第12話 親友は猫を想う
衝動的で短絡的な行動だった。ただ一言、謝ってくれればよかった。心優しいアリスは許すから。
それだけのことをエルザはしなかったから、俺は突き飛ばしたのだ。
感情に一切逆らうことせず、振るう暴力は快感だ。一瞬、エルザに何が起こったのか分からないという呆気に取られた顔も見られて、なおさらだった。
突き飛ばしただけと思っていた俺はそんな感情に塗れていて、突き落としたと理解した後は様々な感情が湧いて掻き乱れる。
俺は感情に任せて、何をしてしまったのか。
こんなつもりではなかった。
エルザが謝らないから。
俺はアリスのことを想って。
良かれと思って。
突き飛ばした。
突き落とした、になった。
俺が重い罪を犯すことになった。
俺の状況を端的に表すなら混乱だ。俺自身の感情で手いっぱいになり、視界に移りこんでいるシリルに助けを求めた。
「シリル、どこに行くんだ!」
俺を助けてくれ。俺よりも頭のいいお前なら。これまでも幾度となく、助けてくれただろう。だからだからだから、俺を。
「シリル様…………行かないで」
好いた女の声で、一気に意識が明瞭になる。少なくとも、アリスがいるのだからしっかりしなくては、と頭が冷える。
「ああ、アリー。セザールも…………ちょっとごめんね」
その言葉は、直ぐに消化できなかった。アリスと俺が助けを求めて引き留めているのに、おそらくあの憎たらしい女の元に向かった。
裏切られた。
呆然とする俺がそのとき確信できたことと言えば、俺のせいで計画が狂いに狂ってしまった、ということだ。
*
シリルとアリスが晴れて結ばれるために、エルザとの婚約を破棄する計画だった。
婚約破棄を告げることもなく俺は自宅に帰らされ、自室にて罪悪感に苛まれることになる。
エルザの冷酷な性質に憎々しく思っているが、俺が罪を犯したのは関係ない。俺自身がしでかしたことをひたすら罪悪感を抱くことになった。
「セザールッ!」
自室の扉が開け放たれ、つかつかと速足で来たのは父上であられるバジーリオだ。
「お前は一体、何をしているのだッ!」
胸倉をつかまれて持ち上げられる。宰相と、日々騎士のように鍛えていないというのに、ここはその腕力を褒めるべきか。怒りにより、一時的に腕力が上がっているというべきか。
……どちらでもいいことだ。俺は大人しく息子への仕打ちを受け入れていると、掴まれていたのを投げるようにして放される。臀部から床に着地し、じわじわとする痛みも甘んじて受け入れる。
「庶民であるアリスを連れ、エルザ様をバルコニーにて追い詰めたそうだな。そして、その場でエルザ様が墜落された。アリスに入れ込んでいるのは知っていたが、その愚行を許していたわけでない! いつ過ちに気付くかと待っていたが、まさか更に愚行を重ねるとは!」
アリスのことを話に出されたら、黙っているわけにはいかない。
「父上、愚行という言葉を取り消してください! アリスは素晴らしい女性です。そんなアリスとの関係を、咎められるいわれはない!」
「素晴らしいとは、お前のみならず殿下を惑わせた手腕か?」
「惑わせたなんて、いくら父上とて許せません!」
父上は頭が痛いと言わんばかりに、頭を手で押さえる。
「お前は、オルコック伯爵家の長男、跡取り息子なのだぞ。宰相である私を父に持ち、殿下を支えていくお支えしていく立場でもある」
「ええ、改めて言われずとも分かっています」
「何が分かっているだッ! 伯爵家を取り潰すつもりか!?」
「そのようなつもりはありません!」
「ああ、そうだろうとも! お前は真面目で、だが、直情的になりやすく、そうなると周りが見えなるからこうなっているのだろうな! もういい、王城までついてこい! 私は、宰相を辞職するつもりで行く」
父上の覚悟を感じ取り、更に罪悪感が増す。アリスとの関係は後悔していないが、突き落としたという一点は罪悪感しかない。
「罰を与えるつもりはないよ」
王宮を訪ねると、シリルまで案内された。王の元かと思っていたので、まだ馴染みのあるシリルを相手に緊張が緩む。また、その言葉を聞き、裏切られたことは誤解だったのだと、説明不足なだけで助けるために動いてくれた点は安堵する。
「殿下。どういうことでしょうか」
罰を与えないなんて可能なのか。父上のその声は震えている。
俺はアリスや殿下と共に、エルザを追い詰めただけでなく、突き落としたという事実は王宮までの移動中に話した。気持ちに整理をつける暇なく父上は臨んでいるので、宰相に成りあがったに相応しい能力や経験があっても、震えを取り繕うことができていない。
「罰を与えるも何も、そんな罪はないからね」
「俺はこの手で罪を犯したというのに、罪を問われないことがあるか!」
罰を与えられないことに、安堵の感情はある。だが、罪悪感まではなくならない。罰を受けないと、俺は罪の意識に押しつぶされる予感があった。
「バジーリオ殿。我が国の宰相殿。私にはセザールの誤解を解く必要があるから、先に父の元に行ってもらえないかな?」
俺と二人きりで話したいことがあるから場を外してくれ、と言い回していた。父上は物申したいようだったが、素直に指示に従った。
「シリル……」
「エルザは欄干の劣化により墜落した。不幸な事故なんだよ」
「は?」
「セザールが突き落とした事実なんてどこにもない。ないんだよ、セザール」
親友としてではない、王族としてシリルは話している。見えないが強い圧力を感じる。
納得しろ、受け入れろと言われている。これが助けだと押し付けてくる。
「それでね」
柔らかい声になっても、圧力がなくなったと思わない。威圧的でなくなっただけで、圧力はかけ続けている。
「エルザは危篤な状態で、手を尽くしているけどエルザが死ぬ可能性はとても高い」
「……」
目を背けていた事実に俯く。
ああ、俺は取り返しがつかないことをしてしまったのだ、と認識して後悔する。
「でも、なんとしても命を救って見せる。今は神官を呼んで治療に当たらせている。とても腕がいいから、きっと期待に応えてくれるだろう。だから、私は私にできるその先のことを考えなくてはならない」
「先……」
「しっかりしろ、セザール! アリスのことだ」
シリルに怒鳴られるなんて初めてだ。怒鳴る姿を見ることすら初めてだった。
なんてつかみどころがなく、心を揺さぶってくるのだろう。アリスの名を出されて、ただアリスのことのみに思考が明瞭になっていく。
「アリスのことは、セザールにしか頼めない」
「なっ、それこそ俺がお前に頼みたいことだ!」
「私はエルザに対して責任を取らないといけない」
愕然とする。まさか、俺を助けるために、自身を犠牲にして。
「アリスへの……想いはどうするんだ。アリスがお前を想っていることは、どうするんだ」
「正直に言おう。一時の気の迷いだったよ」
衝動的に短絡的に殴ろうとして、腕を振りかぶるだけで留まる。罪を繰り返す気かと、思い留まれた。
「私はエルザが好きだ」
「シリル、俺を挑発しないでくれ。気持ちを抑えるのでいっぱいだ」
「それでも、親友の君にせめてもの誠意を見せたいんだ」
「あんな女の、どこが」
「今は全て好きだよ」
今日一番、理解したくないことだった。
「ふざけるなよ。アリスへの想いはそんないい加減で、移ろいやすいものだったのか」
「ごめん」
「ッッッッ!」
「殴るなら腹に…………ぅ」
言われなくとも、痣が目立たぬ腹にした。心の中は罵詈雑言で溢れており、返って何も言えなくなった。息を荒げるだけで、腹を押さえているシリルを見下ろす。
「気持ちは全て吐き出せたかい?」
「全くだ」
「こんな私に、アリスのことなど任せられないだろう?」
「……ッ、ああ、全くその通りだ」
「セザール。アリスを守ってくれるかい。アリスのために、罪も、罪悪感も捨ててくれるかい」
アリスを引き合いに出されて、断られるはずがない。
だから、罪悪感を捨てきれなくても、アリスを見捨てたシリルに怒りが湧いても、弟を人質に脅されても。
酷い誠意を見せてくれた。幼い頃からの付き合いで、親友を続けていた積み上げがあった。ぎりぎり親友でいられる境界線を越えることはなかった。
エルザが憎々しい想いがあった。なによりもアリスを好きな想いがあった。
だから俺はエルザの説得に複雑な気持ちになりながらも、シリルを裏切ることはなかった。
嫌いな嘘でその場を後にし、どうしたらいいとシリルに助けを求めた。




