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ロード・オブ・エリクシル  作者: ナムル
第二章 大地の涯
30/71

もう一つの戦い

 標高12000m。ここより上に魔物は住まないし行かない。たとえこの上に、最上のご馳走(魔力)があるとしても。

 なぜなら……、


「かはっ、喉がっ、」

 

 独特の生臭い匂い。すなわちオゾン。

 オゾンは0.5ppm以上で人体に有害な影響(呼吸障害、気管支の痛みなど)を齎すとされているが、この高度でのオゾン濃度は3ppm、その6倍にも達していた。


 平地に比べて空気が薄く、また上り坂ゆえ彼の呼吸回数は著しく増えている。このまま行けば、いかにアルマと言えど中毒症状が出るのも時間の問題であろう。


「くそ、完全に失念していた。なぜ魔物がこれより上に生息していないのか疑問に思っていたが、毒があったのか。オゾン層か、想像できたことだろうに」


 様々な分野の知識を要求される錬金術師の彼は、科学に対しても造詣が深い。だからこそ彼は悪態を吐いていた。自分としたことが、焦り過ぎていたと。


「毒を防げるものは、ないな。ならば、早く登って、早く降りるしかない」


 幸いにもラルクがいないため、ペースをかなり上げることができていた。

 この分で行けば、あと30分で山頂まで到達できるだろう。


「降りるのにも40分程度。……まあ分かりきっていたことではあるが、奴らの勝負は確実に決着しているだろうな」


「……いや、一旦ラルクのことは忘れろ。俺が生きてここを抜けること、それが最優先だ」


 彼は凍り付いた地面を、一歩一歩踏みしめる。クレバスにでも落ちたら大きなタイムロスになる。

 一歩一歩。幸い魔物はもういない。だから、絶対に踏み外さないように、


「……む?」


 そうしていると、高さ100mほどの断崖絶壁が目の前に現れた。切り立った氷の壁。

 彼からすれば、登れないこともない高さだが。


「……ふらつく。眩暈か」


 毒は彼をじくじくと蝕んでいた。涙で視界はぼやけ、呼吸がおかしい。胸はずきずきと痛み、これが致命的な痛みなのかどうかも分からない。


「仮に上っている最中に、1秒でも意識を失ったら……、」


 受け身が取れるのなら話は別だが、無抵抗のまま頭から氷の地面に落下すれば、死は免れない。

 崖を登るのは危険だ。


「かと言って、迂回すれば時間がなくなるな」 


 究極の二択だった。どちらも命がけ。普段の彼ならば一旦諦めて帰っている所だった。

 しかし、今回はラルクが命がけでここまで送ってくれた(ラルクとしては黎音を救うため残っただけだが)。

 それが彼の判断を鈍らせた。


「……登るか」


 そう言うと彼は、氷壁のわずかな取っ掛かりに片方しかない手を伸ばした。

 滑る。手がかじかんで痛い。力が入らない。現在の気温は-30℃。地獄。


 必死に涙の流れる目を凝らし、掴める突起を探す。探したらジャンプするように掴んで、上へ上へと進んでいく。


 ふと彼は、オゾンの中毒症状では眩暈は起きないことに気が付いた。寒さか大気の薄さか疲れか、何かマズいものが体を蝕んでいる。

 早く登らないといけない。さもなければ死ぬ。手を伸ばす。


「……?」


 なぜかとっかかりに手がかからなかった。

 何度も氷壁をガリガリと掻いた後に、それが氷の内側の凸凹と光の反射の兼ね合いで、突き出ているように見えただけであることに気が付いた。

 急ぎ過ぎてもダメだ。落ちるかもしれない。次登るときは今より毒は体に浸透し、体力は摩耗しているだろう。


「……くそ、」


 彼としても、命の危機はあまり経験のないことであった。

 体が竦む。前へ進まなければいけないというのに。


「いや待て、俺は何馬鹿正直にこれを登っている?」


 と、そこで彼の動きが止まった。何かに気づいたように。


「つくづく頭が回らなくなっているな。……岩の周りを氷が覆っている、ならば、この氷を素材と見做すことも可能なわけだ」


「魔石は……、あった。錬金」


 刹那、自分より上の氷が解けて、水が降り注いでくる。彼はそれを横に移動して躱すと、先ほどの錬金で岩壁が露出している部分を登り始めた。

 氷壁を掴むのと岩肌を掴むのでは摩擦と突起の大きさの関係で大きく違う。まるで地上を走るかのような速度で、彼は上昇する。


「はあ、はあ、!」 


 今だけはどんなに呼吸が荒れても、急ぐしかなかった。

 上まであと10m。下は向かないで、一心不乱に登る、登る。


「……ぷはぁ、」


 そうしていつしか、崖の上に手を掛けていた。力を振り絞って、体を平地に乗っける。

 衰弱していく体とは反対に、安堵があった。


「まだ、俺は生きているぞ」


 視界に頂上が見える。青の輝水が眠るとされている、龍神山山頂。

 残りの道は平坦であった。

 彼はゆっくりと草木一本生えない、死の道を歩んでいった。






 頂上のカルデラ湖。そこは不思議な所だった。

 まず、高度16000mだというのに春のように暖かい。マナのエネルギーによって気温が上昇しているのだろうか。

 そしてオゾンの臭いがしない。というか、通常の大気がマナに押しのけられて存在しない。マナを呼吸しているというのが、体内のマナ濃度の上昇によってひしひしと感じられる。


「……これが、青の輝水か」


 山頂の湖は、名前通り青く輝いていた。おそらくマナ本来の色が青なのだろう。

 神秘的な空の色をした花々が、池のほとりに咲き誇る。湖には、青い色をした蓮が浮かんでいる。


「美しいな」


 体の不調はたちどころに治り、ただ彼はこの山の主に対して畏敬の念を捧げていた。龍神。全ての竜たちの神。この莫大なマナでさえも数百年前、彼女が生きていたころの残滓に過ぎないというのだからそら恐ろしい。


 彼は湖のほとりで屈むと、水筒をポーチから取り出した。パカンと蓋を開け、中に水を汲もうとする。

 

「……ん?」


 と、そこで彼は違和感に気が付いた。


「……なぜ、沈まない?」


 水筒が水面下に入っていかないのだ。押し返されるような力を感じる。

 片腕でなく、両腕で無理矢理水筒を水面に入れようとするが、ミシミシと嫌な音が聞こえる。


「……沈むより先に水筒が壊れるな。何が起こっている?」


 彼は怪訝そうにしながら、恐る恐る手を水の中に入れようとする。幸い、押し返される力こそ強いものの、手は入っていった。そして彼は気が付いた。


「重い」


 凄まじい水圧に、手が潰されそうになる。水圧は密度に比例し、浮力も密度に比例する。浮力のせいで水筒が入らなかったのか、と彼は理解した。


「そういえばマナ自体にも質量は存在しているのだったな。重すぎてこのままでは持っていけん」


 考える。どうにかして輝水を運ぶ方法がないか。

 空を見上げる。雲一つない大空。どこかすぐ近くに感じられる天空。


「……………錬金、か」


 錬金において質量保存の法則は成り立たない。そして錬金によって作られたものは、錬金によって元に戻すことが出来なくもない。理論上はこれで、輝水を運ぶことができる。


「俺の魔力でできるか?そも、こんなマナ濃度の高い地に長くいて大丈夫なのか?」


「……だがこれしか手段がないのだから、仕方がないか」


 彼はそう言うと小さな黒の魔石を取り出して、錬金を開始した。

 



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