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第11話 悪役令嬢は脅す

 卒業に必須な課題とテストは早々に終わらせた。カルメリタはいい笑顔で保湿クリームを、わたくしは報復に集中できる環境を手に入れる。


「エルザ。愛しているよ」


 青藍(せいらん)の髪は夕焼けの空のようで、深みのある海のようだ。ただ手が届かない空より、海と表現したいかな。君が動く度に髪は穏やかな波のように嫋やかに揺れて、いつまでも見ていられる。今更その価値に気付いた私は滑稽だと思うだろうけど、それでも諦められないぐらいエルザに魅入られて―――滔々滔々。


 愚王子は口を開けば、愛を紡いでくる。美辞麗句を用いず直球で愛していると言ってくるのに対し、わたくしは効かないが周りは違った。愚王子は容姿がいいので昔から想いを寄せている子はいたが、今の比ではない。猫との睦みを知ってイメージは落ちているはずなのに、ころりと恋に目覚める子のなんと多いことやら。


 愚王子は猫との睦みをなかったことにせず、その誠実さを売りに出してくる。なぜなかったことにしないかというと、『本当の私を見てほしいから』らしい。愚王子は勝手に愛を紡いでくるので、そのときに知ったことだ。

 かつてのわたくしが愚王子を理想の王子様として見ていて、今のわたくしはそうと見ていないことが執着の理由なのだろう。そこは兄から散々に言われて理解している。


 だからといって、愚王子に好かれないような対策はできない。

 もう一度愚王子を理想の王子様として見てみる? 嫌よ。どこをどう見ても汚らしさは拭えない。嫌悪しか感じられない。

 どうやら本当にマゾである愚王子には、嫌悪の感情をぶつければぶつけるほどわたくしへの想いが吐き気を催すほど強まる。


「困ったものだわ」


 愚王子を見るだけで嫌悪は湧き出てくるので、分かっていても嫌悪をぶつけてしまうのをやめられない。

 わたくしへの想いを断つという、そこらの男相手ならば一番手ごろな手段はできない。



 メイジーが広めた噂から始まり、わたくしが学園という表舞台に立って弱弱しく愚王子を避けてみせて、情報戦の趨勢は逆転してわたくしに傾いている。ストレートな愛の紡ぎは、状況を覆すほどの効力はない。

 どこかで愚王子が仕掛けてくるのは予想していた。その手は監禁されていたときに開示されている。次期王妃の寝室で看病されたことだ。わたくしを次期王妃にすることは、愚王子だけでなく王の意向であるとされた。実際には王は愚王子に味方したわけでなく中立なのだが、わたくしが婚約者のままなので可能性は残っている。王の意向である、という主張は一定の効果がある。


 それを利用し、愚王子はわたくしの予想を一つ上回って仕掛けてきた。


「私たちは同じ寝室を共にした仲だろう?」


 唐突に堂々と、人目をはばからず同じ教室で婚前交渉をしたとの告白。

 愚王子は監禁時に次期王妃の寝室をわたくしが使っていることを既成事実と言った。これは必ずしもわたくしが次期王妃と認めざるを得ないものではなく、既成事実に近いだけの説得内容であった。だが、婚前交渉をしたとなれば別だ。誰もが認めざるを得なくなる。公爵令嬢に対して、愚王子は責任を負うのが貴族の道理だ。


「言葉以上の深い意味はなかったはずですが?」


 わたくしは即刻否定する。ほんの少しでも婚前交渉があったかもしれないと疑わせてはならない。


「そのときのわたくしはほんの少し体を動かすことすら困難でしたのに……。そうであることは、王城のお医者様が証明できます。わたくしだって必要ならば証明してみせます。その必要がないことは、なによりもシリル様が知っているとお思いですが」


 人前でこんな話をしなければならないなんて。

 はしたなく淑女失格だが、皆の前で話すのは恥ずかしいという態度はとれない。はしたないのは愚王子が先に言ったのでまだいいとして、婚前交渉をした仲を明らかにされて、恥ずかしがっていると取られるのは避けたかった。


「そんなに冷たくあしらわないでもいいのに」


 わたくしの周りにはお友達はいる。愚王子と二人っきりになることは徹底して避けているが、王族の不興を買うことを承知で話に割り込める子はいない。愚王子はお友達の合間を縫ってわたくしに話しかけるのが上手く、また今回は内容が内容だけにわたくし自身で純潔を示さなければならなかった。


 その無防備さに、愚王子は付け入った。上半身をぐっとかがめて、わたくしに顔を近づける。そのことで考えることがあり、咄嗟の拒絶はしなかった。

 ……ヨトと違って、距離が近くてもどうとも思わないわね。エスコートやダンスで、慣れがあるからかしら。


「でもよかった。まだ誰のものになっていないんだね」


 拒絶をしておけばよかったとすぐさま後悔する。

 ふらついたと無理のあることを言って足先を踏んでしまおう。そんな衝動に身を委ねる前に、愚王子はぱっとわたくしから離れる。ご丁寧に指一本触れていないと、手を後ろで組んだ状態だったので呆れる。


「護衛なんだってね」


 張り付けた笑みね。眼光が鋭いわよ。

 不幸な事故の後、初めて愚王子の本音が垣間見えた気がする。愛情以外で。わざわざ婚前交渉からヨトの探りを入れるなんて。


「いくら有能だからと言って、あの黒い犬を甘やかしすぎじゃないかな」

「ふっ」


 なんて必死なのだろう。呼吸に紛れてつい嗤ってしまう。


「わたくし、犬なんて飼っていないわ」


 犬ね。言いえて妙だわ。飼い主に懐いてきて愛嬌があるところとか、全くその通りじゃない。愚王子と睦んでいた猫と同類としているのが気に食わないが。

 わたくし、愚王子と違って一途なのよ。愛人と付け入る隙は作らない。


 愚王子はわたくしにヨトという護衛がいることは知らなかったはずだ。わたくしは主に邸宅内でヨトを護衛として使ってきた。ヨトは小麦色の肌が目立ち、ローブや手袋で全身を隠していてもそれはそれで目立つ。滅多なことがない限り、護衛として連れていくことはせず隠し続けてきた。

 そのため、愚王子はヨトへ探りを入れるのに必死だ。どのような縁があったのか、いつから付き合いがあるのか、護衛以上の関係なのか、どの血縁か、経歴か。


 わたくしが幼い頃に他国のシャムニから拾ってきたので、調査は難航するはずだ。直接わたくしに探りを入れるぐらいに、ね。

 みすみす情報を売り渡しはしない。ヨトは報復に必要な最重要な手だ。愚王子は衆目を気にして、わたくしに男がいるかもしれないというお互いに不利な話をすることはできない。わたくしはどこでもお友達を連れているので、ヨトを探られる機会を作ることはなかった。


 *



 自らの非を認めている愚王子との舌戦では、打ち勝つのは至難の業だ。愚王子は後回しにし、そろそろ次の相手に仕掛けていく。


「っ、なんでここに……!」

「他の者を探してもいないわ。わたくしが呼び出したもの」


 家格から目立たないメイジーを利用して、さっそく小さな報復をさせてもらった。セザールの鞄に、猫の字を真似て書かれた手紙を入れさせたのだ。


「ごめんなさいね、私で。勿論、愛らしい告白もしないから安心してちょうだい」

「な……な……っ!」


 ああ、なんて滑稽で愚かなのだろう。自然と口角が上がる。

 愚王子のせいでセザールは忘れがちだが、よくよく考えなくとも全ての根源なのだ。突き落とされて重傷に陥った。愚王子に監禁されてしまい、そのせいで相手の評価がうなぎ上りになってしまったのだ。憎悪がじわじわと湧いてくる。


「お前はそうやって人を陥れて、何が楽しいというんだっ!」

「口の利き方には気を付けてくれる? 身分と立場の違いぐらい、分かるでしょう」

「くっ」


 セザールは苦々しい顔をして黙り込む。


 セザール・オルコック。伯爵家の長男で、齢十八とわたくしや愚王子と同い年。宰相の息子ともあって、昔から愚王子との付き合いがあり親友の仲。愚王子と同時期に猫を好くようになるが、猫の想い人になれなかったことから身を引くことになった。

 最近はわたくしを突き落とした罪悪感からか、気を塞ぎがちになっているものの、学園を休むことなく平然と出席している。


「ねえ、わたくしに何か言うべきことはないの?」

「…………つ、突き落として申し訳ございませんでした。本当に、心の底から後悔し、反省しています」

「突き落としただなんて、わたくしが勝手に落ちてしまっただけなのに、何を言っているか分からないわね、勘違いしているせいかしら、全く反省しているように見えないわね」


 真面目な性格は、愚王子の親友として付き合いがあったので知っている。セザールの謝罪に偽りはないことは分かっているが、それだと遊びがいがないので惚ける。


 憎いのでしょうね。わたくしは猫を排除しようとお友達を使って手を回した。証拠は残していないが、わたくしがセザールを知っているようにセザールもわたくしのことを知っている。わたくしが手をまわしたことは、察しがついていた。


 元々性格が合わないせいで親しくないのだけれど、それをきっかけとして嫌われるようになったのよね。


 猫への愛が重いだけ、わたくしは嫌われている。

 突き落とした自身の行いは後悔しているが、猫を虐めていた奴に謝罪をする必要はあるのか、って心情かしら。


 セザールは表情を歪めながらも、腰を深く折る。


「申し訳、ございませんでした。数々の無礼をお詫びいたします」

「それはそうとして、わたくしはセザールにきちんと用事があってきたのよ」


 わざとらしく、セザールの謝罪は放っておく。危うく死にそうになって、許す者はいない。


「あなた、殿下を裏切りなさい」

「はあ?」

「殿下の情報をわたくしに流すのよ。表面上、殿下との付き合いはこれまで通りでいいわ。情報はわたくしのお友達を通じて渡してちょうだい」

「だ、誰がお前と組むと言った! 俺が、シリルを裏切るなんてありえないッ!」


 無礼な口調に戻っているが、話が進まないので置いておく。


「なぜありえないの? 恋敵だったのでしょう?」

「恋敵だろうと、シリルと俺が親友なのは変わらない」


 よどみなく言うとは、既に気持ちに整理はつけているのね。


「アリスを捨てて、わたくしに縋っているのに?」

「それは……」


 こちらは付け入る隙があるらしい。


「アリスが好きだけれど、殿下に譲ったのでしょう? でも殿下はアリスを捨てた。きっと、アリスは悲しんでいるでしょう。それなのに、その原因の殿下に尽くす必要はあるの?」

「…………お前()、アリスを悲しませた原因のくせに」

「殿下が勝手に縋っているだけよ」

「そうじゃないッ。アリスを、今だって虐めているだろう!」

「何のことかは知らないわ」


 頬に手を置いてひたすら惚ける。

 アリスが庶民の身分であるのに愚王子やセザールと親しくしていて、嫉妬を買った子がやっているのだろう。


「わたくしのせいにするなんて困るわ。そのぐらいの分別はあるでしょう?」


 頭に血が昇って、わたくしを突き落としてしまうぐらい理性を失うことがあるが、普段はきちんと頭は回るだろう。

 諭しても、セザールがわたくしを敵視するのは変わりない。この手はあまり気が進まないのだけれど。


「そういえば、貴方にはかわいい弟がいるわね。もうすぐ三歳になるのよね?」

「……そうだが」

「おめでとう。これから希望がいっぱい溢れた未来が待っているわね。まだまだ幼いから、貴方がその道に導いていかないと」


 ね、と相槌を求める。さああっと顔がきれいに蒼白になっていった。


「弟を人質に、脅迫しているのか?」

「いやだわ。なぜそうも物騒な発想に思いつくのかしら。弟を導いていく自信がないの? それならわたくしを手伝ってくれるのなら、快くその分を貴方に報いるけど」


 手伝ってくれないのなら、突き落としてくれたそれ相応の報復はさせてもらうわよ。

 正直なところ、手伝ってくれてもほんの少し報復を加減しようか考えるだけなんだけど。


「殿下に自ら受けた仕打ちをお返しして反省してもらいましょう? 殿下には、わたくしが婚約者を降りる代わりに、よい女性を紹介しているの」


 わたくしに話しかけてこないよう、けしかけているとも言う。


「貴方はアリスの心を貰いましょう? そしてかわいい弟には、素晴らしい未来に導くの」


 俯いて話を聞いていたセザールは、そろそろと顔を上げる。眉間を皺だらけにして泣きそうになっていた。右手で前髪をくしゃりと握りしめる。


 堕ちた。愚王子からセザールを奪った。


「これからよろしくね」


 セザールから手に入る情報は重視していなかった。親友で、宰相の父を持ち、伯爵家の長男で、不幸な事故の詳細を知っている者を奪いたかった。

 セザールに関してもう目的は果たした。後は適当な報復を楽しく見繕うだけだ。







 そう、そのときは思っていた。


「よくも裏切ってくれたわね」


 セザールから情報が入ってこない。

 いいわ。そのつもりなら、遠慮なく報復してあげる。


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― 新着の感想 ―
[一言] セザールに関しては家族一人一人ちぎっていってあげた方が効果的な気がします。 それにしても、愚王子は愛を語っているくせに突き落としたセザールにおとがめなしとは、口だけの屑ですね。マゾみたいです…
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