友達の友達
胸に今後の不安を抱きつつも、皿の上のウィンナーにフォークを突き刺した。すこしの抵抗の後にざっくりと刺さる感触が手に伝わってくる。
「おーい、ティフー!」
それを口に運ぼうとした時、親しげにティフの名前を呼ぶ声がして、そのすぐ後に声の主が現れる。
やけに派手な格好をした女子生徒だ。制服は着崩されており、首や手首にはペンダントやブレスレットが付いている。指の爪はすべてカラフルに彩られていて、髪の色も派手な橙色だ。おそらく地毛なそれは一つに結われていてポニーテールになっている。
不思議なのは、そんな派手な格好をしているのに、耳にピアスをしていないことだ。通すための穴すら空いていない。そこにすこし、違和感を覚えた。
「今日はこっちに来てたんだねー。誘ってくれれば良かったのに」
「ごめんなさいね。今日はすこし用事があったから」
「用事。用事ねー……それってもしかして、この男の子のこと?」
彼女は持っていたトレイをテーブルに置くなり、俺の隣のイスに腰掛けた。
なぜティフの隣に行かず、俺の隣に腰掛けたのか。状況から見て誰もが予想する行動と異なる動きをした彼女は、今度はぐっと身体を寄せて顔を近づけてくる。吐息がかかろうかと言うほどに。
「ふーん。まぁ、顔は悪くないかなー」
そうとだけ言うと、名前も知らない彼女は顔を離した。
「あ! あたしティフの友達で、キャサリン・イーストハルトって言うの。君の名前は?」
「ラクド・ヨミサカだ、けど」
派手な格好に違わず、ぐいぐい来る。
ティフの友達ってことは、この女子も貴族っぽいな。服装からして、とてもそうとは思えないが。
「ふーん、ラクドくんか。ねぇねぇ、ティフとはどう言う関係?」
「えーっとだな」
どう返事をしたものかと、曖昧で焦らすような言葉が出る。
このイーストハルトというティフの友人はどこまで事情を知っている? いくら友人とは言え、家庭の問題を深く知っているとは限らない。ひょっとしたらパトリシアの死も、姉という存在すら知らない可能性だってある。
「んー?」
言葉につまる俺をみて、イーストハルトは小首を傾げた。けれど、本当のことは言えそうにない。だが、こう言った状況を想定していないから、咄嗟に嘘も出てこない。この状況を予想していたのはただ一人、ティフだけだ。
「ラクドは困っていた所を助けてくれた人よ。今日、私が此処にいるのも、そのお礼のため」
ティフは嘘をつくことなく、事実を省くことでイーストハルトに説明をした。
誤魔化そう、嘘をつこうとしないこの説明には偽りがない。この説明はただ俺達の取って都合が悪い部分を省いただけだ。矛盾や違和感もないから、怪しまれない。
「へぇー、ラクドくん格好いいー」
「からかうのは止してくれ」
「あはっ、バレちゃった」
特に何かを追究されることもなく、この場は収まった。
ティフの口振りからして、パトリシアのことは誰にも話していないみたいだ。まぁ、死んだと思っていた人間が生き返ったのだ。それなりに事後処理が複雑なんだろう。ある程度の時間が経過するまで、昨日あったことは秘密にしておいたほうが良さそうだ。
そんなこんなありつつも、俺達は止まっていた手を動かして朝食を食べ始める。
「あれ、ラクドくんクラブのクラスなんだ」
「あぁ、ちょいとこの世界の常識って奴が頭に入ってなくてな」
話題は互いのクラスのこと。イーストハルトはティフと同じスペードのクラスらしい。
「常識ってことは……つまり?」
「この世界で生まれた訳じゃないってことよ、ケイト」
「あー、なるほどね。なら、仕様がないよねー」
ちなみにケイトはキャサリンの短縮形だ。
「じゃあ、これから色々と苦労するねー。憶えなくちゃいけない事とか盛りだくさんだし、テスト勉強とか大変だよー」
「ケイトはいつもテストの直前になって私に泣きついてくるものね」
「ちょっと! それは言わないでよー。格好付かないじゃん」
相変わらず俺の隣に陣取ったまま抗議するイーストハルトと、それを慣れた手付きであしらうティフ。これまで何度も繰り返されてきた展開って感じがする。二人の関係は仲が良くて、付き合いも長そうだ。
「しかし、前途多難だな」
テスト勉強か、嫌な響きだ。この世界の知識も頭に叩き込まなくちゃあならないってのに、その上に学業の不安まで抱えなくちゃあならないのか。普通の教科、たとえば数学なんかは元の世界と変わらないだろうけれど。その他はほぼ全滅だ。
とにかく学ぶということをしないと少々ヤバい。クラブのクラスにいることは、どうやら不味いことらしいし、現状を打破するにはまず何よりも先に勉強をしなくちゃあならない。
「あ、そうだ。ティフ、さっきのことだけれど」
「さっき? あぁ、お礼のことね。決まったの?」
「一応、な」
今のところ思い浮かんだのはこれしかない。
「なになに? なんの話?」
「さっき助けて貰った話はしたでしょ? そのお礼の内容をラクドに考えて貰っていたのよ。で、それがいま決まったみたい」
「お礼かー。果たしてラクドくんはティフにどんな無理難題を強いるのか、楽しみだねー」
「別に無理難題を押し付ける気はないからな?」
ちょいと時間を取るような内容にはなっているが。
「それで? ラクドはどんなことをして欲しいの?」
「俺に勉強を教えてくれ。それが俺のして欲しいことだ」
あの残酷な選別の項目で、俺が平均よりも劣っていたのは学力に関することだけだ。あとは平均的、普遍的なんだ。つまり、足りない学力を補えばスペードやハートとは言わないが、ダイヤのクラスには上がれるはずだ。
とにかく、クラブのクラスは環境が悪すぎる。ここでまともな学生生活を送るには、俺自身が努力する他にない。それを効率よく進めるには、手助けが必要だ。スペードのクラスにいるティフのような優秀な生徒から。
「それだけ? そんな事で良いの?」
「そんな事って、俺にとっては死活問題なんだぜ?」
「分かってる。でも、そのくらいなら普通に見てあげるのに」
「いいんだよ。憶えることが多すぎて長い期間、教わることになりそうなんだ。長い時間を消費させるぶん、お礼って形のほうがこっちも気が楽だ」
「むぅ……そう言うことなら、分かったわ」
ティフの了承も得られたことだし、これで足りない学力を補える。結局は自力の問題になるが、これでクラブのクラス脱出の目処が付いた。サボらず真面目に勉強しよう、俺にいま必要なのは集中力だ。
「ねぇねぇ、それって勉強会ってことだよね? 時々で良いから、あたしも参加させてくれない?」
「あら、どうしたの? 急に。らしくないわね、自分から勉強したいだなんて」
「あたしも偶には勉強するんですー。……だって二人が勉強している間、私はティフと会えなくてつまんないもん」
派手な格好をしている割に意外と寂しがり屋だな、イーストハルトは。
「悪いな、ティフを借りて」
「別に、そのことは良いよ。ラクドくんは困ってるティフを助けてくれたんでしょ? 友達を助けてくれた人には、幸せになって欲しいから」
その時に見せた屈託のない笑顔は、まるで無垢な少女のようだった。
しかし、初めて見た時に覚えた違和感のようなものは感じない。彼女本人のありのままから出たような自然な笑顔だった。なんというか、彼女からはチグハグした何かを感じる。それが違和感の原因だ。
「さーて、お腹もいっぱいになったし、そろそろ教室に行かないとねー」
「じゃあ、今日の放課後から早速やりましょう。勉強会」
「あぁ、よろしく頼むよ」
そんな会話があって二人と別れた俺は、一人でクラブのクラスへと向かう。
手紙に同封されていた校舎内の地図を頼りに歩みを進め、クラブの第一クラスに辿り着く。がらがらと音が鳴る引き戸を開けて広がるのは、長机が規則正しく並べられた広い教室だ。すでに半分近くの生徒が、席に腰を下ろしている。
「席順は……自由か」
出席番号順って訳じゃあないらしい。とりあえず、適当な場所に座るとしよう。