田中天狼のシリアスな部活前
教室前方のスピーカーから、割れ気味のチャイムの音が鳴り、長くて退屈な帰りのホームルームの終焉を告げた。
「きりーつ! きょーつけー。れーい!」
日直の間延びした声に促され、クラスのみんなは一斉に立ち上がり、バラバラな礼をした。
「おーし、お前ら、部活が終わった後は、あんまり遅くまで残らずに、早めに帰るんだぞ~」
そんな俺たちの姿を苦笑交じりで見回しながら、担任の松辻先生はそう言うと、黒い出席簿をひらひらと振りながら教室を出て行った。
それを見送った俺たちは、一斉に小さく息を吐くと、思い思いの行動を取り始める。
ある者は、カバンを肩に担いで、脇目も振らずにさっさと教室を出て行き、またある者は、隣の友人と楽しげに語り合い始め、またある者たちは、ひとつの机に集まると、隠し持っていたゲーム機を取り出し、手強いボスモンスターの討伐に赴こうとしていた。
そんなクラスメイト達の喧騒をよそに、俺は、机の中に入っている教科書やノートを取り出し、カバンに詰め込む単調なルーチンに取り掛かり始める――。
と、
「――お前も、これから部活か? 田中」
「え……?」
不意に名を呼ばれた俺は、驚きと軽快の表情を顔に浮かべながら、声のした方を見る。
声の主は、秋原獅子だった。
俺は、強張らせていた表情を少し緩めると、小さく頷きながら答える。
「う……うん、まあ。――そういう秋原も、水泳部か?」
「あ、おう。そうだよ」
俺の問いかけに、秋原は頷きながら、肩から吊り下げたスポーツバッグを持ち上げてみせた。
「――今日は、自由形のタイムを計る日なんだ。夏のインターハイには間に合わないけど、今日のタイム次第で、私が秋大会の出場選手に選ばれるかもしれねえんだってよ」
「へぇ~、そうなんだ。頑張れよ」
どことなく嬉しそうに話す秋原に、俺も微笑みながら言葉を返すと、教科書を突っ込んだカバンのチャックを閉め、ショルダーベルトを肩にかける。
――と、
「あ……あのさ!」
急に、秋原がどもり声を上げた。
「……ん? どうした?」
俺は、怪訝な表情を浮かべつつ、秋原の方に目を向ける。
秋原は、僅かに逡巡する様子を見せたが、意を決したように頷くと、俺に向かって口を開いた。
「あ……そのさ! お前、キミョー部に行くんだったら、あのセンパイたちに言っておいてくれないか? ……『秋原が、「すみませんでした」って言ってた』って……」
「いや、だから……」
思いつめたような顔をしながら、伝言を頼んできた秋原に、俺は思わず苦笑いを浮かべた。
「あの事……お前が奇名部に入らなかった事は、お前が気に病んだりする事じゃないって、あの時も言っただろ? お前の責任なんか、これっぽっちも無いんだからさ」
「う、うん……。いや、でも……」
俺がかけた言葉に頷きつつも、秋原は煮え切らない様子で俯いてしまう。
「でも……私の名前の事で、野球観戦に連れて行ってくれたり、色々手を尽くしてくれたのに、私が我儘言って水泳部に入っちゃったから……その、やっぱり悪いかなって……」
「だから、秋原が悪い事なんて何も無いって言ってんだろ?」
俺は、秋原の言葉に、首を振りながらキッパリと言った。
「部活を選ぶ権利は、お前自身にあるんだから、お前が入りたいと思った部活に入るのは当然だろ? そもそも、『名前に対するコンプレックスが無かったら、奇名部に入る』なんて約束は、ウチの部長の頭の中にしか無かったんだから、お前が反故にしようと別に問題ないって」
「で……でも……」
「だーかーらー! もういいんだって。結局、部費がどうのこうのっていう問題は、何とかなったんだからさ」
と、俺が少し強めの口調で言い切ると、秋原はようやく納得した様子で、おずおずと頷いた。
「そ……そっか」
「そうそう! だから、お前は安心して泳いで来い!」
そう、俺に促され、秋原はニッコリと笑う。
いつも眉間に皺を寄せた、険のある表情ばかりだった彼女が、初めて俺に見せた自然な笑顔に……不覚にも、俺の胸は少し高鳴った。
――と、教室の時計をチラリと見た秋原が、慌てた様子でスポーツバッグを担ぎ直す。
「――あっ、いけない! もう、部活に行かないと遅刻しちまう! じゃな、田中!」
「あ、ああ……じゃあな。――ガンバレよ」
「おう! サンキュ!」
俺の激励に、満面の笑顔で手を振りながら、秋原はドアの方へと向かう。
そして、教室を出る間際に、こちらを振り返ると、
「あ! やっぱ、センパイたちとアクアに伝えといて! 『ありがとうございました!』って!」
と叫んだ。
そして、俺が「ラジャっす」と答えて、指でOKマークを作ったのを見届けると、満足そうに頷いてから、駆け足で廊下を駆け去っていった。
「……ふぅ」
俺は、まるで嵐のような秋原とのやり取りに少し疲れて、小さく溜息を吐いた。
そして、少しずり落ちたカバンのショルダーベルトを肩に掛け直し、
「……じゃあ、ボチボチ俺も向かうとしますかね。奇名部に」
と独り言ちながら、ドアの方へ向かおうとする――。
と、その時、
「あ、ああああのっ! た、田中さんッ! こ、ここれから、部活に行くんですかッ?」
「……へ?」
やたらとどもった甲高い声に、俺は再び訝しげに振り向いた。
そして、真っ赤な顔をして佇む声の主に向かって、首を傾げつつ答える。
「あ……うん。そうだけど……そ、それがどうしたの、黒木さん?」
「あ、あああ、あのぉう!」
黒木さんは、壊れたCDプレーヤーの様にどもりながら、眼鏡の奥の黒目がちな目を大きく見開く。
そして、真っ赤な頬をますます紅く染め、
「じゃ、じゃじゃじゃあっ! わわ私とい、一緒に行きましょう!」
教室の外を指さしながら、俺に向かって言ったのだった。
「――ききき奇名部にっ!」
――と。




