第95話 闇堕ち ー女神エスター
魔神竜は突如として現れ破壊の限りを尽くした。意思を持ち、己を絶対たる王だと名乗る化け物……ヤツに襲われた国々は一夜にして滅び、人々は恐れ慄いた。
我らは戦いの準備を整え、魔神竜討伐部隊を編成した。
討伐部隊を指揮していたのは4人。人とエルフの混血であったバイス、海竜人の戦士グランダル、ハーピオンのライズロット。そして……レオンハルト。皆腕が立ち、我が信頼していた者達だった。
そして、討伐に向かったあの日——。
◇◇◇
「レオンハルト。魔神竜の誘導はどうなっているのだ?」
「先程使い魔がやって来ました。バイスの部隊の者が間も無く魔神竜を引き連れ、この『ナイヤ遺跡』へとやって来ます」
周囲を見回す。ライズロット達も皆一様に暗い顔をしている。
私が皆を守らなくては。魔神竜を倒せなければ弱き民達までが犠牲になる。
魔神竜への対処法を考えていると、双剣を携えたバイスが声をかけて来た。
「エスタ様。お話しても?」
「どうした?」
「貴方には感謝しております。我々を生み出して下さり、国まで与えてくれました」
「今はそんなことを言う時では無いだろう? 其方の部隊の者が到着すれば大規模な戦闘になる。皆を守ることだけを考えよ」
突然、ライズロットが嗚咽を漏らした。
「う……うっ……ごめんなさい……」
「ど、どうしたのだ?」
バイスが顔を伏せる。
「……申し訳ございません」
「其方も、何を言って——」
直後、腹部に鋭い痛みが走った。
「かは……っ!?」
下へと視線を送ると、剣が私を貫いていた。
燃え盛る炎の剣が。
頭が回らない。何故、何故、何故?
レオンハルトに確かめようとした瞬間、バイス達がその刃を私へと突き刺した。
「ぐぅ……め、てくれ……」
「ごめんなさいごめんなさい……エスタ様ぁ……」
救いを求めるようにライズロットを見るが、彼女は泣くばかりで何も答えない。
おかしい……神であるはずの私がこれほどまでの苦痛に見舞われることなど、今まで無かった……突き刺された刃が私から何かを奪うように脈打ち、その度に耐えがたいほどの苦しみに襲われる。
「ぐ、グランダル……苦し……い」
「エスタ様、すまない……」
皆謝るばかりで何も答えない。それが苦しみ以上に私の心を不安にさせる。
腹部を貫いた剣に力がこもる。背後からレオンハルトの叫ぶ声が聞こえた。
「皆聞け! 魔神竜を止めるにはもはや神の力をもって封印する方法しかない! 我ら4人が『神殺し』の罪を背負おう!」
「レオン、ハルト……皆を誑かしたな……」
レオンハルトは、怒りを込めた声で囁いた。
「どうですか? 私が作らせた神殺しの武器の味は?」
「な、ぜ……だ、レオンハルト……」
「貴方がいけないのですよ。獣も、鳥も、龍も、エルフも……全て我ら人が支配すべきなのです。神の子である我らが」
「私は……ただ……」
「もはやこの世界に神などいらない」
「あ……あ……あああああぁぁぁ……」
力が、抜けていく。
突き刺された剣は眩いまでの光を放ち、神の力を吸い取っていく。
力と同時に、私が否定される。我が子達から「もうお前などいらぬ」と拒絶される。
「さようなら母上」
意識が暗闇に包まれる中、レオンハルトの声だけがこだました。
私は、私はただ……皆が……。
◇◇◇
どれくらいの時間を漂っていたのだろう?
まどろみのような日々が永遠と続き……ある時突然、意識が戻った。
目を覚ましたのは暗闇。辺りを見回しても何も無い闇の中。そこではもう1つの声が聞こえた。
怨念の声が。
「憎い。憎い。憎い……」
意識を集中させると、目の前で青い炎が蠢いているのが分かった。
「お前は……?」
「人からは魔神と呼ばれていた」
魔神……あの魔神竜の意識か? レオンハルトは「私の力で魔神竜を封印する」と言った。私の意識も一緒に取り込まれたのだろうか?
「……貴様のせいで我はこの暗闇へ封印された」
青い炎が目の前へと漂って来る。その揺らぎは怒りと嘲りを帯びているように見えた。
「ヤツら、神の力を使い我を封印したのだ。ふふ。生贄となり今はどんな気分だ?」
生贄と聞いた時……脳裏に剣を突き刺された光景が浮かび、悲しみが溢れ出す。
世界は、私を拒絶した。私は……私は……あんなにもあの子達を愛していたと言うのに。
「そう泣くでない。我も封印の最中一人は始末してやった。気に食わぬ男をな」
気に食わぬ男?
「……その男は炎の剣を使っていたか?」
「そうだ。貴様の記憶も垣間見たのでな。裏切り者は美しくない」
レオンハルトが、死んだ?
以前の私なら、心が引き裂かれるほど悲しんだだろう。だが、今は……何を思えば良いのか分からない。
我が子達に捨てられた私は……。
「ふはは。頭から食らってやったぞ。己が死んだことすら分からなかったのではないか? それに……」
「それに? 何か、まだあるのか?」
「おっと。これは後の楽しみにとっておこう」
青い炎は嘲笑するようにメラメラと火を揺らす。
魔神め。一体何を考えているのか。
しかし考えてみれば、こんな魔神は私が生まれた時にはいなかった。
「お前はなぜ生まれた?」
「醜いものが生まれ始めていたからだ。我はそれを浄化せねばならん。しかし、もはやそれは達成できぬ」
怨念の声と共に青い炎が燃え盛る。そして、炎は小さくなると、魔神は再び声を発した。
「……貴様はこの封印の空間から抜け出でたいとは思わぬか?」
「そ、そんなことができるのか?」
「力さえ取り戻せばな。それは我の力だけでは無理だ。貴様に我の魂をやろう。そうすれば……貴様の力は解放される」
「お前にとっての見返りはなんだ?」
「ふふふふ……1つとなってもお前が役目を果たしてくれると判断した。どうだ? 今選ばねば、我は消えよう。貴様も永遠にこの空間を彷徨うだろう」
どうする? この魔神の誘いに乗っても良いのだろうか?
……。
いや、もはや失うものなど何もない。胸にあるのは裏切られた悲しみだけ。
そして願うならば、もう一度あの大地を踏みしめたい。私が愛した世界を。
もしやり直せるなら、今度は1人だけで生きよう。我が子達に見つからぬように……裏切られぬように。
「……誘いを受けよう」
「ふっ。決まりだな」
青い炎が体に入っていく。私の存在を燃やし尽くしていく。
「が……あ、あ……」
「耐えるのだな。苦しみからのみ新たな命は生まれる」
私の存在が変わっていく。持ち得なかった感情が湧き起こる。
怒り。
憎しみ。
そして、ある記憶が流れ込む。
それは、この魔神が悠久の時をこの世界で過ごした記憶。元の世界をこの空間から何百年と覗ていた記憶。
「なんだ……これは……?」
そこに記憶されていたのは支配者達の姿。欲望に取り憑かれた者達が弱き民を支配し、搾取し、虐げる悍ましい世界。
その瞬間、私の中に激しい憎悪が湧き上がった。
違うのだ。この支配者達は。
この醜き者どもは私を殺した者達と同じ。
欲望に取り憑かれたレオンハルトと同じ。
違う。
断じて私の子ではない。
私の世界を返せ。
私の子ども達を返せ!
私は……。
我は……。
我こそが……。
この世界唯一の支配者だ。





