第17話 トーク・アット・ア・パインツリー
【登場人物紹介】
・小泉工作[34歳 独身]
サスペンス・ミステリー作品をメインとする小説家。現在原心社出版「月刊エクリプス」にて「痛みの要求」という作品を連載中。新作の長編小説「樹海のコクシム」の売れ行きも好調である。枕はそば殻派。
・功刀レイラ[1?歳]
褐色の肌にウェーブが掛かった黒髪が特徴。喫茶店「展覧会の絵」のマスターである功刀透とは親子関係であり、「山東恋空」という名前で声優として活動している。趣味は仮装。枕は羽毛派。
「ここに来るのは久々だなぁ……」
僕はバスを乗り継ぎ、3時間近く掛けてようやく富士河口湖「西湖コウモリ穴」事務所ロッジまでたどり着いた。
時刻は午後2時。暖かい陽気が肌を撫で、植物の香りが漂う空気が鼻の奥をくすぐる。この感触は、あの日、レイラさんが勘違いして僕を追いかけて来た時以来だ。
『山梨で海水浴』僕とレイラさんがそう形容したこの場所こそ、青木ヶ原樹海。僕は以前、彼女といつか再びここへ来ることを約束していた。
その約束が、まさかこんな形で果たされるとは自分でも思っても見なかったけど、レイラさんと腹を割って話をするにはこの場所しかないと僕は思い、ただ今その待ち合わせ場所へ向かっている最中だ。
本当なら、ロッジで落ち合う予定だったのだけど、そこに彼女の姿は無く、事務員に聞いてみれば、彼女はスデに単独で[例の場所]へと向かったようだった。全く、一人で樹海に入るなんて相変わらず肝が据わっているな……
いや、待て待て! そんなのんきに構えているワケにはいかない! 僕は急ぎ足で樹海の中へと赴き、彼女との待ち合わせ場所へと向かった。
適度な湿り気を帯びた空気。瑞々しい樹木。一度もここに来たことのない人は、この樹海を単なる自殺スポットとしか認知していないだろうけど、そんなコトはない。
その場所にもよるけど、ここはほとんど人の手が入っていない、樹木の聖地とも言えるスポットなのだ。
土と岩、樹木の根っこが作り出す地面をふしふしと踏みしめながら、僕は緑のトンネルを歩み続ける。約束の場所はもうすぐだ。
「うわっ、まぶしッ! 」
木々の枝葉が天井のように覆っている樹海に、ぽっかり穴を開けたように、日光が降り注ぎ、晴天に突き刺さるような赤松の木がそびえ立っている。ここは僕が小説家になったキッカケとなった場所だ。
「レイラさ~ん! どこにいるんですか~! 」
僕とレイラさんはここで待ち合わせをしている。だけど、先に来ているハズの彼女の姿が見えない……一体どこにいるのだろうか? 少し心配になってきた……
「せんせぇ~! 」
不安になって落ち着きなく赤松の側をうろついていたその時、どこからか彼女の声が聞こえてきた。一体どこから?
「こっちだよ~」
また声が聞こえる? でも肝心の姿はない……?
「せんせぇ~、上! 上! 」
上? まさかレイラさん……
「遅いよ先生。5分遅刻」
僕が見上げたその先には、赤松の太い枝の上に立ち、しっかりと登山用ワンピースとトレッキングシューズで、山のTPOに合わせた服装に身を包んだ[レイラさんらしきもの]が見えた。
「レイラさんが早すぎるんですよ。それと、危ないから降りてきてくださいよ。何か嫌な予感しかしないんです……その状況」
僕の視界から見えるのは、ワンピースの中から顔出す、カラフルなレギンスに包まれた下半身だけ……[見えてもいい]モノとはいえ、いくらなんでも無防備すぎますよレイラさん……
「う……なんかサラっとヒドいこと言われた気がする」
枝の上の彼女はちょっと不機嫌な口調でそう言いながら、地上へと帰還するべく、ゆっくりと幹を伝って降りてきた。
「気を付けてくださいよ……」
「分かってますって」
ああ、何か危なっかしいな……と思いつつも見守っていると、[やっぱり]その心配通りの出来事が起こってしまった……ホラー映画でイチャイチャを見せつけるカップルが真っ先にヒドい目に遭う予定調和のように。
「ぎやぁあぁああああッ! 」
足を踏みハズしてズルズルと落っこちるレイラさんの……お尻。僕は心の中で予行練習していた通り、彼女を横抱きに受け止めようとする。しかい……
「うごぉッ! 」
やはり[重力]のパワーは侮れない。高所から地球に引っ張られる彼女の体重を支えきれず。僕はレイラさんの下敷きになって仰向けに倒れてしまった……ごめんよレイラさん。決して君が[重かった]というワケじゃないんだ。
「いててて……」「痛ったぁ……」
痛みをこらえつつ、ゆっくりと瞼を開くと、そこには赤松からの木漏れ日を後光のように背負い、体の輪郭に金の縁をまとった彼女の姿があった。
「ごめんね! 先生大丈夫? 」
この時、ようやく彼女の顔が見えた。不安げに僕の顔をのぞき込む仕草とその表情……風呂場で滑って転んだ時のコトを思い出した。
「レイラさん」
「うわっ! ちょっと? 」
気がつけば僕は彼女を抱きしめていた。強く、力強く。獲物を捕らえた獣のように……もう逃がさないぞ。と、僕とレイラさんの体の隙間が1mmも無くなるように……
「レイラさん。会えて嬉しいです」
「ちょっ……先生! 痛い! 痛いって! 」
「僕も痛いです……君に辛い思いをさせてしまったコトに……心を痛めてしまいました」
「先生! そんなコト言ってないで、本当に痛いから! 」
「レイラさん! 」
「ちょっ……マジで……痛いんだってぇ! 」
次の瞬間、僕の目の前に銀河を思わす星々の輝きが見えた。そして遅れて鼻を中心に痛みが伝わり、目頭を熱くさせた。
「ホントすみません……」
「全く……先生の自業自得だからね! 」
僕はレイラさんから鼻にヘッドバッドをお見舞いされてしまったらしい……ついつい彼女と再会出来たコトが嬉しくて、暴走気味のハグをかましてしまったコトは素直に反省する……
「でも、おみやげを持ってきてくれたのには感謝。ありがとう先生」
「いえ、喜んでもらえてよかったです」
僕達は赤松を背もたれにして並んで座り、一緒になってドーナツを頬張り、舌鼓を打っていた。
それは「スウィートハニー・ピザドーナツ」という、人気ベーカリー店「フォルネリア・マルコエミ」で販売されている人気商品だ。揚げられたドーナツ生地に包まれた濃厚なチーズとピザソースに、甘いアクセントの蜂蜜の織りなす味わいがクセになる一品。
「ねえ先生……」
「はい、なんでしょう? 」
ドーナツを食べ終えたレイラさんは、指で口に付いたソースをぬぐい取り、さっきまで漂わせていた緩い雰囲気を、ピシッと引き締めた表情をこちらに向けた。
「まずは……お礼を言わせてください。ほぼ無名の私にオーディション参加の指名をしていただき、大きな舞台へのチャンスを与えてくださったコトを」
レイラさんは突然立ち上がった。そして凛とした姿勢で直立する。
「本当にありがとうございました」
そして深く頭を下げた……いつもとは全く違う雰囲気の彼女に、少し圧倒されてしまうも、僕はその時初めて気がついた。
そうだ……今ここで頭を下げているのは、僕の恋人「功刀レイラ」ではなく、声優「山道恋空」なのだと……
僕は今、初めて会ったんだ……声優としての彼女に。
「顔を上げてください。恋空さん」
僕も立ち上がって向かい合い、彼女の肩にそっと手を置くと、彼女はゆっくりと顔を上げて、僕と視線を合わせた。
その瞳は、いっさいの迷いなく輝き、僕の目のさらに奥まで見通しているような[力強さ]を感じさせた。僕の危惧は完全に無用だったらしい。
「実は僕、昨日スタジオに行って、恋空さんと稲益由香さんのオーディションでの演技を見させてもらったんです」
恋空さんは一瞬だけ瞳孔を開かせて驚きを見せたが、すぐに平静を取り戻し、力強い表情を僕に見せた。
「恋空さんの演技は、本当に良かった……ハッキリ言って100点の演技だと思いました。僕の期待通りで……抱いていたイメージ通りのモノを見せてくれたと思います」
僕の賞賛にも、一切口元を緩ませない彼女……やっぱり恋空も[分かって]いる。
「ですが……稲益由香さんは、違ったんです。ハッキリ言って僕のイメージとはかなりかけ離れていて、声の抑揚だとか、技術的な面では君と大きな差は無かったと思います…………でも」
そう。ここらかが、僕が[声優]という存在の底力を初めて思い知った瞬間だった。
「稲益さんは……その演技で森崎ハルナを[動かしていた]……僕は彼女の声が乗った森崎ハルナの表情を見て、初めて森崎ハルナという[キャラクター]ではなく[人物]と対面出来た気持ちになった。僕の想像を遙かに越えた……点数の付けられないモノだった。君の演技に足りなかったのはそこだった」
2人のデモテープを聴いた瞬間。僕が彼女にするべきコトは、慰めの言葉やお世辞じゃないと分かった。やっとのことだった……
僕は今までずっと、レイラさんをプロフェッショナルとして見ていなかった……言ってしまえば、僕は心の奥底で声優という職業を少し見下したのかもしれない。でもようやく理解出来たんだ。山道恋空と稲益由香という2人のプロとしての仕事を目の当たりにして……
「……清水先生」
「はい」
「今回のオーディションでは、結果は残せませんでしたが……多くの実力のある演者方と競い合い、一つの役柄を奪い合う場に参加させていただいたコトは、私にとって初めての経験でした。そして[これから]に繋がる、大きな力となりました」
「これから……」
「はい! 声優、山道恋空はこれからもこの仕事を頑張っていきます! なので先生も私が大舞台で活躍出来るようになるまで、ずっと面白い話を作っててね! 」
僕の想像していたよりも、レイラさんはずっと強い人だった。その眩しく、僕を導いてくれた笑顔……僕達は今日、本当の意味で[分かりあえた]のかもしれない。
「はい、待ってますよレイラさん! 」
僕とレイラさんは、赤松が見守る下で、決意の握手を交わした。この場でなければ、彼女に本当の言葉を向けるコトは出来なかっただろう……この緑色の大海原には、いつも助けられるな……
「で、すみませんレイラさん」
「なに? 」
安心しきって今までの緊張が飛んでしまったのか? 僕は急に尿意を催してしまったらしい。
「ちょっとここで待っててくれますか……あの……」
「……先生、その感じ……トイレだよね」
「バレてましたか……」
以前高速道路を爆走させて山梨に向かった時もそうだった。僕は肝心な時に尿意に襲われる。そしてその際、僕がおしっこを我慢している時に、自分の右足で自分の左足の先を踏みつけて我慢するクセを見破られてしまっていたらしい……
「……全く、しまりがないなぁ……先生は」
「ごめんなさい! 行ってきます! 」
「ま、それがいんだけどね。それが……」
工作は駆け足で樹海の奥へとすすみ、茂みで無事に用を足し終えた。
「ふぅ~……すみませんレイラさん。何かウェットティッシュ的なモノは持って…………アレ? 」
ほんの2~3分だった。
彼が彼女から離れてほんのわずかな時間だった。
「レイラさん? どこですか? 」
そのわずかな時間の内に、レイラは忽然と……
「……いない」
姿を消してしまった。
→次回[グリーンオーシャーン・ナビゲーター]へと続く。
レイラさんはいったいどこへ……!?
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