第13話 親友は思い知る
「付け入る隙を見せないようにしてくれ」
エルザに脅迫を受けて相談したシリルに言われる。
「前々から言っていることだけど、エルザとは関わらない。一人にならず、人目があるところにいる。目立つことはしない。アリスを守れるように立ち回る。これは追加で、家族に守りを固めてもらう、特にレンには護衛をつけるようにするかな」
レンとはレンナルトの愛称で、俺の弟のことだ。
シリルは愛故に耄碌することなく、エルザがレンを襲う可能性を考えているらしい。俺に異論はなく、最速で帰ってそのように手配しようと決める。
「セザール」
決めたら即行動だ。エルザはシリルの情報を渡すように言ってきたため、このようにシリルと会っていても疑うだけでまだ手を打つことはないだろうが、早いに越したことはない。
そこをシリルに呼び止められ、端的に言えと言外に目で促す。
「直情的なところは悪いことだって今回のことで目立つけど、私はそんな君の素直なところに救われていることだってあるからね」
次期王の立場を付け狙う者は多い。未熟である幼い子どもほどその傾向は多い。信じられる者を探すのに苦労していたことを、俺は知っていた。
「どうか……頑張ってね」
俺は嘘をつくのが嫌いで苦手なので、エルザに寝返ることなく、ただエルザと関わらないように対策を取った。これは情報を渡すつもりがないことに気付かれるまでの、多少の時間稼ぎしかできない。
エルザに対して俺が対抗できることは最低限だ。守りに徹することしかできない。
「シリルもな。悪いがエルザが好きな想いに全く共感はできないが……あれほどすげなくされているのを見ると、憐憫を感じる」
「これに関しては、地道にやっていくしかないよね。エルザを振り向かせ直すのは、骨が折れるよ」
*
シリルがエルザを口説いている姿を見ると、違和感しかない。
俺の親友はこんな奴だっただろうか。
アリスを好いていたときと比べると、エルザの方がとても生き生きとしている。
俺の心を罪悪感からアリスを守ることに変えたときの話し合いも、政敵を相手にするような説得だった。親友相手にするような優しいものではなかった。
親友と身近な存在であったから忘れてしまいがちになる、次期王としての能力を発揮しているということだけでは説明がつかない違和感だ。
本当に好いた女を見つけると、男はこうも変わってしまうのだろうか。
女だけを愛し、女を傷つけられたら激情し、女の幸せを想って自己犠牲を厭わない。一時的とはいえ道理を忘れて、女を虐める敵を突き落とす。
俺のように、シリルもそう変わってしまったのだろうか。
憚ることなく、エルザを口説いている。アリスと俺がどのような心でいるか、分かっているだろうに。
……本当に、俺の親友なのだろうか。
はっと我に返り、疑うなと俺自身に強く念じる。これではエルザの思うつぼだ。
シリルはエルザを突き落とした俺を見捨てなかった。本来ならば罪人であるのに、助けてまでくれた。
学園で俺を見る目は冷たい。突き落とした事実はなくなっても、エルザが墜落したのは追いやった俺のせいではないかという憶測がなされている。
俺はまだいい。貴族で男であるから、見る目が冷たいだけでまだ済んでいる。問題はアリスの方だ。
「アリス!」
庭園の隅でアリスの他、女が四人いる。
くすくすくす。
耳障りな声を出して、臆面もなく女は去ろうとしている。
「オルコック家も落ちぶれたものね」
俺はつい足をとめて、呟いた女を睨みつける。
「ああ、恐い、恐い」
「安心なさって」
「私たちに構っている暇はないものね」
癪だがその通りだ。このような女はいくらでも湧いて出てきてきりがないのもあって、顔だけは覚えておいて放っておく。
俺は蹲っているアリスにかけつける。
「大丈夫か」
「セザール様……大丈夫です。いつもすみません」
「俺がしたくてやっていることだから気にするな。……このやり取りは何度目だろうな」
微笑みながらアリスに手を差し出すと、躊躇いなく手を取られる。
「そうですね。ありがとうございます」
以前を思い出せる、和やかな雰囲気だ。だが、所詮似ているだけで、アリスの制服が汚れており、先ほどの女の仕打ちが想像できる。
「怪我は?」
「ないです」
「嘘をつけ。今手を隠しただろう。見せてみろ」
手のひらに擦り傷ができている。大方、地面に手をついたときにできたものだろう。手を洗う必要があるなと考えていると、アリスが囁きに似た声量で言う。
「シリル様は……?」
「……水場まで洗いに行くか」
聞こえなかったふりをして誤魔化す。顔を合わせることなく手を引いた。アリスは抵抗なくついてくる。
エルザが墜落する前から、アリスは陰険な虐めを受けていた。シリルや俺と親しくしていることが気に食わない。ただそれだけの理由で、だ。
墜落した後は、虐めが更に悪化した。以前は間接的に虐めてくるのが大半だったが、今は直接的に暴言を吐いたり、暴力を振われたりしている。
虐めの発端は証拠がないにしろ、エルザが仕掛けたことに確証がある。今はエルザがけしかける必要なく、シリルがアリスからエルザに想いを寄せたことで、自らの意思で虐める者が多数出ている。
「シリル様、私のこと嫌いになったんだ」
「それは違う!」
一瞬の余地なく否定する。振り返ってアリスの泣き顔があって体が硬直する。滂沱の涙が流れてとまることがなかった。
「シリルはアリスのことを嫌っていない。ただ……エルザに責任を取るために、あのように行動しているだけだ」
アリスにはシリルのエルザへの心変わりを話していない。アリスを不必要に悲しませないように、シリルは本心ではないがエルザを負傷させてしまった責任を取ることになっているだけだと話している。
「すまない」
俺が、エルザを突き落とさなかったら。
シリルはエルザに想いを寄せることはなかっただろうか。いいや、突き落とすことがなかったとしても、シリルはエルザに想いを寄せていた。
だが、俺が突き落とさなければ、責任を取るためという言い訳ができなくなって、アリスと生涯を共にする未来があったかもしれない。
「セザール様が謝る必要はありませんよ」
アリスは俺が謝る必要がある理由までいきついていないだけだ。だが、理由を分かって許しているように感じられて、俺はよかったと思うのだ。
バレなくてよかった。アリスに許されてよかった。
話が意図せず逸れたおかげで、アリスは泣きやんでにっこりと笑いかけてくる。
ああ、好きだな。
想いが溢れそうになって口走りそうになる。シリルがいたときは堪えられたものだが、最近は難しい。
シリルにアリスを譲らなくていいと、アリスを諦めなくていいと分かってしまったから。
まだ堪えるんだ。
アリスはシリルを諦めきれていない。もっと時間をかけてアリスが俺のことを好いてもらえるように努力して。
告白はそれからだ。
*
アリスを自宅まで送り届けて、俺も自宅に帰宅する。追い詰められている現状により、暗い顔を意識的に明るくしておいた。
「おにいさま!」
「おっと。ただいま、レン」
可愛らしい弟を見れば、自然に明るい顔になる。三歳という小さな体を抱き上げてやると、「わああ!」と愛らしい顔が喜びに満ちる。
「どうだ、今日もいい子にしていたか?」
「うん! あのね、ごえーといっしょにあそんでたよ」
「そうかそうか、偉いぞ。これからも護衛と一緒に遊ぶようにな」
褒めてやると満足したようで、降りると言って護衛の元に行く。どうやら褒められたことを報告しに行くらしい。
「何事もなかったか?」
「異常なしです。レンナルト様は楽しそうに過ごしておられましたよ」
護衛の一人が答える。
レンには二人の護衛をつけて、窮屈であるが安全な家の中で過ごしてもらっている。
エルザに情報を渡すよう指定された日から一日は経っている。既にエルザは俺の裏切りに気付いているため、いつ襲撃を仕掛けてきてもおかしくない。刺客程度、エルザは送りつけてくるはずだからな。
襲撃はその日の夜中にあった。だが、刺客と暗殺を企むものではなかった。それよりも厄介な男が一人訪ねてくる。強行突破してきた男を、門衛の知らせによって急ぎ父上と共に玄関ホールまで駆けつけて迎え撃とうと試みる。
「おいおいおーい、聞いたぜ。セザールがもう駄目だってよお」
呂律が回っておらず、それでいて愉快だと明け透けだった。アルコール臭がすることから、酒を飲んで酔っ払っているに違いない。
「カミッロ。このような時間に訪ねてくるとは何事だ」
「はあ~? かわいい弟になんて言い草だあ! 久しぶりに帰ってきたんだから、歓迎するのが筋だろお?」
父上にとっては弟で、俺にとっては叔父貴であるカミッロだ。昔父上と口喧嘩をしてから、オルコック伯爵家を訪ねることはなかったのだが。開口一番の言葉もあって、エルザの仕業を感じてならない。
出て行ったというより、父上に追い出されたのだろうな。
人伝に聞いた話なのだが酒好きで、しかも絡み酒らしい。素面であっても、女好きで相手をとっかえひっかえして遊ぶという、浮名を流していた。今は酷いとろけた顔だが、元々の顔がいいことで遊ぶ女には苦労していないらしい。嫌悪すべき男だな。
「また我が家に迷惑をかけたら縁を切ると言ったことを忘れたか」
「そんなことを言ってもいいのか。俺あ、家族の危機を聞きつけて、助けるためにやってきたんだぞお」
「助けるためとはふざけたことを!」
「セザールがあのメルデリューヒ公爵家に、喧嘩を売ったらしいじゃねえか! 受けた報いは必ず返すと名高い奴らになあ。お兄ちゃんはもう、宰相の立場が危ういらしいじゃねえか!」
「なっ」
俺は父上を見る。宰相を辞職する覚悟で王宮に行ったことはあるが、不幸な事故になったおかげで、辞職する必要はないと聞いていた。
父上は俺が知らないところで、苦労を受けていたのだ。宰相の立場は不安定になったらすぐに崩れる。宰相の立場を狙って、そのように仕向ける者は多いはずだ。
「ぎゃっはははははは! 情けないことありゃしねえぜ! 俺をあんだけ罵っておいて無様だなあ! 長男も目えつけられていて、皆の評価も散々だっていうし? もう俺が当主になるしかねえよなあ!」
「黙れ! 何が起きようとも、お前だけには当主の座は譲らん! 父上も、妻もいるし、カルメリタだって―――」
父上とは密に情報共有はしているし、させられている。エルザから弟を話に出されたことを思い出したのは俺と同時だろう。
叔父貴を真夜中に襲撃させたのは、報復の一つでしかなかった。俺のせいで、レンが苦労する。俺が変わらず長男として当主となると考えており、まだまだレンが幼いことで当主と結び付けて考えられなかった。
「あ、ああ、あああああ」
俺は現状を把握していなかった。俺だけの問題だと思っていた。俺がエルザを突き落としたから。家族には罪がないから。不幸な事故になったから。これといった報復はできないと高をくくっていたから。シリルが助けてくれるから。実力で宰相に成りあがった父上がいるから。年の離れた唯一の兄弟のレンは、愛されて健やかに育っていくと信じていたから。衆目の興味が移るまで、今暫く耐えればいいと楽観視していたから。
「あ……」
高い声はホールによく響いた。
レンだ。レンが眠りから目覚めてもとめられるように向かった母上は、遅れてやってくる。
「お~、お前がレンか? ハジメマシテ。まだまだ小さくておっさないなあ。まだなんにもできねえなあ」
レンは異変を察知してきたのだろう。家族思いのいい子だ。
だが、来てはならなかった。叔父貴は自分自身のことしか考えていない、悪意の塊だ。レンには見せるものではない。
「レンに近づくな!」
レンに近づいていくふらついた足をとめるために、胴体に腕を回して力いっぱい引き留める。
母上がレンの目と耳を塞いで連れて行く、その前に。
「この家の危機は叔父の俺があ、助けてやるからなあ」
叔父貴が悪意をぶつける。
レンが恐怖して強張っている顔が脳裏に焼き付く。母上が連れて行っても、その顔が焼き付いて離れることはなかった。




