第10章 魔女の成長⑥
いろいろなモンスターが、そこかしこに現れるというゲームが流行った時、人々は、一時期、熱狂的になった。
ブームは長くは続かなかったが、わずか数ケ月の間に、様々な問題を引き起こした。
車を運転しながらゲームに興じていて人を撥ねたり、バスや電車の運転手も、公務中にゲームに興じていた。
自転車や歩きながらは、言うに及ばずである。
大々的にニュースで取り上げられたが、レアなモンスターが出現するというので、車道に五百人以上の人々が群がったこともある。
まさに、狂気の沙汰である。
その中には、いい歳をした人々も混じっていた。
本来なら、分別があって然るべき人達だ。
文明の利器というものは、それほど人を狂わせるものなのか?
たかがゲームといっては失礼だが、己の快楽のためだけに、人の迷惑も省みず、あまつさえ、人を殺してしまう。
車を運転しながらゲームをすれば、どうなるかくらい、普通に考えればわかるはずだ。
それすらわからなくなるほど、理性を失くしてしまう。
そんな人間の弱点を、志保の作り上げたソフトは的確に突いていた。
CIAが結集した心理学者のお蔭でもあるが、サブミリナル効果と音声と光の魔術を用い、スマホの奴隷に陥っている人々を、より忠実な下僕に仕立て上げていったのだ。
スマホに執着している者は、じわじわと志保に取り込まれていった。
志保の魔術にかかったものは、それとは気付かずに、志保の言いなりに操られていた。
無差別殺人の加害者たちも、自分では意識しないうちに、包丁やナイフを家から持ち出し、あるいは購入し、鞄に忍ばせていた。
そして、志保の命令が下るや、即座に殺人鬼へと変貌したのだ。
志保は、人間の持つ弱さや脆さや愚かさを引き出したに過ぎない。
カレンは、そんな人間の心理と志保の戦略を、見事に看破していた。
つくづく、馬鹿なものを開発しようとしていたものだと、古巣に対しても心底軽蔑していた。
軽蔑というより、侮蔑と言った方が正しいだろう。
「どうしようもないな」
カレンから説明を聞いた悟は、苦笑する以外にアクションの取りようがない。
「人間って、そんなものよ」
カレンは、淡々したものだ。
「ここまできて、スマホを規制できない政府、売上が減ることだけを恐れて、スマホを売るのを止めない企業、事件とスマホは無関係だと言い放つ業者、視聴率アップのためだけに、より大袈裟に無責任に煽り立てるだけのマスコミ。ほんと、人間って愚かだわ。そう思わない?」
悟も同感だったので反論せず、自分に向けられたカレンの目を、じっと見つめ返しただけだ。
「そう思うんやったら、なんで、この仕事を引き受けたんや」
なんてことも、訊かなかった。
カレンがこの仕事を引き受けたのは、ターニャや劉といった強敵と渡り合える。
ただ、それだけだということが、悟にはよくわかっていたからだ。
悟は、カレンに銃を突き付けられたときから、『平穏』という文字を、自分の辞書から抹消していた。
代わりに、『荒天』という言葉に、赤線を引いた。
本当は、荒天どころではない。
カレンと一緒にいると、いつ雷に打たれてもおかしくはない。
それでも、悟は、いつも飄々としている。
カレンも、悟が物事に動じた姿を見たことはない。
自分を庇って腹部に銃弾を受けたときでも、悟は顔をしかめながら笑っていた。
その姿に、カレンは心底、悟という男に惚れた。
数多の修羅場を潜ってきたカレンも、こんな男を見るのは初めてだった。
自分と一緒に暮らし出してからも、悟はいつも、自分の言葉に従ってくれた。
ヤクザ狩りに出かけると言っても、止めることなく、怖気ることなく、嫌な顔ひとつせず、二つ返事で付き合ってくれた。
悟と暮らし始めてからのカレンは、毎日が暖いお陽さまに照らされているような、そんな心地よい気持ちだった。
闘いに身を置いた時の高揚感とはまた違った、これまで味わったことのない幸せを感じている。
闘いは終わるが、悟との日々は終わらない。
自分にこんな日が訪れようとは、カレンは想像すらしたことがなかった。
「カレンの言う通り、これから、もっと悲惨なことが起こりそうやな」
相変わらず、ヒステリックにがなり立てるアナウンサーの顔を見ながら、悟が暢気に言う。
「そうね。さしずめ、飛び降りがロケットを飛ばした状態だとしたら、今は、第1段を切り離したってとこね。第2段の切り離しでは、なにが起こるかしら」
カレンの言葉は、的確に志保の思惑を表していた。
「そろそろ、第2段の切り離しを行う頃ね」
新宿駅の惨劇から五日、今では、日本のみならず、世界中のいたるところで、無差別殺人が繰り広げられている。
朝も昼も夜も、駅や路上といった公共の場に限らず、職場や家庭内でも。
この五日で、何人の命が奪われたのか想像もつかないほど、世界は混沌とじていた。
これ以上の悪夢を、志保は人類に見させる気でいる。
志保は、魔女から悪魔へと、その姿を変貌しつつあった。
人類滅亡のカウントダウンが始まろうとしていた。




