第20章 ラビット・シグナル
二月十五日。午前四時。
眠れなかった。
如月綴は布団の中で天井を見ていた。真っ暗。窓の外も暗い。二月の夜明けは遅い。
「明日の朝、ここで」。
自分で書いた言葉が、頭の中をぐるぐる回っている。
明日の朝。もう、今日の朝。
咲は朝の七時前にスタジオに来る。ノートにそう書いてあった。「朝は六時半に家を出て、七時前にスタジオに入る」と。
あと三時間。
三時間後に、あたしは、あの人の前に立つ。
声を出す。
「好き」と言う。
言えるだろうか。
十ヶ月間、ノートに書いてきた。「好き」の代わりに曲を作った。ゲームを作った。折り紙を折った。ぜんぶ、声の代わりに。
今日は、代わりじゃなく。
あたしの声で。
布団を蹴った。
起き上がった。顔を洗った。冷たい水。目が覚めた。洗面台の蛇口を閉めると、アパートの静けさが戻ってきた。石鹸の匂いがする。自分の部屋の、自分だけの匂い。
着替えた。いつもの服。パーカー。ジーンズ。コートを羽織った。マフラーを巻いた。
リュックは、いらない。
でも、一つだけ。
机の引き出しを開けた。折り紙の紙束。何枚もの色紙。その中から、水色の紙を一枚、取った。
座って、折り始めた。ウサギ。シグナルちゃんと同じ折り方で、耳を片方だけ立てて、でも今回は少しだけ大きい。いつもの倍くらい。角を合わせる指先が、いつもより丁寧になっていた。この一匹は棚には置かない。誰かに渡す一匹だ。
折り終えた。手のひらに乗せた。
水色のウサギ。最後のシグナル。
いや。
最後じゃない。最後のシグナルは、声だ。あたしの声。
ウサギをコートのポケットに入れた。
アパートを出た。
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午前四時半。
二月の夜。まだ暗い。星は見えない。雲が出ている。でも東の空の端が、わずかに、ほんのわずかに、紺色が薄くなっている。
自転車に乗った。ペダルを踏んだ。
道に人はいない。車もほとんど通らない。街灯と、コンビニの明かりだけが、眠っている街を照らしている。
冷たい空気が肺を刺した。マフラーに顔を埋めた。白い息が、ペダルを踏むたびに後ろへ流れていく。
大学まで十五分。裏門の前に着いた。学生証をカードリーダーに通した。ランプが緑。門が開いた。
暗いキャンパス。街灯だけ。建物は全部消灯している。
メディア芸術科棟。四階。非常灯の緑色の光。
401号室。
ドアを開けた。
蛍光灯を点けた。白い光。
机の上のノート。昨夜、あたしが書いた返事のページが開いている。
「あなたに会いたい。ノートじゃなくて。作品じゃなくて。あたしの声で。明日の朝、ここで」。
あたしの字。昨夜の。
ノートを手に取った。
最後のページを開いた。二冊目の二百ページ目。まだ半分以上白紙が残っているノートの、一番最後のページ。
ここに書く。
ペンを探した。昨夜使った青いボールペンが机の上にあった。握った。
手が震えていた。
深呼吸。一回。二回。
書いた。
ノートの最後のページ。真っ白な紙の、真ん中に。
四文字。
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> 好きです
---
書いた。
震えている。字が。「好」の一画目に力が入りすぎて、紙に凹みがある。「き」の払いがかすれている。でも「で」と「す」は、不思議なくらい安定していた。書き始めたら、もう止められなかったのだ。
四文字。十ヶ月分の。十年分の。あたしの全部の。
ペンを置いた。
ノートを閉じた。
ここで終わりにしない。
ノートに書いた。でも、これで終わりじゃない。
ノートの「好きです」は、リハーサルだ。本番は、声。あたしの口から出る、声の「好きです」。
ノートを胸に抱えた。
蛍光灯を消した。
スタジオを出た。ドアを閉めた。
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廊下。暗い。非常灯の緑色の光。
四階の廊下のベンチ。401号室の斜め向かいにある、古い木のベンチ。
座った。
ノートを膝の上に抱えた。
ここで待つ。
スタジオの中じゃなく、ここで。廊下で。
スタジオの中で待ったら、また「部屋の中の自分」に逃げてしまう。防音扉の向こうの、安全な場所に。
廊下にいる。外に出ている。隠れていない。
あの人が来たとき、あたしが最初に見えるように。逃げていないことが、わかるように。
寒い。廊下は暖房が入っていない。コートの中で体を縮めた。マフラーに顎を埋めた。早朝の廊下には、リノリウムの床と古い木のベンチが冷えて放つ、硬い匂いがあった。ワックスと埃と、わずかに残る昨日の石鹸の匂い。人のいない建物の匂い。
窓の外は暗い。まだ夜だ。
時計を見た。午前五時。
咲が来るまで、あと二時間。
ノートを抱えて、目を閉じた。
寒い。でも、ここにいる。
逃げない。
今日は、逃げない。
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うとうとした。
寒さが遠くなった。コートの重みが消えた。意識が遠くなって、近くなって、また遠くなった。膝の上のノートの角が指先に触れている感覚だけが、現実と夢の境目をつないでいた。
やがて、その境目も曖昧になった。
誰かの声が聞こえた。歌声。低いCから始まるスケール。きれいな声。温かい声。朝の光みたいな声。
咲の声だ。
あたしは聴いたことがない。でも知っている。この部屋の空気が覚えている声。毎朝ここで歌われて、夜にはもう消えている声。あたしがスタジオに来る頃には、いつも残り香だけだった。
でも消えていない。
あたしの中に、残っている。
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足音が聞こえた。
遠い。でも、近づいてくる。
靴の音。革靴じゃない。スニーカー。軽い足音。階段を上がってくる。一段ずつ。
四階。廊下。足音が近づく。
止まった。
沈黙。
綴は目を開けた。
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廊下に光が差していた。
窓から。東の窓から。二月の朝の、まだ弱い、でも確かな光。白とオレンジの混じった、夜明けの光。
目の前に、人が立っていた。
セミロングの茶色い髪。コートの襟を立てている。マフラー。鞄を肩にかけている。
春日咲。
二人の目が合った。
咲の顔が歪んだ。驚きと、安堵と、泣きそうな表情が、全部混ざった顔だった。
「綴……」
咲の声。小さい。いつもの舞台の声じゃない。ただの、咲の声。震えている。
綴はうつむかなかった。
目を逸らさなかった。
兎は、逃げなかった。
ゆっくり立ち上がった。膝の上のノートを両手で持った。足が痺れていた。長く座りすぎた。少しよろけた。
でも立った。
咲の前に。
一メートルの距離。
こんなに近くで見たのは初めてだった。咲の目は茶色い。明るい茶色。朝の光の中で、金色に見える。
ノートを差し出した。
最後のページを開いて。
咲の目がノートに落ちた。
震える文字。四文字。ページの真ん中に。
「好きです」。
咲の唇が動いた。声は出なかった。
目に涙が溜まった。
綴は口を開いた。
喉が詰まりかけた。
いつものように。何度も何度も、声を止めてきた検閲が、最後の抵抗をしている。
でも、今日は。
今日だけは。
息を吸った。震える息。浅い。声楽の呼吸じゃない。不格好な、震える息。
声を——出した。
「好き、です」
小さかった。
廊下の端まで届かないくらい、小さかった。
震えていた。「す」の音がかすれた。
でも、出た。
声だった。文字じゃなく。作品じゃなく。折り紙でも、曲でも、ゲームでもなく。
あたしの喉から。あたしの口から。あたしの息と一緒に。
あたしの声。
「……あたしの声で、言いたかった」
もう一言。これも震えていた。でも出た。
咲の目から涙がこぼれた。
一滴。二滴。頬を伝って、顎から落ちた。
咲がノートを受け取った。両手で。胸に抱えた。
肩が震えていた。声は出さずに、ただ胸にノートを抱えて、息だけが浅く乱れていた。
綴は泣きそうだった。でも泣かなかった。泣いたら声が出なくなる。まだ出さなきゃいけない声がある。
「あの……」
「ん」
「ノートの中のあたしと、目の前のあたし、全然違うと思う。声小さいし、目合わせられないし、今も手震えてるし」
「うん」
「がっかり……した?」
咲が顔を上げた。涙で濡れた目。赤い。でも、笑っていた。
泣きながら。笑って。
「——全部あなたでしょう」
綴の目から、涙があふれた。
堪えられなかった。
咲が言った。ノートに書いた言葉を。
文字じゃなく。声で。あたしの目を見て。
「全部あなたでしょう」。
おとなしいあたしも。饒舌なあたしも。声が出ないあたしも。殻を壊したあたしも。逃げたあたしも。今、震えながらここに立っているあたしも。
全部、あたし。
「がっかりなんかしてない。ずっと、ずっと会いたかった」
咲の声も震えていた。声のプロの声が。舞台で何百人に届く声が。
今は、一人にだけ向けて。一メートルの距離で。
「あたしも、好き。ずっと」
咲の手が伸びた。
綴の手に触れた。
冷たかった。二時間、暖房のない廊下で待っていたから。綴の指先は冷え切っていた。
咲の手は温かかった。
冷たい指を、温かい手が包んだ。
綴は泣いていた。声を出さずに。肩だけが小さく震えていた。
咲も泣いていた。
二人の呼吸だけが廊下に響いていた。朝の光の中で。二月の、まだ冷たい空気の中で。
手を繋いだまま。
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どれくらいそうしていたのか、わからない。
涙が止まったのは、廊下の窓から差し込む光が、白からオレンジに変わった頃だった。
朝日が昇っていた。二月の朝日。低い角度で、廊下を横切るように光が差している。赤みの強い光。温かいのに、空気はまだ冷たい。
綴の銀色の髪が、朝日の中で光った。
咲がそれを見て、笑った。
「きれい」
「……何が」
「髪。朝日に透けて」
綴は耳まで赤くなった。
咲がまた笑った。泣いた後の笑顔。目が赤くて、鼻も赤くて。でも、きれいだった。
綴はポケットに手を入れた。
水色のウサギを取り出した。今朝、アパートで折った。最後の一体。
咲の手のひらに乗せた。綴の冷たい指先が、咲の温かい掌に触れた。
「……これ」
咲はウサギを見た。シグナルちゃんより少し大きい。耳を片方だけ立てて、右を見ている。
「シグナルちゃんの……お姉ちゃん?」
「……妹」
「妹」
「最後の。もうシグナルは要らないから」
咲がウサギを手のひらで包んだ。
「要らない?」
「代わりのシグナルは、もう要らない。あたしの声で言えたから」
兎は逃げなかった。足が地面から離れるのは怖い。でも、この手のひらの上なら。
咲の目に、また涙が滲んだ。
「……泣きすぎ」
「泣いてない」
「泣いてるじゃん」
「泣いてない。目から汗が」
綴は、笑った。
小さく。ほとんど音のない笑い。でも笑った。咲の前で。
「あ」
咲が目を丸くした。
「今、笑った」
「……笑ってない」
「笑った。初めて見た」
「……見てないで」
「見る。ずっと見る。十ヶ月分、見れなかった分」
綴はマフラーに顔を埋めた。赤い。耳まで赤い。
咲がマフラーの端を引っ張った。ほんの少しだけ。
「見せて」
「……いや」
「いや、じゃなくて。見せて。あなたの顔。笑ってる顔」
綴がマフラーの隙間から咲を見た。目だけ。グレーがかった黒い目。赤い目尻。
咲と目が合った。
逸らさなかった。
三秒。五秒。十秒。
今まで一度も、こんなに長く誰かの目を見たことがなかった。
咲の目は茶色い。明るい。朝日の中で金色に光る。涙の跡が光っている。
きれいだ、と思った。
「……咲さん」
「咲でいい」
「……咲」
名前を呼んだ。声で。あたしの声で。
咲の顔がくしゃっとなった。泣き笑い。
「もう一回」
「……咲」
「もう一回」
「何回言わせるの」
「あと百回くらい」
「……無理」
「じゃあ十回」
「……三回」
「五回」
「……咲。咲。咲」
三回。声に出した。三回目は少しだけ、ほんの少しだけ、大きかった。
咲が泣きながら笑っていた。
綴も泣きながら笑っていた。
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401号室のドアの前。
二人は並んで立っていた。
「入る?」
咲が聞いた。
綴は首を振った。
「……まだ。もうちょっと、ここにいたい」
「廊下に?」
「……ここは、外だから。スタジオの中は安全な場所だったから。あたし、安全な場所に逃げちゃう。だから今は、外にいたい」
咲はうなずいた。
二人で廊下のベンチに座った。
並んで。肩が触れるくらいの距離。触れてはいない。でも、近い。
窓から朝の光が差している。二月の朝。空は青い。雲が白い。遠くに山が見える。山の稜線が朝日に光っている。
「ねえ」
「ん」
「ノート、最後のページ、見てもいい?」
「……もう見たでしょ」
「もう一回」
咲がノートを開いた。最後のページ。二百ページ目。
真ん中に、四文字。
「好きです」。
震えている字。でも、はっきり読める。
咲はポケットからペンを取り出した。
綴の「好きです」の下に、書いた。
四文字。
「あたしも」。
ノートを綴に見せた。
「好きです」の下に、「あたしも」。
綴の字と、咲の字。二つの筆跡。十ヶ月間、このノートを埋めてきた二つの筆跡。
最初のページは綴の落書きだった。食堂の日替わりの話。猫にフリーズした話。
最後のページは、「好きです」と「あたしも」。
綴はノートを膝に置いた。
「……このノート」
「ん」
「閉じていい?」
「いいよ」
綴がノートを閉じた。
緑色の表紙。くすんだ一冊目じゃなくて、咲が選んでくれた深い緑色の二冊目。
閉じた。
ノートを、膝の上からベンチの横に置いた。
「もう、ノートに書かなくても」
声が震えていた。でも、出ていた。
「声で……話せるから」
咲が綴を見た。
綴が咲を見た。
目が合った。逸らさなかった。
「うまく話せないと思う。たぶん。今日みたいにはいかない。明日はまた黙っちゃうかもしれない。声が出なくなるかもしれない」
「いいよ」
「途中で逃げるかもしれない。兎だから」
「追わない。でも、待ってる」
「……待ってるの、得意って言ってたのに、苦手って書いてたじゃん」
「読んでたんだ、ちゃんと」
「……全部読んでた。全部覚えてる」
咲が笑った。
それから、コートのポケットに手を入れた。
何かを取り出した。
小さな、青い、プラスチックのもの。
ペンのキャップ。
「これ、あなたの」
綴の目が丸くなった。
「十月に、ベンチで落としたの。拾ったの。返すの、遅くなっちゃった」
綴はペンのキャップを受け取った。
青い。インクの青。四ヶ月間、咲のポケットの中にあった。
「……四ヶ月も持ってたの」
「うん」
「……それ、スパイじゃん」
咲が目を見開いた。
「知ってるの? あたしがスパイだって」
「知らない。今初めて聞いた。でもペンのキャップ四ヶ月持ってるのはスパイでしょ」
咲が吹き出した。
笑った。声を出して。朝の廊下に、咲の笑い声が響いた。
綴も笑った。
小さく。でも声に出して。
二人の笑い声が、廊下に広がった。壁に反射して、窓ガラスに触れて、朝の光と混ざった。
---
しばらく笑っていた。
笑い終わって、隣に座って、窓の外を見た。
キャンパスに朝日が差している。木々はまだ葉がない。でも枝の先に、小さな芽がある。膨らみかけている。
もうすぐ、春。
「咲」
「ん」
「……ありがとう」
「何が」
「ノートに最初に返事を書いてくれたこと。十ヶ月間、毎朝来てくれたこと。シグナルちゃんに名前をつけてくれたこと。曲を聴いて泣いてくれたこと。全部」
咲は何も言わなかった。
綴の手に、自分の手を重ねた。
冷たい手に、温かい手を。
「あたしこそ」
「ん」
「あなたのノートを見つけて、あたしの毎日が変わった。あなたの言葉を読むのが楽しみで、返事を考えるのが楽しみで。あなたが作ってくれたもの全部が、あたしの宝物」
綴は黙った。
手を、握り返した。
温かい手を、冷たい手で。
二人の手が、廊下のベンチの上で重なっていた。
朝の光が、二つの手を照らしていた。
---
午前七時半。廊下の遠くから、誰かのドアを開ける音が聞こえた。そろそろ、人が来る時間だった。
「……行こうか」
咲が立ち上がった。一限がない日だと言った。綴も今日は休むつもりだった。
「じゃあ、一緒に帰ろう。駅前にパン屋があるの。朝早くから開いてて」
「……うん」
綴はベンチから立ち上がって、ノートを手に取った。緑色の表紙。咲が選んでくれた深い緑色の二冊目。
「……持って帰る。もう、ここに置かなくていいから」
咲がうなずいた。
綴はノートをコートの内ポケットにしまった。胸の上。心臓の近く。
二人で廊下を歩いた。階段を下りた。靴の音が二人分、一段ずつ重なって落ちていく。一階のエントランスを抜けて、自動ドアが開いた。
外に出た。
二月の朝。空気はまだ冷たい。でも日差しがある。強くなり始めた、二月の日差し。
梅が咲いていた。正門の近くの植え込み。白い花が、昨日より増えていた。冷たい空気の中に、ほのかに甘い香りが混じっている。冬の終わりを告げる、控えめで、でも確かな梅の香り。
綴が足を止めた。
梅の花を見ている。
「……きれい」
「うん」
「金木犀のセーブポイント、覚えてる?」
「覚えてる。秋のBGM」
「梅は、何だろう」
咲が少し考えた。
「ニューゲーム」
綴が笑った。
小さく。でも、はっきりと。
「ニューゲーム」
「うん。ここから始まる。二人で」
綴はマフラーの中で笑っていた。目が赤い。鼻も赤い。寒さと、泣いたのと、両方で。でも、笑っていた。
正門を出た。並んで歩いた。
肩は触れていない。手も繋いでいない。
でも、隣にいた。
同じ道を、同じ方向に。同じ朝の光の中を。
もうノートはいらない。
声がある。
小さくて、震えていて、すぐに途切れる声だけれど。
それでも、声がある。
綴の声と、咲の声。
ようやく、同じ時間の中にいる。
---
> ノートの最後のページ。
>
> 綴の字。震えている。でも、はっきり読める。
>
> 「好きです」
>
> その下に、咲の字。涙で少しにじんでいる。
>
> 「あたしも」
>
> ノートは、ここで終わる。
>
> 物語は、ここから始まる。




