48 賑やかな宴は続く
突如、冬のツァイス伯爵領都で催された盛大な宴は、領民を交えての『飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ』となった。
壮麗なブロニカ商会長の邸宅で催された宴は、なんと邸宅の門を解放して市民も参加自由の、実質的なお祭りと化していた。
おまけに、なんと皇帝がすぐ近くで行われている家の改築工事に来ていた木こりや大工、それに農閑期のアルバイトとしてやって来ていた大柄な農夫たちと腕相撲に興じたり、酒を飲んで肩を組んで大声で歌うなど、やんごとなき雲上人とは到底思えない騒ぎっぷりであったことは、後々までの語り草になっていた。
大工の一人は『あの皇帝陛下、腕相撲で大工の俺っちと引き分けだぜ? 信じられっかよ? マジ強ぇんだって!』と自慢げに語り、またあるものは『ツァイス伯爵と皇帝陛下、それからディエゴ商会長の飲み比べ、見ものだったわよぉ? まさか伯爵サマが皇帝陛下と商会長をツブしちゃうなんて!』と酒場で楽しげに語るなど、伯爵領全体がお祭りムード一色に染まった宴出会った。
また、皇女の2人も式に列席した後、伯爵領のスイーツ巡りをしたことで、伯爵領民の特に若い娘の間では『聖地巡礼』と称して甘味を食べ歩くのがブームになっている。
さらに、大神官でもある皇女ヴィクトリアが訪れた先の店で描いた『新郎新婦3人の絵』が恐ろしく上手く、見れば幸福にあやかれるという噂まで立っていた。
街のところどころで、ヴィクトリアが描いた絵に令嬢マリアが讃を入れた作品が額に飾られており、『これは新たな芸術では』と目ざとい貴族たちが早速水面下で動き始めているという噂も、まことしやかに囁かれている。
これが『セリフや詩を書き入れた絵画』として有名になり、特に男女の愛を描いた絵を20枚程度の絵を薄い冊子にまとめたものは爆発的な人気を博す事になるが、このことが帝国内に広く知れ渡り、初の同好の士達によるイベント『即売会』が開催されるのは、これから十数年後のことである。
皇后ケントメアは、列席の貴族の婦人たちに『光画』の素晴らしさを滔々と説き、ゆくゆくはクラウディアとヴィクトリアの肖像も作るつもりである、と話したことが婦人たちに火を着けたようであった。
ただでさえ、ブロニカ商会長邸の最も目立つところに飾られた美しい令嬢マリアの肖像画に見とれていた婦人たちは、『どれだけ細かいレースであってもその編み込みひとつひとつまで、それにネックレスのチェーンのひとつに至るまで描かれる超写実的な肖像画』に興味津々だったのだ。
そこに皇女達も肖像画を発注する予定、ともなれば、光画師ケントが新進気鋭の芸術家であっても、いや新進気鋭と言われる内に肖像画を作っておかなければ、社交界での話題に取り残されてしまう。
ケントメアが『注文はブロニカ商会が窓口になっているから、必ず窓口を通しなさい。安くはないけれど、それ以上の価値がありますから』と話したことも、今後のブロニカ商会の大繁盛につながることとなる。
そんな大騒ぎとなっているブロニカ商会長邸の一室では、ぐったりと疲れ果てた様子でソファにもたれかかる若い男が、呆然と天井を見上げていた。
「旦那様? 大丈夫ですの? すっかりお疲れの様子ですわ」
「え、えぇ、大丈夫です。マリアさんは大丈夫なんですか?」
「わたくし、伊達に鍛えてはおりませんもの。シェリーお姉様は少し仮眠を取られていますけれど、なにか甘いものでもお持ちしましょうか?」
「ありがとうございます、お願いできますか……」
既に1週間も続いている婚礼の宴は、今日が最終日の予定だ。
流石に主役としてほうぼう引っ張り回されたケントにシェリーは疲労困憊である。ただ一人、剣術で鍛えているマリアだけが機敏に動き続けていた。
来賓としてやって来た皇族一行は、流石に何日も帝都を留守にするわけにも行かない、ということで、皇太子クラウドから『良いですか? 3日です。現地の滞在は3日までですからね。 特に父上、飲みすぎることがないようくれぐれも、くれぐれもご注意下さい。母上も、クラウディアとヴィクトリアの手綱はしっかり握っていて下さい。母上だけが頼りですからね』とクドいくらいに念を押されていた以上、どれだけ名残惜しくとも帝都へ戻らざるを得なかった。
その皇太子クラウドはケントたちの結婚式に先立って正式に隣国の王女との婚約が発表された。また、マリアも肖像画がお披露目になって程なくして結婚となったためか、貴族たちの間では『光画師に肖像を描いてもらったら結婚が決まる』という噂が凄まじい勢いで広がり、ブロニカ商会へは年頃の令嬢や令息からの問い合わせが殺到しているという。
「婚礼の式典というのは、こんなに何日もやるものなんですね……」
「えぇ、わたくし他家の婚礼式典へ列席させて頂いたことはありますけれど、ここまで盛大ではございませんでしたわ。何しろ両陛下までご臨席下さる式典なんて、多分前代未聞ですもの」
「……まさか本当に陛下が来るとは思いませんでしたよ……」
式典の真っ最中、主賓挨拶をしたのは当然ながら皇帝アドルである。さぞ厳粛な挨拶になるかと思いきや、『ここに誕生した新たな家族、マミヤ準男爵家を、皇帝アドル・ディ・インダスターの名において祝福する。……さぁ手前ェら! 盃を上げろォ! 祝いの宴だ、いっちょ無礼講と行こうぜェ! オラ目出度ェ席だぞ、歌え! 踊れ! 酒だ酒だァ! 酒持って来い!』と、厳粛モードは1分も持たなかった。
領民の多くは、最初山賊の親分のような皇帝の振る舞いに戸惑っていたものだが、それもほんの数時間で全員が慣れてしまった。
「ディエゴさんもラウラさんも、あの皇帝陛下のお言葉を計算に入れて、いろいろ計画していたというのは流石ですね」
「うふふ、そうですわね。わたくしもお父様とお母様のようにならないといけませんわ」
「頼りにしてます、マリアさん」
「えぇ、存分に頼ってくださいませ。それと……」
マリアはソファの、ケントの隣の席に腰掛けてそっと体重を預けもたれかかる。
「……わたくし、婚礼の式典が終わる今夜が『初夜』になりますのよ、旦那様?」
上気した、潤んだ目でマリアがケントを見上げてじっと見つめてきた。
「お姉様ばっかり、ズルいですわ……わたくしにも愛を下さいませ、旦那様」
マリアの腕がするりとケントの首に伸び、正面から抱き合う形になる。
そっとマリアの唇が、何かを言おうとしたケントの口を塞ぐ。
しばらく抱き合ったまま、ぴちゃぴちゃと水っぽい音を立てていた2人が名残惜しそうに離れると、マリアは頬を赤く染めて潤んだ目で再びケントを見上げる。
「今のところは、これで我慢しておきますわ。旦那様も御存知の通り、わたくし『ガラガラヘビのマリア』と呼ばれておりますの。狙った殿方は、絶対に逃しませんわ」
ぺろ、と小さく舌なめずりをしてから、マリアは優雅に部屋を出ていった。
呆然としたままのケントのもとに、主役がいない事に気づいて探し回っていたラウラとエルマーがマリアと入れ替わりになるようにたどり着いた。
「あらあらケントさん、大丈夫? だいぶお疲れね。ほら、コレを飲みなさい。ポーションよ」
「あ、あぁ、ありがとうございますラウラさん……すみません、まさか結婚式が1週間も続くとは思っていませんでした」
「そうね。私とディエゴは結婚式をしなかったから……でも、その分私達も楽しませてもらってるわ」
ラウラが差し出したポーションの瓶をあけ、ぐい、と一気に飲み干す。
かなり強烈な甘い味と、そして喉を焼くような生薬の感覚。
おもわず激しく咳き込んだケントから瓶を受け取ったエルマーは、何故かニヤニヤと笑みを浮かべている。
「これは……なるほど、これは確かに今の新郎には必要ですね? さすがラウラ夫人」
「えぇ。商会で取り扱っているなかでもとびきりの品よ」
ラウラもエルマーの顔を見返して、意味ありげな笑みを浮かべた。
「ら、ラウラさん、これは何のポーションですか? 僕は今何を飲んだんです?」
「あら、初夜を迎える新郎に必要なものなんて、決まってるでしょ? これはね」
ラウラがエルマーから瓶を受け取って、ラベルを隠すかのようにポーチに戻す。
「殿方がとっても『元気』になるポーションよ。私も早く孫の顔が見たいわ。頑張ってね? 婿殿?」
「……ラウラさん……?」
「ブロニカ商会が取り扱う精力剤は効き目が良いと聞くわ。エルフ女は情が深いから、干からびないように頑張りなさいね? 花婿さん?」
エルマーも何やら楽しげに、ニヤニヤしながらケントを見下ろして来た。
不意にドアが勢いよく開き、蒸留酒の瓶を持った大柄な女伯爵が断りもなくずかずかと入り込んでくる。
「なんだ、こんなところに隠れていたか。ケント、貴様いつまで休んでいる。主役不在では宴がしらけるだろうが。さぁ来い」
「ちょ、ちょっと待ってください閣下、もう少し休ませて……」
「甘ったれるな。そんな情けないザマで妻を2人とも満足させられるのか? 何なら貴様、陸軍の訓練にでも参加してみるか。少々鍛えが足らんと見えるぞ」
「か、勘弁して下さい、あの、僕は本当にそういう訓練とかは門外漢ですから! 僕はただの絵描きですから!」
「ガタガタ言うな。ラウラ、花婿を借りるぞ。さぁエルマー、ケントのそっち側の腕をもて。引きずってでも連れて行かねばな」
「はい閣下。婿殿をよろしくお願いします。じゃあケントさん、頑張ってらっしゃいね」
「あ、あの、あのっ!? ちょ、ちょっと待っ――」
「はっはっはっはっは! ディエゴも待っていたからな! それにそこらの貴族令嬢やら令息が貴様の光画で肖像画を欲しがっていた。明日からは仕事だぞ! しっかり働け!」
ケントの悲痛な声は誰にも聞き入れられることもなく、ラウラから凄まじい速さで遠ざかっていく。
一人残された子爵夫人は、どこか嬉しそうな笑みを浮かべてため息をひとつ。
ほんの数か月前まで、マリアが呪に侵されただ死を待つばかりだった頃のことが、まるで夢のように思えた。
いや、もしかしたらこちらが夢で、今も自分は娘の葬儀の支度をする哀れな母であるのかも知れない。
自分の心が限界を迎えて、壊れる寸前に幸せな夢をみているだけなのではないか。そう思ったラウラは自分の頬を軽くつねってみる。
「……よかった……夢じゃないのね……」
こと、と静かに暖かい紅茶の入ったカップをテーブルに置く。
しばし花嫁の母の感慨を噛み締めてから、ラウラはぱちんと自らの両頬を叩いた。
「さ、行かなきゃ。シェリーさんは大丈夫かしら。今日はそこそこ飲んでたみたいだけど」
廊下の途中、階段をバタバタと駆け下りてくる足音が急激に近づいてきた。
「ラウラさん! ゴメンなさい、私眠っちゃって!」
「あらあらシェリーさん、もう大丈夫なの?」
「はい、ちょっと酔いも覚めました。あの、ケントは? さっき声が聞こえた気がして、それで――」
「ケントさんなら、さっき伯爵閣下とエルマーさんに連れていかれたわ。さぁ、私達が行って護ってあげなきゃ。ね?」
「はいっ。あっちですよね? 私、先に行きます!」
「えぇ、お願いね」
黒い髪に小麦色の肌が映える、白いドレスをまとったシェリーが廊下を走り出す。
「ケント! 待ってて! 今行くから!」
花嫁の声に、ラウラの顔は無意識に笑みを浮かべる。
廊下の向こう、遠くからは人々が笑い、騒ぎ、そして歌う声が聞こえる。
雪が積もった中庭からは、まるで魔法のように明るい光が反射して邸宅内を優しく照らしている。
嬉しそうに深呼吸をして、ラウラは胸を張る。
「仕方のない子達ね、もう」
そう呟いて、大勢の来客で賑わうホールへと歩みを進めていった。




