3
最初に、白い光が視えた。
いつの間にか夜が明けていたらしい。目覚めると天井ではなく、目の前に錦の布団があった。
うつ伏せで寝ていたようで、何故か異常に身体がだるい。視界も狭い。はたはたと瞬きを繰り返すと、虚ろな景色は徐々に晴れていった。
──気づくと、そこは別世界だった。
恐ろしく明るく、日向のように暖かい室。少し視線を持ち上げると、大きな明り取りがある。精緻な彫刻が施された窓枠に、柔らかな色の青空が縁取られていた。
この日の高さは昼近くだ。のどかな鳥のさえずりを聞きながら、彼女はしばし、室内に差し込む陽光をぼんやりと眺めた。
悪夢を見たせいだろう。夜着はぐっしょりと汗で濡れ、髪の毛が頬に張りついている。だが、不思議と気分は爽快だった。
徐々に頭が冴えてくる。どうやら自分は、見知らぬ邸の寝台に横たわっているらしい。それも、かなり裕福な。里の皆はどこへ行ったのだろう。
うつ伏せで考えていても、何も始まらない。少し外を歩いてみよう。
そんな軽い気持ちで起き上がろうとして、直後、背中に斧を振り下ろされたような激痛が駆け抜けた。
「が──ぐぁッ、はぁ……ッ」
あまりのことに、受け身も取れない。激しい痛みに打ちのめされ、頭から寝台に突っ伏した。
ぼふ、と場違いに平和な音がする。
敷布がいやに柔らかい。
今さらながら、自分が横になっている寝床に驚いた。頭が、腕が、布の中に沈むのだ。どれだけ綿を詰めればこんな物ができるのだろう。
痛みに耐えながらも、頭の片隅でそんなことを考えてしまう。
(ぐ──痛……ッ)
歯を食いしばり、ひたすら衝撃をやり過ごす。
やがて痛みが引いたところで、細く溜息をついた。ゆっくりと利き手を握ってみる。両手は無傷だ。つま先も少し動かしてみるが、こちらも問題ない。頸から上も大丈夫だ。背中の傷のみが大きく、致命傷らしい。
──何故、こんな怪我を。ここは?
そっと頸を巡らせ、室内を見渡した。やはり、見知らぬ風景だ。これでも物覚えは良い方である。生まれて初めて訪れた場所だと、自信を持って断言できる。
澄んだ空気と、明るい陽の光。清潔であたたかな敷布。風に乗ってひだまりの匂いと、小鳥の鳴き声が耳をくすぐる──ここはそんな場所だ。背中の痛みがなければ、極楽かどこかと勘違いしていただろう。
湿気て凍てついた大気に、むせるような香の匂い。そこに混じる血の匂い。陽はめったに差さず、鬱蒼とした暗がりに包まれた、堂の静寂――。
彼女が見知ったものが何一つ、ここにはなかった。
「気がついたか。良かった……」
すぐ後ろから、安堵の声が聞こえた。
見上げれば、異様に眼鼻立ちの整った龍が、こちらを見下ろしている。
優しげな金の眼が印象的な、銀髪の龍だった。そして、空恐ろしいほど美しい。秀でた容姿もさることながら、纏う空気が違う。存在に、圧倒的な華があるのだ。その手で触れれば、枯れた蕾も花開く──そんな思いを抱かせる龍だった。
一見して、光に愛されている、と思った。纏う空気、向けるまなざしすら祝福されている。全身にめいっぱい陽光を浴びて、存在すべてを肯定されて。
自分と正反対のありように、眼が潰れそうだ。
努めて意識を龍から引き剥がす。視線を逸らして、彼女は別のことを考えた。
この、龍。
声の低さから男に違いないと思うが、どうにも引っかかった。以前、どこかで見たような気がする。覚えは良いはずだったが、早くも前言撤回だ。
髪の色が銀なので、異国の龍だろうか。この国は人も龍も、ほとんどが黒髪だ。肌は玄州の龍らしく、抜けるように白いが……。
まあ、兎にも角にも。
「あの、どちらさまでしょうか?」
かすれた声で問うと、白銀の龍は小首を傾げて彼女に問い返した。
「おや、憶えがないか」
憶えが? どういう――……。
言いかけ、すんでのところでようやく我に返った。
莫迦か、わたしは。手負いとは言え、この体たらく。
何が、物覚えは良い方だ、己のぼんくら具合に殺意が湧く。
咄嗟に飛刀を掴もうとして、掌が何もない掛け布の上を滑った。
そうだ、あるわけがない。
数瞬のうちに次の手を模索する。
急所を狙うにしても、龍は人より頑強だ。
徒手ならば咽喉、いや眼球を潰すくらいか。
右手は、動く。やるか。
運良く届けば、眼を抉るくらいはできるはずだ。
「よせ、まだ動くには――」
気配を察した龍がほざくが、知ったことではない。
聞く耳持たずに仕掛けた拳は、あっけなく受け流される。
では、続く第二撃を。
そう頭では思っても、やはり身体が追いつかなかった。
失神しそうな痛みが、脳天まで突き抜ける。
「ぐぅ――ぁ……ッ」
蛙が潰れたような、酷い声が出た。
背が裂けたかと錯覚してしまう。かつてない暴力的な激痛に、涙が浮かぶ。
それでも、動かずにいれば痛みが増すことはないようだった。じっと寝台にうずくまり、波を凌ぐ。ゆるやかに楽になってゆく身体に合わせ、必死で息を継いだ。
「そら、言わんことではない。無茶をせずに、今は養生しなさい。私の頸級が欲しいなら、あとでいくらでも相手になろう」
頭上で穏やか、かつ呑気に龍がのたまう。
伸ばされた腕をなけなしの根性で振り払い、彼女は声を張り上げた。
「うる……さい。わたしは――敵の指図など、受けないッ!」
「わかった。では懇願する。頼むから安静にしてくれ。背中の傷に障る」
この龍、手負いとはいえ、天敵である龍討師を前に正気か?
でなければ、愚弄しているとしか思えない。
「あなた、わたしを莫迦にしているのですか……ッ!?」
「莫迦になどしておらんよ。私は、至極真面目に話をしているつもりだ」
「は! ならばわたしは、あなたを底抜けの阿呆とみなしますが、よろしいですか!」
「ああ、よろしいとも」
優雅な仕草で首肯する龍に、絶句する。
言動が理解できない。何をどうすればこうなるのか、意味不明だ。この龍は自身の命を脅かす、龍討師という存在を知らないのだろうか? まさか記憶喪失というわけでもあるまい。
彼女の混乱をよそに、白銀の龍は眼を細めると、肩の力を抜いた。
ほころぶような謎の笑顔を浮かべ、なまりのない綺麗な旋律で言葉を紡ぐ。
「だが、安心したよ」
「はい?」
「それだけ威勢の良い啖呵が切れれば、問題なかろう。丸三日熱が引かぬときは、私も肝を冷やしたよ。……良かった、本当に」
長い銀の睫毛を伏せ、吐息とともに龍は告げる。
そのさまが演技にも見えず、彼女はさらに言葉に窮した。
この龍、本気でお頭の具合は大丈夫だろうか。ここまで話が噛み合わないと、もはや別の意味で不安になる。
例えば、本当の自分は瀕死のまま山に捨て置かれ、今際の際に都合のいい夢でも見ているのではないか――だとか。
しかしなんにせよ、悩むだけでは話が進まない。死んでいたなら、そのときはそのときだ。
「黙って聞いていれば、訳のわからないことを……。あなたにはもっと、わたしにかけるべき言葉があると思いますが?」
喋るのに楽な体勢を見つけたので、ここぞとばかりに詰問する。どうやら龍は、今すぐこちらをどうこうする気はないらしい。ならばまずは、状況把握が最優先だ。
彼女が問うと、白銀の龍は「確かに」と居住まいを正し、
「まことに申し訳なかった」
その場で深く、深く頭を下げた。
「………………はい?」
「我が兵の愚行については、返す言葉もない。すべて私が至らぬ結果だ。嫁入り前の娘に傷をこさえるなど、どう詫びて償えば良いか」
と、言葉を詰まらせる。
――いや。いやいやいやいやいや。
敵である自分が言うのもあれだが、あの兵の行動は正しい。とても正しい。主君を仇なす者から守ったのだ、むしろ褒めてやるべきだ。少なくとも彼女ならそうする。
「……あなた、大丈夫ですか?」
特にお頭が。
どこかで頭を強く打ったとか?
それなら、この奇怪な言動にも納得がいく。
「なんと心根の優しい。私の身なぞ気にせず、そなた自身を大事にしてくれ」
「いえ、そっちではなくて」
駄目だ、通じない。何か、精神的に異様に疲れてきた。
龍は選民意識が強く、気位の高い種族だと聞いていたが、『これ』は例外なのだろうか。
「ええとですね。あの、なんと申しますか……」
「ああ、宿については心配無用だ。今後はここで、心ゆくまで養生していただきたい。古い邸で申し訳ないが、不自由があれば、なんなりと申しつけてくれ。最善を尽くそう」
こちらが悩み戸惑う間にも、龍はさくさく話を進めてゆく。
いったい何が哀しくて、殺す相手の住処で休養せねばならないのか。末代までの恥である。
「ふざけないでください。そもそも、あなたは何者です? 眼は金ですが、その白髪頭といい、極薄の龍脈といい、本当に龍ですか?」
龍に限らず、この国の者は大半が黒髪だ。ほかもせいぜいが濃い茶で、金や銀の髪は珍しい部類に入る。龍脈の薄さついては耳にしたこともない。
もしも瞳が金でなければ、この男を龍とすら思わなかっただろう。
「私か? 私は名を、カナンという。そなたは?」
応じた龍は盛大に的を外した上、答えにくい質問をよこした。これは故意だろうか。
平坦な声で、彼女は『白銀の龍』改め『カナン』に言い返した。
「そんなことより、わたしの問いに答えなさい。あなたは龍ですか?」
「それは龍の定義によるな。純血の龍か、という意味ならば、答えは否だ。ご覧のとおり、私はみそっかすゆえ」
「純血でない、ということは、あなたは混血の龍なのですか?」
「──カナン」
「はい?」
問い返すと、カナンは胡散臭い完璧な笑みを浮かべ、繰り返した。
「カナンと呼んでくれ。この齢になると、私を名で呼んでくれる者は皆無でね。だが、やはり私は、この名で呼ばれたいのだよ。使わぬは宝の持ち腐れだろう?」
「わたしに同意を求められても困ります」
「そなたの名は?」
「まだ言いますか。存外しつこいですね」
「ありがとう。根気強さにはいささか自信があるのだよ、私は」
「褒めていません」
「で、そなたの名は?」
本当に面倒な龍だ、鬱陶しい。そしてさらに疲れた。
ここまでくると、意地を張るのもだんだん莫迦莫迦しくなってくる。考えてみれば、この件は明かしたところで、こちらが不利になる話でもない。
脱力しつつ、観念して彼女は告げた。
「わたしに名はありません」
白状すると、何故かカナンは顔に笑みを貼りつけたまま、表情を消した。
「名がない? それは真実か?」
「こんなことで嘘をついてどうします」
里では十代の娘は、皆名無しだ。人の子はすぐ死ぬが、二十歳を過ぎれば身体も成熟し、大半が生き残る。ゆえに成人後、獄法山では名を賜るしきたりとなっていた。
彼女もあと二年もすれば、里で拝名の儀を受けるはずだったのだ。この意味不明、正体不明の悪しき龍が現れさえしなければ。
「本当に、名がないのかね?」
再びカナンに訊かれ、意識を現実に戻す。
改めて、この龍を見上げた。
銀の髪を揺らし、光を受けてわずかに頸をかしげるそのさまは、名画のように非の打ち所がない。
善良な申し出、優しい言の葉は彼の相貌に相応しく、それゆえに違和感が拭えなかった。
この見てくれで言動は意味不明。共感はできず、意思の疎通も叶わない。率直に言って、この龍は気味が悪いのだ。
内心辟易しつつ、彼女はカナンに断言した。
「私に名などありません。これで満足しましたか?」
──では、わたしの質問に答えなさい。
続けてそう言うつもりが、一足早くカナンに先を越された。
曰く、
「わかった。では僭越ながら、私がそなたに名を贈ろう」
「はぁ!?」
存外、大きな声が出た。
本当に意味がわからない。
そも、この龍は何が『わかった』のだ?
何をどうすれば、そのような結論に達するのだ。
極めつけの莫迦か、それともど阿呆か──敵から名を授かるなど、冗談ではない。
「結構です!」
「なに、遠慮は無用だ」
「してません!」
「レイジュ、という名はどうだろう」
「お断りしますッ!!」
「黎明のレイに、宝珠のジュで、レイジュ。素晴らしい。清廉な響きがぴったりだ」
「……もしやあなた、耳が悪うございます?」
またぞろ眼前の龍に殺意が芽生える。
駄目だ、限界だ。この龍、いっぺん鈍器で脳天かち割ってろうか。
それとなく視線を外し、近くに手ごろな武器がないか室内を物色してみる。すると、突然聞き憶えのない第三者の声が、直接頭の中に降ってきた。
〈おい、少しはレイジュ殿の話を聞かんか。己に都合の悪いことばかり聞き流すは、お前の悪い癖だぞ、カナン〉
低い、落ち着いた男性の声音がカナンをたしなめる。
穏やかだが、いまだかつて耳にしたことのない、異質な声だ。言葉は鮮明なのに、声の主との距離が掴めない。頭蓋に直接流し込むような未知の声に、思わず鳥肌が立つ。
四方へ視線を走らせるが、それらしき人影は見当たらない。気配もない。どういうことだ。
あてもなく思考を空転させていると、その焦燥を見計らったかのように、カナンが口を開いた。
「こらコクエイ、突然喋るな。レイジュが怯えるだろう」
ぺし、と腰に差した剣を叩いて嘆息する。
すると再び、先ほどの声が頭の中で響いた。
〈ああ、これは失礼した、レイジュ殿。我が主の横暴につい、見るに見かねてな〉
聞き間違いではない。これは、
「剣が、喋った……?」
呆然とつぶやく。
カナンはそれに頷くと、鞘ごと腰から剣を抜き、こちらに見せた。
それは最初に対峙したときに見た、あの漆黒の剣だった。月明かりの下、凛とした輝きを放つ黒刃がカナンと対照的で、よく憶えている。
「驚かせてすまない、レイジュ。この口煩い剣の名は、『コクエイ』。無粋で偏屈で無愛想な、私の愛刀だよ」
〈心中お察するレイジュ殿。厚顔無恥な我が主に代わり、非礼を詫びよう〉
「何を言う、コクエイ。私ほど礼儀正しく、謙虚な龍はそうおるまい。なあレイジュ?」
「…………」
身勝手な名前の連呼に、彼女は眉を寄せる。
カナンを睨めつけても、こちらが期待した反応はない。へらへら笑っているだけだ。これは新手の嫌がらせだろうか。
いや、もういい。もう面倒だ。もうレイジュでいい。
よくよく考えれば、相手は頓珍漢な龍と、奇怪な喋る剣だ。まともに取り合うのも莫迦らしいではないか。
肩を落として彼女——『レイジュ』は告げた。
「もう、レイジュで結構です」
「おお、了承してくれるか!」
「ええ、甚だ不本意ではありますが」
「気に入ってもらえて嬉しいよ、レイジュ」
〈そろそろ会話の破綻に対して、真剣に向き合うべきだと思うがな、カナン〉
素晴らしく的確な発言をコクエイが挟む。
どこぞの龍より剣の方が真っ当だ。しかし問題の龍は改善の兆しも見せず、火箸片手に爽やかな笑顔でこう言ってのけた。
「レイジュ、この室は少々寒くないかね? どれ、もう少し火鉢に炭を足そうか」
「結構です! そんなことより、わたしはあなたに訊ねたいことが山ほど――痛ぅッ!」
うっかり身を起こしかけて悶絶する。
世の中は不条理だ。レイジュはそう思う。
「これこれ、急に動くな。常人ならばとっくに死しておかしくない傷だ、もっと横になっておいで。薬湯は飲めるかね?」
人の気も知らず、カナンはいそいそと薬湯を用意し始める。
レイジュはそのさまを鼻で嗤い、言葉を吐き捨てた。
「どうせ、毒入りでしょう?」
「まさか。毒なぞ入っとらんよ」
「では、油断させたところでもとの姿に変化し、わたしを喰らいますか」
「もとの姿に、ヘンゲ?」
金の瞳を瞬かせ、怪訝な顔でカナンが復唱する。
まさか龍に、変化について訊き返されるとは思わなかった。
レイジュが言葉に詰まっていると、一息遅れて「ああ」とカナンは手を打った。
「顕現のことか」
「顕現?」
〈龍身となることを示す言葉だ。人からすれば変化やもしれんが、龍は本来の姿──つまり龍身を顕すことを、顕現と言う。ちなみに、カナンは顕現できん。ご安心召されよ〉
「なっ、それは真実ですか?」
コクエイの言に、上擦った声で訊き返す。
変化できなければ、それはもはや龍ではない。ただの人だ。
事の重大さがわかっていないのか、カナンは清々しいほどあっけらかんと頷いた。
「ああ。そもそも顕現の方法がわからん」
「方法がわからない? あなた、それでも龍ですか?」
「実を言うと、私に流れる龍の血は半分でね。私の母は、人間なのだよ」
「ほら! ほら、やっぱり! 混血じゃないですか!」
「おや、見抜かれたか。さすがはレイジュだ」
「言いました! つい先刻言いましたから!」
〈レイジュ殿。気持ちはわかるが、こやつ相手にその調子では身がもたんぞ……〉
そんなコクエイの労いには、深い諦めと疲労が漂っている。
この剣の指摘は正しい。カナンとの会話は話半分、さらりと聞き流すくらいがちょうど良いのだろう。
〈まあ、ともかくそのようなわけで心配は無用だ。そも、龍は滅多に顕現などせんよ。昔の龍はいざ知らず、昨今は龍身を晒すこと自体、忌避すべきものとされているからな〉
それも初耳だ。そんなこと、里では習わなかった。
「顕現を避けるのですか? 龍なのに?」
「そうなのだよ、龍なのに。私もまともに龍身を見たのは数える程度だ」
呑気に同意するカナンは、もはや完全に他人事である。
混血とはいえ、これがかの龍の末裔か。大陸全土の龍に謝れとレイジュは思う。
「龍の癖に、龍にもなれない。本当にみそっかすですね」
「うん、残念だ。このような晴天の日は、私も空を翔けることができればと思うよ。さぞかし爽快だろうと」
〈阿呆ぬかせ。仮にお前が顕現なぞしてみろ、余命がすべて消し飛ぶぞ?〉
────え?
さらりと告げるコクエイの言葉にレイジュは止まるが、カナンはそのまま会話を続けた。
「だろうな。顕現の瞬間、いやその過程で死ぬか、多分」
〈むしろ、顕現ができぬ身で良かったわ。お前は昔から、後先考えん性分だからな〉
「ちょ、ちょっと待ってください!」
衝撃の事実の連続に、レイジュは慌てて声を割り込ませる。
「寿命が消し飛ぶとはどういうことです? まさか顕現は、命を削るのですか?」
それも──それも知らない。初めて聞く話だ。
問われたカナンは、童のようにきょとんとした顔で首肯した。
「ああ、早死にするらしい。まあ、あれだけ姿が激変すれば、身体への負荷も相当なものなのだろう。若い龍でも、生涯で一度顕すのが限界だよな、コクエイ?」
〈うむ。まあ、生まれたての赤子であれば、二度可能やもしれんが〉
「さすがに赤子は顕現できんだろ」
〈机上の空論だ。生涯一度という認識で相違なかろう〉
龍と剣の日常会話を、レイジュは唖然とした気持ちで見つめていた。
生涯、ただ一度の龍の顕現。
それでは、それでは本当に。
「それでは、ほとんど……人と変わらないではないですか……」
「言われてみればそうだな。顕現で化け物になるということを除けば、『眼が金』『頑健で力が強い』『長命』、違いはこの三つくらいだ」
指を折り、のんびりと数え上げるカナンに、絶句する。
どちらも嘘をついているようには見えない。仮にレイジュに流言を吹き込んだところで、彼らに益はないのだ。戦に負けた時点で、恐らく風花の里は壊滅している。
偽りの可能性は心に留めておくべきだが、この陰謀術数からほど遠い空気を鑑みるに、単純に「訊かれたから答えた」と考えるのが自然だろう。
(この事実を里で教わらなかったのは、わたしがまだ準討師だったから……?)
恐らく、それが理由だ。
龍討師は拝命の議を受け、初めて正討師となる。見習いのうちは準討師だ。察するに龍の生態は、正討師以降に与えられる知識だったのだろう。
急所の捉え方、毒の調合などは習ったので、龍の殺し方を優先していたに違いない。その方が即戦力になるし、現にレイジュはあの夜、戦に出たのだから。
合理的な里の考えに異論はないが、それは誰よりも龍に精通してしかるべき龍討師として、己の未熟さを痛感させられた瞬間だった。
龍は顕現と同時に、寿命を消費する。
その程度のことも自分は知らなかったのだ。敵に懇切丁寧に教えられるまで。
内心、忸怩たる思いで瞳を伏せる。
──わたしは、龍の知識が浅い。
そも、あの戦がレイジュの初陣だった。決して正当な龍討師とは言えない。それでも自分には、討師として譲れぬ矜持がある。
もっと、もっと情報が要る。そう思った。
今のままでは、到底太刀打ちできない。出し抜かねば、と。




