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 最初に、白い光がえた。


 いつの間にか夜が明けていたらしい。目覚めると天井ではなく、目の前ににしき布団ふとんがあった。

 うつ伏せで寝ていたようで、何故か異常に身体がだるい。視界も狭い。はたはたとまたたきを繰り返すと、虚ろな景色は徐々に晴れていった。


 ──気づくと、そこは別世界だった。


 恐ろしく明るく、日向ひなたのように暖かいへや。少し視線を持ち上げると、大きな明り取りがある。精緻な彫刻がほどこされた窓枠に、柔らかな色の青空が縁取ふちどられていた。


 この日の高さは昼近くだ。のどかな鳥のさえずりを聞きながら、彼女はしばし、室内に差し込む陽光ひかりをぼんやりと眺めた。


 悪夢を見たせいだろう。夜着よぎはぐっしょりと汗で濡れ、髪の毛が頬に張りついている。だが、不思議と気分は爽快だった。


 徐々に頭が冴えてくる。どうやら自分は、見知らぬやしきの寝台に横たわっているらしい。それも、かなり裕福な。里の皆はどこへ行ったのだろう。


 うつ伏せで考えていても、何も始まらない。少し外を歩いてみよう。

 そんな軽い気持ちで起き上がろうとして、直後、背中に斧を振り下ろされたような激痛が駆け抜けた。


「が──ぐぁッ、はぁ……ッ」


 あまりのことに、受け身も取れない。激しい痛みに打ちのめされ、頭から寝台に突っ伏した。

 ぼふ、と場違いに平和な音がする。

 敷布がいやに柔らかい。


 今さらながら、自分が横になっている寝床ねどこに驚いた。頭が、腕が、布の中に沈むのだ。どれだけ綿を詰めればこんな物ができるのだろう。

 痛みに耐えながらも、頭の片隅でそんなことを考えてしまう。


(ぐ──……ッ)


 歯を食いしばり、ひたすら衝撃をやり過ごす。

 やがて痛みが引いたところで、細く溜息をついた。ゆっくりと利き手を握ってみる。両手は無傷だ。つま先も少し動かしてみるが、こちらも問題ない。くびから上も大丈夫だ。背中の傷のみが大きく、致命傷らしい。


 ──何故、こんな怪我を。ここは?


 そっとくびを巡らせ、室内を見渡した。やはり、見知らぬ風景だ。これでも物覚えは良い方である。生まれて初めて訪れた場所だと、自信を持って断言できる。


 澄んだ空気と、明るいの光。清潔であたたかな敷布。風に乗ってひだまりの匂いと、小鳥の鳴き声が耳をくすぐる──ここはそんな場所だ。背中の痛みがなければ、極楽かどこかと勘違いしていただろう。


 湿気しけてついた大気に、むせるような香の匂い。そこに混じる血の匂い。はめったに差さず、鬱蒼とした暗がりに包まれた、堂の静寂――。

 彼女が見知ったものが何一つ、ここにはなかった。


「気がついたか。良かった……」


 すぐ後ろから、安堵の声が聞こえた。

 見上げれば、異様に眼鼻立ちの整った龍が、こちらを見下ろしている。


 優しげな金の眼が印象的な、銀髪の龍だった。そして、空恐そらおそろしいほど美しい。秀でた容姿もさることながら、纏う空気が違う。存在に、圧倒的な華があるのだ。その手で触れれば、枯れた蕾も花開く──そんな思いをいだかせる龍だった。


 一見して、光に愛されている、と思った。纏う空気、向けるまなざしすら祝福されている。全身にめいっぱい陽光ひかりを浴びて、存在すべてを肯定されて。


 自分と正反対のありように、眼が潰れそうだ。

 努めて意識を龍から引き剥がす。視線を逸らして、彼女は別のことを考えた。


 この、龍。

 声の低さから男に違いないと思うが、どうにも引っかかった。以前、どこかで見たような気がする。覚えは良いはずだったが、早くも前言撤回だ。


 髪の色が銀なので、異国の龍だろうか。この国は人も龍も、ほとんどが黒髪だ。肌は玄州の龍らしく、抜けるように白いが……。

 まあ、にもかくにも。


「あの、どちらさまでしょうか?」


 かすれた声で問うと、白銀の龍は小首をかしげて彼女に問い返した。


「おや、憶えがないか」


 憶えが? どういう――……。

 言いかけ、すんでのところでようやく我に返った。


 莫迦か、わたしは。手負いとは言え、このていたらく。

 何が、物覚えは良い方だ、己のぼんくら具合に殺意が湧く。

 咄嗟に飛刀を掴もうとして、てのひらが何もない掛け布の上を滑った。


 そうだ、あるわけがない。

 数瞬のうちに次の手を模索もさくする。

 急所を狙うにしても、龍は人より頑強だ。

 徒手としゅならば咽喉のど、いや眼球を潰すくらいか。


 右手は、動く。やるか。

 運良く届けば、眼をえぐるくらいはできるはずだ。


「よせ、まだ動くには――」


 気配を察した龍がほざくが、知ったことではない。

 聞く耳持たずに仕掛けたけんは、あっけなく受け流される。


 では、続く第二撃を。

 そう頭では思っても、やはり身体が追いつかなかった。

 失神しそうな痛みが、脳天まで突き抜ける。


「ぐぅ――ぁ……ッ」


 かえるが潰れたような、酷い声が出た。

 背が裂けたかと錯覚してしまう。かつてない暴力的な激痛に、涙が浮かぶ。


 それでも、動かずにいれば痛みが増すことはないようだった。じっと寝台にうずくまり、波をしのぐ。ゆるやかに楽になってゆく身体に合わせ、必死で息を継いだ。


「そら、言わんことではない。無茶をせずに、今は養生しなさい。私の頸級くびが欲しいなら、あとでいくらでも相手になろう」


 頭上で穏やか、かつ呑気のんきに龍がのたまう。

 伸ばされた腕をなけなしの根性で振り払い、彼女は声を張り上げた。


「うる……さい。わたしは――敵の指図など、受けないッ!」

「わかった。では懇願する。頼むから安静にしてくれ。背中の傷にさわる」


 この龍、手負いとはいえ、天敵である龍討師を前に正気か?

 でなければ、愚弄しているとしか思えない。


「あなた、わたしを莫迦にしているのですか……ッ!?」

「莫迦になどしておらんよ。私は、至極真面目に話をしているつもりだ」

「は! ならばわたしは、あなたを底抜けの阿呆とみなしますが、よろしいですか!」

「ああ、よろしいとも」


 優雅な仕草で首肯しゅこうする龍に、絶句する。

 言動が理解できない。何をどうすればこうなるのか、意味不明だ。この龍は自身の命を脅かす、龍討師という存在を知らないのだろうか? まさか記憶喪失というわけでもあるまい。


 彼女の混乱をよそに、白銀の龍は眼を細めると、肩の力を抜いた。

 ほころぶような謎の笑顔を浮かべ、なまりのない綺麗な旋律で言葉を紡ぐ。


「だが、安心したよ」

「はい?」

「それだけ威勢の良い啖呵が切れれば、問題なかろう。丸三日熱が引かぬときは、私もきもを冷やしたよ。……良かった、本当に」


 長い銀の睫毛まつげを伏せ、吐息とともに龍は告げる。

 そのさまが演技にも見えず、彼女はさらに言葉に窮した。


 この龍、本気でおつむの具合は大丈夫だろうか。ここまで話が噛み合わないと、もはや別の意味で不安になる。

 例えば、本当の自分は瀕死のまま山に捨て置かれ、今際いまわきわに都合のいい夢でも見ているのではないか――だとか。

 しかしなんにせよ、悩むだけでは話が進まない。死んでいたなら、そのときはそのときだ。


「黙って聞いていれば、訳のわからないことを……。あなたにはもっと、わたしにかけるべき言葉があると思いますが?」


 喋るのに楽な体勢を見つけたので、ここぞとばかりに詰問する。どうやら龍は、今すぐこちらをどうこうする気はないらしい。ならばまずは、状況把握が最優先だ。


 彼女が問うと、白銀の龍は「確かに」と居住まいを正し、


「まことに申し訳なかった」


 その場で深く、深く頭を下げた。


「………………はい?」

「我が兵の愚行については、返す言葉もない。すべて私が至らぬ結果だ。嫁入り前の娘に傷をこさえるなど、どう詫びて償えば良いか」


 と、言葉を詰まらせる。

 ――いや。いやいやいやいやいや。

 敵である自分が言うのもあれだが、あの兵の行動は正しい。とても正しい。主君をあだなす者から守ったのだ、むしろ褒めてやるべきだ。少なくとも彼女ならそうする。


「……あなた、大丈夫ですか?」


 特におつむが。

 どこかで頭を強く打ったとか?

 それなら、この奇怪な言動にも納得がいく。


「なんと心根の優しい。私の身なぞ気にせず、そなた自身を大事にしてくれ」

「いえ、そっちではなくて」


 駄目だ、通じない。何か、精神的に異様に疲れてきた。

 龍は選民意識が強く、気位きぐらいの高い種族だと聞いていたが、『これ』は例外なのだろうか。


「ええとですね。あの、なんと申しますか……」

「ああ、宿やどについては心配無用だ。今後はここで、心ゆくまで養生していただきたい。古いやしきで申し訳ないが、不自由があれば、なんなりと申しつけてくれ。最善を尽くそう」


 こちらが悩み戸惑う間にも、龍はさくさく話を進めてゆく。

 いったい何が哀しくて、殺す相手の住処すみかで休養せねばならないのか。末代までの恥である。


「ふざけないでください。そもそも、あなたは何者です? 眼は金ですが、その白髪頭しらがあたまといい、極薄の龍脈といい、本当に龍ですか?」


 龍に限らず、この国の者は大半が黒髪だ。ほかもせいぜいが濃い茶で、金や銀の髪は珍しい部類に入る。龍脈の薄さついては耳にしたこともない。

 もしも瞳が金でなければ、この男を龍とすら思わなかっただろう。


「私か? 私は名を、カナンという。そなたは?」


 応じた龍は盛大にまとを外した上、答えにくい質問をよこした。これは故意だろうか。

 平坦な声で、彼女は『白銀の龍』改め『カナン』に言い返した。


「そんなことより、わたしの問いに答えなさい。あなたは龍ですか?」

「それは龍の定義によるな。純血の龍か、という意味ならば、答えはいなだ。ご覧のとおり、私はみそっかすゆえ」

「純血でない、ということは、あなたは混血の龍なのですか?」

「──カナン」

「はい?」


 問い返すと、カナンは胡散臭い完璧な笑みを浮かべ、繰り返した。


「カナンと呼んでくれ。このとしになると、私を名で呼んでくれる者は皆無でね。だが、やはり私は、この名で呼ばれたいのだよ。使わぬは宝の持ち腐れだろう?」

「わたしに同意を求められても困ります」

「そなたの名は?」

「まだ言いますか。存外しつこいですね」

「ありがとう。根気強さにはいささか自信があるのだよ、私は」

「褒めていません」

「で、そなたの名は?」


 本当に面倒な龍だ、鬱陶しい。そしてさらに疲れた。

 ここまでくると、意地を張るのもだんだん莫迦莫迦ばかばかしくなってくる。考えてみれば、この件は明かしたところで、こちらが不利になる話でもない。

 脱力しつつ、観念して彼女は告げた。


「わたしに名はありません」


 白状すると、何故かカナンは顔に笑みを貼りつけたまま、表情を消した。


「名がない? それは真実まことか?」

「こんなことで嘘をついてどうします」


 里では十代の娘は、みな名無しだ。人の子はすぐ死ぬが、二十歳を過ぎれば身体も成熟し、大半が生き残る。ゆえに成人後、獄法山ごくほうさんでは名をたまわるしきたりとなっていた。


 彼女もあと二年もすれば、里で拝名の儀を受けるはずだったのだ。この意味不明、正体不明の悪しき龍が現れさえしなければ。


「本当に、名がないのかね?」


 再びカナンにかれ、意識を現実に戻す。

 改めて、この龍を見上げた。


 銀の髪を揺らし、光を受けてわずかにくびをかしげるそのさまは、名画のように非の打ち所がない。

 善良な申し出、優しいことは彼の相貌に相応ふさわしく、それゆえに違和感が拭えなかった。


 この見てくれで言動は意味不明。共感はできず、意思の疎通も叶わない。率直に言って、この龍は気味が悪いのだ。

 内心辟易ないしんへきえきしつつ、彼女はカナンに断言した。


「私に名などありません。これで満足しましたか?」


 ──では、わたしの質問に答えなさい。

 続けてそう言うつもりが、一足早くカナンに先を越された。

 いわく、


「わかった。では僭越せんえつながら、私がそなたに名を贈ろう」

「はぁ!?」


 存外、大きな声が出た。

 本当に意味がわからない。

 そも、この龍は何が『わかった』のだ?

 何をどうすれば、そのような結論に達するのだ。

 極めつけの莫迦か、それともど阿呆か──敵から名をさずかるなど、冗談ではない。


「結構です!」

「なに、遠慮は無用だ」

「してません!」

「レイジュ、という名はどうだろう」

「お断りしますッ!!」

黎明れいめいのレイに、宝珠のジュで、レイジュ。素晴らしい。清廉な響きがぴったりだ」

「……もしやあなた、耳が悪うございます?」


 またぞろ眼前の龍に殺意が芽生える。

 駄目だ、限界だ。この龍、いっぺん鈍器で脳天かち割ってろうか。


 それとなく視線を外し、近くに手ごろな武器がないか室内を物色してみる。すると、突然聞き憶えのない第三者の声が、直接頭の中に降ってきた。


〈おい、少しはレイジュ殿の話を聞かんか。己に都合の悪いことばかり聞き流すは、お前の悪い癖だぞ、カナン〉


 低い、落ち着いた男性の声音こわねがカナンをたしなめる。

 穏やかだが、いまだかつて耳にしたことのない、異質な声だ。言葉は鮮明なのに、声のぬしとの距離が掴めない。頭蓋に直接流し込むような未知の声に、思わず鳥肌が立つ。


 四方へ視線を走らせるが、それらしき人影は見当たらない。気配もない。どういうことだ。

 あてもなく思考を空転させていると、その焦燥しょうそうを見計らったかのように、カナンが口を開いた。


「こらコクエイ、突然喋るな。レイジュがおびえるだろう」


 ぺし、と腰に差した剣をはたいて嘆息する。

 すると再び、先ほどの声が頭の中で響いた。


〈ああ、これは失礼した、レイジュ殿。我があるじの横暴につい、見るに見かねてな〉


 聞き間違いではない。これは、


「剣が、喋った……?」


 呆然とつぶやく。

 カナンはそれにうなずくと、さやごと腰から剣を抜き、こちらに見せた。


 それは最初に対峙したときに見た、あの漆黒のつるぎだった。月明かりの下、凛とした輝きを放つ黒刃こくばがカナンと対照的で、よく憶えている。


「驚かせてすまない、レイジュ。この口煩くちうるさい剣の名は、『コクエイ』。無粋で偏屈で無愛想な、私の愛刀だよ」

〈心中お察するレイジュ殿。厚顔無恥な我が主に代わり、非礼を詫びよう〉

「何を言う、コクエイ。私ほど礼儀正しく、謙虚な龍はそうおるまい。なあレイジュ?」

「…………」


 身勝手な名前の連呼に、彼女は眉を寄せる。

 カナンを睨めつけても、こちらが期待した反応はない。へらへら笑っているだけだ。これは新手の嫌がらせだろうか。


 いや、もういい。もう面倒だ。もうレイジュでいい。

 よくよく考えれば、相手は頓珍漢とんちんかんな龍と、奇怪な喋る剣だ。まともに取り合うのも莫迦らしいではないか。

 肩を落として彼女——『レイジュ』は告げた。


「もう、レイジュで結構です」

「おお、了承してくれるか!」

「ええ、はなはだ不本意ではありますが」

「気に入ってもらえて嬉しいよ、レイジュ」

〈そろそろ会話の破綻に対して、真剣に向き合うべきだと思うがな、カナン〉


 素晴らしく的確な発言をコクエイが挟む。

 どこぞの龍より剣の方が真っ当だ。しかし問題の龍は改善の兆しも見せず、火箸ひばし片手に爽やかな笑顔でこう言ってのけた。


「レイジュ、このへやは少々寒くないかね? どれ、もう少し火鉢に炭を足そうか」

「結構です! そんなことより、わたしはあなたにたずねたいことが山ほど――ぅッ!」


 うっかり身を起こしかけて悶絶もんぜつする。

 世の中は不条理だ。レイジュはそう思う。


「これこれ、急に動くな。常人ならばとっくに死しておかしくない傷だ、もっと横になっておいで。薬湯やくとうは飲めるかね?」


 人の気も知らず、カナンはいそいそと薬湯やくとうを用意し始める。

 レイジュはそのさまを鼻で嗤い、言葉を吐き捨てた。


「どうせ、毒入りでしょう?」

「まさか。毒なぞ入っとらんよ」

「では、油断させたところでもとの姿に変化へんげし、わたしを喰らいますか」

「もとの姿に、ヘンゲ?」


 金の瞳をまたたかせ、怪訝な顔でカナンが復唱する。

 まさか龍に、変化について訊き返されるとは思わなかった。

 レイジュが言葉に詰まっていると、一息遅れて「ああ」とカナンは手を打った。


顕現けんげんのことか」

「顕現?」

〈龍身となることを示す言葉だ。人からすれば変化へんげやもしれんが、龍は本来の姿──つまり龍身をあらわすことを、顕現と言う。ちなみに、カナン(こやつ)は顕現できん。ご安心召されよ〉

「なっ、それは真実まことですか?」


 コクエイのげんに、上擦った声で訊き返す。

 変化できなければ、それはもはや龍ではない。ただの人だ。

 事の重大さがわかっていないのか、カナンは清々しいほどあっけらかんと頷いた。


「ああ。そもそも顕現の方法がわからん」

「方法がわからない? あなた、それでも龍ですか?」

「実を言うと、私に流れる龍の血は半分でね。私の母は、人間なのだよ」

「ほら! ほら、やっぱり! 混血じゃないですか!」

「おや、見抜かれたか。さすがはレイジュだ」

「言いました! つい先刻言いましたから!」

〈レイジュ殿。気持ちはわかるが、こやつ相手にその調子では身がもたんぞ……〉


 そんなコクエイのねぎらいには、深いあきらめと疲労が漂っている。

 この剣の指摘は正しい。カナンとの会話は話半分、さらりと聞き流すくらいがちょうど良いのだろう。


〈まあ、ともかくそのようなわけで心配は無用だ。そも、龍は滅多に顕現などせんよ。昔の龍はいざ知らず、昨今は龍身をさらすこと自体、忌避すべきものとされているからな〉


 それも初耳だ。そんなこと、里では習わなかった。


「顕現を避けるのですか? 龍なのに?」

「そうなのだよ、龍なのに。私もまともに龍身を見たのは数える程度だ」


 呑気に同意するカナンは、もはや完全に他人事である。

 混血とはいえ、これがかの龍の末裔か。大陸全土の龍に謝れとレイジュは思う。


「龍の癖に、龍にもなれない。本当にみそっかすですね」

「うん、残念だ。このような晴天の日は、私も空をけることができればと思うよ。さぞかし爽快だろうと」

〈阿呆ぬかせ。仮にお前が顕現なぞしてみろ、余命がすべて消し飛ぶぞ?〉


 ────え?

 さらりと告げるコクエイの言葉にレイジュは止まるが、カナンはそのまま会話を続けた。


「だろうな。顕現の瞬間、いやその過程で死ぬか、多分」

〈むしろ、顕現ができぬ身で良かったわ。お前は昔から、後先あとさき考えん性分だからな〉

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 衝撃の事実の連続に、レイジュは慌てて声を割り込ませる。


「寿命が消し飛ぶとはどういうことです? まさか顕現は、命を削るのですか?」


 それも──それも知らない。初めて聞く話だ。


 問われたカナンは、わらべのようにきょとんとした顔で首肯した。


「ああ、早死にするらしい。まあ、あれだけ姿なりが激変すれば、身体への負荷も相当なものなのだろう。若い龍でも、生涯で一度(あらわ)すのが限界だよな、コクエイ?」

〈うむ。まあ、生まれたての赤子であれば、二度可能やもしれんが〉

「さすがに赤子は顕現できんだろ」

〈机上の空論だ。生涯一度という認識で相違そういなかろう〉


 龍と剣の日常会話を、レイジュは唖然とした気持ちで見つめていた。

 生涯、ただ一度の龍の顕現。

 それでは、それでは本当に。


「それでは、ほとんど……人と変わらないではないですか……」

「言われてみればそうだな。顕現で化け物になるということを除けば、『眼が金』『頑健で力が強い』『長命』、違いはこの三つくらいだ」


 指を折り、のんびりと数え上げるカナンに、絶句する。

 どちらも嘘をついているようには見えない。仮にレイジュに流言りゅうげんを吹き込んだところで、彼らにえきはないのだ。いくさに負けた時点で、恐らく風花かざはなの里は壊滅している。


 偽りの可能性は心に留めておくべきだが、この陰謀術数いんぼうじゅっすうからほど遠い空気をかんがみるに、単純に「かれたから答えた」と考えるのが自然だろう。


(この事実を里で教わらなかったのは、わたしがまだ準討師だったから……?)


 恐らく、それが理由だ。

 龍討師は拝命の議を受け、初めて正討師となる。見習いのうちは準討師だ。察するに龍の生態は、正討師以降に与えられる知識だったのだろう。


 急所のとらえ方、毒の調合などは習ったので、龍の殺し方を優先していたに違いない。その方が即戦力になるし、現にレイジュはあの夜、いくさに出たのだから。


 合理的な里の考えに異論はないが、それは誰よりも龍に精通してしかるべき龍討師として、己の未熟さを痛感させられた瞬間だった。


 龍は顕現と同時に、寿命を消費する。

 その程度のことも自分は知らなかったのだ。敵に懇切丁寧に教えられるまで。

 内心、忸怩じくじたる思いで瞳を伏せる。


 ──わたしは、龍の知識が浅い。


 そも、あのいくさがレイジュの初陣ういじんだった。決して正当な龍討師とは言えない。それでも自分には、討師として譲れぬ矜持がある。


 もっと、もっと情報がる。そう思った。

 今のままでは、到底太刀打(たちう)ちできない。出し抜かねば、と。


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