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「レイジュ」
考えに没頭していると、不意にカナンに名を呼ばれた。
白く長い指先で、何故か眉間を突かれる。
「なんの真似ですか?」
「眉間の皺を伸ばそうと。顰め面も可愛いが、レイジュは笑んだ顔がいっとうだと思ってな」
「はあ、左様ですか」
「左様だとも。コクエイ、お前もかように思うだろう?」
話を振られたコクエイは、ややげんなりとした口調でカナンに同意した。
〈ああ、そうさな〉
「レイジュは可愛いなぁ、コクエイ」
〈ああ、思う。思う思う。思うともさ〉
暑苦しい問いかけに、投げやり感満載でコクエイは返答する。
ああ、不毛だ。そして理解不能な光景だ。
このカナンは、龍の中でも例外中の例外なのだろう。本人、いや本龍も認めている。はみ出し者なのだ、そうに違いない。
心で納得していると、沈黙を気にしたらしいコクエイがすまなそうに言を継いだ。
〈申し訳ない。レイジュ殿が覚醒める以前に、こやつにはさんざ付き合わされてな。やれ苦しそうだ、痛々しい、熱が下がらんと、朝も夕もなく……〉
それはまた、随分はた迷惑な。
〈状態が安定すれば、『コクエイ、レイジュが息をしている!』などと一目瞭然なことを延々と――〉
「レイジュ、寝起きでつらかろう。もう一眠りするかね? それとも朝餉にしようか?」
コクエイを遮り、優美な微笑でカナンが提案する。
このまろやかな雰囲気に騙されてはいけない。笑顔で相手を丸め込むのが、この男の手口だ。
「どれ、私が粥でも食わせてやろうか」
しかもこの龍は黙っていると、どんどん碌でもない方向へ話を転がしていく。
負の連鎖に終止符を打つべく、レイジュはきっぱり申し出を退けた。
「全力でお断りします。こんな訳のわからぬ状況で、食事など取れません」
「それはいかんな。では、疑問は私にぶつけなさい。可能な限り答えよう。ほかには何を知りたい、レイジュ?」
真剣な面持ちのカナンに頭が痛くなる。が、もう自棄だ。
この龍もどきからありったけの情報を引き出し、暗殺方法を練ってやる。そして傷が癒えた暁には、この男の頸級を取るのだ。そうだ、それがいい。
「では、お訊ねします。あなたは何者ですか?」
「カナンだ。ただの、カナン」
「それは先ほど、うかがいました」
「では、私に語る言葉はもうないな」
穏やかだが、頑なな口調で言う。
つまりこの件について、これ以上教える気はないらしい。
「では、質問を変えます。何故わたしを助けたのですか?」
「無論、そなたを生かすためだ」
「何故? わたしはあなたを殺そうとした、龍討師ですよ?」
「うん、承知している。別段、差し支えはないな」
呼吸をするように言い、カナンはゆるやかに破顔した。
「レイジュ、そなたは苗だ。まだ若い。手をかけ、慈しみ、根気強く水をやることが私の務めだと――私はそう、思っている」
「なんです、その論理は? 正気の沙汰とは思えませんね。殺されかけたのですよ?」
「そうかね? 私は身の危険を感じた憶えはないがなぁ」
白鳥のように顔を傾け、ごく自然にこちらを愚弄してくる。
天然か故意か、判断が難しいところだ。
〈レイジュ殿、恐らく今のこやつの言に悪意はない……はずだ〉
「あまり説得力はありませんね」
なるほど、コクエイの立ち位置を理解した。
気苦労の多い主を持つと、臣下は大変だ。
レイジュが睨む先、元凶の龍はほがらかに座しているが、顔面を殴りつけたい気持ちで胸いっぱいである。
「あなた、いっぺん痛い目に遭ってみたらどうですか?」
「うーん、痛い目か。言われてみれば、最近とんとお目にかかってないな。まるで箱入り娘のように皆、蝶よ花よと私を気遣うものだから」
ほう、だからこんなしょうもない性格になったのか。
〈事実、いい齢だからだろうよ。先の出陣といい、少しは老爺らしくじっとしておれんのか、お前は?〉
「ろ、老爺? あなたが?」
どう見ても、カナンは老いとはほど遠い外見だ。人で言うなら二十歳そこそこである。
不思議に思っていると、学士のように流暢な口調でコクエイが続けた。
〈龍の加齢は、人のように一定ではない。変則的なのだ。大抵は肉体の成長は全盛期で一度止まり、死期が間近に迫ったとき、急激な老化が始まる〉
ああ、そういうことか、とレイジュは得心した。
龍脈は命の脈、つまり、生気と同等だ。カナンは先が短いため、龍脈が異様に薄かったのだ。これなら辻褄が合う。
「外見はこうだが、私はさほど若くはない。この全盛期の姿も、長くはもたんだろう」
苦笑するカナンに、レイジュはありったけの厭味と皮肉を込めて言った。
「それはまあ、たいそう若作りでいらっしゃるのですね。お齢のわりに成年げないので、まったく気づきませんでした。羨ましい限りです」
「そうかね。ありがとう、レイジュ」
「褒めてません」
はあ、とここで大袈裟な溜息を一つ。
まったく、この男の正体は何なのだろう。
高貴な血筋であることは、間違いない。恐らく武官。ただの富豪ではないはずだ。武勇の誉れ高い龍とて、あの剣技はずば抜けている。
(ならば殺しの常套は、毒殺)
龍脈に続く、龍殺しの有効手段は毒だ。致死量は人と異なるが、龍にも毒は効く。問題は材料の入手と摂取させる方法だが──カナンが爺ならば、ほかにも手はあるかもしれない。
「ちなみに、具体的な齢は幾つなんですか?」
「齢か。今年で二百と二十になる」
「二百と二十?」
おや、とレイジュは思う。
龍の寿命はおよそ四、五百年だ。その程度はさすがにレイジュも知っている。仮に四百としても、二百代ならまだ倍近く時間がある。
「年寄りと呼ぶには、少し早くないですか?」
「いいや、これで妥当だ。私は混血だから」
「ああ、そうでしたね。なるほど」
人の血が混じったため、寿命も短くなったということか。
〈レイジュ殿が失念するのも無理はない。当世でも龍の混血は珍かだ。そうはいまい〉
「コクエイの言うとおりだ。龍は総じて保守的で、自尊心が強い。自身の血統を重んじ、とかく外部の血を拒む傾向がある。私の父のように、人の娘を娶る龍は稀だろう」
「あなたの父君も変わり者だったと」
「私の名はカナンだ。どうか名で呼んでおくれ、レイジュ」
この男、どこまで名呼びを強制するのか。
「本当に頑固ですね。その厚かましい態度、とても老い先短い命には見えませんが?」
〈右に同じく。こやつは無駄に世にはばかる類の男だな。さぞや、しぶとく生き延び――ぐはっ!〉
笑顔をこちらに向けたまま、見もせずカナンがコクエイを引っぱたく。そして何ごともなかったように、レイジュに問いかけた。
「ほかに訊ねたいことはあるかね?」
「そ、そうですね……」
しばし、眼を泳がせる。
コクエイについてはあえて触れず、別に気になっていたことをレイジュは口にした。
「ここはどこなのですか? 外の景色を見る限り、わたしのいた山ではないようですが」
「ここはシツグンブユウケンキンゴウユウジョウノキタノソウウンキュウだ」
(……………………呪文?)
謎の言語に閉口する。
今のはなんだ、どこの里の名だ。
レイジュが窮していることを悟ったのか、カナンはさらに内容を砕き、続けた。
「『ソウウンキュウ』の由来は、朝雲層となりし龍の宮、という詩の一節からついたそうだ。明け方に雲が重なるさまを表したのだが、まさに『層雲宮』の眺めは絶景だ。傷が癒えたら、私がレイジュを案内しよう」
「結構です。それよりも、ここは玄州ではないのですか?」
玄州獄法山、風花の里。それがレイジュのいた場所だ。しかし近隣の里や山河、滝や森にも――自分の知る限り、『ブユウ』などという名称は存在しない。
「はて? 玄州だが。北方玄州、シツグンブユウケンのキンゴウ。そなたのいた、ジョグンのとなりだ」
「ジョグン?」
鸚鵡返しにレイジュは訊き返す。
グンという単語は以前、里長が口にしていた記憶がある。だが意味まではわからない。
〈もしや……そも『シシュウニジュウハチグン』を知らんのではないか?〉
「シシュウ、ニジュウハチグン?」
コクエイの言にも、レイジュはただ復唱することしかできない。それを見たカナンはわずかに瞼を伏せ、ごく小さな声で独白した。
「討師の里とは、それほど──」
それほど、なんと言うつもりだったのか。
続ける言葉を呑み、カナンはレイジュに微笑みかけた。
「レイジュ、我らの住まう地が『堯』という国であることはわかるか?」
「無論です。堯国の北、玄州。神代の時代、天帝の命を受けた五色の龍のうち、黒龍様が治めたとされる地」
よって玄州の民は、黒龍にちなんで黒色を好む。カナンの洋装も当然、黒衣だ。
レイジュの回答に首肯し、カナンはさらに言葉をつけ加えた。
「そう。計四つある『シュウ』のうち、最北に位置する『シュウ』だ。『シュウ』――玄州の『州』とは、国内における行政区域の単位でね。我らが堯国は、計四つの州で成り立っているのだよ。ああ、書いた方が早いか」
言うと、カナンは戸棚から螺鈿細工の文箱を取り出した。蓋を開け、いかにも高級そうな筆を手に取る。
墨筆と朱筆、二色を用い何ごとか記すと、カナンは得意げな顔でレイジュに紙を広げて見せた。
(字など書かれても……)
戸惑いつつ、レイジュが視線を上げると──。
そこにはえらくど下手な、絵があった。
いや、下手糞でも図があるのは僥倖だ。これなら、レイジュにも大方理解ができる。
紙面をこちらに向けたまま、カナンは文字を指先で追い説明した。
「東西南北にそれぞれ、青州、白州、朱州、そして玄州。計四州だ」
〈『郡』は、州に準じる単位となる。東西南北の州は七郡で成り立つゆえ、計二十八〉
コクエイの補足で、ようやく呪文の意味が繋がった。
「ああ、それで『四州二十八郡』なのですね」
「いかにも。レイジュ、そなたの里はここ、玄州最北の地、『女郡』の最北だ」
広げた紙の上部を指し、カナンは告げる。
「そして今我々がいる場所が、『室郡』の北西にある『武邑県』。ちょうど、白州と隣接する郡だな」
〈郡に準ずる単位を『県』と言う。次が『郷』で、『里』が最小だ〉
コクエイの補足に続けて、カナンは『金郷』と記された文字に指を滑らせた。
「この付近では昔、金が採れたそうでね。ゆえ名を『金郷』。『武邑』は諸説あるが、武将が湯治に訪れたという話が有力だ。昔はさびれた鄙だったが、今は他州にも名の知れた景勝地なのだよ」
得意げに胸をそらすと、カナンは『層雲宮』と書かれた文字の上で指を止めた。
「『層雲宮』は、武邑の邑城――邑城とは城郭の一般名称だが――その北にある、離宮の名だ」
先ほどの呪文に関する説明は以上である。
総合すると、『玄州、室郡、武邑県の金郷。邑城の北の層雲宮』ということらしい。
この法則に則れば、レイジュの里も『玄州女郡なんとか県、なんとか郷の風花の里』となるのだろう。複雑この上ない。里とその周囲で生活が完結していたレイジュが知らないのも道理だ。
以前であれば不要な知識だが、今となっては有益な情報である。
カナンを他県に取り逃がしたときなど、何か役に立つかもしれない。
「腑に落ちたかね、レイジュ?」
胸中を悟られぬよう、何食わぬ顔でレイジュはカナンに笑顔を返した。
「はい。よくわかりました」
「そうか、それは良かった」
「ええ。あなたの絵画における才能が、壊滅的だということが」
「ははははは。私の名はカナンだよ、レイジュ」
また性懲りもなく名呼びを強要するが、無視だ、無視。
「ほかに訊きたいことはあるかね?」
「では最後にもう一つ。この寝間着に憶えがないのですが、着せ替えましたか?」
実は当初から気になっていた。知らぬ間に衣服がすり替わっている。しかもこの肌触り、相当高価な絹だ。袖には細かい刺繍まで施されている。
レイジュが問うと、何故かカナンは血相を変え、早口で事の経緯を語った。
「いや、誤解だレイジュ。そなたに着せかけたのは女官であって、断じて私ではない」
〈焦った物言いが、また胡散臭――ぶは!〉
何か言いかけた剣を実力行使で黙らせ、カナンは視線をレイジュに向けた。
「信じてくれ。名に誓って違う」
「はあ」
この男は、いったい何を訴えたいのだろうか。
まあ、考えるだけ無駄か。
「誰が着せたかなど、わたしは気にしていません。そのようなことはどうでも良くて――」
「なに! ならば私が着せても良いのか!?」
「嫌です。死んでもやめてください」
〈手前は早急に警吏を呼ぶべきだと思うがな――ぶごはっ!〉
鞘ごと床に叩きつけられたコクエイの悲鳴が、レイジュの頭蓋に響き渡る。
「すまない。続けておくれ、レイジュ」
愛刀を長靴で踏みつけながら、爽やかにカナンが先をうながす。
若干身を引いて、レイジュは答えた。
「ええと、そう、この白い寝間着。ずいぶん上等な絹ですよね?」
「おや、少々地味だったかな? では傷が癒えたら、絢爛豪華な錦の衣を用意させよう。生地をふんだんに使用し、裾は倍長く――」
「やめてください、そんな悪趣味な服」
歩き難いことこの上ない。却下だ。
そもそも、会話の論点が食い違っている。レイジュが訴えたいのは、衣服についての要望ではない、忠告なのだ。
「先に断っておきますが、わたしは無一文ですよ。こんな高価な絹、袖を通すのも初めてです」
「ふむ、それが?」
「汚したので。汗はともかく、血は染みが残るでしょう。けれど、わたしに弁償はできませんし、御礼もしません。さらに言うなら、傷が癒えた暁には、あなたを殺します」
「……レイジュ。私のことはカナンと、名で」
ああもう、この莫迦どうしてくれよう。
頭を抱えていると、不意にコクエイが告げた。
〈どこぞの変態は捨て置くとして――レイジュ殿。我らはそなたに見返りを求めてはおらん。気に病むことはない。この阿呆の頸級を欲するならば、いつでも参られよ。なあに、遠慮は無用だ。病床の娘に寝頸をかかれるような間抜け、手前も願い下げだからな〉
「え……?」
冷ややかな発言に驚くも、カナンに動揺はない。浅く息を吐くと、カナンは足もとのコクエイに視線を落とした。
「コクエイ、お前、それが主に対する言葉か?」
〈お前にはこれで丁度良かろう。いや、むしろ手ぬるい〉
歯に衣着せぬ剣に、カナンは苦笑する。
「やれやれ。そういうことだ、レイジュ。あまり気にせんでおくれ」
「え、ええ」
反射的にそう返してしまう。
カナンは唐突に席を立つと、ひょいと床のコクエイを拾い上げた。その仕草と雰囲気から、もうこれで退室するらしいと悟る。
「汗をかいたなら替えを用意しよう。色や柄の希望はあるかね?」
ごく自然に訊ねられる。
空気に流され、深く考えずにレイジュは答えた。
「特にありません」
「承知した」
優美に笑い、カナンはレイジュに腕を伸ばした。
咄嗟に身構える。顔を背ける前に、女のような白い指先が、レイジュの髪を梳いて離れた。
「……期間を置けば、また毒素も抜けるだろう」
毒素?
「今、なんと?」
レイジュに応じず、「ただの独り言だ」とカナンは笑んで身を引く。
「我々は席を外そう。今日はゆっくりお休み」
そう言い残し、カナンは扉の向こうへ消える。
遠ざかる靴音を聞きながら、レイジュはしばしの間、カナンの去った方角を眺めていた。直前の彼の表情が、いやに心に残ったからだ。
いったい、何がそんなに嬉しいのか。
去り際の彼のそれは、得も言われぬほど優しく――幸福そうな笑みだった。




