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ロード・オブ・エリクシル  作者: ナムル
第三章 闇照らす燈火
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貧国

 ラルクはヴェートの文化について、図書館で借りてきた羊皮紙の厚い本で調べていた。

 彼は行く先々の所で失礼のないように、あらかじめ風習などを学んでおくのを常としている。


「言ってしまうとなんだけれど、古臭い風習が多いなあ。時代錯誤というか」


 ぺらぺらとページを捲りながら、彼はそんなことを呟く。そこにぴょこんと黎音が顔を覗かせてきた。


「経済の発展と文化の発展には関係がありますからね。ヴェートの貧しさを考えれば、当然のことでしょう」

「黎音さん。やっぱりヴェートは、その、あんまりお金を持ってないんでしょうか」

「一応降水や資源自体はあるので、そこまで酷くはないのでしょうがね。龍王国や王国とは比べるべくもないでしょう」


 ラルクはこの時、自分の生まれ育った村を想像していた。貧しいがそこまで酷くないということは、王国にしては貧しいあの村くらいだろうと。

 その考えが致命的なほどに間違っていたことを、今の彼は知る由もない。




 冬に近づいて行っているはずなのに、少しずつ暖かくなる周囲。東へ、南へ。

 あれから一週間ほどが経ち、茹だるような蒸し暑さを感じる。周囲には南国風の高い植物が。


 果たして彼らは、ヴェート南部に辿り着いていた。奇しくもテーゼンシアたちが『目的の物』を発見して、この国を去ったと同日。

 旅の途中での脱落者は運よくたった二人のみ(ちなみに伝染病が原因である)。おおよそ万全の状態で彼らは、獣王国との決戦を迎えることが出来そうだった。


 勿論、長旅からすぐに戦闘というわけにはいかない。

 英気を養うためクラトス及び上級騎士たちはヴェートの大使館に泊まり、下級騎士や大使館での寝泊まりを断ったラルクたちはその近隣に宿した。


 高床づくりの小さな木造の家。質素を好むラルクは、近くにあった一番安い宿を借りた。

 黎音は無数に襲い来る異形の虫たちを少し鬱陶しく思いながらも、ラルクと閨に入る。


 高地の龍王国では味わえない、蒸し暑い夜だった。氷竜人というのもあって暑さに弱い黎音は、中々眠りに就けない。


「すみませんね、黎音さん。王国のいざこざに巻き込んでしまって」


 そこに同じく眠れていなかった彼が、そんな声をかけた。黎音は首を振って、


「いえ。龍王国としても、本件で活躍できれば王国に恩を売れるでしょうし、それに

「それに?」

「聖絶との決戦の場としては、ここは都合がいいですから」


 都合がいい。それはどういった意味だろうか。と、そんなことを思っていると、


「聖絶はいわば、人類の宿敵です。それを倒す価値も計り知れないし、何よりどの国も多かれ少なかれ彼らを恨んでいる。どうにかして他の国も巻き込めれば、倒せる確率は上がるでしょう」

「ッツ、」

「それに何より、ここで暴れても龍王国にも王国にも被害が出ません。」

「黎音さん!!?」


 彼女が吐露した邪悪で醜悪な理由。要するに他人に負担を押し付けようとしているだけに聞こえて、


「繰り返し言いますが、私は悪人ですよ。美学も正義も、何かもかもを手に入れそこねた悪しき竜です」

「……、」

「私は私と、そして私の大切な物以外の一切を慮りません」


 それは何があってもラルクを守るという、宣言でもあった。

 黒い花のような純粋な想いに、ラルクは悲しそうな顔をした。


「誰もがお前のように、正しいわけではない。むしろ殆どの人間は大なり小なり醜悪で、その醜悪さになんとか自分なりの折り合いを付けていくしかないのですよ」

「……そんな事、分かっています。この世界はそもそも、正しさでできてはいないんですから」


このときラルクの脳裏には、ある少年の姿があった。彼がああ生きるしかなかったのも、世界が歪んでいたからではないかと思って、



「誰か、誰かァアーーッ!!」


 そのとき、外から叫び声が聞こえてきた。


 ラルクは即座に立ち上がって、黎音に手を掴まれる。


「……何をするんですか、黎音さん」


 彼にしては珍しく怒りをあらわにして、手を振り解こうとする。が、黎音の方が力が強い。


「あまり理解していないようですが、ここは敵地ですよ」

「それが何だっていうんですか」

「助けるリスクばかりがあって、メリットがありません。ここで留まっていましょう」

「ッツ、お前!!」


 思わずラルクが殴りかかるが、それが通用する相手でもない。軸足を蹴られ、彼はその場で綺麗に一回転した。


「ラルク」

「ぐっ、う、」


 冷然とした瞳が見下ろしてくる。ラルクは背中の力で跳ねて、何とか起き上がった。


「助けに、行かないと」

「お前が助けようとしているのは、お前がこれから害そうとしている相手なのに?」


 彼女のセリフに、ラルクは目を見開いた。


「少し考えれば分かることでしょう?私たちとこの国は資源を奪い合う敵同士なのですよ」

「……」

「まさか考えてもみなかったなどとは言わせませんよ。お前は正しさについて、誰よりも真摯に考えてきたのですから」


 そう、考えていなかったわけではない。だからラルクは苦々し気な表情で、きっぱりと言った。


「それでも助けられる人を助けないのは、間違っている。俺は利益を得るために戦いますが、別に相手に苦しんでほしいわけじゃない」

「……苦しそうな顔で言いますね。利益を得るために戦うのなら、敵地で一人襲われるという不利益を避けるために、我慢するのが道理では?」

「う。ぐ、……」


 ラルクは自分の矛盾に気が付いていた。そしてその矛盾の解決方法が、二つしかないことも理解していた。ただ、片方は悲鳴を上げた人を見捨てることになるから、そしてもう片方は()()()()()()()()()()()()()()言うわけにはいかなかった。


「でも、行かなきゃいけないんだ!人を見捨てるくらいなら、死んだ方がマシだ!!」

「ぐっ、!?」


 全力のローキック。彼が自分に対して本気の攻撃を行ってくるのは想定外だったからか、……()()()()()()()()()()()()、黎音が一瞬怯む。


「やあっ!!」

「くっ、ラルク、待ちなさい!!」

「待ちません!!」


 ラルクはラリアットで黎音を後ろに転倒させると、窓を開いて悲鳴の聞こえてきた方に飛び込んでいった。

 あの馬鹿、と黎音は青筋を立てながらも、その後を仕方なく追う。




 それから少しして、黎音はすぐにラルクに追いついていた。

 宿を出て、まっすぐして熱帯性の雑木林の中に入ったところで、彼は止まっていた。


「はあ、はあ、ラルク、ようやく追いつきましたよ」

「……」

「首が少し痛みますね。なんであんな、いきなり暴力を……、ラルク?」


 ラルクは何も言葉を発さなかった。

 そしてうっ、うっ、と、少女の泣く声が聞こえてきた。


「……!!」


 ラルクよりも若そうなくすんだ白髪の少女だった。頭から猫獣人らしい耳を生やしているが、独特の縞のある尻尾からして虎獣人だろうか。

 少女は顔を泣き腫らしていた。いや、厳密に言えば、顔を腫らして、そして泣いていた。



 少女の足の間からは、真っ赤な血が流れていた。


「……え?」


 黎音の頭が真白になる。今までの自分の決意が、一瞬で瓦解したのを感じた。


「……黎音さん」

「はっ、はいっ!!」

「どうかこの子を、家まで送り届けてあげてください」

「……えっ?」


 それだけ言うと、ラルクはその場を去っていった。なぜ、あのラルクが自分の手で助けようとしないのかと思って、


「…………あ、」


 黎音は気が付いた。最後までやっていないというのに犯人がこの場にいないということは、彼らはラルクを見てすぐに逃げたのだろう。 

 当然だがこんな世界、目撃者など殺せるのならそれに越したことはない。魔法で骨も残さず消滅させるなり何メートルも穴を掘って埋めるなり、完全犯罪は容易なのだから。


 つまり犯人は、魔力量だけで言えばそこまで多くないラルク相手に勝てないと理解していたのだ。この場に残る臭いから、3人はいたと推測されるのに。いや、殺してはいけない理由があったのかもしれないが。

 それにあのお人好しのラルクが何もできずに帰ったことと、今この近隣に誰が来ているのかを考えれば、犯人は明らかだった。


 グローリー王国騎士。

 だから王国民のラルクは、龍王国所属の黎音に任せたのだ。……ラルクが心に受けた傷は、どれほどだろうか。


 「ううっ、あううぅっ、」


 泣いている少女を、黎音は見る。どうすればいいのかは分からなかったが、とりあえず彼女に近づいていった。


「よしよし、辛かったですね」

「うあああー!!ああー」


 そう言って黎音は屈むと、彼女を抱き上げた。少女が暴れようとしているので、とりあえず暴れさせたまま立ち上がる。

 パニックになった彼女は、顔や胸、肩を何度も叩いてきた。自分より強い者に襲われた恐怖、大切な物を失った悲しみ、人倫を外れた者たちへの怒りと屈辱、無数の悪感情の波に呑まれているのだろう。

 黎音は肉体こそ痛まないものの、眉を顰めた。


「……そういえばずっと昔、姉さんがこうやって励ましてくれましたっけ。あの時は拒絶してしまいましたが」


 黎音は少女の頭を撫でた。それでもやっぱり暴れるから、撫で続けた。

 忘れていたが、こうされると心が不思議と落ち着くのだ。


 いつしか、泣き疲れて少女は寝てしまった。


「……純粋な、顔ですね」


 撫でている時、彼女はとても安らかな寝顔をしていた。

 ああ、私も彼らと何も、変わらないというのに。


 ふと黎音は、ラルクに対する罪悪感ではなく、少女に対する罪悪感を覚えていた。

 ああ、なぜ私は私が悪であることを、当たり前のように許容していたのだろう。


 その後黎音は近隣一帯を回って少女の家を探し、無事に届けることができた。

 その時、彼女の肉親と思しき老婆は、瞳に深い悲しみと怒りと絶望を湛えていた。しかしそれでも少女を届けてくれたことに対する感謝の言葉を絞り出していた。







「……やっぱり、ラルク、お前が残るべきでしたよ。見かけは王国民の仲間ですが、実態はあべこべなのですから」


 彼女はラルクが外で剣を振っている中、部屋に一人で誰に喋るでもなく呟く。


「どうやら私は、私が思っているよりも嫌な人間だったようです。少なくとも、生まれがなんだので言い訳が利かないほどには。……今までなら、こんなこと気にも留めなかったのでしょうに」


 数百年の、見ないふりをしてきたものが黎音にのしかかってくる。石を裏返されて陽なたに出されたダンゴムシの、なんと場違いで醜いことだろうか。 


 暗闇。



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