第1回 大手の城
本郷橋ダンジョン生命の電話は、ここのところ、めっきり鳴らなくなっていた。
救助要請も、加入の問い合わせも、討伐連合の騒ぎのあとに比べれば半分以下だ。まなみは受話器を眺めながら、なんとなく落ち着かない気分で、午後から始まる研修を待っていた。
「入場者数が、先月より四割も減っています」
隣の席で、シャルマが端末の画面を見ながら言った。
「下層で何が起きているのか、探索者のみなさんもわかってきたんでしょう。危ない時期は潜らない。賢明な判断です」
「でも、それって……」
「ええ。潜る人が減れば、事故も減ります。うちの支払いも減る。ですが、加入も減ります。それに」
シャルマは、窓の外の商店街に目をやった。
いつもなら、装備を担いだ探索者たちが行き交う時間だった。今はシャッターを半分下ろした店が目立つ。一階の中古装備屋の店主が、店先で所在なげに煙草をふかしていた。
「探索者が潜らなければ、魔石も素材も出てこない。この街は、それで食べているんです」
まなみは、何も言えなかった。
窓際の席では、保科が書類に目を通していた。救助要請が減ったぶん、溜まっていた報告書の整理をしているらしい。この半年で、保科がこんなに長く事務所にいるのを、まなみは初めて見た。
社長室のドアが開いた。
「保科!」
剛三が、一枚の紙を振りかざしながら出てきた。
「業界団体から依頼だ。大和の本社でやっとる新人のフォローアップ研修で、救助実技の講師をやってくれとさ」
「講師、ですか」
「お前、配信で名前が売れたろう。顔はわからんが、名前はな。それで、ぜひにと言ってきおった」
剛三は、紙を保科の机に置いた。
「謝礼は、この額だ」
保科が紙に目を落とす。まなみも横から覗き込んだ。
思わず、目を見開いた。
「……閃光玉、五十個分くらいありますね」
「そうだ!」
剛三は、満足げに腹を叩いた。
「どうせ暇なんだ。行ってこい。会社の名前も売れる。小野寺も研修に行っとるから、ついでに面倒を見てやれ」
「研修は、明日で終わりですが」
まなみが言うと、剛三は鼻を鳴らした。
「明日の午後が救助実技だそうだ。今日のうちに下見に行ってこい」
剛三は、それだけ言うと社長室へ戻りかけ、ふと振り返った。
「それと、大和の連中に、なめられるなよ」
ドアが閉まった。
保科は、紙を手に取ってしばらく眺めていた。
それから、小さく息をついた。
「小野寺さん。午後から、ご一緒させていただけますか」
「は、はい!」
大和探索生命の本社は、駅前の一等地にそびえる、ガラス張りの高層ビルだった。
まなみは三日前から研修で通っているが、何度見上げても、首が痛くなる。本郷橋の雑居ビルなら、二十棟は入りそうだった。
エントランスには大理石の床が光っていた。受付には制服姿の女性が三人並び、来訪者に整った笑顔を向けている。天井から吊るされた巨大なモニターには、ダンジョンの映像と、大和探索生命のロゴが映し出されていた。
――探索者の、すべての明日のために。
モニターの下に、そんな標語が掲げられていた。
まなみの隣で、保科が足を止めた。くすんだ紺色の作業着に、使い込まれた革の装具。手首の革帯には小さくなった二本の鎖が巻かれている。
大理石のエントランスの中で、その姿は、どう見ても場違いだった。
行き交うスーツ姿の社員たちが、ちらちらとこちらを見ていく。
「……保科さん、着替えとか、なかったんですか」
「これが、仕事着ですので」
保科は、気にした様子もなく受付へ向かった。
「本郷橋ダンジョン生命の保科です。明日の研修の救助実技の件で、下見に伺いました」
受付の女性が、一瞬だけ笑顔を固まらせた。それから、手元の画面を確かめる。
「……はい、伺っております。研修担当の者が参りますので、少々お待ちください」
待つこと五分。
エレベーターの扉が開き、銀縁の眼鏡をかけたスーツ姿の男が、早足で近づいてきた。
まなみは、その顔に見覚えがあった。
三日前から、研修の司会と進行を務めている男だ。ただ、それより前に、テレビで見たことがある。討伐連合の出発式で、銀色の鎧に身を包み、自信満々に演説していた。
鷹宮恭一。
「……ほ、保科、さん」
鷹宮は、保科の前で足を止めると、顔を引きつらせた。
「お久しぶりです、鷹宮さん。研修の担当をされているとは、存じませんでした」
「ああ、まあ……いろいろあってね」
鷹宮は、眼鏡を押し上げた。
討伐の失敗のあと、部隊長を外され、研修の担当に回されたのだと、まなみは研修生たちの噂で聞いていた。
「それより、なぜあなたが講師に……いや、業界団体の決定だから、私がとやかく言うことではないが」
「謝礼が、よかったもので」
保科が言うと、鷹宮は一瞬、何と返していいかわからない顔をした。
それから、深くため息をついた。
「……案内しよう。救助実技は、地下の訓練場でやる」
エレベーターで地下へ降りる途中、鷹宮が、建物の案内を口早に説明した。
「一階から五階までは、一般の業務部門。六階から十階が研修センター。明日の式典は、二十階の大ホールでやる。それから」
鷹宮は、エレベーターの階数表示の一点を指さした。
十五階。その数字の横に、小さな鍵の印がついていた。
「十五階は、査定部だ。部外者は立ち入り禁止。社員でも、査定部の人間以外は入れない」
「ずいぶん厳重ですね」
まなみが言うと、鷹宮が胸を張って答えた。
「保険金の支払いに関わる情報は、すべてあそこにある。外部の回線からは完全に切り離されていて、印刷もできない。私物の端末は、ゲートで預けなければならない。閲覧には役員の認証が要る書類もある。業界でも、あそこまで管理が厳しい会社はほかにないよ」
「何を、そんなに守っているんですか」
保科が、ふと尋ねた。
鷹宮の口が、一瞬だけ止まった。
「……顧客の個人情報だ。当然だろう」
エレベーターが、地下に着いた。
扉が開くと、広々とした訓練場が広がっていた。人工の岩場や縦穴、狭い通路を模した構造物が、体育館ほどの空間にいくつも組まれている。壁際には、救助用の担架やロープ、最新式の魔導具がずらりと並んでいた。
「すごい……」
まなみは、思わず声を漏らした。本郷橋ダンジョン生命の講習で使っている教室とは、比べものにならなかった。
保科は、訓練場をゆっくりと歩いて回った。人工の岩場に手を触れ、縦穴の深さを目で測り、担架の留め具を一つずつ確かめていく。
「明日の実技は、ここで構いません」
「何か足りないものがあれば、用意するが」
「いえ。十分すぎるくらいです」
保科は、壁際に並んだ最新式の魔導具を、少しだけ羨ましそうに眺めていた。
下見を終えて一階に戻ると、エントランスは明日の式典の準備で慌ただしくなっていた。
業者が花を運び込み、報道陣の受付の机が並べられていく。モニターには、「大和探索生命 創立二十周年記念式典」の文字が映し出されていた。
「明日の式典には、社長と役員が全員出席する。テレビ局も何社か入る。生中継もあるそうだ」
鷹宮が、少し声を落として言った。
「研修生も、最後に式典を見学することになっている。小野寺くんも、二十階のホールに入れるよ」
「わあ……」
まなみが目を輝かせると、鷹宮はなぜか、少しだけ表情を緩めた。
「……研修生には、いい経験になるだろう」
エントランスの奥では、警備員たちが何人か、式典の段取りを確かめていた。濃紺の制服に、腰には警棒。明日に向けて、臨時に人を増やしているらしい。
まなみは、その中の一人に、ふと目を留めた。
背の高い、五十がらみの男だった。ほかの警備員たちと同じ制服を着ている。けれど、制服の袖口からのぞく手首に、古い傷痕がいくつも走っていた。刃物か、爪か。まなみには、探索者の手のように見えた。
男は、エレベーターの階数表示を見上げていた。
十五階。小さな鍵の印。
それから、二十階。
じっと、見つめていた。
「小野寺さん」
保科の声に、まなみは我に返った。
「帰りましょう。明日は、早いですから」
「あ、はい」
まなみは、もう一度だけ振り返った。
傷だらけの手首の警備員は、もう人混みの中に消えていた。




