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神薙  作者:
第三章
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10/20

神威 001

 夢はまた白に塗り潰されていた。違うのは目の前にいる影だ。刀に触れた後の夢と同じだと頭では思っている。

 けれど、その姿はまるで違う。見窄らしい着物を纏ってはおらず、小綺麗な格好をしている。平安時代か、随分と古い時代の装束に思える。水干だっただろうかと考えてみるが、凪冴は日本史があまり得意ではなかった。

 同じことと言えば狐の面だけかもしれない。その後ろに見えていた髪は今は血のように赤い。どちらが地毛なのか、どちらも違うのか。

 体躯はやはり子供にしか見えない。昼間の夢のあの声からも少年なのだろう。

 凪冴は自分の体を見下ろしてみる。今度は巫女装束ではなかった。なぜか制服を着ている。あの白い刀は今少年の腰にあった。

 何を意味するかまるでわからない。

 凪冴は夢を操ることはできない。見たい夢を見ることも、その中で自由に動くこともできない。それなのに、今は夢ではないかのようだった。

 だが、やはり夢でしかないのである。現実の自分はパジャマを着て、ベッドの上のはずであり、こんな奇妙な少年を凪冴は知らない。

「ねぇ」

 凪冴は恐る恐る声をかけてみた。今度は言葉を発することができた。

「お前は俺、俺はお前だ」

 聞こえてくるのは昼間と同じ声だった。妙にクリアに響く。目の前の少年のものなのだろうが、不思議である。

「そのお面、外さないの?」

 彼の顔を見たいと想うが、外せない事情でもあるのかもしれない。だから、外してとは言えなかった。

「まだ、その時じゃない」

「君まで、そんなこと言うの?」

 いつになったら、真実がわかるのだろうか。本当に真実を教えてもらえるのか。凪冴は不安だった。

「俺は神威」

 彼は言った。

「かむい……?」

 凪冴は繰り返してみる。

 それは、その刀の名前ではなかっただろうか。

「神威様と呼べ」

「は?」

 夢はそこで終わってしまった。また疑問が落ちてきた。


 目覚めて何かがあるわけではない。悪い夢だと思わざるを得ない。

 夢は夢でしかない。そういうことなのかもしれない。

 歯形はあれだけ禍々しく存在を主張していたのが嘘のように綺麗に消えていた。

 何の自覚もなかったが、遥希に触れられては痛み、淳也に触れられては逆に痛みを与え、矢野に触れられて倦怠感があったというのに、あまりにあっさりとしたものだった。ショックこそあったが、痛むわけでもない。気分が悪くなったのは鈴の音のせいだ。

 けれど、今日全てが明かされるのだろう。それを願うしかない。


 約束の一時、迎えにやってきたのは黒のハッチバックではなく、セダンだった。運転手は朝永である。

 戸惑いはあったが、乗れと言われれば逆らえない。凪冴の性分もあれば、朝永の威圧感というものもある。

 凪冴が恐々と乗り込んでシートベルトをしたのを見届けて、車は発進する。車内では彼の趣味なのかピアノの演奏が流れていたが、言葉はない。

 凪冴はその沈黙に耐えきれず、そして、疑問も抱いていた。

「矢野さんじゃないんですね」

 迎えに来ると言ったのは彼だ。だから、凪冴は身構えていた。会えば平静を装って接して、手帳のことは一応礼を言おうと思っていた。

「あれは謹慎をくらった」

「はい?」

「謹慎だ。本部で雑用をこなす」

 雑用は元々なのではないかとは言えなかったし、何をしてそうなったかも聞けそうになかった

 今日の朝永は昨日よりもピリピリしているように感じられるからだ。

「お前は今日から正式に〈鬼狩り〉の人間だ。〈鬼追い〉はもう関係ない」

 それは覆らないことだったのだと凪冴は悟る。

 そして、朝永が、〈鬼狩り〉における矢野のポジションだったらどうしようなどと考えてしまった。それを彼にぶつければ、くだらないなどと言われるだろうか。

「〈鬼〉を狩るのが、朝永さん達の仕事なんですか?」

 役目はおおよそ手帳で把握したのだが、神薙機関が表向きどういった物なのかは未だによくわかっていない。〈鬼〉の存在は一般的に認知されていない。神薙機関も国家的なものではなく、あくまで淳也が目を輝かせるような秘密組織に近いようだ。

 彼らがどういう形で神薙機関に所属しているのか、今後、自分がどういう立場になるのか気になっていた。

 一度限りの協力でないなら、凪冴も遅かれ早かれ進路のことを考えなければならないのだから。

「それは、久我がする話だ」

 残念なことに朝永は矢野のようなお喋りではなかった。矢野も肝心なことは教えてくれなかったが、この男に関しては一切話す気がないようだ。

「……すみません」

 それっきり凪冴は口を開かなかった。車内には重い沈黙が訪れ、朝永はそれを歓迎しているかのようだった。


 凪冴が通されたのは久我の執務室だった。

 ソファーに座らされ、向かいには久我が一人座っている。

「〈鬼追い〉の三浦君から一部は聞いただろう」

「少しだけ」

 本当に一部だった。全てを話してもらえたと思えるはずもなく、それはこの久我についても同じことだろう。

「君はもう呆れているかもしれないが、同じ組織でありながら、我々〈鬼狩り〉と〈鬼追い〉ほとんどは連携が取れていない。どちらもその気がなくてね。尤も、これはこちらの方針ではなく、もうずっと昔からそうなのだよ」

 それでいいのかと不安にもなるが、どうしようもないようにも思える。そもそも、〈鬼狩り〉の中でさえ険悪な空気を漂わせているのだから。

「君にとっては、〈鬼追い〉の方が親しみやすいのかもしれないが、今日からは〈鬼狩り〉だ。辛いこともあるだろうが、我々のために力を使えるようになってほしい」

 三人で行動する三浦達からは、それなりの仲間意識を感じられた。しかしながら、朝永は一人のようであったし、月岡兄弟は双子だから、という一言で済ませられるだろう。

 全て、推測しても仕方のないことだったが、そうせずにもいられなかった。とにかく自分の目で耳で、時には鼻で情報を仕入れて物事を判断しなければならない。

 そうしなければ、与えられる情報だけを受け入れていたのでは、ここの空気に飲まれてしまいそうだった。

「どうして、自分がここに入らなければならないのか、さっぱりわかりません」

 はっきりと凪冴は言った。全く納得できていない。

「〈鬼〉に憑かれた者を〈鬼憑き〉というのはもうわかったね?」

「私もそうだったんですよね?」

 ああ、と久我は頷く。

「広く言えば、〈鬼狩り〉や〈鬼追い〉も〈鬼憑き〉だ。〈鬼〉を狩るために〈鬼〉を宿している」

「それが、〈鬼持ち〉ですか?」

 矢野の言葉から何となくわかっていた。手帳にも書き込まれていた。

 どうやら手帳を記したのは神薙機関の人間ではないらしい。だから、〈鬼〉や機関のことは推察が多かった。〈鬼〉を狩る〈鬼〉が存在する可能性や、〈鬼憑き〉が〈鬼〉を征服して戦っているらしいことが書かれていた。

「厳密に言えば君はまだ〈鬼憑き〉だ」

「だって、それは朝永さんが……」

「表層的な部分は削り取られている。朝永は完全には消し切らなかった」

 凪冴はもう癖のように首筋に触れていた。全く不思議に思わなかったわけではない。〈鬼憑き〉と〈鬼持ち〉が同じようなものであるという前提で、〈鬼憑き〉でなくなった自分が、なぜ神薙機関に入らなければならないのか、疑問だった。

「まだ私の中に〈鬼〉がいるってことですか?」

 信じ難いこと、否定してほしいことばかりだった。

「ああ、そうだ。あとは、〈鬼〉を従える訓練をして〈鬼持ち〉になってもらうはずだった」

 なぜ、自分なのか。〈鬼憑き〉と言えば、遥希もそうだったはずだ。けれど、どこかではわかっている。彼ではなくて、自分でなければならない理由を。

「だが、君は神威の呼び声を聞いた」

「あ、夢に出てきた男の子もそんな名前でした」

 神威とは刀の名前だったはずだ。それを聞いたから、あんな夢を見てしまったのかもしれない。

「彼に、会ったね?」

「狐のお面付けた変な男の子でしたけど。神威様と呼べ、とか」

 会ったと言えるのだろうか、と凪冴は首を傾げる。不思議な夢だったが、自信はない。

「うん、神威だね」

 久我はなぜかクスクスと笑っていた。

「神威って何なんですか?」

「あの刀であって、君が見た少年でもある。そして、我々神薙機関そのものとも言える」

 何やら壮大な話なのだろうか、そう感じながらも期待に胸が膨らむわけではなかった。お伽噺ではないのだ。きっと、最後には自分には繋がってきてしまうのだろうから。

「少し、昔話をしようか。これは機関に入る者皆に聞かせる話だ」

 久我が膝の上で手を組んだ。

「神薙機関のかんなぎとは(かんなぎ)……巫女と言えばわかるかな?」

 凪冴は頷く。一度目の夢の中で凪冴は巫女装束を着ていた。関係があるのかもしれない。

「〈鬼〉は何もここ最近生まれたものではない。遠い昔から存在する。それと戦った巫が我々の始まりだ。そして、その巫が使役した〈鬼〉が神威であり、今は彼女が使った太刀に宿っている。神威は〈鬼〉に牙を剥いた最古の〈鬼〉だ」

 あの太刀がそれほど昔からあるようには見えなかった。手入れをしているから美しさが保たれているのか、最近作られた物のようですらあった。特別な〈鬼〉が宿るものだからこそ、保たれているのか。

「始まりの巫亡き後、神威はその意志を継ぐ者の手に渡ってきた。その周囲には〈鬼〉に憑かれながらも自ら〈鬼〉を屈服させ、〈鬼〉を倒すと誓った〈鬼持ち〉が集まったと言う。近年、こうした組織になるまでになったが、最近では神威を使いこなせる人間が現れなかった」

 そう語る久我は寂しげで、彼と話ができるのだろうかと凪冴は思う。しかし、口を挟む余地はない。

「神威は本来なら人が使役できるような存在ではない。千年近い時を経た今でさえその力は劣るところを知らない。否、増しているようですらある。だから、扱いも難しい」

 凪冴の前では少年の姿だった。千年前から変わらないのか、〈鬼〉とは歳を取らないものなのか、聞いてみたいことはあまりに多かった。

「けれど、〈鬼〉は増える一方で、対処できなくなり、失踪や不審死が増え、やがては〈鬼〉の存在も知られてしまうかもしれない」

 現代の怪奇として、面白おかしく書き立てられることもある。あれこれと言う学者もいる。いずれは見知らぬ手帳の持ち主のように、真実に近いところまで来てしまうのかもしれない。

「神薙機関としても〈鬼持ち〉の数を増やそうとしているが、〈鬼〉を征服したとは言っても、宿し続けるのにはリスクがある。心を強く持ち続けなければ、〈鬼〉に魂を食われる。抑え付けて利用する分、反動が大きい。そうして、〈鬼憑き〉となれば、元には戻れない。我々は仲間に手を下さなければならなくなる」

 ずしり、と心が重くなったように凪冴は感じていた。これが現実なのだと受け入れようとしても難しい。恐怖すらあった。

「それでも、ここにいる〈鬼持ち〉は、〈鬼狩り〉も〈鬼追い〉も、皆理由があって、覚悟があって、〈鬼〉を宿している」

 〈鬼追い〉の三浦、咲閒、矢野、〈鬼狩り〉の朝永、星平と夕夜、彼らが何を背負っているのか。そして、これから自分が何を背負っていくのか。凪冴の中にはあまりにも漠然としたものしかなかった。

「〈鬼狩り〉と〈鬼追い〉の違いって何なんですか?」

「〈鬼狩り〉は〈鬼〉を倒す力に長け、〈鬼追い〉は攻撃能力の代わりに授かった力がある。たとえば、三浦君は天眼、鬼を感知する。咲閒君は幻惑、人を惑わして操れる」

 それを聞いて納得した。彼らが三人で行動していたこと、それぞれの役割を。三浦が声をかけていった時、咲間はその隣で彼女の手帳を警察手帳に見せかけていたのだろう。だが、凪冴には効かなかった。

「〈鬼持ち〉になっても、全てが〈鬼狩り〉になれるわけではない。そして、〈鬼狩り〉になれば神威を自らの物としたいと思うのは当然のことだ。皆、〈鬼持ち〉となり、まず〈鬼狩り〉へ、私の下へ来る。だが、条件を満たさなければ、すぐに〈鬼追い〉送りだ。単に能力的な強弱だけでなく、特性というものもあるからね」

『〈鬼狩り〉にとっちゃあ俺らなんて必要ねぇ存在だ。半端者が行くところ、人材墓場。〈鬼狩り〉になったら〈鬼追い〉には絶対落ちたくねぇ、〈鬼持ち〉になるからには何としてでも〈鬼狩り〉でいてぇ、ってな。まあ、〈鬼狩り〉が見下すから〈鬼追い〉もああいう態度になる』

 凪冴は矢野の言葉を思い出していた。彼も〈鬼狩り〉から落ちた口なのだ。

「それ故に、〈鬼狩り〉は自らに誇りを持ち、傲慢にさえなる。我こそは神威を宿そうと考え、他を蹴落そうとする。それでも、〈鬼狩り〉にいたいんだ。〈鬼狩り〉こそ〈鬼持ち〉の居所という考えが強い。たとえば、君が知る矢野君も熱烈だった。彼は〈鬼狩り〉とタイプが違うし、比べてしまえばあまりに弱い。欠陥だらけだ。最近では、わかってくれたらしいが」

 〈鬼狩り〉にいたからこその敵視、使われることへの嫌悪が矢野にはあるのだろう。矢野と〈鬼狩り〉の何が違うのかはよくわからないのだが。

「神威は気まぐれで、特に最近は頑なだ。しかし、君は彼の声……鈴の音を聞き、選ばれた」

 脳を揺さぶり、立っていられなくなるほどの音は朝永には聞こえていなかったらしい。

「それは誰もが望みながら、手にすることのできない強大な力だ。ここには幼い頃に〈鬼〉に全てを奪われ、保護され、訓練を受けてきた者も多い」

 今になって矢野が言っていた最強の力というのが強ち間違いではないのだと気付く。彼はどんな気持ちで言っていたのだろうか。きっと神威を欲していたに違いないのに。

「さて、君の気持ちを聞きたい」

「私の気持ちが関係あるんですか?」

「君は勝手だと思うかもしれないね。拒否権はないと、そう思っているのだね?」

「違いますか?」

 凪冴はじっと久我を見た。彼らは勝手だ。快く了承できるはずがない。しかし、逃れることはできない。そうだ、と久我は頷く。

「君の力が必要なのだ。神威と共に戦ってほしい」

「私が戦うことで、永希さん……桜井永希さんを救えますか」

「そんなに彼が大事かな?」

 今度は久我がじっと凪冴を見る番だった。

「君の同級生のお兄さんだよね?」

 ただそれだけの存在にすぎないだろう、とその目が語っているようにも見える。凪冴だって、以前から永希と接点があったわけではない。

「今の私には、まだそれしかないんです」

 永希が救われることで遥希が救われることが今の願いだ。

「皆さんがどういった事情で、何のために戦うのかわかりません」

 どれだけの人が〈鬼〉に苦しんでいるのかは知らない。見ず知らずの誰かのために一生を捧げる覚悟はできない。

「神薙機関とか、〈鬼〉とか、〈鬼狩り〉とか、神威とか、私にとっては何もかもリアルじゃないんです」

 今はまだ全てを受け止められない。

「だから、私の望みは桜井永希さんを元通りにすることです」

「今はそれでもいいだろう。まずは目先のことをどうにかする必要があるだろうからね。そして、気持ちの整理がついたら真剣に考えればいい。私はいつでも相談に乗ろう」

 そこで終わりという選択肢がないというのはわかっている。どんなに優しい言葉を吐いても逃がす気はないだろう。機関の窮状など凪冴は知らない。本当は知りたくもなかった。

「水野凪冴」

 はい、と返事をして凪冴は背筋を伸ばす。

「本日、〈鬼狩り〉一軍への配属を命じる。班の決定は追って通知する」

「よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げるが、何の実感もなかった。

「君の指導は知っている奴に任せよう」

 そう言って、久我は立ち上がると電話を手に、どこかへかけ始めたようだ。


 まもなく、執務室の扉が叩かれる。そうして、入ってきたのは、朝永だった。

「彼女の指導はお前に任せる。頼んだぞ」

「よろしくお願いします」

 彼に頭を下げたところで、彼が微笑んでくれるわけでもなかった。どうせ、自分の鍛錬の時間が削れるとでも思っているのだろう。凪冴の中でも彼はそういう扱いでしかなかった。

「彼に案内してもらうといい」

 久我が言えば、朝永はくるりと踵を返す。

「ついてこなければ、置いていく」

 久我を見れば、彼はもう行っていいと言うように微笑んでいる。

 そうして、凪冴は慌てて朝永の後を追った。彼の場合、絶対に冗談ではない。平気で凪冴を置き去りにして自分は大好きな鍛錬に励むのだろう。

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