最終話 ロード・オブ・
パチリと目を覚ますと、そこは知らない空だった。
「……?」
辺りを見渡してみるけれど、やっぱり昨日までとは似ても似つかない街並み。
ていうか僕は、さっき確か、
「あー、効果が出るまでにそれなりに時間がかかるのか。兎にも角にも成功したわけだから、首尾は上々と言えるが」
「え?」
そして僕が後ろを見ると、黒い髪と黒い目をした、大人の人が立っていた。
鋭い目つき。大きな隈。けれどもなんでか、すごく優しそうに見えた。
「えっと、あなたは?」
「俺はお前の両親の、まあ知り合いの知り合いといったところか?」
「お父さんとお母さんの!あっ、そう言えばあの人たちはどこに、」
「……それは、」
そのときこの人は、苦しそうな顔をした。
「……それは、だな、」
「……」
「そのー、なんというか、ほらアレだ。遠いところで二人幸せに」
「死んじゃったんだね」
「……!!」
分かってはいた。分かってはいた。
僕はあのとき、炎の中で命を落としたのだから。
「そうか、僕は一人になるのか……」
友達も、好きな人も、家族もみんな死んじゃって、たぶん僕が生きていてもいいことはない。どうしようもない。
どうしようもなく、世界は捻じれているんだ。
「ありがとう、僕を生き返らせてくれて。そしてごめんね」
「あっ、おいっ、!」
「じゃあね」
僕はそれだけ言って駆け出そうとした。良い死に場所を、見つけるために。
「待て!」
けれども黒髪の人に掴まれて動けなかった。僕だってすごく強いはずなのに。
「なに?どうせ僕が生きていても、この先いい事は」
「ある」
「……」
「ある」
それは断言だった。その人は嘘とかじゃなく、確信を持った眼でそう言っていた。
「俺はアイツじゃない」
アイツ?
「アイツと違って、俺には人をどう救えばいいのかは分からない。……けれど、」
「人に人は救えるということは、アイツから教わることができた」
彼は語る。
かつて、一人ぼっちの少年がいたことを。
かつて、排斥された少女がいたことを。
かつて、貧しい人々がいたことを。
かつて、子を失った母がいたことを。
けれども誰もが今は、幸せとはいかずとも、なんとか満足することができたと。
「誰かを思いやること。誰かを愛すること。……そして誰かと一緒に、幸せになろうとすること」
「きっと人間の世は、そういう暖かさで回っている」
「……人は人を、殺すっていうのに?」
「ああ」
彼はきっぱり断言した。僕は驚いた。
「確かに悪意的な人間はいるし、人を妄信することはよくない。……だがきっと優しい人はたくさんいるし、優しくすれば相手も優しくなってくれる」
「アイツの本質は、誰かを愛するということだった。だから誰もがアイツを愛したし、アイツと関わった人間はみな暖かい気持ちになれた」
アイツというとき、彼の声は少しだけ嬉しそうになった。大好きなんだろう。
「お前は両親を愛していたか?」
「うん」
「お前は友を愛していたか?」
「うん」
「なら大丈夫だ。お前は生きてさえいれば、簡単に幸せになれる」
「幸せって、簡単なものなのかな」
「いいや違う。お前なら簡単というだけだ」
「人を愛すること、それこそが幸せになるための唯一の道なのだから」
彼の黒い瞳には、けれども希望の炎が灯っていた。
暖かい。
空を見ると、不思議とそこに懐かしさすら感じるようになっていた。なぜだか涙まで、流れてきた。
「ああ、」
死んじゃったんだ。みんな、お父さん、お母さん、
「うわあぁぁん!!」
「よしよし、大丈夫だ」
暖かい。
手で頭を撫でられる。それはどこか、懐かしい感触だった。
僕は泣き続けた。日が暮れてもずっと、大切な人たちのことを思い続けて。
そして黒い髪の人は、いつまでも傍にいてくれた。日が暮れても、朝になっても、いつまでも、いつまでも。
「俺は、エリクシルを錬金をすること自体は諦めた」
「だが、手に入れること自体を諦めたわけじゃない。考古学者となり、かつてグレート・リセット以前にアルジールが作ったというエリクシルを探すことにした」
アルマの資質は、手先の器用さや魔力の質といった才能的なものを求められる錬金よりもむしろ、知識や思考の量を求められる考古学にこそ向いていた。
「そして俺は、エリクシルの行方を探った。無論、エリクシルを献上された皇帝が使ったという可能性もあったが、実際はそうでなかった」
「アストラフィア・グローリーソード。奴は石橋を叩いて叩いて、さらに先に他人を進ませてから渡るタイプの人間だ。にも関わらず、自分の命を危険に晒すことを厭わなかった節がある」
「一縷の望み……、何度目かは分からない一縷の望みにかけ奴に問いただしたら、数百年前、グローリー王国がエクリム跡地からエリクシルを発見したことを告げてきた」
「そこでアストラフィアに頼み込んだら、ある理由からあっさりと譲ってくれたわけだ」
「俺はテーゼンシアの子を蘇らせた」
なぜ姉でなく、彼を蘇らせたのかは彼には分からなかった。
「だがそんなことはどうでもいい。重要なのは、なにがさてアイツが自らの手で、全ての人を救うことに失敗したということだ」
「しかしそれでもアイツの想いは炎となって、俺らを救った。そうして俺らにもその炎は渡されて、また俺らは誰かに炎を伝えていく」
「アストラフィアはお前が何を考えていたのか気になって、ヴェートを見に行った。そして飢えで苦しむ人たちは減った」
「黎音は竜王として、龍神風見天華と共に武力で以て戦争を禁止した。そして戦争で苦しむ人は減った」
「俺は錬金術師として、誰でも作れる万能な魔法薬を開発した。そして病に苦しむ人も減った」
「あまりに都合が良すぎる、というか完璧すぎるが、俺達はお前の炎を受け継いでいたから、ここまでのことを成せたんだ」
テーゼンシアは暗い諦観のために、エリクシルを探す前に世界樹を再生させる計画を選んだのかもしれない。
彼女はより善い道を歩むことを放棄した。そしてそれが、ラルクを知る者とそうでない者の差だった。
「お前は理想の騎士になるのには失敗したが、理想を叶えるのにも失敗したが、少なくとも世界はお前の理想に、一歩近づいた」
「……」
「まあ、ハッピーエンドといって問題ないだろ」
「……」
「……」
「……ああ、だけれど」
「――できれば姉さんやラルクとも、この世界を生きたかったなあ」
また日は昇る。そして今日も、人々の談笑する声で地上は活気づくのだろう。
一抹の寂しさもあった。
するとふと後ろから、彼は話しかけられた。
「何をほっつき歩いている」
「なぜここが分かっ、いや、分かるか」
「ああ。貴君が王宮を朝抜け出すとき、大抵奴らの墓に来ているからな。――今日は朝からデートの約束だろう?破るなど許さんぞ」
「破らねえよ」
彼は彼らしくもなく、頬を掻きながらぶっきらぼうに言った。
「俺も楽しみに、していたんだからな」
「――ふふ、そうか」
黎音は天華と結婚した。彼は同姓で、しかも異母姉妹で正気かと思ったが、存外二人は本気のようだった。
そして彼女らは去年、可愛らしい竜人の赤子を見せてくれた。名前を風見ラルクというらしい。全然忘れられていないなとアルマが茶化すと、それはお前もでしょうと返された。彼は何も、反論することができなかった。
クラトスはなぜか、独り身を貫くと言っていた。貴族としての責務はどうするつもりだとアストラフィアが問いただしたら、彼はもう、そういう時代じゃないと言った。
既に彼は失踪していたが、数か月後にアルマによって、彼が実家の墓を荒らしてレイシアの遺骨を掘り出していたことが発覚することになる。さらにその数年後、難民キャンプで炊き出しをしている彼が黎音に発見される。
ラルクの妹は癌の叔母を看取った後、隣家の青年に嫁いだ。ラルクのことを慕っていた、幼馴染だそうだ。注意深いアルマはラルクの代わりにその男が彼の妹に相応しいのか見に行ったが、彼は笑顔が似合う、心の澄んだ青年だった。
ラルクの妹にラルクの面影を見出したのが結婚した際たる理由だったことに目を瞑れば、まあ完璧だっただろう。
裏で誰かが犠牲になることのない、本当の意味での平和が訪れ、皆の考え方は大きく変わった。
最近ヴェートの全族長たちは、美味しい食べ物を求めて獣王国に旅行したらしい。そこではかつてのバートルのような頭の悪い、されど誰も彼もを受け入れる度量を持った人々と良好な関係を築けたそうだ。
「……しれっと闇が深そうなのが結構いた気がするが、まあいいか。幸せそうだったしな」
「しかし貴君は、よく墓参りに行くな。今月毎日じゃないか?」
「許せ、最近テーゼンシアの子供を復活させたんだ。ラルクとの約束や、姉さんを生き返らせるのが不可能になったことや、色々と思うところがあってな」
「ふむ……」
たぶん大切な人を失った寂しさは、一生消えることはない。ふとした時に、思い出して俯いてしまう。これは完璧なハッピーエンドではない。
ただそれでも、誰かと幸せに人生を歩んでいくことはできるのだろう。彼も彼女も、人を愛せるのだから。
「お前も兄の墓参りにはよく行くんだろ?」
「ああ」
グローリー王国では先代王が崩御しアストラフィアが王となって、あらゆる悪法が改正された。まず、あの王位継承制度は消滅した。
一人の王が死しても次の王がいるから、エリクシルが最悪なくても大丈夫になった(これがアルマにエリクシルを譲った理由の一つである。ただ最大の理由は、死ぬときはアルマと共に死にたいからという、アストラフィアらしくもない夢想的なものだった)。
それと、平民や被差別部落民などにも『人権』というモノが与えられ、王都には笑顔が広がるようになった。
何もかもが良い方向に向かっている。
大いなる意志、行ってしまうと意志の集合に過ぎないのだが、それが正義に傾いているからだろう。少年の炎の導くままに。
「それでは最近、美味いスイーツの店が大通りにできたそうでな。折角だから行こうではないか」
「お前、意外と甘党だよな。昔偏見で、食事はどうでもいいと思っているのだとばかり」
「昔は実際、忙しくて気にもしなかった。だがまあ、もう今となってはな」
彼らは談笑しながら、王都のその件の店に向かって行った。その表情は晴れ晴れと、実に気楽で楽しそうで。
彼の目の下に、もうつい先日まであった隈はなかった。
結局、彼らの燃えるような生が何に続いているのかは杳として分からない。
ただ確かに最初エリクシルがあるからという理由で道を選んで、そしてエリクシルはあくまで最終目的地ではなく、人生という長い旅路にあるものの一つに過ぎなかった。
ロード・トゥ・エリクシルではなく、ロード・オブ・エリクシル。
この先は、何の目的地があるのだろうか。
いったい何個の目的地があるのだろうか。
……今はアルマは、それを考えない。
ひとまず一つの目的地にたどり着いたことを知って、それでゆっくりと休んでいた。
次の目的地は、何日後か何年後か、或いは何十年後かに決めればいい。あるいは平和な時代なのだから、目的地なんてなくてもいい。
ただ人は、幸せに生きていればそれでいいのだから。
ロード・オブ・エリクシル、――完――
……彼らが去った後、陽を浴びて輝く墓の横の墓碑には小さく、アルマでもしばらく気づけなかったほど小さく、こう記されていた。
子に殉死した騎士リークの息子ラルク・ブライトハートと その主君レイシア・ブライトハート ここに眠る――と。




