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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第四十一章
1656/1709

末は

 いつも通り、いや、プラントゥム遠征に行く前よりも元気そうにアルモニアが笑みを浮かべた。

 悪いのは、その時から知っていたはずだ。耐えられない可能性も既に考えていた。


 だから、マシディリの先の質問は、酷く矛盾したモノだっただろう。


「良くはありませんね」

 アルモニアが言う。


 受け入れた、にも二種。

 アルモニアの言葉は、心から受け入れた、と言うべき、朗らかさがあった。


「そう長くは保たないでしょう」


「……もし、よろしければ、恐らくはアルモニア様も全てを試されているとは思いますが、私の方でも薬や医師を用意いたします。

 父上は確かに優秀な緑のオーラ使いではありましたが、知識の蓄えはたくさんありますから。ウェラテヌス邸には世界のどこよりも情報が集まっていると自負しています。特に、母上が体調を崩されてからの父上は、それはそれは、もう必死で。海を歩き空を飛び、太陽を陰らせるのもわけないほどに」


 アルモニアの顔は、ほがらかなまま。

 ほがらかな顔で、無言で微笑んでいる。


 マシディリも、声を止めざるを得なかった。

 そうだ。以前にも言っているのだ。そして、覚悟の上でアルモニアは飛び込んできている。


 今のマシディリの言葉は、侮辱に等しかったかもしれない。


「エスピラ様やグライオ様、カリトン様にピエトロ様。多くの戦友が旅立ってきました。次は私の番と言うだけ。もう見送らなくて良いと言う安堵すらあります。


 それに、ですよ、マシディリ様。

 あまり皆々様には言えないのですが、高揚しているのです。


 私は、遂に見ることが叶うかも知れない。新しいアレッシアが、エスピラ様も変わったと評することのできるアレッシアがやってくるかも知れない。そう思えば、まだまだ活力は湧いてきております。


 現在の元老院は、そのほとんどがマシディリ様を支持する方々。エスピラ様ですら成し遂げられなかった状況がやってきているのです。


 元老院が個人を殺すことは無い。エスピラ様を殺したように、元老院がマシディリ様を殺すことはもうできません。同時にマシディリ様も元老院を蔑ろにすることはありません。


 個人の意思決定による迅速な統治と、集団による検討。この両輪を回す新しいアレッシアが、まさに生まれようとしている。その瞬間に私は立ち会えるかもしれないと思えば、枯れかけのこの肉体の中心から若き息吹がまさに萌芽しようとしているのです」


 ずい、とアルモニアが前に出てきた。


「今が千載一遇の好機。一瞬だけの機。

 ティツィアーノ様の処遇については、何も言いません。マシディリ様に考えがあり、思いがあり、積み重ねがございます。老官はそれを尊重するだけ。しかしながら、元老院の構成は今のまま、押し切るのがよろしいと進言させていただきます」


 アルモニアの手が伸びてくる。

 茶を置く時に近くに置いてあったマシディリの手まで、伸びてくる。


 すぐに覚えたのは、違和感。

 これほどまでに細かったか、皮と骨だけだったか、と。


 次の違和感は、温度。温かい。むしろ熱い。それでありながら、細く、肉刺まめも消えかけている。だが、確かな熱意に満ちた手だ。


「私も悔いているのです。もう少し、今少し粘ることができれば、クイリッタ様は死なずに済んだのだと。マシディリ様のみならず、エスピラ様やメルア様、サテレス様にディミテラ様と謝っても謝り切れない方々は海を覆いつくすほどに居ります。


 されども。

 いえ、だからこそ。


 私はこの身朽ち果てようとも引くことはございません。


 マシディリ様が無事に事を為され、新たなアレッシアをその両腕に抱きかかえるまで。


 微力ながら、私もお供いたします。


 重くは思わないでくだされ。

 私は、エスピラ様に賭けた身。

 そして、その決断は大正解でした。


 故に、今はその見返りを手に自分勝手に夢を追っているのです。六十を過ぎてなお、男の子のように夢を見ているのです。


 次の戦いこそが新しいアレッシアへの、最後の産みの苦しみになると。あさましくもこれまでの労苦が無駄にならないと言う安堵と共に、広げた権益が無駄にならないと言う強欲と共に。若き日と同じ光を想っているのです」


 二度、三度とアルモニアがマシディリの手を熱く握りしめ、力強く叩く。


 オグルノのこと。プラントゥム属州のこと。シニストラがテラノイズの部隊をどうにかして組み込みたいと思っていること。

 鍛錬を重ねていた軍団のこと。タルキウスのこと。ナレティクスのこと。ウルバーニのこと。


 話したことは、たくさんあった。

 だが、それでも一日中マシディリの頭に残ったことは、アルモニアの夢のことであった。


(夢、か)


 休養二日目。

 えっぐえっぐと泣き真似をしながら勉学のために連れ去られるソルディアンナに手を振りながら、マシディリは一度思考を隅に置く。


 ソルディアンナは昨日逃げすぎたのだ。

 終わったのだとばかり思って一緒に遊んだ負い目がマシディリにもあるが、だからこそ、愛娘の涙には答えられないのである。正確には、今日もと遊びかけたソルディアンナをさっさと勉強に送り出さなかったことで、今も乳母たちから険しい視線とお小言をもらってしまった。


(さて)

 説教も終われば、周囲に人はいなくなっていた。


 べルティーナとアウセレネはウェラテヌス邸でお茶会。

 ラエテルとセアデラは勉強。リクレスとヘリアンテも勉強。フェリトゥナとカリアダは「おさんぽ」と言ってウェラテヌス邸内を歩き回っているが、母を探しているのかもしれない。


(暇だ)

 もちろん、やることはたくさんあるが。

 だが、その前にお茶会に来た客人に挨拶はしておくべきだろう。


 そう思い、席を立って廊下へと歩く。

 ただし、お茶会の会場にはたどり着けない。

 でん、と言うよりは、ちょこん、とリクレスが廊下の中央に立ち塞がったのだ。


「父上」

「うん?」


 やさしく言いながら、視線を合わせるために少々しゃがむ。

 リクレスが手に持っているのは、プラントゥム遠征の報告書だ。マシディリが頼まれて書いた冬の陣中の様子も手に持っている。


「うん」

「うん?」

「足止めに来ました」

「そうかい?」


 わしゃ、と愛息の頭を撫でる。

 愛息は、こくり、と頷き、報告書を持っている両手を前に出してきた。


「分からないところがあります。今の私が結果から逆算して見てしまっているから気づけたのか、俯瞰的に見ることができるから気づけたのか、それとも、現場にいないと分からない事情があったのか。父上にお時間があるなら、全部ください」


「全部読み終わったの?」

「がんばりました」

「頑張ったね」


 もう一度わしゃわしゃと撫で、子供だけど子供じゃないですと言う言葉をもらいながら、二人並んでリクレスの部屋に入る。


 破れた布に、簡易的な地図も描かれていた。少し違う部分もあるが、報告書などからプラントゥムを書き起こしたのだろう。


「すごいね」


 末は執政官か最高神祇官だ、と続けると、リクレスが「最高神祇官は兄上がなります」と生真面目に言ってきた。


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