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勇者様は月を目指す  作者: 世葉
第2章 作戦変更
13/19

第13話 うつ

「──いい、勝負だったよ。」

 試合が終わり、勇者たちはトリウィアの健闘を称えるが、敗者にそれ以上の言葉は思いつかなかった。


 敗れたトリウィアは、今にも泣き出しそうな顔で唇を噛み締めていた。

 この勝負は、勝てるはずだった。本気で戦い、優位に立ち、あと一歩で勝利が掴める手応えもあった。なのに、終わってみれば胸に残るのは勝利の感触ではなく、拭いきれない後悔だった。

 自分の何がいけなかったのか。それがわからない。けれど、途中から何かが狂いだした。少しずつの小さな違和感が、最後まで残り続けた。

 だが、その違和感の正体にまで思い至らなかった。それこそが、アタエギナの術中にはまったせいであるとは、気づく由もなかった─…。

 

 一方で、勝利を掴んだアタエギナの表情に、歓喜の色はなかった。

 普段の彼女なら、勝ちを決めた瞬間に大声を上げ、喜びを爆発させていたはずだ。だがこの勝負に限って、アタエギナはその感情を押し殺していた。

 それは偏に、まだ勝利していないからだった。

 まだ一勝、あと一勝しなければ本当の意味で勝利にはならない。自分の勝利が、相手を鼓舞するようなことは避けねばならない。その冷静さは、徹底した仲間のための献身だった。


 うなだれるトリウィアの横で、最後に試合を控えるロナが寄り添い励ましていた。

「─…すごくよかったですよ、今の試合。最後まで、諦めなかったじゃないですか。」

 しかし、トリウィアが顔を上げられないままでいると、ロナは少しだけ言葉に力を込める。

「大丈夫、心配いりませんよ。まだ、勝負はついていません。」

「きっと、イシュチェルちゃんは、やってくれますよ……。」

 その視線の先では、イシュチェルが自分の身の丈ほどのラケットを持ち、コートに立っていた。その小さな背中は、今は誰よりも大きく見えた。


 対するキュンティアにとって、この試合はやりにくいものだった。

 相手は、まだ年端もいかぬイシュチェル様。本気で攻め立てるにはあまりに幼く、かといって手を抜けば、それはそれで失礼にあたる気がした。

 どう振る舞うのが正解なのか。どこまで力を出せばいいのか。試合の直前まで、その判断に迷っていた。

 ──きっと、勇者たちにとっても、この試合は負けを前提とした布陣だったのだろう。

 だからこそ、前の試合でトリウィアはあそこまで必死に勝負を仕掛けてきた──そう考えると、納得できた。

 キュンティアとしては軽々しい態度は取れない。だからといって、どこまで全力を出すべきなのか。

 その迷いは、試合開始前からすでにキュンティアの動きを縛りつつあった。


 ──しかし、イシュチェルのファーストショットが、その迷いを、文字通り吹き飛ばした──


「いっくよ〜〜っ!」

 無邪気な掛け声が響く。それから始まる打法は、ラケットに振り回されているように見える小さな体全体を使ったものだった。その姿は、愛らしさすら感じさせる。

 だが次の瞬間、放たれた木球は、空気を裂く轟音とともに異様な軌道を描く。濃密な魔力をまとい、命を得たかのようにのたうつその球体は、まるで巨竜の尻尾のように蛇行しながら、キュンティアの陣地へと襲いかかった。


 その打球を見た途端、キュンティアは意識を切り替える。

 空気を切り裂いてうねるその軌道を辛うじて捉え、着地点を予測し打ち返そうと試みた。

 ──だが、その一撃はアタエギナの力を遥かに上回る威力と、常識外れの回転力を秘めていた。

 接触の瞬間、まるでラケットの方が狙い打たれたかのように、キュンティアの手元から衝撃とともに弾け飛んだ。

 

 打球が地面を叩くと同時に、勇者たちから歓声が上がる。その声に、イシュチェルは満面の笑みを向けた。

 負ける前提などと、とんでもない誤解だった。勇者たちは完全勝利のため、イシュチェルを完璧に仕上げてきていた。

 ただ返すだけでも、信じがたい集中力と筋力、そして魔力の強さを必要とする。イシュチェルの打球には、竜神が宿っていた──


 続く、ファーストショットの準備をしながら、キュンティアは考えねばならなかった。

 イシュチェルの攻撃を打ち返せるイメージが、全く湧かない。巨大な魔力をまとった規格外の砲撃は、魔人の力を隠しながら戦うキュンティアを、厳しい状況に追い詰める。

 それならば──と、キュンティアはイシュチェルに攻撃をさせない戦略に出た。


 その小さな体型では、高低差に対する反応がどうしても遅れる。視野も狭くなり、頭上への対応力は大人に比べて劣る。一度上空へと打ち上げた後、左右どちらかに強く打ち下ろす打球を放てば、イシュチェルは二択を迫られるはずだ。どれ程魔力に長けていても、その体はまだ子供なのだから……。

 本来その攻撃は、彼女には使うまいと試合前には封じていたものだった。それでも、その封印を解かざる負えないほど、キュンティアには後が無かった。


 そして、その作戦通りにキュンティアはファーストショットを打ち上げた。

 上空へと上がった打球には魔力が込められ、最高点に達したと同時に、急激な落下を始める。

 その打球を、イシュチェルはただ試合を楽しむ純粋な笑みで、見上げていた。


 イシュチェルは、落下する木球めがけてその場で思い切り跳び上がった。それでもまだ、頭上の遥か上であるのに、かまわずラケットを背中まで振りかぶる。そして、その手に魔力を込めた。

 次の瞬間、ラケットは魔力によってその形を変化させた。まるで巨大な団扇――まさにそれは、グレティやキュンティアが得意とする、魔力の殻によって外形を模り構成する魔法と同じものだった。

 全身を使って、イシュチェルは巨大なラケットを振り下ろす。それは、木球の正確な位置など無視するかのように、広い範囲を一気に包み込んだ。

 イシュチェルの魔力の団扇にぶつかった木球は、その圧倒的な力に巻き込まれ、弾き返される。

 そして、今度は彼女の魔力をそのまま纏い、魔力の槍となって地上を射た。

 キュンティアにはそれを防ぐ盾があるはずもなく、一直線に陣地を貫き、槍は無情に突き立てられた。


 その圧倒的な魔力の攻撃に、魔人たちどころか、勇者たちですら皆息を呑んだ。勇者自身ですら、イシュチェルの攻撃を返す策は容易には思いつかなかった。それほどまでに、絶対的な力を見せつけていた。


 ──だが、それでもキュンティアは、諦めなかった。

 諦めるという選択肢が、彼女にはなかった。正面からぶつかれば簡単に砕け散る攻撃を前に、奇跡でも期待するしか他に手が無いにもかかわらず……。

 けれど、それでもこの勝負から目を逸らさなかった。イシュチェルの竜撃を前に集中し、魔力の奔流に逆らわず、その流れにあえて呑まれることで、打球の心を捉えることに成功する。

 ただそれでは、打ち返すまでがやっとだった。当然のごとく、次の瞬間にはイシュチェルの反撃は容赦なく襲い来る。

 だが、それだけ出来ただけでよかった。得点は出来なくても、失点が無ければ勝負は終わらない──


 キュンティアはあらゆる力を振り絞り、勝機の無い勝負に賭け、イシュチェルの魔力の限界を狙った──しかし、敗北はそれより早く訪れた……


 勝利したイシュチェルは、はじける笑顔をみせて勇者たちと喜んだ。

 その無邪気さの傍らで、敗北したキュンティアは立っているのがやっとなほど、憔悴しきっていた。

 その彼女にアタエギナは無言で身を寄せると、肩を貸してその体を支えた。

『─…ありがと……』 キュンティアは絞り出すように声を漏らす。

『ああ……、謝んなよ。』 その声に寄り添いながら、アタエギナは先回りして口を塞いだ。


 最初から、その圧倒的な魔力差を前提に戦略を練っていれば、あるいは、違った結果になったかもしれない──そんな後悔が、キュンティアの胸の奥を締め付ける。あの時、ああしていれば、こうしていればと、悔やんでも悔やみきれない。

 だが、仮に違う手を打っていたとしても、イシュチェルのあの竜撃を果たして攻略できたのか、それすらも定かではなかった。

 そうした取り留めのない後悔ばかりが、頭の中をぐるぐると巡る。

 出口の無い想いを抱えたまま、ただ、キュンティアはこの敗北を黙って噛みしめていた……


 そんなキュンティアが戻ってくるのとすれ違いざまに、次のイラルギが一言声をかけた。

『まかすニャ──』

 振り返りもせずに言い放ったその言葉の続きは、全て背中が語っていた。


 コートに入ったイラルギの視線の向こうには、先にロナが静かに立っていた。

「いい試合をしましょう──」

 静かに、そして冷たく響くその声は、イラルギの背筋を逆撫で、心地よい緊張を走らせる。

 この試合は、今までのどの試合よりも苛烈な戦いになる。そう、イラルギは直感した。


 張り詰めた空気の中、最後の試合はイラルギのファーストショットから始まった。

 この試合を象徴するように、イラルギが放った打球は静かだった。力任せでも、奇をてらうでもない単純なものだった。

 ロナは余裕をもって、打球の軌道を予測し、着地点に入る。

 そして、打球がリングポールを越え自陣に入って来たその時──打球は消えた。

 空間に風の渦だけを残し、跡形もなく掻き消えた木球を探し、ロナの目は一瞬空を泳ぐ。

 しかし次の瞬間には、慌てることなく魔力を耳に集中させ聴力を強化した。目ではなく、極限まで研ぎ澄まされた聴覚によって、わずかな風のうねりと空気の震えを捉え、ロナは虚空を振り抜いた。


 軽やかな打音だけが鳴り響く、打球はいまだ見えぬまま、再びリングポールを越えて、イラルギの陣地へと戻る。


 対して、イラルギは魔人の中でも獣人に近く、元から卓越した聴覚を持っている。見えない打球を前にして、強化魔法を使うまでもない。わずかな気流の乱れ、軌道に残る音の尾を辿り、イラルギもまた、無色の空間を振り抜いた。


 見えざる打球が、音だけを引き裂いて飛び交う。視線は意味を失い、沈黙の中で殺気が激しく火花を散らした──


 ロナはこの状況で、さらに魔法を重ねる一手を放つ。打ち返す木球から、その魔法は音すら奪い取った。

 視えず、聴こえず、木球の存在を示すものは、完全に消し去られ、イラルギへと放たれる。もはや、コート上の二人しか何が起こっているのか理解できない。


 その中で、イラルギの瞳はまるで獲物を狙う猫のように、光を反射して鋭く輝きながら、虚空を睨みつけた。その目は、木球に宿る魔力のわずかな波を探り、空間に生じた微細なひずみを感知していた。

 イラルギは打球がまとった魔力を見極め、何もない虚無を打ち抜いた。

 

 その打球の行き先を決めるのは、もはや二人だけ──……そして、ロナは静かに構えを解いた。

 その口元に浮かべたのは、好敵手に巡り合えた喜び、わずかに苦くも優しい笑みだった。


 続くロナのファーストショットは、速度も、回転も、軌道も全て平凡に見えた。

 一見すれば、ただの様子見に見えるその打球は、イラルギのそれを模したかのように、何かしらの変化が遅れて起こるのだろうと、誰しもが予想する。

 ──しかし、その予想は呆気なく裏切られる。

 何の変化が起きることもなく、そのまま自陣へと入った打球を、イラルギは難なく返す。だが、苦もなく返したように見えたイラルギだけが、その打球の異質さに気づいた。

 確かに、木球には魔法が掛けられていた。しかし、それは単一の魔法によるものではない。魔法を複合的に重ね合わせることで、打球の変化を操っていた。複雑化した魔法効果は、それぞれが影響を及ぼし合い、打球を僅かずつ変化させる。

 見た目の地味さとは裏腹に、まさしく『魔球』といえるこの球がこの程度で終わるわけがない──その厄介さに、イラルギは戦慄した。


 ロナとイラルギの打ち合いが続く中、魔球の威力は徐々に増していった。

 受けに回るイラルギは仕掛けないのではない、仕掛けられないのだ。多彩な魔法が折り重なる魔球に、迂闊に自分の魔力を込めれば、それがどう反応するか、イラルギには分からない。自ら地雷を踏んでしまうことも十分にあり得た。


 そうであることを見越して、ロナはイラルギをじわじわと削りにかかる。

 受け手には予測不可能な魔球の挙動も、すべてロナの手の内にある。精密な魔力操作によって、変化の一つ一つまで自らの意図どおりに制御されていた。

 自分だけが答えを知っている問題を、毎回イラルギに突きつけては、即答を迫る。

 その緊張と負荷をラリーのたびに積み重ね、イラルギの集中力を蝕んでいった。

 

 ただ点を取るだけではない──流れを握り、精神的な優位を築き、試合そのものを掌握する。

 ロナは、この試合を静かに支配しつつあった。


 試合は常にロナの優位に進んだ。

 イラルギは耐えていた。攻防一体の魔球を前に、目に映る情報は当てにならず、かといってその魔力を探ってみても、複数の魔法が干渉しあい、その着弾までに読み切るのは不可能だった。

 それでもなお、イラルギは打球の先を読むために、自身の魔力探知を極限まで研ぎ澄ませた。だがしかし、完全に読みきるには至らない。不確実な読みと反応を限界まで突き詰め、ギリギリの返球を続けた。


 対して、ロナは決して手加減などしていなかった。

 この魔球は、これまでに幾人もの対戦相手を泣かしてきた必勝の技。この多重魔法を解き明かし、攻略した者は未だ一人もいない。絶対の自信をもって、イラルギを油断なく仕留めにかかった。


 イラルギは、追い詰められた。必死の応戦も虚しく、試合はついにロナのマッチポイントを迎える。

 だがその瀬戸際にあっても、イラルギの目から勝利への意志は消えていなかった。

 彼女が愚直なまでに魔球に解答をし続けていたのは、その何度もの間違いから答えを導き出すため。

 イラルギは試合の中で、ロナとのラリーで交わした幾度もの攻防を元に、その数倍のシミュレーションを脳内で走らせていた。魔法の層、その一つ一つの特性、干渉の法則性、そのすべてを、感覚と知性で解析し続けていた。


 ──そして、間に合った。


 ロナが放つ魔球を、イラルギは打ち返す。

 誰もが、これが最後のラリーの始まりだと思った矢先──その期待は、一瞬で裏切られた。

 ロナが打ち返そうと出したラケットを、球はするりと通り抜けた。それは単純なミスのようにもみえたが、コートの二人はその意味を知る。

 イラルギは、誰も成し得なかったロナの魔球を攻略してみせた。


 だが、それでもなお、ロナの優位は揺るがない。

 彼女には、まだいくらでも打つ手はあった。魔球がやぶられたとはいえ、最後の一点を奪う手段は他にもあった。

 しかし、ロナ本人はまったく逆の予感をしていた。そして、それは的中する──


 イラルギは、ロナの魔球を自分のものとするだけでなく、自分の魔法で再構築し、逆にロナに問題を突きつけたのだ。その後は、両者の立場を逆転し、この試合をなぞるように再現された。

 最後の一点をめぐる攻防は、苛烈を極めた。互いに譲らず、読み合いと、体の反応は限界を求めた。


 ──そして、ついにこの勝負は、振り出しへと戻った。


 しかし二人はもう、息は上がり、魔力も尽きようとしていた。

 もはや、あらゆる点で二人は互角だった。最後の一点は、どちらが取ってもおかしくなかった。


 最後の一球――イラルギが放つ魔球に、ロナは賭けに出た。

 打ち返すその刹那。彼女は新たに構築した魔法を、イラルギの魔球にさらに重ねる。自滅しかねないあまりに危うい綱渡り、ロナ自身でさえ、その魔法の正解は、もう分からなかった。

 だからこそ、その正解をイラルギに託した。

 その返された二重魔球に、イラルギは答えねばならなかった。それだけが、この勝負に終止符を打つことができた。この最後の難問に、イラルギは持てる力を全て賭け、限界すら超えて、渾身の一撃で応じる。

 その一瞬、世界が時を止めたように、誰もが同じその行先を見つめた。


 ──その打球は、敵陣のわずか外に踏み越えて落ちた──……

 

 その試合の終わりに、ロナは息も絶え絶えに、イラルギに声を掛けた。

「いい、試合でした……。」 たとえ、負けていたとしても、ロナは同じことを言っただろう。

『……またやろうニャ。』 その言葉は、勝負を忘れたイラルギの本心を引き出した。

 その返答に、ロナは笑顔と手を差し伸べて応じた。


 ──こうして、すべての試合は終わった。

 本来ならば、この場で勝者の望みが叶えられるはずだったが、勝者も、敗者も、もはや立つことさえままならない。

 あまりに壮絶な戦いの果てに、双方の消耗は激しく、それはまた日を改めて、ということで落ち着いた──


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