第11話 かさねる
闇より生まれ、獣とも人ともつかぬ輪郭を引きずる異形の存在、魔族。その姿は、四肢の数、身体の質感、皮膚の色彩、そのどれにも縛られず、まさに混沌を具現化したかのような異質さを宿している。
彼らは魔王を頂点とし、直属の上級悪魔、さらにその配下の下級悪魔や魔物といった支配階層を形成している。この支配構造は明確かつ徹底されており、力こそが序列を決定する唯一の尺度である。
そんな魔族の中には、ごく少数ながら人型の姿を持つ『魔人』と呼ばれる種も存在する。彼らの能力には個体差があり、上級悪魔に匹敵するほどの強大な力を持つ者から、下級悪魔程度の力しか持たぬ者まで様々だ。
その見た目は亜人種に近く、一旦人の街に紛れてしまえば、一般人にはその違いなど見分けはつかない。しかし、魔に秀でた者、王宮神官や、国軍魔法師ならば、彼らは微かな気配のゆらぎや、肌に刺さるような禍々しい魔の気配を敏感に嗅ぎ取り、見破ることが出来る者もいる。
しかし、王都から遠く離れた宿場町までとなると、その目は届かない──
●○●○●
イラルギたちは、水浴場での一件でピーターより報酬を受けた。そして、その報酬で──この町に、家を購入していた。
魔人であるはずの彼女たちが、なぜ住居を手に入れたのか、理由は二つある。
第一に、拠点としていた山野のあばら屋は、あくまで緊急避難用の仮住まいにすぎなかった。長く滞在するつもりは最初からなく、ましてや、再びイシュチェル様を取り戻したときにお迎えする場所としては、あまりにも不相応だった。
第二に、ピーター氏から渡された報酬が、あまりに巨額だったのである。人間の金銭など、彼女たちにはいくらあっても意味などないが、それでも使い道を考えた末、最も手早く物へ変える手段として家屋の購入を選んだのだった。
それと、不動産購入にあたる手続きの際には、キュンティアがサキュバスの能力を有効活用したのは言うまでもない。
そして、その広い庭付きの新居にて、彼女たちは次なる作戦を考えていた──
『─…それで、次はどうするつもり?』
庭の一角に置かれた黒鉄のテーブルを囲み、お茶とお菓子に興じながらキュンティアは切り出した。
テラスの上には簡素な布張りの庇が張られ、外からの視線と陽射しを和らげる。その影から、イラルギが応える。
『……。アイディアはあるニャよ。ただ──、どうやって実行まで持っていくかが難しいニャ……。』
歯切れの悪いイラルギの物言いに、ため息混じりにキュンティアは呟いた。
『…まあね。水浴の魔境で誰かさんが、無茶苦茶してくれたから、動きにくいわよね……。』
『オイ、オイ…。こうやって、茶菓子にありつけてるのは、誰のおかげだよ……。』
普段であれば、キュンティアの嫌味に対して、即激怒てもおかしくないアタエギナが、今日は穏やかだった。その原因は偏に、生活の豊かさが生んだ余裕によるものであった。
──柔らかな陽光が降り注ぐテラスには、戦いも喧騒も遠く、ただ、時が緩やかに流れる。風と、小鳥の囀りと、芝の匂いが、静かな午後を作っていた。
『──それで、そのアイディアって、どんなものなの?』
優雅に過ごす一時を紛らわすように、キュンティアは具体的な計画をイラルギに尋ねた。
『あの水浴場で遊ぶイシュチェル様を見て、分かったことがあるニャ。』
イラルギは自信あり気に切り出した。
『イシュチェル様は、目の前のことを全力で楽しんでるだけニャのニャ。』
『楽しいことニャら、ニャンでもカンでも飛びつくニャ!』
『だから…、吾輩たちが、勇者たちよりもっとワクワクするものを用意できれば──、きっと、あの蝶々みたいに自然とこっちにニャびくニャ!』
ちょうど庭に舞い込んできた蝶を指差し、尻尾を揺らしながら、イラルギは明るく笑った。
『……ふ~ん、で。簡単に、言うけどよぉ…。
ま、どうでもいいけど…、もっとワクワクするもの、ってなんだよ……?』
アタエギナは気だるそうに質問する。この恵まれたぬるま湯の環境につかり切り、彼女はすっかり堕落していた。
腑抜けたアタエギナの姿は、キュンティアをイラつかせる。その口からは、自然と皮肉が並ぶ。
『まったく……。水浴の魔境に銅像が立ったからってあんたは…、この町の名誉市民にでもなったつもり?』
『オイ、オイ…。悔しいならそう言えよ…、お前の銅像も並べて建ててやろうか…、あん?』
しかし、キュンティアの挑発をまったく相手にせず、アタエギナは上から切って返した。
『悔しいわけないじゃない…、馬鹿じゃないの……。』
いつもの調子と違うアタエギナの返答に、キュンティアの調子も狂う。それは、アタエギナが相当重症であることの証明だった。
『問題ニャのは、ニャにをするかより、どうやってするニョか、ニャのニャ。』
そんな二人の痴話喧嘩を余所に、イラルギは話を進める。
『勇者たちは、イシュチェル様の場所がわかるようニャ。そうニャると、イシュチェル様を奪っても、アイツらを足止めする必要があるニャ。でも流石に、そこまで手が回らニャいニャ…。』
『やり遂げるには、とても危ない橋を渡ることになるニャ……。』
そこまで言うと、イラルギの耳はしゅんと垂れ、頭を垂れた。
まだそれほど日も経っていない、あの壮絶な戦いの記憶が頭をよぎる。グレティの家での戦いは、イシュチェル様の奪還には成功したものの、全滅しかねない紙一重の死闘だった。それほどの試練を、再び仲間に強いるかもしれないと思うと、気が引けてならなかった。
『イシュチェル様を取り戻した上で、勇者たちを忘れるぐらい楽しませて、その間、勇者からの追手を防ぎ切る──
笑えるほど、無茶苦茶ね……。
──でも、考えてる作戦があるなら、言いなさいよ。』
キュンティアは、言い淀むイラルギに優しく手を差し伸べる。
『勇者たちに金でもつかませるか? ガハハハ。』
能天気なアタエギナは、無自覚にイラルギを和ませる。
二人に背中を押され、イラルギは顔を上げる。そして、再びのイシュチェル奪還計画について話を始めた──
『──という作戦ニャのニャ……。』
イラルギの説明の後、しばらくの沈黙が場を支配する。誰もが言葉を失っていた。悪い冗談のように語られた作戦には、成功の保証などないどころか、その裏には命の危険が潜む。
失敗すれば、この笑って過ごせる穏やかな時間が、すべて嘘のように消え去る──そんな予感が、空気に鉛の様な重さを与えていた。
その静寂を破ったのはアタエギナだった。
『あんときと、一緒だな……。』
テーブルに手をついて、アタエギナは誰に言うでもなく呟いた。
『そうね…、あの時もどうなるかと思ったけど、私たち…、やり遂げたわよね……。』
そのアタエギナから眼を逸らし、キュンティアは呟きに応える。
そんな二人の前に、イラルギは掌を差し出した。
『─…すまんニャ。もう一度、みんなの命をくれニャ。』
そして、その手にアタエギナとキュンティアは、迷うことなく掌を重ねる。
イラルギは目を閉じて、確かにその命の重みを感じていた──
──しかし、不意にその掌に、わずかな重みが加わった。思いがけないその変化に、イラルギはそっと目を開ける。するとそこには、見覚えのある、とても小さな掌が重ねられていた。
その掌は、突如現れたイシュチェルのものだった。三人の重ねた掌の上に、彼女は体を目いっぱい伸ばして手を添える。
「ねぇ、これってなんの遊び?」
惚けた質問に対し、三人はあまりのことに言葉を失う。その沈黙の間に、イシュチェルが不思議そうな顔を浮かべると、イラルギが口を開いた。
『─…イシュチェル様…、どうしてここに?』
それは、目の前で起きたことをどうしても理解できず、理由を求めて心の奥底から漏れたかすれた声だった。
「んとねぇ、町を歩いていたら、この家にみんなが見えたから遊びに来たよ。」
その呑気な返答は、紛れもなくイシュチェル本人のものである証明だった。そうであるが故に、三人は受け止めるのに苦労する。つい先ほどまでの悲壮な決意など霧散し、このまま連れ去ってしまおうかという衝動が頭をよぎった。
けれど、ようやく状況を理解し始めたキュンティアは、その想いを押し込んで疑問を口にした。
『ちょっと待って、それって……。お一人で来たのですか?』
しかし、その問いに答えたのは、イシュチェルではなく、玄関先の声の主だった。
「すいませーん。」
聞き覚えのある女性の声に、三人は鋭く反応した。天から降ってきた今の状況はまさに、ここで話し合っていた作戦を実行するうえで、何の苦労もなく前提条件を満たした、絶好のチャンスだった。
だがしかし、まだイラルギ達の準備も整っていなかった。
焦りに駆られ先走れば、すべてが瓦解し、最悪の結末を迎える可能性も十分にあり得た。強行するか、思いとどまるか──その決断に長い猶予が許されてもいなかった。
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まだ決断が定まらぬ中、キュンティアは魔法を唱え、その姿を町娘へと変えた。
それは、作戦には無かった突発的とも思える行動だったが、彼女の目を見て、二人はすぐにそれが衝動的なものではなく、覚悟から来るものだと悟った。
言葉は交わさずとも、意図は伝わる。二人はキュンティアを信じ、気配を消してその場から身を引いた。
そして彼女らの姿が完全に消えたのを見届けると、キュンティアは一転して穏やかな表情を作り、まるで何事もなかったかのように、通りに向かって声を上げた。
『どうぞ、御庭にいらしてくださいな。』
その声に導かれ、しばらくすると勇者の取り巻きの三人が姿を現した。彼女たちはイシュチェルの姿を見つけると、まず安堵の表情を浮かべた。そして、家主と思しき女性に頭を下げて感謝の言葉を伝えた。
何も知らない彼女たちに反して、すべてを知るキュンティアにとって、これは覚悟を要する邂逅だった。グレティが見破れたように、彼女たちがいつ変化を見抜いてもおかしくなかった。そうなった時、三人を相手にして、恐らくは生きて帰れないだろう。それほどの危機感をもって、キュンティアはその矢面に立った。
そんなキュンティアの覚悟を余所に、彼女の姿を見てまず驚いたのはトリウィアだった。
「──えっ?! あなた……、この家に住んでいたのね。」
この再会は、トリウィアには喜びのサプライズだった。街中でリンゴを拾った日以来、彼女はキュンティアとの再会を心待ちにしていた。
しかし、キュンティアはまるで正反対だった。彼女を目にすれば、その後の廃坑での戦いを思い出さずにはいられない。同志であり、敵である彼女とは、できれば戦いの場以外で再会などしたくなかった。
「ああ…、あの時の……。」
トリウィアの言葉を聞いて、町娘のキュンティアの顔を思い出したロナが呟く。
「あら? お二人ともこの方と、お知り合いですの?」
セレーネは、意外な二人の反応に、少し驚いた様子で尋ねた。
「わたしも友達だょ。」
しかし、その質問に答えたのは、二人ではなく、そこに割り込んできたイシュチェルだった。
その意外な解答は、三人に些細な疑問を抱かせる。小さな子供の他愛の無い言葉に、大した意味など無かったのだが、それに過剰に反応したのは、むしろキュンティアの方だった。
『──っ。…え、あの…。そう、水浴場で…、偶然、そう偶然お見かけして…、可愛らしいお子さんですね…。』
イシュチェルとの繋がりをどうにか誤魔化そうと、とっさに思い付いた嘘で取り繕う。
「あら? あなたもあそこにいたの? だったら、声を掛けてくれたらよかったのに…。」
トリウィアはそう言いながら、キュンティアの嘘を疑う素振りも見せず、とても自然に彼女の手を取って微笑んだ。
その微笑は、キュンティアを苦しめる。そして、その放そうとしても離れない手には、とても明確な彼女の意志が込められていた。
『─…皆さんお時間がありましたら、お茶を飲みながら、少しお話でもしましょうか?』
本当は、イシュチェルを連れてすぐに帰ってもらうつもりだった。だが、双方の事情を理解しているキュンティアには、それが通りそうもないことを悟る。そんな彼女が自分から口にしたこのお誘いは、より悪い結末を避けるための譲歩だった。
そんなキュンティアの思惑など露知らず、四人はそのお誘いを心から喜んで受け入れた。
「──……それから、意気投合してとても仲良しになったの、ね?」
お茶とお菓子に囲まれて、トリウィアはキュンティアに屈託のない笑顔を向ける。その笑顔の先にいる者が、廃坑で命懸けの戦いを繰り広げた相手だとは、少しも気づいていなかった。
『そうね…。とても楽しかったわ。』
キュンティアはそんな彼女たちに話を合わせて、何とかこの場を乗り切ろうとしていた。
お菓子に夢中なイシュチェルを挟んで、彼女たちの会話は、今日の天気から始まり、昨夜の食事やお気に入りの服の話へと移り、やがて勇者に対するちょっとした愚痴へと流れていった。取り留めのないおしゃべりに花が咲き、その場には柔らかな笑い声が広がっていた。
しばらく過ごして話すこともなくなった頃に、ロナが庭を眺めて、あることに気づいた。
「─…お庭に『トライアノス』のコートがありますが、やられるんですか?」
ロナの問いに、セレーネが付け加える。
「トライアノス、懐かしいですわね…。魔法学校にいた時、よくやりましたわ。」
魔人のキュンティアはトライアノスが何なのか、当然知らない。しかし、その質問に応えようと庭を見渡す。
庭の奥にあるその特徴的なコートは、円形の陣地が二つあり、それが一点で重なっている。そして、その重なる地点にはポールが立ち、先端はリング状になっていた。簡単なつくりではあるが、そのコートは正確な円で形作られていた。
家を買ったとき、庭に奇妙な円形のコートがあることには気づいていた。だがそのときは、ただの飾りか遊具なのだろうと、それが何なのか、深く考えもしなかった。
『あれは……、この家を買った時に付いていたもので、私はしませんの。』
キュンティアは、この件で嘘をつく必要もなく、無難な解答に努めた。それに対し、ロナは少し恥ずかし気に切り出す。
「あのー…その……ちょっとだけ、やってみても…いいでしょうか? いえ、もし、ご迷惑じゃなければ……で、あの、ダメなら全然……」
そのロナの遠慮がちな様子を見て、セレーネは優しく笑いながら、背中を押すように言葉をかけた。
「ロナは、トライアノスで学内チャンピオンになったこともあるものね、血が騒ぐのかしら。フフフ…。」
ロナの申し出を、キュンティアは断ることもできた。できればそうしたかった。だが、この会話の流れに逆らう対応は、相手に余計な警戒を与えかねない。だから彼女は、空気を読み、あえて快くうなずいた。
『ええ、どうぞ。もし、必要な道具があるなら、そこの納屋にあるかもしれないわ。確認はしていないのだけれど……。』
キュンティアの返答を受けて、ロナの目の色が変わる。
「いいんですかっ! ありがとうございますっ。それじゃあ、ちょっと失礼して……。」
そう言って、ロナは納屋へと向かい、トライアノスに必要な道具を探し始めた。
幸いなことに、それはすぐに見つかり、彼女は嬉しそうに道具を抱えて戻ってくる。その無邪気な笑顔は、トライアノスができることへの喜びを偽りなく映し出していた。
一方でキュンティアは、内心で小さく溜め息をつきながらも、苦笑いを浮かべるしかなかった。
さっそくロナはセレーネを誘い、トライアノスを始める。
キュンティアは、トリウィアの視線を感じつつ、そのルールも知らない競技を、仕方なく眺めていた。
だがその胸の内では、こんな茶番、早く終わってほしいと願わずにはいられなかった──




