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第8話 遺された誓い

 中庭には先客がいた。ゾルトだ。

 月明かりの下、彼は私に気付くと、静かに会釈をした。


「殿下、アイリーン様の着物、本当によくお似合いですね。まるで生き写しのようです……」


 えっ、この着物ってもしかして……。

 私は袖を通した黒地の着物を改めて見下ろした。

 滑らかな絹の感触。闇夜に舞う蝶のように、金糸で繊細に刺繍された蝶の模様が、月光を受けて妖艶に輝いている。


「私が着ているこの着物、母上のものなのですか?」


「はい。実は殿下が困ったときに渡すようにと、陛下より預かっておりました」


 見覚えがあるような気はしていたのだが、そうか……母上のものだったのか。

 記憶の奥底で、優しく微笑む母の姿と、この蝶の舞う着物が重なった気がした。


 幼い頃に亡くなってしまったので、母の記憶は霧の向こう側のように曖昧だ。

 だが、父上の第3夫人だった母は、その歌声で魔界中の人々を魅了した伝説の歌姫だったと聞いている。


「父上がなぜそのようなことを……?」


 私は首を傾げた。

 なぜ父上は、母上の形見をゾルトに託したのだろうか?


「これは、陛下と拙者の、男同士の約束なのです。聞いていただけますか」


 ゾルトは夜空を見上げ、どこか遠い目をした。その横顔には、深い哀愁が漂っていた。

 私は無言で頷き、彼の言葉を待った。


「5年前のことです……未曾有の大飢饉が魔界を襲いました。作物は枯れ、大地は干上がり、魔界全土が飢えに苦しみました。食べ物を巡って争いが起こり、ある部族は生きるために人間界へ侵攻し、略奪を行ったのです。しかし、その事実に陛下が気付いたのは3年前に勇者が現れたときでした。時既に遅し……人間界との全面戦争は避けられない状況となってしまったのです」


「なんということでしょう……」


 知らなかった。戦争の裏に、そんな悲劇があったなんて。


「陛下はその時点で、敗戦を覚悟しておられたのでしょう。ご子息を地方に赴任させ、拙者達四天王をその近くに配置し、守らせることにしたようです。恐らくですが、陛下は自らの命を差し出すことで、この無益な戦争を終わらせようとしたのではないでしょうか」


 父上が私をルナティカへ派遣したのは3年前だった。

 あれは左遷などではなく、戦火から私を遠ざけ、守るための父上の配慮だったのだ。

 不器用な父上の、深すぎる愛情に、胸が締め付けられる。


「拙者は四天王の末席ゆえ、第4子であるグロリア殿下を守るためにマジェスティアの守護を任されました。その際に陛下よりアイリーン様の着物も預かったのです。『王都が焼かれる前に貴重品を移す』という名目でしたが、真意はグロリア殿下が困ったときに、この着物を役立ててほしいという願いだったのでしょう」


「母上の着物が、私の役に立つと?」


「はい、大いに。今日の試合で、観客席からアイリーン様の名を叫ぶ声が聞こえましたか? アイリーン様は歌姫として、民衆から絶大な人気がありました。その忘れ形見である殿下が、母君と同じ着物を纏い、凛として立つ姿……。それは民衆の心に強く響き、殿下への支持を集める大きな力となるでしょう」


「父上は……そこまで考えていたというの……?」


 涙が溢れそうになるのを、必死に堪えた。

 父上は、私の未来まで見据えて、この着物を託してくれたのだ。


「実際のところは、三殿下のどなたかが即位することを想定していたはずです。ですが、まさか全員が救援に向かわれてしまうとは……。止めるべき他の四天王は一体何をしていたのか……」


 ゾルトは拳を握りしめ、悔しさを滲ませた。

 主君の意図を汲めず、みすみす死なせてしまった同胞への怒りと、無念さが伝わってくる。


「もしかして、私のところに王都襲撃の報告が来なかったのは……」


「はい。拙者が伝令を止めておりました。……本当に申し訳ありません」


 ゾルトはその場に膝をつき、深く頭を下げた。

 これで、全ての謎が解けた。

 ゾルトは父上の『子供たちを守れ』という最期の命令を、汚名を被ってでも忠実に守り抜こうとしたのだ。


「そうか、お前も辛かったのね。武人として、本当は父上の元へ駆けつけたかったでしょうに……」


「救援に向かわないという決断は、身を切られるような思いでした。ですが、陛下の遺志を無にすることはできなかったのです」


「お前のような忠実な家臣を持って、父上は幸せだったのでしょうね……」


 私はゾルトの肩に手を置き、優しく声をかけた。

 この男の強さは、剣の腕だけではない。その鋼のような忠誠心と、深い愛情こそが、彼を真の強者にしているのだ。

 スカーレットが彼を推した理由が、痛いほどよく分かった。


「そのようなことはありません。勝負の形で殿下を試したこと、どうかお許しください」


 ゾルトは震える声で謝罪した。

 その様子を見ていたのか、スカーレットが静かに歩み寄ってきた。


「殿下、ゾルト殿を責めてはいけませんよ。ゾルト殿との勝負は、私の想定以上の収穫をもたらしましたから」


「収穫? それはどのような?」


「四天王の一角であるゾルト殿を、正々堂々とした勝負で下し、家臣にしたという噂は、疾風のように魔界中へ広まるでしょう。魔界では『力こそ正義』。強い者が王になるのがことわりです。ゾルト殿を従えて帰還すれば、多くの者が殿下の威光にひれ伏すことでしょう」


「そうだったわね。お前はゾルトと一緒に帰還させるため、あえてマジェスティアに立ち寄らせたのよね」


 それを聞き、ゾルトは豪快に笑い声を上げた。


「ワッハッハ! そこまで読んでおられるとは……殿下には恐ろしいほど有能な軍師殿がおられますな。王都帰還が楽しみになってまいりました」


 こうして、私の家臣に『不動の巨壁』魔将軍ゾルトが加わった。

 父と母の想い、そして頼もしい仲間たち。

 これほど心強いことはない。私は夜空に輝く星を見上げ、王都への帰還を固く誓った。

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