第二十二話「コーヒーカップに、レモンタルトを添えて」
カラン――
小さな鈴の音とともに、午後の日差しがふたりを包み込む。いつもの店内。けれど、どこか少しだけ違って見えた。
「いらっしゃいませ……あら」
奥から顔を出した女性店員が遥を見て、目を見開く。
「遥ちゃん、無事だったのね。ほんとに良かった」
「ご心配をおかけして、すみません。……ご無沙汰していました」
「ううん、いいのよ。元気な顔が見られて、安心したわ。今日は――」
ちら、と隣の悠真を見る。
「いつもの彼と一緒なのね?」
「はい。東雲さんです」
「どうも」
ふたりは案内されるまま、窓際の席に腰を下ろす。いつもと同じ席。けれど、そこにある空気は、確かに少し変わっていた。
「……ほんとうに、この場所って落ち着きますね」
遥がそう言いながらカップを手に取る。
「少し来れなかっただけなのに、不思議と懐かしく感じます」
「俺は……ずっと通ってましたよ」
「知っています。私が入院している間も来てたって、この間お見舞いに来てくれた店長さんが言ってました」
「……そうでしたか」
互いのカップから上る湯気が、ふわりと空気に溶けていく。
「このお菓子、初めて見ました。季節限定ですか?」
「はい。レモンのタルトです。春先から少しの間だけ出てるんです。……よろしければ、ひとくちどうぞ」
「……いいんですか?」
「ええ。おすすめですから」
そっと差し出された小さなフォークを受け取る。控えめに一口頬張ると、爽やかな酸味が広がった。
「……確かに、うまいです」
「ふふ、よかった」
言葉の間に流れる静けさは、決して気まずさではない。そこには、病室で分かち合った言葉の続きが、静かに息づいていた。
「……東雲さんって、本を読むの……好きなんですか?」
「え? ああ、はい。小説が多いですけど。ミステリーとか、ちょっと変わった世界の話とか」
「なんだか、意外です」
「……似合いませんか?」
遥が少し微笑む。どこか照れたように。
「いえ、ちょっと意外でしたけど……でも、似合ってると思います」
「……ありがとうございます。雪村さんは?」
「私は……あまり読書は得意じゃなくて。でも、詩集を眺めたりはします」
「詩集、ですか」
「言葉が、綺麗で……。それに、一度に読む量が少なくて済むので、落ち着くんです」
その答えに、東雲は小さく頷いた。
確かに、彼女にはそういう静けさのあるものが似合っている気がした。
会話の合間に訪れる沈黙も、今は心地よい。
そのたびに、ふたりは互いの存在を確かめるように目を合わせ、小さく微笑み合った。
「……変ですね。こんな風に、誰かと趣味の話とかするの、久しぶりかもしれません」
「……僕も、そうかもしれません」
どこまでも静かで、優しい時間だった。
まるで、ここだけ別の空気が流れているような。
けれどその穏やかさの中で、ふたりの距離はほんの少し、確かに縮まっていた。




