高い壁
学園に戻ってきた日から二週間、ラルクは毎日アルマと戦っていた。
今もまた、素手のアルマに剣を振るう。
「速いが直線的だ!」
リーチの差はあるが、アルマの独特なステップのために上手く攻められない。
刃圏がぶれる。
「ぐっ、」
「今のは攻撃のチャンスだった、相手が緩む隙を見逃すな!」
アルマは本来なら攻撃を読ませないこともできるのだろう。
ただ、その水準に達している学生はいかにこの学園とはいえまあまずいない。
故にアルマはわざと隙を晒して、それを突かせようとしていた。
「くっ、とはいえ、分からないッ、」
と、その時ステップを踏むアルマの体勢が一瞬だけ崩れた。
ラルクはすかさず最速最短の突きを繰り出す。
「あからさまな誘いには乗るなよ」
次の瞬間、体勢を崩したはずのアルマが滑らかに地面を蹴り急加速した。
声を出す間もなく、ラルクが殴打され撃沈する。
「いたいっ!」
「もっとよく見ろ!筋肉の収縮を重心を、相手の目線を気の流れを、相手の動きのすべてを!」
結果は0勝1072敗と、さんざんなものだった。また地面に倒れながら、ラルクは彼に語り掛ける。
「くっそお、もう一週間も経つのに、全然勝てる気がしない」
「一応全体的に向上、特に視線と重心を見極める能力は良い傾向にあるんだがな。とはいえ元の差が差だ」
「俺って才能ないのかな」
「誰にも才能などはない。自分より上の人間と比べるとな」
ラルクは連敗に次ぐ連敗で、明らかに傷ついていた。勿論ずっと戦っているだけあって怪我の痛みも筋肉痛もひどいが、それより心の方が深刻そうに見えた。
よくない傾向だな、とアルマは思って、
「まあいい。目的の定まった高強度の鍛錬は人を劇的に強くする。適当な奴とでも戦って、成長を実感するんだな」
「えっ、あっ、どこに行くんだ!?」
「錬金しに行ってくる」
思えば彼の本業は錬金術師で、しかも目的を果たすための手段も錬金なのだ。
そう言うと彼は、踵を返して裏門の方に歩いて行ってしまった。
ぽつんと、ラルク一人が残される。
「……適当な奴って、」
ラルクは辺りを見渡す。
すると休みだというのに、何人か熱心な生徒たちが鍛錬をしていた。
しかしその誰もが、ラルクだったら容易に勝てる者たちだった。動きからも、魔力量からもそれが伝わってくる。
「困ったな。ヨシュア先生に稽古つけてもらうか?いやでもあの人、ここで教師やってるだけあって強すぎるんだよなあ」
彼はうーんうーんと唸る。
「学園三傑と実際に戦えれば一番いいんだけど。とは言っても三人と面識あまりないしなあ」
この学園の生徒総数は3000を超え、しかも学年ごとに校舎が分かれてしまっている。別学年同士の交流も殆どなければ、特段表彰のようなものもないため、彼は残り二人の顔を知らなかった。
と、そこでふと、ラルクは学園三傑の一人、クラトスがレイシアの兄であったことを思い出した。
「訪ねてみるとするか。あそこは兄妹仲がいいらしいし、邪険にはされないだろ」
いわばラルクは彼の妹の命の恩人だ。
ラルクは裏門から出て、まっすぐしばらく行ったところにあるブライトハート家に向かうことにする。
そうして一分ほど歩いて裏門の近く、体育館の隣までやってきた辺りで。
「誰かっ、助けてください!!」
悲鳴が聞えてきた。
急ぎ走ると、体育館の陰で少女が男に腕をつかまれていた。
休日。この近くにはほとんど人がいない。
珍しいことではない。
即座にラルクは、走り出していた。
「何をしているんだ!!」
怒気を込めて、男を威圧するように吠える。
強盗か、強姦魔か、あるいは殺人鬼か。どれとも判断がつかないが、とにかくマズイ状況だった。
幸いラルクは訓練用ではない、真剣も腰に帯びていた。
バッと彼は体育館裏に躍り出る。躍り出て、
「おや、これは面倒くさい」
そこには金の髪を腰まで伸ばした、中肉中背の男が立っていた。容姿は整っていて、服装からも貴族の出であることが予想される。
そして目の前では小柄な少女が、腕をつかまれていた。
「助けてください!」
「ぐっ、待っていてください、今助けます、」
「ははっ、君が助ける?」
彼はラルクが現れても焦ることなく、笑いながらあごに手を当てていた。まるで彼が来ても何の問題もないかのように。
「ぐっ、何がおかしいんだ」
「いやいや、服装を見れば分かるだろう?私は貴族で、君は平民だ。無駄に敵に回さない方がいいと思うけどな」
昔は身分の差は絶対であったわけだが、今から30年近く前に賢王と名高い先王アルトドーラスが王国法を改正した。
昔は貴族が平民を殺しても責には問われなかったわけだが、今では遺族に銀貨20枚を払うよう『法改正』がなされたのだ。
王国民800万の頂点に立つ、1000人足らずの貴族たち。彼にとっては、今この少女に何かをしようとしているのも遊びの一環に過ぎないのだろう。
だがしかし、ラルクは剣を構えていた。
「関係あるか」
「おや、」
「お前が貴族だろうが何だろうが、悪人であることに変わりはないんだ」
「……ふっ。ふふっ、はははははっ!!」
目の前の男はそれを聞いて、哄笑を上げ始めた。額に青筋を浮かべ、怒りを目に宿しながら。
凄まじい魔力を、ラルクは肌で感じた。
「まったく、下民はどこまでも愚かで救われない」
「……魔力量を、偽装していたのか」
「ああ。私くらいの魔力になると、遠くにいる者に存在がバレてしまうからね」
「……」
その者の持つ魔力量というのは体外に漏れ出る魔力を感じることで、経験あるものなら遠目からでも大体測ることができる。遠くからでも燃える炎の熱を感じられるように。
ただ体外に漏れ出る魔力を抑えることで、魔力量を誤魔化すこともできるのだ。
「さて、今ならギリギリ見なかったことにすることもできるが」
ラルクはちらりと、怯えた表情の少女を見た。
「見なかったことになんて、できるはずがないでしょう」
「くくくくくくくっ、ははははははははっ!!!」
相変わらず狂ったように笑った後、男は魔法の杖を構えた。
「その勇気気に入ったぞ!せめてアイスの棒くらいは立ててやろう!」
「ぐっ、」
ラルクは向こうの少女を見遣るが、魔力量があまりに乏しい。逃げることも、攻撃することもできないだろう。
仕方がなく剣を前に構えた。
刹那、目の前の男の右腕に魔力が集まっていく。
「死ね。ウィンドブラスト」
一瞬の詠唱。超上級の風魔法。目にも止まらぬ速度で彼の右手から暴風が発射される。
そう、発射。
それは途中で拡散することもなく、こぶし大の密度を保ったままラルクに襲い掛かった。
その間実に、0.05秒。
哀れにも身の程を知らず、少女を助けにやってきた橙髪の小英雄は木っ端みじんに粉砕される。
はずだった。
「見える」
彼が見えると発言したのは、魔法が発動する直前。
男の目線から自分の心臓の上が狙われていることを知り、彼は既に斜め前に踏み出していた。
「何ッ!?」
目の前の男が、明らかに狼狽する。魔力量から格下だと思っていた人間に魔法がかすりもせず驚愕する。
次に男の取った行動は回避だった。短い距離。あの魔法を躱した人間なら一瞬で詰められるだろう。
「……は?え、あっ、」
男は右に思いっきり飛んで、足を剣で貫かれていた。
「なにいいいぃっ!!?」
ラルクは剣を投擲していた。男の重心と左足の一瞬の収縮から、彼の動きを予測していたのだ。
「いてえ、くそっ、」
そしてラルクはその隙を見逃さなかった。
「逃げますよ、そこの方!」
「ぐっ、しまった、待てッ!?」
背後に回り、少女の手を取ったラルクに向かって手を伸ばすが、そこで右足が痛んで転んだ。
「あの人はしばらくは走れません。でもたぶん、今の俺じゃまだ勝てない!」
ラルクは全力で投擲した剣が、彼の太ももを貫通すらしていないことに気が付いていた。
必死に追いすがろうとしてくる男を置いて、彼は明るい方に駆け出して行った。
帰り道、少女を人気の多いところまで送り届けた後でラルクは一人考える。
「うーん、確かに先読み能力は、上がってたな。今までだったら最初ので負けてた」
そう思い、嬉しくなると同時にまたこうも考える。
「とはいえ力が足りなくて、あんまりダメージが入るイメージが湧かなかった。剣も失ったし、あのままやっていても勝ち目がなかったな」
「成長はできた。でも一般生徒にも勝てないんじゃ三傑はどうしようもないかあ」
彼はため息を吐いて、夕暮れの帰路を一人歩む。
一方、光の当たらない体育館裏で、男は必至に止血をしていた。
「くそっ、あのクソカス下民がっ!!。この私に、傷をつけるだなんて、」
男の筋肉のおかげで剣は腿に少し刺さるだけに留まっており、しばらくすれば歩けそうだった。
彼は憤怒の表情を浮かべながら、しかし頭の冷静な部分では疑問に思っていた。
「しかし、アイツは誰なんだ?」
「三傑の一人たる私に、あそこまで抵抗するとは」
彼は学園三傑の一人にして、風魔法使いのユリウス・ブレイクフィールド。
この世に強くなる裏技なんてものはない。ただラルクは既に、日々のトレーニングで基礎の能力が出来上がっていた。
彼はまだ自覚していなかったが、この二週間で彼の実力は飛躍的に上がっていた。