開戦
あの事件が起きた次の日、黎音はラルクに嫌われたんじゃないかと憂鬱な気分で目を覚ました。睡眠があまり必要ない竜人にしては珍しい寝坊だった。
黎音はおどおどしながら横の机に座っている少年を見る。
けれども帰って来たのは、いつもの少年の声だった。
「あ、おはようございます黎音さん。ご飯はもう作ってますから」
「……」
「味は保証しませんが、栄養だけはしっかりしていますよ。……って、黎音さん?」
「なぜ私に、優しくするのですか?」
黎音は自分でも驚くほど低い声で、そう言っていた。
「私みたいな醜い悪人に、いったいなぜそこまで優しくするのですか。なぜ冷たく、汚物を見るような眼で、悪意を込めて接しないのですか」
「……」
「私はお前とは真逆です」
黎音が心中を吐露する。シーンと室内が静まり返った。黎音はどこか、空気が張り詰めていくような錯覚に陥る。もっともそれは、黎音の罪悪感が生み出した文字通りの錯覚だったのだが。
ラルクはぽりぽりと、頬を掻いて、
「あれ、前に言いませんでしたっけ?」
「え?」
「黎音さんは黎音さんなりに、愛を求めてきたのだから醜くはないのだと。悪も人間の姿の一つでしょう」
「ッツ!!」
その言葉に黎音は少し許されるような気がして、しかしそれ以上にこのままではいけないような気がした。
天地がひっくりかえったとしても、ラルクという人間が人を嫌うことは絶対にない。だから今までの黎音ならば邪悪のままでもよかったのだろうが、今はあの少女の涙を見てしまった。
「……ラルク」
「はい?」
「私は、変わりたいのです」
「……」
彼女がそう言葉にした時、ラルクは困ったような顔で言った。
「美しく在ろうとするのは、いばらの道ですよ。負い目のある人には、特に」
彼は悪人が悪人であることを許容する。人の性質はそう簡単には変わらないのだから、それがその人間を救うためであるのなら。
黎音は思わず吐きそうになって、
「でも、黎音さんは根は善良みたいだ。手伝えることがあるのなら、手伝います」
けれどすぐに少年は、にっこりと笑った。
あっと黎音は、胸が暖かくなるのを感じた。少なくともこの少年は、自分が善人になれることを認めてくれたのだと思って。
三時間後。呼びかけがあり、ラルクたちは広場に集まっていた。
ぞろりと騎士たちが勢揃いし、前にはクラトスが立って、全員が集合するのを待っていた。
こうしてみると、全員が隙がないですねと黎音は思った。特に先頭に立っている立派な髭をした初老の男と、杖を持った暗い雰囲気の女性は、二人合わせれば私にも匹敵しかねないと黎音は推測する。
そんなことを考えながら、数分。よたよたと重い荷物を持った男が最後尾に加わったとき、クラトスが口を開いた。
「さて、全員が集まったみたいだから、手短に話すべきことを伝えよう」
挨拶も無く、手短という言葉。黎音を除く全員は、何か急がなければいけない理由があるのだと理解した。思えば、呼び出しも急だった。
「まずは諜報部隊が探り出してくれた敵戦力についてなんだけど、良いニュースと悪いニュースがある」
「ふぉっふぉっふぉ、砦が築かれていませんでしたか」
「……!!ああ、正体不明の三人の女性によって、二日前まで獣王国が妨害されていたらしい」
それを聞いた時、どよめきの声と歓声が上がった。獣王国と王国ではヴェートまでの距離が違う。王国は要塞化されていることを覚悟で、過剰ともいえる大戦力を送ったのに、それが杞憂で終わったのだ。
「ならば残りは、要塞化が進む前に攻め落とせばいいだけですな。ここには大魔術師レミィ殿と、竜将黎音殿、それに私めがいるのですから」
「……いや、シャグラン翁。悪いニュースもあると、言っただろう?」
「ふむ?」
シャグランと言われた初老の男は首を捻った。
「要塞を攻め落とすのが前提の戦力を、どうにかできるはずが」
「向こうに『愚獣』バートルと、『蠱猫』李 红玥がいる」
「!!?」
「なっ!!?」
ざわつく広場に、キョトンとする黎音。彼女はこっそりラルクに聞いた。
「誰ですか、その二人は?」
「えっ、知らないんですか!?」
「はい。正直獣王国に興味がなかったので……」
頭はいいが、意外と世間知らずな所もある黎音だった。ラルクは目を丸くして、しかしすぐに元に戻って、
「バートルと红玥は、獣王国で二番目と三番目に強いと評されている人たちですよ」
「一番は?」
「それは獣王ですが、バートルは獣王と比べても大差ない実力を持っているそうです。曰く、たった一人でライ王国の一個大隊を蹴散らしたとか、砂漠で遭難したとき素手で地下水が噴出するまで地面を掘ったとか」
「……そんなのを相手に、大丈夫ですか、ラルク」
それを聞いた黎音は不安そうな目で彼を見つめてきた。
しかしラルクは笑って、
「大丈夫ですよ。王国としても獣王国としても、できる限り戦争には発展したくない。武力を行使してまで魔石田を取ろうとしていて妙と言えば妙かもしれませんが、それでも相手をなるべく殺さない事、それが大国間の暗黙の了解としてあるんです」
「相手をなるべく、殺さない?」
「ええ、だから俺もクラトス様達に付いて行くのに忌避感情がなかったわけですし。……ああ、ちなみに昨日のうちにヴェート人の虐殺をしたら俺らは協力しないと、条件も付けておきました。」
人を救うということに関しては、あのアルマ以上に抜け目のない男だった。
ともかく黎音は安心して、
「ならお前が殺されることはないのですね?」
「そうは言っても、武力衝突するわけですからリスクはありますがね。バクフー魔石田の重要さを考えれば、戦争が起こってもやむなしの考えで来るかも知れません」
「……アルテラと聖絶が妨害するまでは、戦争をする気だったそうですしね」
「ええ。流石に諸外国から咎められて頭を冷やしたでしょうが、可能性の一つとして頭に入れておくべきです」
「その通り!今回の任務は普段の、殺される危険性の低い任務とは話が違う」
そこでクラトスが、ラルクたちの話を利用して話を展開してきた。
「ラルク君の言った通り、今回王国と獣王国は、戦争になるかどうかの瀬戸際にある。向こうは全力で殺しに来るかもしれない。そしてだからこそ、こっちは絶対に向こうを殺すな」
「!!?」
「……それは、どういうことでしょうかねー?クラトス様ー」
そこで大魔術師レミィと呼ばれた女性が、声を上げた。
「現在王国は龍王国との同盟を結んでいるんでしょー?なら別に、獣王国と戦争になったって、」
「だからこそだよ。向こうに一方的に非があるのなら、第三者国の龍王国も大々的に介入できる、というか介入せざるを得ないわけだ」
「!!?それは、龍王国の協力を得るためだけに、私たちに死ねって言っているようなものじゃ、」
「その通り」
クラトスが首肯した。えっと、ざわめきが広がって、
「まさか王国の為に死ぬ覚悟のない、騎士はいないだろう?」
「……、」
「獣王国は強い。帝国との仲も良好だから、龍王国なしに戦えば、王国の敗れる可能性は高いだろう。ならば僕らは、どんな手を使ってでも王国を守らなければいけない」
「なら、魔石田を捨てればいいだけでは、」
「そうして弱気でいれば、国は弱くなる。そしていつか、ヴェートのようにすべてを奪われる。6年前魔石田を巡って戦争が起きそうになった時点で、あるいはもっと前に、数百年のかりそめの平和にはひびが入っていたんだよ」
そう、特別な何かがあったわけではない。ただ、数百年の歳月を経て情勢も勢力も何もかもが、少しずつ変わっていったのだ。平和な時代に人が多くなりすぎて、領地は足りなくなりつつある。帝国や龍王国など、五大国内でも傑出した武力を持つ国が現れ始めた。
全員の緊張が高まる中、クラトスは空の下で宣言した。
「僕らは今、数百年ぶりの戦乱の時代にいる」
「かつてこの星には10を超える大国が群雄割拠していた。だが今残る、いわば大国と言える国はたった5つ。なぜ王国が永久不滅のものであると言えようか」
「第一目標は魔石田の確保だ。……だがそれが難しいようなら、その時は王国の礎となりて死ね!我が国が誇る、勇士たちよ!!」
騎士たちは重苦しい息を吸って、そして雄たけびを上げる。
それは祖国の為に死をも覚悟した、男たちの声だった。
一方ラルクはクラトス様、少し変わったなと思っていた。
もうちょっと柔らかい人物だった気がするけどと思って、レイシアが亡くなり、結果クラトスが次期当主になったことに思い当たった。変わらなければいけなくなったのだろう。
誰もが、変わっていく。
季節を知らぬ、ジメジメした真夏の熱が周囲を覆っている。丘の上でラルクたちは、決して遠からず広がる青の海と、時々青の何かが煌めく岩の地面を見た。
「すごい、魔力だな」
クラトスはぽつりとつぶやく。
「金額にして幾らなんだろうね。少なくとも、ブライトハート家の資産は超えるな。……王女様が帝国の動きも怪しいというのに、僕らを送ったわけだ」
そしてクラトスは、バクフー魔石田の上で目まぐるしく動く人々を見た。
砦のようなものを築こうとしている彼らは、全員が獣王国兵の服装をしていた。
「人数は300ほど、つまり僕らの部隊の1.5倍。だけど、一人一人の練度はこちらが上だね」
王国側の兵は半数が国家最高の王国騎士団団員である。クラトスより強い人間は、指の数では足りないほどだった。
「向こうが気づいていない今のうちに、一気呵成に攻め落とすぞ」
王国の到着が遅れる場合に備えて一応要塞化を進めていたバートルは、前方10㎞の地点に現れたそれを見て、舌打ちした。
「クソ、アストラフィアのことだから当然と言えば当然だが、早えな」
「にゃー、やっぱり来たにゃ!来ることは分かってたのに、将軍何で砦なんて作らせてんだぞ」
「どうせ戦闘員は大した体力使わねえだろ!それにヴェートの採掘技術の話がノータイムで王国に流れて、さらにアイツが1、2日で決断しなけりゃこうはなんなかった!!」
「うにゃー、言い訳ばっかり。やっぱり将軍はバカなんだから、天才のあたしに任せるべきだったにゃ」
小馬鹿にした態度で言ってくる红玥にバートルはさらに舌打ちをして、砦の建設に携わらせている兵士たちに向かって叫んだ。
「太陽の方角8.7㎞、王国軍が現れた!各自戦闘配置に着けっ!!」
「はっ!」
「クソ猫、テメェは俺に付いてこい。王国軍の対象を討ちに行くぞ」
「はーい。あれでも将軍お前いつも、戦争になるから殺しは控えろって、」
「状況が変わったっつっただろ!」
ポコッと彼女の頭を叩く。彼女は頭を押さえて抗議の視線を向けてくるが、無視して、
「今はもう、獣王サマと皇帝が戦争をご所望なんだよ」
「なんでにゃー?」
「そもそも、戦争が止まったこと自体おかしなことだとは思わねえか?五大国と言われているだけあって、当時もそいつらは戦力を潤沢に持っていたはずだ。なのになぜ、見た目も特徴も大きく違う異種族間で和解ができたのか」
「……確かににゃ」
「戦争を止めた500年前の皇帝は七冠聖絶に殺され、しかしその前に聖絶に助けられていた」
「帝国を盟主としたのも、戦争を止めたのも、すべては七冠聖絶の意向だったんだよ」
「……なら、」
「ああ」
バートルは言った。
「聖絶の絶対性が揺らいだ今、もう我慢する必要はねえ。今度こそ星の、覇権が決まるんだ」
バートルたちは実際に会ってみて、聖絶が自分とは違う次元にいるということを理解した。ただその上で、獣王の強さに絶対的な信頼を寄せていた。
そしてそれは、龍王国の龍神も、王国の騎士団長も、誰も彼もが同じで。




