第12話 れんしゅうする
◇トライアノスの基本ルール◇
トライアノスは、木製のボールを木製のラケットで打ち合う対戦型スポーツである。
プレイヤーは定められた陣地内でプレイを行い、ボールをリングポールを通過させて相手陣地に落とすことで得点を競う。
■コート
コートは、2つの円が一点で重なる「八の字型」の形状をしている。その重なった一点に、リングポールを垂直に立てる。
各プレイヤーは一方の円形領域(以下、自陣)を占有し、試合中、自陣の外に出ることはできない。
■プレイの流れ
攻撃側は、自陣内からボールを打ち出し、リングポールを通過させ、相手陣地への着地を狙う。
ボールがリングポールを通過しなかった場合、防御側に得点が入る。
ボールがリングポールを通過し、相手陣地に着地した場合、攻撃側に得点が入る。
ボールがリングポールを通過し、相手陣地外に着地した場合、防御側に得点が入る。
防御側は、攻撃側の打ったボールが自陣に着地する前に打ち返す必要がある。
防御時も、打ち返す際にはボールを再びリングポールに通過させなければならない。
この攻防を繰り返し、規定得点で勝敗が決まる。
キュンティアの家の庭にあるコートで、ロナとセレーネは専用のラケットを使い、ボールを打ち合っている。ふたりは巧みにボールをリングポールに通して打ち返す。ボールからはカラカラとリズムよく乾いた音が鳴り、二人で音楽を奏でているようでもあった。簡単そうに見える二人の動きは、実際には見た目以上の難しさを感じさせるものだった。
キュンティアはトライアノスを知らなかったが、二人のボールを打ち合う姿から、そのルールが少しずつわかってきた。
しかし突然、そんな彼女の理解を吹き飛ばすようなロナの大声が響いた──
「それじゃあ、いきますよっ!」
ロナは自分のラケットに魔力を込めた。すると、打音がより高い音へ変化し、打ち返されたボールは鋭く軌道を変え、空気を切り裂くようにリングポールを目指す。
しかし、セレーネもその変化にすばやく対応し、彼女もまたラケットに魔力を込め打ち返した。返した打球は大きく弧を描いてリングを通過すると、常識ではあり得ない角度で急降下し、ロナの陣地を狙う。
その着地の間際──、ロナは予知していたかのように着地点に立ち、ボールを掬い上げるようにカウンターを放つ。
打ち返されたボールは空中で鋭角に曲がり、セレーネの陣地の先端ギリギリのラインに落ちた。
──そう、トライアノスは魔法競技なのである。
◇トライアノスの魔法ルール◇
■ 魔法の使用と制限
プレイヤーは、競技中に魔法を使用することができる。
魔法の発動およびその効果範囲は、各プレイヤーの自陣内に限定される。自陣を越えて魔法を作用させることは反則と見なされ、相手側の得点となる。
自陣内でボールに与えた魔法効果のみ、リングポールを通過させて相手陣地へ及ぼすことが出来る。 ●○●○●
トライアノスは、限られた時間内で相手の魔法を見極め、それに対抗する有効な魔法を瞬時に選び返すという、実戦さながらの応用力を養う訓練として優れており、その実用性から各地の魔法学校や軍事訓練でも取り入れられ、広く普及している。
キュンティアは二人の動きを見て、内心では警戒しながらも、技の冴えには素直に感心せざるを得なかった。
この競技は、木球の打ち合いという体裁を取ってはいるが、実際のところ、その本質は限られた時間と効果範囲の中で繰り広げられる魔法の応酬に他ならなかった。このルールでは、大魔法を唱える余裕もなければ、その必要すらない。
いかにして相手の予想を上回る魔法を放ち、それにどう備えるか――瞬発的な発想力と、それを即座に形にする魔力制御の技術。そのどちらもが高度に求められる中で、二人はそれを当然のようにやってのけていた。
ただそれでも、二人がまだ本気を出していないのは明らかだった。巧みなボールの魔法操作を見せてはいるが、使っている魔法は基本的なもの。魔法競技としての特性を考えれば、もっと厄介で、いやらしい魔法はいくらでもあるはずだった。
もっとも、今そこまでやる必要もないのだろうが……。
「二人ともかっこいぃ~。」
イシュチェルは目をキラキラ輝かせながら、打ち合う二人の姿をじっと見つめていた。そんな彼女の隣で、トリウィアがキュンティアに声をかける。
「ねぇ、次は私たちでやってみない? もちろん、あんなふうに強く打ったりしないから」
その誘いとイシュチェルの反応が、キュンティアの中にひとつの考えを芽生えさせた。
『そうね…。でも、ただ試合するだけじゃつまらないから、何か賭けましょうか?』
思いがけない申し出に、トリウィアは少し驚いて聞き返した。
「えっ? おもしろそう。でも、何を掛けるの?」
それを待っていたかのように、キュンティアは切り出した。
『お互い、相手の望みを何でも一つ聞く。というのは、どうかしら?』
「─…それは…、いいわね!」
トリウィアは、自分の望みを想像して口角が広がる。それは、喜んでその賭けに乗る意思表示となった。すると、隣で見ていたイシュチェルも声を弾ませた。
「私もやる!」 胸を張り、鼻息を荒くして訴える。
「イシュチェルちゃん…。ルール、知ってるの?」 トリウィアは不安げに尋ねる。
「うん、知らない!」 イシュチェルは即座に、胸を張ったまま自信満々に応えた。
その勇ましい姿は、トリウィアを少し困らせる。自分の望みと、イシュチェルの望みで心の天秤は揺れ動く。
そんな彼女を助けるように、キュンティアは一つ提案をした。
『─…それならこうしましょう。』
『明日、この時間に、また御出でなさい。それまでに、ルールのお勉強と、練習を積んできなさいな。』
そして、さりげなく勝負の条件を付け加えた。
『私もお友達を連れてきますから、三対三の三本勝負といたしましょう。』
『そして──負けた方は勝った方の望みを何でも叶える。これで如何かしら?』
その自分とイシュチェルの両方の望みを叶えることができる提案は、トリウィアには願ってもないものだった。何よりも、また明日キュンティアと会える約束は魅力的だった。
「ええ、とても面白そう! ぜひ、その勝負受けさせて頂くわ!」
「イシュチェルちゃんも、もうちょっと練習してからにしようね。そしたら、楽しく試合できるよ。」
トリウィアの胸は高鳴り、その魅力的な提案に心を奪われ、仲間の同意を得ぬまま、半ば強引に話を進めてしまっていた。
「わかった。練習する!」 しかし、それはイシュチェルも同じであった。
二人が、明日への勝負に心を躍らせている時、丁度ロナとセレーネの勝負にも決着がついた──
トリウィアは試合の終わった二人に、さっそく明日の勝負の話をすると、二人とも快く頷いた。それから、四人はキュンティアに今日のお礼を告げると、明日の準備のために足早に帰っていった。
そんな彼女たちの後ろ姿を見送るキュンティアの背後に、イラルギとアタエギナが姿を現す。
『……オイ。あんな勝負、ホントにやるつもりか?』 アタエギナは呆れたように声をかける。
だが、キュンティアは口元に笑みを浮かべたまま、強気に言い返した。
『何言ってんのよ。何の危険もなく、イシュチェル様をこっちに引き入れるチャンスじゃない。』
『勝てば、こちらの望みを通せるし、負けても、あの女が望むことなんてだいたい予想がつくわ。どう転んでも、私たちには何のリスクもないのよ。』
その余裕ぶった言葉に、アタエギナはなおも食い下がる。
『でもよ、いくら賭けとはいえ、アイツらがイシュチェル様を手放すわけがないだろ?』
キュンティアはそこでようやく、この勝負を提案した真の目的を語る。
『誰が“イシュチェル様をちょうだい”、なんて要求するって言ったの?』
そして、唇に指を当てるような仕草で、今までとはまるで違う声音で、この賭けの核心を語る。
『─…一晩、一緒に過ごしたい。私たちにはそれだけで十分……。たったそれだけなら、あっちだって呑まざる負えないでしょ。』
その声には、キュンティア本来のサキュバスの本性が確かに潜んでいた。
『キュンティアが仲間で良かったニャ。うまく考えたニャ、すごいニャ。』
偶然だったとはいえ、あの場面でとっさに出た判断の凄さに、イラルギは心から感心していた。
『この作戦が上手くいけば、吾輩たちは労せず、イシュチェル様をお迎えできるニャ。』
『いニャ、それどころか、トライアノスに夢中になって頂ければ、そのまま魔王様のところまでお連れすることすら容易に叶うニャ。ニャッハッハッハ…。』
イラルギは不敵に笑う。その顔は、獲物を見つけた狩人の微笑みだった。
その企みが実現する未来を信じて疑わぬその横顔に、キュンティアは静かに頷く。
『ええ、だから私たちは明日、必ず勝つのよ。』 その言葉には、並々ならぬ決意が込められる。
『じゃあよ……、これから特訓ってわけだな?』 アタエギナは拳を握り締め、その決意に応える。
『まず、トライアノスのルールを完璧に頭に入れるニャ。情報収集は吾輩に任せるニャ。』
三人の魔人たちは、勝利を信じて動き出す。たとえ猶予が一日しかなくとも、人間の遊技など容易くものにしてみせる、そんな自信に満ちていた。
最早、その遊技は単なる戯れでは終わらない。互いの望みを賭けたこの戦いは、命を懸けるに値する真の勝負となっていた──
●○●○●
──そして夜が明け、すべての運命が決まる日となった──
トリウィアたちは、前日と同じ時間ぴったりに、約束通り姿を現した。今日は、その中に勇者の姿もみえる。
そして試合する三人は、動きやすい服にトライアノス専用のグローブという出で立ちで、すでに準備万端といった様子だった。
それに対して、キュンティアたちも準備を整えていた。一夜漬けではあったが、トライアノスの競技性を理解し、自分のプレイスタイルを会得しつつあった。そして、身バレを防ぐため、帽子や顔の一部を隠すマスクを使用して誤魔化していた。
「本日はお招きありがとうございます。みんな、楽しみにしていました。
特にイシュチェルはとっても張り切っていて、今日は面白そうな試合になりそうです。」
勇者は代表してキュンティアにあいさつした。
変化した彼女と、勇者が顔を合わせるのは今回が初めてだった。しかし勇者は、彼女が魔人であることにまったく気づく様子もない。うまく変装した他の二人についても、正体を見抜くことはできなかった。
日常に巧妙に紛れ込んだ異常を見抜くには、日常のすべてに対して常に警戒を怠らない姿勢が求められる。その点において彼らはまだ未熟ではあったが、それは責められるような落ち度とは言えなかった。
『ご丁寧にありがとうございます。』
『あの勇者様にお越しいただいて、私の方こそ光栄ですわ。どうぞ、ごゆっくりお楽しみになってくださいませ。』
勇者の丁寧な挨拶に、キュンティアも礼で返す。しかし内心では、正体を見抜けず、いい様に操られている目の前の男を鼻で笑っていた。
お互いの思惑が交差する中、第一試合の火蓋が切られようとしていた。
『アンタには、世話になったって聞いてるぜ……。』
「私の方こそ、彼女にはお世話になりっぱなしです…。」
因縁浅からぬ相手に自分から声をかけたアタエギナに、トリウィアは柔らかく微笑んで応じる。
短いやり取りを交わした二人は、それぞれの陣地へと戻り、構えを取った。
『そんじゃあ…、お礼を返してもらわねーと──、なっ!』
アタエギナがそう叫ぶと同時に、ファーストショットが火を噴いた。
しかし、トリウィアはすでに自身に魔法をかけ、体の加速を完了していた。その打音と同時に、リングポールぎりぎりまで前に出ると、そのままリングを通過した直後のボールを弾き返し、相手陣地の真下へ鋭く突き刺さるように叩き落とした。
「トリウィアかっこいぃ~!!」
あまりにも呆気ない、そして鮮やかな得点に、勇者陣営は歓声を挙げる。その声に、トリウィアは笑顔で応える。
その彼女の技は一般人を相手にするにはえげつない、一切手加減のないものだった。
この勝負、絶対に負けられないのはトリウィアも一緒だった。その柔らかな笑顔の奥には、勝負にかけては修羅と化す素顔が潜んでいた──
だが、たった一打で得点を奪われたというのに、アタエギナの表情には、焦りも動揺も一切見られない。
これが魔法を用いる競技である以上、この程度の仕掛けは彼女には予測の範囲内だった。序盤は相手の出方を見極めることに専念すべきだと、最初から割り切っていた。
同じ競技の舞台に立っていても、自分たちは魔人であると悟られてはいけない。その制約下で立ち回らなければならない以上、むやみやたらな魔法の使用は控えるべき──そう、試合前にイラルギから念を押されていた。
だからむしろ、いまの失点すら、罠に誘い込むことを考えるアタエギナにとっては、望ましい展開といえた。
こちらがトリウィアの異常なスピードに翻弄されていると見せかけることで、あちらが自分の戦術に固執するほど、こちらの手を見破ることは困難となる。
──そう、この勝負の分水嶺は、まだ先にある。
トリウィアにファーストショットが移っても、彼女は戦い方を緩めなかった。
遠いコースへ放たれたショットを、アタエギナがなんとか返すと、トリウィアは再び加速しリングに詰めると、絶対に追いつけない地点へと容赦なく叩き込む。その戦術は単純であるがゆえに、その攻略は単純な体力勝負に落とし込まれた。
その当然の帰結として、トリウィアが圧倒的な優勢を保ったまま得点差は広がっていく。
アタエギナには成す術がない──勇者たちからはそう見える彼女に対して、同情の目が向けられ始めた。
そんな一方的な展開に、次第に奇妙な空気がコートを包み始める。まるで、「勝ちすぎてはならない」とでも言うかのように、無言の圧がトリウィアに降りかかる。真剣勝負であるはずの場にあって、勝者の側にだけ手加減を求めるその理不尽な空気が、知らず知らずのうちにトリウィアの闘志を鈍らせていく。
──それこそが、アタエギナの狙いだった。
キュンティアに招かれた場という、この特殊な戦場を丸ごと利用し、圧倒されることで生まれる理不尽な空気を以て、相手の勢いを削ぐ。それはあえて劣勢を演じることで、対戦相手の心理に罠を仕掛ける高度な悪魔の策だった。
そしてついに、トリウィアの攻撃にわずかな緩みが生まれる。
加速魔法は継続しているが、アタエギナの返球に対する寄せが甘くなる。見逃せば気づかないほどの小さな遅れ。しかし、それは確かに、彼女の陣地に一瞬の隙を生むこととなった。
──その空いた空間を、アタエギナは見逃さなかった。
しなやかに踏み込まれた脚から伝わる一撃は、これまでとはまるで異なる速度と鋭い軌道を描いた。その深い打球は、トリウィアの反応をほんの僅かに遅らせる。そして、その僅かな遅れが、たとえ魔法で強化された速度をもってしても埋めきれない決定的な差を生んだ。
その刹那の差、伸ばした手のわずか先をかすめた打球は、鋭く地面を打ち抜いた。
アタエギナの遅まきながらの反撃は、しかしそれでも周到に仕込まれた一手だった。
次のアタエギナの攻撃は、実に単純なものだった。
気を取り直したトリウィアが、今度は緩めず詰めてくることを、アタエギナは読み切っていた。それに対抗するアタエギナのファーストショットは、ただ全力の重く鋭い一撃だった。
──その強烈な一撃を前に、加速して動いていたトリウィアは、衝突の瞬間に体勢を崩される。
返球は僅かに乱れ、そしてその計算された『僅か』を見逃さず、アタエギナは即座に踏み込み、鋭く深い打球を打ち込む。その力強い打球は、体勢を崩したトリウィアを置き去りにして、一直線に彼女の陣地を貫いた。
その戦術は単純であるがゆえに、その攻略は単純な体力勝負に落とし込まれた。
次第に、トリウィアの優勢は揺らぎ始める。
序盤にあった余裕は、いまや焦燥へと変わっていた。もし、トリウィアにもう少しだけ冷静さが残っていれば、対応できたはずだった。身体の能力は衰えていない。けれど、判断の一瞬が鈍る。目の前の球の軌道を見誤る。その小さな綻びが、決定的な隙へと繋がった。
だが、それこそが──アタエギナが思考の奥底に仕込んだ罠だった。
真正面から競って勝つのではなく、相手に勝てると思わせておいて、そこから削り落としていく。心の中に焦りの種を蒔き、それが芽吹く瞬間をしたたかに待つ。
人の心を操る術は、悪魔の方が長けていた──
最後の一球が地面に突き刺さる音とともに、試合の終わりが訪れる。
その劇的な逆転劇は、双方の想いを飲み込むように、この家の庭に過ぎない小さな試合会場を静まり返らせた─…




