃんと目の前に居て、触れられることを改めて嬉しく思う。
「だぐみ」
「はいはい」
「ずき」
「はいはい。俺もだよ」
小さな子供みたいに泣きながら言うと、拓己は優しい顔をして笑ってくれる。
その顔があまりに柔らかくて、愛しさに溢れていたから余計に泣いた。
結局泣き続ける俺を尻目に、お弁当を残したがらない俺を想って俺のお弁当から平らげてくれる拓己にまた泣く。
お母さんよりも断然甘やかしてくるその姿に、俺は昔からずっと拓己に甘やかされていたことを思い出した。
俺との記憶を失っても尚俺に甘い拓己が、切なくて、愛しいと思った。
「本当に、本当に無理しないでね」
「分かってる」
放課後、渋る俺に対し絶対行くと言って聞かなかった拓己が、希望したのは昨日アルバムで見た公園への付き添いだった。
お前が来なくても一人で行くとか言うものだから、そんなことして倒れたらどうするの!と言った時点で俺の負けが決まっていた。
心配なら付いてこい、と言った拓己に連れられて、本当に公園に来てしまって。
入口で引き留めて、ここに来るまで何度も言い聞かせていた言葉を伝えると、拓己は案外柔らかい表情で笑った。
「い、痛かったら右手上げてね」
「歯医者かよ」
「だっ、て!拓己我慢するでしょ」
「ちゃんと言うから落ち着け」
「ぐ……」
俺より全然平気そうな拓己に黙らされてしまう。
仕方なく拓己を凝視しながら付き添うと、手を取られて心臓が跳ねた。
「ちょっ、見られたらどうするの!」
「誰も居ねぇよ」
「そうだけど……!」
ここは最寄りも最寄りの家から超近い公園だ。
お母さんの通勤道でもあるし、同級生だって、顔見知りだって皆が通っていく道沿いにある。
だからこんな、手なんて繋いでいたらあらゆる噂が……!と焦るのに、拓己は至って普通だった。
「見るやつには見せとけ」
「いやいや……」
「俺らなら仲良いわね、で済むだろ」
「まあ……そうかも、だけど」
それはそれでなんか悔しい。
あとちょっとお母さんのモノマネが似ていて悔しかった。
「あの滑り台覚えてる」
「……うん」
「あのブランコも」
そう言う拓己に手を引かれて、ブランコの近くに行く。
実際に座って見せた拓己は、記憶の中の拓己より随分大きくて不思議な感覚だった。
公園の景色はちっとも変っていない。
遊具の色も形も配置も全部そのままで、あの日遊んでいた皆の声が今にも響いてきそうなのに、俺も拓己も大人と呼べるほど、大きくなった。
「……いってぇな」
「拓己、もう帰ろう」
「いや……もうちょい」
「……」
手を握ったまま、眉間にシワを寄せた拓己の様子をしっかりと見る。
少しでも倒れそうになれば支えるつもりで、でも倒れそうになんてなってほしくなくて。
何もできない状況を悔しく思う。
ただ俺が心配そうな顔を晒しているのだろうなということだけは分かっていた。
「あのバカがブランコから飛び降りて」
「……うん」
「着地に失敗して、泣いて」
「うん」
「膝から血が出てたから……周りが引く中で」
「……拓己」
「一人、大丈夫?じゃなくて、大丈夫!って、叫ぶ奴が居たんだよ」
「……」
「あれが、お前か」
「……うん」
俺もよく覚えている。
あのバカというのは、昨日アルバムで見て拓己が指で頭をグリグリしていた子だと思う。
この公園で、俺このまま飛び降りるから見てろよ!って叫ぶ声がして。
危ないからやめなよ、って言ったけれど、彼は大きくブランコを漕いで、そのまま飛んだ。
勢いよくブランコから離れていく姿は正直美しさすらあったけれど、勢いを吸収しきれず転んだ彼は膝を擦りむいて、泣きながら血を流していて。
今思えばそれだけで済んだことが奇跡なくらい危ないことだった。
けれど小学生の俺たちからすれば、膝から血を流すだけでも大きな怪我で。
釣られて泣く子も居たし、皆引いていて空気は最悪だった。
でも俺はそこで、お母さんの言葉を思い出したのだ。
俺のお母さんは、俺が怪我した時いつも「大丈夫!」って真っ先に言ってくれる。
全然大丈夫じゃなくて、痛くて仕方がない時でさえ、お母さんのその言葉を聞くと不思議なもので大丈夫な気がしてくるから、俺にとって魔法の言葉だった。
だから駆け寄って、叫んだのだ。
大丈夫!って、根拠もなく。
大丈夫!って自分にすら言い聞かせるようにして叫んだ。
それを拓己が覚えていた、というより、今、思い出そうとしてくれている。
俺に聞いたということはきっと、まだ完全には思い出せていないのだと思う。
だからこそ心配だった。
また倒れてしまうほどの頭痛を伴わないか、心配で目が離せない。
「そこにあるのに、くそ……」
「拓己……今日はもう帰ろ」
「……」
ね、って手を引くと、拓己は立ち上がって俺を見る。
意識はハッキリとしているようだけれど、拓己の目は俺を通して昔の俺を求めている気がして、その頬をつねった。
「俺を見て」
「……」
「今日は終わりだよ」
「……ん」
息を吐いた拓己が、俺の手を握り直して頷く。
その目は今度こそちゃんと今の俺を見ていて、ようやく意識がここへ戻ってきたのだと分かった。
「頑張ってくれてありがとう」
「……ん」
「拓己、好きって言ったら怒る?」
「……もっと言え」
「えっ」
「ほら、早く」
「あ、ちょっ、もう!」
「ふん」
気分転換になるかな、とか。
頑張ってくれている拓己にちゃんと気持ちを伝えたいな、とか。
あとはほんの少しだけいじわるしたいな、とか。
そんな気持ちで言ってみたら、まんまと返り討ちにされて怒る。
拓己が満足気に笑っているからまぁいいかと思うけれど、拓己をメロメロにするのはなかなか難しいなと思った。
「帰るよ!」
「あと百回は好きって言え」
「言わない!」
「ああ?言いたがったのお前だろ」
「うるさあああい」
「はあ〜?」
言い合いしながら公園を出ると、空はすっかり夕焼け色で。
こうやってじゃれ合いながら帰ったいくつもの日を思い出して、俺が懐かしい気持ちになった。
季節ごとに香りが変わる風をよく覚えている。
その全部に拓己が居て、どれも幸せな思い出だった。
「俺はさ、全部必要なことだったんだって思ってるよ」
「……」
「拓己がオバケになったり、俺の記憶を失ったりしたことで、俺も気付けたことが沢山あるんだ。拓己のことが好きだとか、拓己とずっと一緒に居たいとか、古くて俺すら忘れていた記憶とか、全部、こうなってなかったら気付けてなかった。拓己にばっかり痛い思いをさせてるのは……申し訳ないけど」
「……はっ」
公園から帰る道すがら言うと、拓己はちゃんと聞いて、笑ってくれる。
横から伸びてきた手に髪をぐちゃぐちゃにされて、俺も笑って。
「ありがとな」
「……こちらこそ」
優しい顔をして笑う拓己に、また心音が跳ねた。




