第十二話 「二人の間に、コーヒーカップをもう一つ」
その日の午後は、どこか空気が軽かった。
「で?今日の目的地は、例のカフェってことで?」
篠崎亮はそう言いながら、悠真の隣を歩いていた。
無精ひげを剃り忘れたような顔で笑っているが、目だけはどこか楽しげだ。
「……別に、紹介するわけじゃないからな。ただ、静かな場所で課題やるってだけ」
「おお怖。俺がちょっと茶化したくらいでその牽制。わかってますって」
言葉では軽く受け流しつつも、亮は悠真の仕草をよく見ていた。
不器用なくせに、誰かに気持ちを向けてるときほど、こうやってまっすぐになる。
店の扉を開けると、午後のカフェは穏やかな空気に包まれていた。
「あ……いらっしゃいませ」
カウンターに立っていた彼女は、最初に悠真を見つけると、少しだけ微笑んだ。
けれどその目はすぐに、隣にいる亮へと向けられる。
「──こちら、今日はお連れさまですか?」
「ゼミの友人。篠崎亮」
悠真が簡潔に答えると、亮は軽く会釈した。
「どうも。彼とは大学で一緒にぐだぐだしてます。普段は無愛想だけど、実は律儀で、意外と面倒見もいいやつなんです」
「……何を紹介してるんだよ、お前は」
「いやいや、大事でしょ、第一印象ってやつ。こういうのも“布石”って言うんだよ」
彼女は、少しだけ目を丸くしてから、小さく笑った。
今まで見たことのない表情だった。
「では、いつものお席をご用意しますね」
「すみません、ありがとう」
悠真が先に歩き出し、亮は一歩遅れてついていく。
席についたあと、亮はこっそりと耳打ちした。
「……今、ちょっと顔赤くなってなかった?」
「気のせいだ」
「いや、あれは気のせいじゃない。ついでに言えば、お前もさっきからずっとニヤけてるぞ?」
「してない」
「うん、してる」
亮はそう言って、笑いながら水を一口含んだ。
「なんかいいな。東雲のこういうところ、珍しくて好きだよ」
茶化すようでいて、どこか真剣だった。
悠真はその言葉に何も返さなかったが、ほんの少しだけ、肩の力が抜けたような気がした。
──と、その時だった。
「お待たせしました、カフェラテとアールグレイです」
彼女が運んできたトレイを、悠真がさりげなく受け取った。
その自然な動きに、彼女が一瞬だけ戸惑う。
「ありがとう」
「……どういたしまして」
短い、けれどどこか柔らかなやりとり。
その場にいた亮は、肘をつきながら口元をほころばせた。
(ああ、こりゃ──時間の問題かもな)
そう思いながら、カップを掲げた。
「じゃあ、今日も課題がんばりましょー」
「お前、課題よりそっちの観察の方が本命だろ」
「バレた?」
亮の笑い声が、カフェの静けさの中に心地よく響いた。