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「――……は、いつおいでに?」


 翌朝、耳憶えのある声でレイジュは眼をました。

 この無駄にうるわしい美声こえは、忘れもしない。カナンだ。


「早くて三ヶ月(みつき)かかるそうですよ。あの御方おかたにもお立場がありますし、なにぶん、ご高齢の身ですから」


 カナンの問いに、軽妙な男性の声が応じる。

 若い、どことなく賢そうな声だ。誰かの来訪について話をしているらしい。


 ――何か、新しいほうが手に入るかもしれない。

 即座に狸寝入りを決め、レイジュは二名の会話に耳を澄ませた。


三ヶ月(みつき)か。やれやれ、としは取りたくないな」

「おっしゃるとおりで。どこぞの誰か様なんか、もうとしを取るごとに見る間に性格がひん曲がっちゃいましたからねぇ……」

「お前には言われたくない。お前にだけは」

「誰も御前ごぜんのこととは申してませんよ?」


 悪びれない相手に、カナンは「狸め」とねた声で呟く。

 新鮮な反応だ。達者な声の主は、カナンよりも弁が立つらしい。砕けた応酬から察するに、かなり親しい間柄なのだろう。


「ついてはその後、討師の生き残りは?」

「ご存命なのはレイジュ様、お一人ですね。ほかの者は捕縛後、逃亡叶わぬと知るや……」

「即、自害か。徹底しているな」

「まあ、相手は天下の龍討師ですから」

「囚われたら死ねなどと教育した莫迦ばかは、どこのどいつだ? 見つけしだい肥溜こえだめに突っ込め、頭から。そして三日三晩外に出すな」


 想像だが、恐らく笑顔全開でカナンは持論を展開している。

 断言しよう。これこそがカナンのだ。間違いない。


「うわー、それ地味に酷い刑ですね。八つ裂きとか言わないだけ、まだましですけど」

「何を言うか。かの誉れ高きハクロウシも、私の意見には喜んで賛同されることだろう」


 自信満々にカナンは言い放つ。

 ではそのハクロウシなるやからも、さぞかし性根の曲がった悪党に違いない。類は友を呼ぶのだ。


「まあ、確かにあの御仁なら賛同しそうですけど」


 応じる若い声も、やや呆れた声でカナンに同意する。否定できないらしい。


「でも、兵の前では口が裂けてもそんなこと言わないでくださいよ。一応あなた、憧れの君主なんですから。みんな腰抜かします。泣きますから。別の意味でぼくも」

「ははは、気苦労が絶えんなぁ」

「誰のせいだとお思いで?」

「さてな? だが善処はしよう」


 信用ならない言葉を吐いて、カナンは寝台のレイジュに手を伸ばした。いきなり頭を撫でられて、飛び起きそうになる。


「枕元で騒いですまなかった、レイジュ。我々は席を外そう」


 その一言で、カナンに空寝そらねを見抜かれたことを知った。目敏めざとい男だ。寝息の変化で気づいたのだろう。


「お気遣いなく。もう起床の時間です」


 慎重に寝返りを打って、レイジュは枕元に腰かけたカナンを見た。まだ背中が痛むため、身体は起こせない。


「……で、となりの方はどなたです?」

「お初にお目にかかります。私はテンレイコウが臣下、名をリコウエンと申します。お気軽にコウエンとお呼びくださいませ」


 カナンに劣らず上品な物腰で、コウエンと名乗る青年は頭を下げた。

 一つに結わいた長い黒髪に、大きな金の瞳。カナンとよく似た欧風の黒衣こくえまとう姿は、典型的な玄州龍の出で立ちである。理知的な言動、カナンよりも背が低く華奢なたたずまいから察するに、文官だろう。


 外見年齢はカナンの少し下、やや童顔だ。龍は見目みめとしが一致しないようだが、先程の会話の気安さを考えると、彼は実年齢も近いのかもしれない。


(でも、今はそれよりも――)


 別に、気になった部分がある。


「テンレイコウ、と言いましたか? テンブコウではなく?」


 初めてカナンと対峙たいじしたとき、不寝番の龍は『テンブコウ』と呼んでいたはずだ。名が違う。

 レイジュがコウエンに問うと、彼はおや、とかたわらのカナンに視線を転じた。


「テンブ? この宮でその名を使う者なんて、おりましたっけ?」

「ほら、私のめいに背いた。あの若いの」


 怪我人の手前か、内容をぼかして告げる。するとコウエンは、得心したようにぽんと手を叩いた。


「あーなるほど。あの年代の子じゃ仕方ないですね。なんかの式典で、きらっきらな御前でも見たんでしょう」

「テンブという名は、間違いなのですか?」


 レイジュがたずねると、「いや」と否定を挟みカナンが答えた。


「間違いではない。だが、その呼び名はなんというか、いまだに自分の名とは思えんのだよ」

「最近の流行はやりなんです、テンブ呼びは。ほんの五十年ぐらい前からの、比較的新しい敬称でして」

「はあ、左様ですか」


 さすがは龍。五十年で〝ほんの〟ときた。

 呼び名も『テンブ』やら『テンレイ』やら、いくつもまぎらわしいものだ。普通に本名で呼べばいいではないか。


「レイジュ様にしてみれば、面倒この上ないでしょう。紛らわしくて申し訳ございません」


 間髪かんぱつ入れずコウエンに言われ、内心どきりとする。

 この龍は、相手の機微きびにたいそう鋭い。


「でも、ここだけの話――御前は、テンレイの呼び名が一番のお気に入りなんです。ですから是非、レイジュ様もテンレイコウって呼んであげてくださいな」

「……気が向けば」


 とりあえず、曖昧あいまいにレイジュは応じる。

 カナンもやりずらいが、別の意味でこのコウエンも対応が難しい。


「いや。レイジュの呼び名は、カナンだ」

「ああ、これは失礼。そうでした、そうでした」


 カナンの謎のこだわりに、同族であるコウエンはすぐさま頷き返す。

 いつものことだが、こちらの意見は完全無視だ。


「前から言おうと思っていたが、お前もわざわざ避諱ひき呼びなんぞせんでいいぞ? としもたいして変わらんだろ」

「何をおっしゃいますか。私は御前の臣ですよ? レイジュ様はいざ知らず、私は名呼びなんかできゃしませんって」

「お前なら構わんさ。誰にも文句は言わせん」


 真顔でカナンは反駁はんばくする。コウエンは天を仰ぐように、ひたいを手でおおった。


「いやいや、構いますって。ちょうたるあなたに私がそんな真似しちゃ、下の者に示しがつきませんでしょうが」

「そうもせねば保てぬ体裁ていさいなぞ、私はいらん」

「私が、そうお呼びしたいんです。お聞き分けくださいな、テンレイコウ」

「これだから、純血は融通ゆうずうがきかんな」


 やれやれ、といった調子でカナンは嘆息する。

 内心そうだろうと思っていたが、やはりコウエンは純粋な龍なのだ。

 これみよがしに愚痴ぐちをこぼすあるじに、コウエンは肩をすくめて苦笑した。


「純血も混血も関係ありませんって。御前、あんまり我がままが過ぎますと、レイジュ様に過去の悪行をばらしますからね?」

「では、やはりあるのですね。悪行が」


 この言葉には、レイジュもつい口を挟んでしまう。

 コウエンのこの発言こそ、レイジュが正しかった証左だ。里長が『悪しき龍』と言ったのだから、それはもう数多あまたの非道な悪事を働いたに違いない、きっと。


 カナンは優雅な所作でレイジュから眼を逸らすと、非の打ち所のない笑みでコウエンにたずねた。


「はて。ほかの者ならいざ知らず、お前に恐喝おどされる憶えはないがなぁ?」

「そりゃそうでしょう。毎度鮮やかに根回しされて、証拠なんかこれっぽっちも残してらっしゃらないでしょうし」


 それが事実なら性質たちが悪過ぎる。

 どこまで邪悪なのだ、この龍は。


「レイジュ様、我が君はこの白百合しらゆりように美しいかんばせの下で、普通に最っ低なことお考えになったりしますから。くれぐれも見目みめに騙されちゃ駄目ですよー」

「存じています。ご心配なく」


 心の底から、力強く応じる。

 コウエンはくすくす笑い、「さしもの御前もこれは難敵ですねぇ」と漏らした。


 ややめられている節はあるが、難敵というのは嬉しい言葉だ。一日で定着してしまった己の名も、ものは考えようである。彼らの油断を誘っていると考えれば、良い傾向ではないだろうか。


 レイジュが一人(えつ)に入っていると、今まで沈黙を守っていたコクエイが口を切った。


〈ときにレイジュ殿、御気分はいかがか?〉

「お気遣いどうも、コクエイ殿。昨日さくじつに比べれば、幾分いくぶん楽になりました」

〈それは重畳ちょうじょう。安静になされよ〉

「同感だ。今日もじっとしていなさい、レイジュ。い合わせた傷が開いてしまうからね」


 コクエイに続き、カナンが念を押す。

 彼らのげんは一理ある。これほど至れり尽くせりなのだ。今後も恐らく害はないだろう。もしてのひらを返されたとしても、今の自分にはどうにもできない。ここは素直に従い、暗殺の機を窺うのが最善だ。


「よし。レイジュの英気を養うためにも──コウエン、朝餉あさげ支度したくを頼む」

「かしこまりました。御前も朝餉はまだですよね。どうします?」

「一緒に運んでくれ。ここで食う」


 何故、ここで食う。

 反射的に思うが、コウエンは特に指摘もせず、「承知しました」と一礼し、奥へ消えてしまう。

 討師とあるじを会食させるなど、危険極まりない。この宮の危機管理はどうなっているのだろうか。敵ながら、本当に相手のおつむが心配になってきた。お花畑もいいところである。


「コウエンは食えん奴だが、あれで根は実直だ。信用してやってくれ、レイジュ」

「ええ。まあ、あなたよりは」

「カナンだよ、私の名は」


 名で呼べ、と執拗にカナンは言う。

 昨日は面倒だと妥協したレイジュだが、今日は気が変わった。こちらが負けてばかりもしゃくだ。金輪際、名を呼んでやるものかと心に誓う。こうなれば、とことんまで反発する所存である。


「ところで、レイジュ。明日からそなたの世話は、あのコウエンに任せることにした」

「まあ、それは良うございました」


 心からの感想である。


「寂しいやもしれんが、耐えておくれ」

「特に寂しくもないので問題ありません」

「私もできる限り、層雲宮ここへは足を運ぶつもりだ。安心して待っていてほしい」

「結構です。お断りします。むしろ心が休まりません」

「おや、良いのかな? 私がおらねば、レイジュは私を討てんだろう?」


 珍しくまともな返しを受け、言葉に詰まる。同時に思った。

 この龍はやはり、理解わかっているのだ。レイジュを正しく理解し、その目的を忘れていない。すべて承知の上で行動している。

 だからこそ──この曇りのない美しい笑みが、異物のように見えるのだ。


「レイジュは、私を討たねば。そうだろう?」

「それは……そうですが……」

「だからまた、ここにくるよ。必ず」

〈――と、やけに溜めた物言いだが、空ける期間は精々数日だ。レイジュ殿におかれては、息つくひまもなく舞い戻ってこようよ〉


 茶化すようなコクエイの言葉に、少し救われた気がした。

 不可解な違和感に蓋をし、レイジュは寝台に横たわったまま、コクエイに頭を下げた。


「ご忠告感謝します、コクエイ殿」

「レイジュはコクエイばかり贔屓ひいきするな」

〈徳の差だ〉

「徳の差でしょう」


 拗ねるカナンに応じる声が、見事に重なった。


「レイジュまで、そのようなむごい物言いを……かなしみのあまり、身投げしてしまいそうだ」

「それは結構なことです。存分に投げてきてください。むしろ手間が省けます」

「ふむ。では、そこの蓮池はすいけに投げ入れてやろうか。錆びるやもしれんが──」

「コクエイ殿をですか! やめてください、何考えてるんですかあなた!」

〈こやつは、そういう男だ……〉


 哀愁あいしゅう漂うコクエイの呟きが落ちたところで、コウエンが龍の女官を従え戻ってきた。手には黒漆くろうるしぜんを持っている。


「ご歓談中、失礼いたします。朝餉あさげをお持ちしました」

「ありがとう。並べてくれ」


 カナンが笑顔で迎え入れる。

 朝餉あさげと言うからには、かゆ飲茶ヤムチャの軽食だと思っていたレイジュは、次々と運ばれる食膳を見て絶句した。


 ずらりと並ぶ蒸籠むしかごには、笹葉ささのはで包まれた肉粽ちまきに、色とりどりの小籠包ショウロンポウ焼売シュウマイ饅頭まんじゅう、蒸し野菜の大皿まで見える。さらに粥には、年始の祝いぐらいでしか食べない卵まで乗っていた。しかも半生はんなまだ。


「あの……今日は何か、祝いごとでもあったのですか?」

「うん? レイジュがいるだけで、私にとってはすでに祝日だが」


 知ったことか。

 この龍にいた自分が莫迦だった。


「特に何もございませんよ、レイジュ様」


 見かねたコウエンが口を添える。


「では、コウエン殿もここで食事を?」

「いえいえ。私は先だって、朝餉あさげをいただいたばかりです」

「これは私とレイジュ、二名ぶんの食事だ」


 にこやかに告げるカナンに、レイジュは我が耳を疑った。


「二名でこの量!? あなた、その細身で朝からどれだけ食べるんですか!」

「うん? 私はどちらかと言えば、食が細い方だが。先日も昼餉ひるげを抜いて、コウエンにえらく叱られてなぁ。あれは参った」

「そうなんですよー。御前の食生活には、ほとほと困っておりまして。ただでさえ朝餉あさげ抜きなのに、これで昼、ときに夜まで抜かれたら、ぶっ倒れるのも自然のことわりですよねぇ?」


 すさんだ瞳でコウエンが同意を求めてくる。ただならぬ気配を感じたレイジュが返事を迷ううち、空気を読まないカナンが口を開いた。


「何を言う。私も半身は龍だ。多少のことは気合で――」

「キアイ? なんですかそれ、食べられるんですか? 過労もやまいも気合でなんとかなるとか、もうちゃんちゃら可笑しいって言うか、あなたもしかして莫迦なんじゃないですか?」


 辛辣な言葉で反論を制すコウエンに、歯切れの悪い声でコクエイが、


〈あー、こやつが過労で倒れるたびに、コウエンは甚大じんだいな被害をこうむっておってな……〉


 と、レイジュに補足を入れる。

 なるほど、コウエンに非はない。悪いのはすべてカナンである。


〈話が横道に逸れたな。さて朝餉あさげの件だが──レイジュ殿は、胃腸の調子でも悪いのだろうか?〉

「いえ、食事は問題ありませんが」

〈ならば、レイジュ殿はまだ若いのだ、昼近いこの刻限であれば適量では?〉

「まったくもって適量ではありませんし、朝からこんなに食せません! 白湯さゆと、かゆ何匙なんさじかもらえれば充分です」

「レイジュ、病み上がりにしても、粥を数匙では腹の足しにならんだろう?」

「なります。わたしはまったく動いてないのですよ? それだけあれば、死にはしません」

「死にはしない……?」


 怪訝けげんな顔で復唱し、カナンは声を低める。長い睫毛まつげを伏せ、少し躊躇ためらってから口を開いた。


「以前から気になってはいたが……そなたは少し太った方がいい。私に言わせれば、レイジュはせ過ぎだ」

「そんなことはありません。普通です」

「そうかね?」


 言ってカナンは視線を落とし、こちらに腕を伸ばした。女のように白い指先で、あかぎれだらけのレイジュの手に触れる。


「ずいぶん手が荒れているな。唇がひび割れて、血がついている。髪にもつやがない」

「それは悪うございましたね!」

「違う。それだけ食が足りんのだ。可能な範囲でいい、料理に口をつけなさい。残しても構わん」

「残す!? 何をたわけたことを! そんな罰当ばちあたりなこと、できるわけないでしょう!」


 一つのわんによそられたかゆを、数人で回し食べた里の生活を思い出す。穀物こくもつは天帝からの授かりものだ。天に感謝し、すべてをいただくのが礼儀である。


「あー、ではこうしましょう。レイジュ様が残された分は、私が責任をもって誰かに平らげてもらいます。ね、それなら良うございましょ?」


 冷静なコウエンの申し出のおかげで、レイジュにも冷静さが戻った。

 何をわたしは躍起になっているのだろう。食事の量など、別にどうでも良いではないか。大切なのは、課せられた『お役目』を果たすこと。それだけである。

 大怪我をしたせいか、どうも情緒が不安定だ。


「……はい。構いません」


 うつむき、レイジュが小さく頷き返すと、コウエンは見るからに胸をなでおろした。


「ご承知いただきありがとうございます。ではお二方とも、そろそろお召し上がりくださいな。せっかくのお料理が冷めてしまいます」


 コウエンにうながされ、すかさずカナンが料理を取り分けた。その皿は、さも当然のように寝台のレイジュの枕元に置かれた。


浅慮せんりょな物言いをして、すまなかった。さあ、たんとお食べ、レイジュ。ああいや、私の毒味が先かな」

「結構です。殺す気があるなら、とうにわたしは死んでいる。そうでしょう?」

「おや、それは残念だ」

「……粥を取ってください」


 うと、すぐにさじわんを手渡された。つやつやとした卵の黄身に、見下ろすレイジュの姿が映る。

 血色の悪い肌。唇はくすみ、双眸は暗く沈んでいる。まるで老婆だ。先ほどは喰ってかかってしまったが、このざまでは文句は言えまい。


 老婆を二分するように、黄身を割った。とろりとした黄金こがねの液が粥と交じり、薄い黄色になる。立ち昇る湯気が鼻先に触れた。食欲はなかったのに、いざ眼にすると急に腹が空くから不思議だ。

 己の現金さに舌を打ち、レイジュは粥を含んだ。塩を控え、出汁だしをきかせた優しい卵の味が、口いっぱいに広がる。

 ────美味しい。


美味うまいか?」

「……悪くはありません」

「ふふ、そうか。もっとお食べ」


 カナンの笑う気配から意識を逸らす。しばらく室内には、小さく食器の鳴る音が響いた。しきりに話しかけてくるカナンをレイジュが適当にあしらっていると、様子を見ていたコウエンが口を開いた。


「ご歓談中、失礼いたします。御前、『例の物』が仕上がりましたが、いかがなさいますか?」

「ああ。では今、受け取る」

(『例の物』……?)


 レイジュが顔を上げると、いつの間にかコウエンが小さなぼんを手に立っていた。黒漆くろうるしの高価そうな盆の上には絹が敷かれ、さらにその上に朱色の組紐くみひもが乗っている。複雑な編み込みに、文様入りの飾り玉を加えた見事な意匠だ。こちらも相当な値打ち物だろう。

 多分、頸飾くびかざりか何かのひもだろう、とレイジュは見当をつけた。


 コウエンが盆を差し出すと、カナンは慣れた手つきでふところに手を入れ、引き抜いた。

 しゃら、と優雅な衣擦れの音が耳をくすぐる。

 レイジュが注視する先──カナンの手中で、ひときわ豪奢な黄金の頸飾くびかざりが輝いていた。


「古いひもを新調しようと思ってね」


 盆の組紐くみひもをつけ替えながら、カナンが語る。


「ああ、そう言えば。レイジュ、これはそなたと同じ名の頸飾くびかざりなのだよ」

「わたしと同じ名?」

黎明れいめいの『れい』に『宝珠ほうじゅ』で、レイホウジュの頸飾くびかざりという」

「そこからわたしの名を取ったのですか?」

「いや、これはただの偶然だ。しかし、あるいはこれも――」


 何かを言いかけ、カナンは口籠くちごもる。


「あるいは、なんです?」

「いや、なんでもない。すまん、レイジュ。今のは聞き流してくれ」


 誤魔化すように笑い、カナンは頸飾くびかざりをふところにしまい込む。よほど大切な代物ものなのだろう。慎重なその動きは、普段の彼に反してやや神経質にさえ見える。

 それがなんとなく、気になってたずねた。


「レイホウジュの頸飾りも、コクエイ殿と同じものですか?」

「いや。これは私が若い時分に下賜かしされたもので、口はきかない。嘘かまことか、天帝の頸飾くびかざりという説もある宝物ほうもつでね。神の御物みぶつに、煩悩ぼんのうは宿らんのだろう」

煩悩ぼんのうまみれのお前にだけは言われたくない〉


 すかさず反論したコクエイの意見はもっともだ。

 レイジュは横で相槌を打ちながら、レイホウジュの精緻な装飾を思い浮かべた。確かにあの頸飾りには、ただの装飾品とは違う吸引力のようなものがあった。無意識に、眼でその姿を追ってしまうほどに。


神代かみよの頸飾りですか。言われてみれば、確かに神秘的な雰囲気がありましたね」

「これが欲しいかね、レイジュ?」

「え? いえ、別に」

「悪いが、これだけはそなたにやれない。だが、ほかの物ならば──」

「ほかの物ならいただける? でしたら、」


 不意に、悪意が湧いた。

 舌に明確な毒を乗せて、レイジュは乞う。


「では、あなたの頸級くびをわたしにください」

「いいだろう」


 寸暇すんかの迷いすらない。

 無造作なそのいらえに、レイジュは息を呑んだ。背後に控えるコウエンですら、一瞬息を止めたように思う。


 それは酷く、不気味な応答だった。

 まるで、明日の天気の話でもするように、屈託のない笑顔と優しい声で――さらには、どこか嬉々とさえして。

 表情を欠片かけらも損なわず、彼は言うのだ。


「傷がえたら、私のもとへおいで。レイジュの飛刀は、あの抽斗ひきだしの中だ」


 完璧な微笑みのまま、カナンは戸棚を指差して言う。

 圧倒的な、違和感。薄ら寒いその言動を、ただレイジュは傍観ぼうかんすることしかできなかった。

 視線を彼の背後にずらす。側近のコウエンは何も言わない。沈痛な面持ちで、ただ主君を見守るのみだ。


「さあ。朝餉あさげが冷めんうちに、早く食べなさい」

「え、ええ……」


 言われるままにさじすする。不思議なことに、思ったほど美味しくない。今回はずいぶんと味気なく感じた。


 ――しくり、と。


 心の奥で、見知らぬ生物いきものの小さなき声を聞く。すがるようなその声から、レイジュは努めて意識を逸らした。でないと、自分は取り返しのつかない場所へ足を踏み入れてしまう。そんな予感があった。


 だから眼を閉じ、耳を塞ぐ。

 見て見ぬふりをする。

 気づかぬように。

 気づかぬように。


 ただただ、自分の『お役目』だけを考えるようにした。

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