第11章 罠⑦
カレンが、シュルッという音を立てて、ベルトを引き抜いた。
細い編皮を何本か束ねた、お洒落なベルトだと思っていたものが、一瞬にしてムチに変わった。
「そんなもんまで、身に付けとったんか」
悟が呆れたように、ぽつりと呟く。
カレンは、右手に握ったムチを空中高く一直線に伸ばすと、そのまま器用に、手首から肘まで巻きつけた。
「サトルを撃った代償は、高くつくわよ」
抑揚を抑えた声で言うカレンの全身からは、妖気が漂っている。
劉は、ますます残忍な笑みを、顔一杯に張り付かせた。
根っからのサディストである劉は、美しい女を切り刻むのが大好きなのだ。
特に、カレンのような気の強い女なら、尚更だ。
カレンをねじ伏せ、その美しい顔をナイフでずたずたに切り裂く。
それを想像するだけで、股間が熱くなるの感じる。
暫く、二人は睨み合っていた。
時間にしてものの数秒ほどであったが、二人の対峙を眼を凝らして眺めていた悟には、永遠の時が刻まれていくように感じられていた。
やがて、二人の周りの空気が揺れた。
劉が、素早くナイフを突きだしてくる。
それを、カレンが右手に巻いたムチで弾く。
軽く金属のこすれ合う音がして、劉のナイフが流れた。
ムチには、鋼線が幾重にも織り込んである。
小口径の弾なら軽く弾くだけの硬度があるので、ナイフくらいではびくともしない。
平気で弾き返したように見えたが、ナイフを受けたカレンの右腕は痺れていた。
それほど、劉のナイフを繰り出すスピードが速かったのだ。
切っ先に込められた力も、常人のものではなかった。
噂以上だ。
顔にこそ出さないが、カレンは劉の強さに、内心舌を巻いていた。
同時に、久しぶりに本気で殺り合える相手に巡り会えた喜びに、打ち震えてもいた。
再び、劉のナイフが、カレンの胸を襲う。
今度は強く踏み込んでいる分、さきほどの攻撃より速度が増している。
ナイフが胸へと突き刺さる寸前に、カレンが身体を回転させた。
その反動を利用して、劉の後頭部に、鋭い肘を打ち込んだ。
劉が「グッ」と低い呻きをあげたが、カレンに躱され前へと泳いでいた状態が幸いして、致命傷には至らなかった。
続いて、カレンが蹴りを入れようとした。
それを予測していたように、振り向きざま、劉がナイフを横に払った。
すんでのところで足を止めて、カレンがナイフを躱す。
カレンの額から、一筋の汗が静かに流れ落ちている。
悟は、こんなカレンを見るのは初めてだった。
これまでどんな敵であっても、涼しい顔をして一撃のもとに倒してきたカレンが苦戦している。
表情にこそ表さないが、汗をかいているのを見ても、カレンが苦戦しているのがわかった。
劉の攻撃が変わった。
カレンを隅へと追い込むように、素早く、小刻みにナイフを繰り出してきた。
カレンが、劉の素早いナイフを躱わしながら、後退していく。
そうやって、徐々に壁際へと追い詰められていった。
遂に、背中が壁に張り付く。
退路を失ったカレンの胸に、凶悪な光を放ちつつ、劉のナイフが襲い掛かる。
「あかん!」
悟が絶望的な声をあげるのと、カレンの身体が沈み込むのが同時だった。
ナイフが、カレンの頭上すれすれを掠めていった。
幾筋かのブロンドが、宙に舞う。
渾身の力を出した一瞬の隙を突いて、カレンの両足が、劉の脛を強襲した。
劉がバランスを崩し、前へとつんのめる。
劉のナイフが、コンクリートの壁に深々と食い込んだ。
劉が態勢を立て直す間も与えず、カレンが立ち上がりざま、肘を劉の脾腹に打ち込んだ
劉の身体が、クの字に折れる。
間髪を入れずに、劉の後頭部に、踵を叩き込んだ。
俗に言う、踵落としだ。
劉が、膝を突く。
止めを刺そうと、劉の側頭部めがけて、カレンが強烈な回し蹴りを放った。
刹那、空中に鈍い光が走った。
カレンは咄嗟に軌道を変えて、劉が引き抜きざま払った二本目のナイフを、すんでのところで躱した。
足を下したカレンの右脛が斜めに切り裂かれ、うっすらと血が滲んでいる。
獣並みの反射神経を持つカレンでなかったら、脛を断ち割られていただろう。
カレンと並び称されるだけあって、劉も凄い。
あれだけ、カレンの攻撃が急所に決まっているというのに、勢いも衰えずに反撃してくる。
常人ならば、とっくに戦闘不能になっているはずだ。
悟は、カレンがここまで苦戦するのを見たことがない。
カレンを信じてはいるが、心配だった。
しかし、固唾を飲んで二人の闘いを見守ることしかできない。
カレンに助太刀したくても、二人の常人離れした戦闘には、とても手が出せない。
却って、カレンの邪魔をするだけだ。
悟は、歯がゆい思いを堪えて、手に汗を握っていた。




