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ウェラテヌス隆盛記  作者: 浅羽 信幸
第四十章
1648/1725

ティポウル・デ・ムダン貫徹戦 Ⅲ

 スィーパスの部隊の動きは、本当に撤退であった。


 敵前列は粘っている。しかし、味方最右翼に位置するパライナ隊の攻撃を受けた場所から戦線が崩れ始めた。最初の一列が崩れれば、崩壊も加速していく。敵後方に行けば行くほど、混乱しているようだ。


(スィーパスも前線にはいない)

 あの粘る姿は兵の鼓舞になっただろうに。


 パライナ。ソリエンス。コパガ。自身の部隊。

 エリポス遠征に同行するのはパライナの部隊であり、コパガと自身の部隊は第七軍団として西方世界の安定に必要不可欠だ。


 となると、積極攻勢に押し出すべきは、ソリエンス隊。


「ソリエンスに伝令。もう一歩前へ。勇猛な戦士こそ、アレッシアの子供達の憧れの背中です。

 それから、クーシフォスも前に来るように。もう少し戦列が崩れれば突撃してもらいます」


 ティポウル・デ・ムダンに閉じ込めて第七軍団によって枯らすか、あるいはクーシフォスの突撃でスィーパスを討ち取ってしまう。それが最善とも言える二つだ。


(本当に?)


 クイリッタとスィーパスは違う。

 一緒にするのはマシディリ自身業腹であるし、クーシフォスの一緒にしてはいけないという言葉もすんなりと受け入れられた。


 ならば、果たしてクーシフォスの突撃は最善の策か。

 それは、こだわっているのでは無いか。


 何に?


 恨みを回避したい気持ちと、クーシフォスからの願いでだと言う建前に。


「何故」

 小さな呟きは、大きな音に踏み潰される。

 急を告げる光がコパガ隊から打ち上げられた。


(イエネーオス)

 中央から右翼へ。突き刺すようにやってくるのなら、間違いなくその男しかいない。


 しかし、次の急報はソリエンス隊から打ちあがった。確かに左端、中央寄りではあるが、ソリエンス隊は真ん前にスィーパスを抱えていた部隊である。


 スィーパスの攻撃か。

 それならコパガ隊から打ちあがる意図は何だったのか。


(陽動と本命)

 あるいは、移動。


 元々命令は撤退では無かった。だが、撤退と同じ合図。混乱したのは敵自身だったと言うことか。ならば、前列が崩れた後に一気に混乱が広がった理由も説明がつく。フラシ遠征の時も、スィーパスはあえて自身を危険な場に立たせていた。


 が、違う。

 スィーパスが自身を危険にさらし続けてきたのは、名を上げるため。クーシフォスの次としてオピーマでの勇名を高めるためのはず。敵への誤認を優先して味方の混乱を置き去りにするのはスィーパスっぽいとも思えるが、かみ合わない。


 あるいは。


(撤退の合図は真)


 此処に来て。


 呼吸、一つ。


「伝令! イエネーオスが現れました! 直進し、マシディリ様を狙っているものと思われます!」


 前方より駆けてきた兵の後ろで、更なる喧騒が聞こえてきた。

 騎兵が見える。湯気もたっている。馬上で槍を振り、剣に切り替え、何名かが下馬してさらに駆け出してくる。


 だが、全て重装歩兵の壁の向こう。

 第三列は乱れることなく、しっかりと迎え撃てている。


 マシディリの傍での戦いであるが、イエネーオスを止めることに成功したのだ。止められたイエネーオスは、しかし、今度は撤退する様子は無い。馬に乗ったまま馬から降りる者の槍を受け取り、盾の上から重装歩兵を突き刺そうと動いている。暴れている。前線で。指揮官たる男が。一番前で。その身に攻撃を受けながら。


「殺すな!」

 叫びに対し、すぐに「マシディリ様」と諫めの声が入った。

 その声の主をかき分けるようにして、マシディリは前に出る。


「生け捕りにしろ。イエネーオスは捕まえろ!」

「危険です!」

「イエネーオスは優秀だ。私の兄弟子の一人だ! 必ず、次の戦いでも活躍してくれる、アレッシアの人財です」


 叫び、さらに前に出ようとした。


「だからと言って、第七軍団を犠牲にして良いのですか?」


 首根っこを掴んだ声は、レグラーレのモノ。

 マシディリに手は伸ばさず、横に立っている。


 完全に足を止めざるを得ない言葉だ。周囲の兵もマシディリを窺いながら、前方の兵はイエネーオス部隊への攻撃を続けていた。無論、守り重視ではあるが、殺すことも厭わない戦い方である。イエネーオスへも例外ではなく、既に左腕が赤く濡れていた。


(ですが)

 イエネーオスは、有能な男だ。

 味方になればアレッシアに数々の栄光をもたらせる武勇を誇っている。


(しかし)

 冷たくなった手を、握りしめた。確実に止めていると思ったが、どうやら第三列も押されつつあるようだ。盾の破壊として、イエネーオス側は死体となった味方を貼り付けている。いや、死の間際に盾を握りしめ、噛みしめ、重くしているのだ。


 その結果、重装歩兵は防御力を失っている。

 相対するのは死兵。火力は、随一。生き残ってしまった罪悪感も上乗せされているかのような攻撃は、苛烈で、自身に槍が刺さろうとも前進してきている。


 マシディリは、下唇を噛みしめた。


 ミーラ・デ・ソリカリアの最終戦。


 今だけを見たから勝てた。

 今はどうか。先を見ている。それで、負けるのか?


 重心を後ろへ。

 前進の意図が無いことを、マシディリを止める周囲の兵に伝えた。


(おざなりにして良い今は、無い)


「クーシフォス!」

 叫びで十分。

 アルビタが突撃の命令を打ち上げる。


(ですが)


「ですが、少しだけ。足止めも込めて降伏を促してきます」


 レグラーレが首を横に振ったのが見えた。アルビタのため息も聞こえてくる。すぐに金属音。盾を両手に持ったアルビタが、マシディリの目の前に現れた。


 兵が道を開ける。

 その中を、マシディリは急いで進んだ。第三列もイエネーオス前での攻撃を控え、防御に徹している。盾の先に死体を抱えても低い姿勢で壁となり続けていた。


 それだけの労苦を周囲に強いながら、マシディリは、前へ。


「イエネーオス!」

 郎、とした叫びが、戦場に響き渡る。

 一瞬で静まり返ったようだ。

 顔見知りであれば、互いの手も少しだけ緩む。


「槍を置いてください」

「断る」

「ティツィアーノとの戦いで、貴方が必要なのです」

「断る」

「私ならば貴方にもっと力を発揮する場を設けられます」

「断る」

「貴方の名前を、アレッシア随一の勇者として刻む機会を必ずや用意すると約束いたします」


「今を生きられない者に、未来での声望など無い」


 もう良いか、とイエネーオスが槍を構えなおした。

 死体をどけた第三列の兵が、さらに身を寄せ合い壁を強固にする。


「同感です」

 頷きながら、マシディリは声を落ち着かせ、速度もやや落とした。

 手もゆっくりと前に出す。正中線はもちろんさらけ出した。


「今に全力を尽くさねば、貴方には勝てませんでした。ミーラ・デ・ソリカリアでもそうです。あの時に後々を考えて出し惜しめば、私に勝利は無かったでしょう。


 ですから、私は、今、誠意を尽くしているのです。


 私の手を。イエネーオス。


 貴方の本来の予定では此処から突撃することは無く、これほどまでに両翼に兵が残っていることも無かったのではありませんか?」


「マシディリ・ウェラテヌス相手に当初の予定通りに進むと思うことこそおこがましい」


「イエネーオス。私の手をお取りください。少し。ほんの少し伸ばすだけで良いのです」


「二言のある漢になりたいと思ったことは一度も無い」


 ぶん、と。

 イエネーオスが槍を振った。

 顔は、後方。潰走していく敵左翼へと向いている。


「できればもう少し、あの若者に『信頼』とは何かをお伝えしたかった」


 声は、悔恨。目は細く、口元は歪んでいる。


 一瞬の後に、蹄の音。

 後ろからだ。やってきたのはクーシフォス。見ずとも分かる。そして、イエネーオスの瞳に映ったのも。


「来い! クーシフォス! 貴様を討ち取り、スィーパス様をまごうこと無きマルテレス様の後継者としてくれる!」


 横を過ぎ去るクーシフォスが、マシディリを見ることは無い。

 突撃し、一列しか作っていない重装歩兵を飛び越え、イエネーオスと兵刃を交えた。


 激しい打ち合いに、余人が介入する隙間など無い。

 あったとしても、誰かが横やりを入れただろうか。


 馬を駆り、動かし、槍を打ち剣に持ち代える。


 激しい戦いは演舞などと言ったモノには絶対にならず、互いの殺意が良く分かる火花でしかない。


 見守りたい気持ちが、少々。

 それを抱かないのは、クーシフォスの兵。

 彼らも突撃し、次々とイエネーオスの兵を殴りつけ、切りつけ、打ち倒していく。


 勝敗を分けたのは、たった一瞬。


 一瞬、イエネーオスが痛みか何かで動きが止まり、その隙にクーシフォスの剣がイエネーオスの眉間を切り裂いた。


 原因となりうるであろう左腕の傷は、どこぞの重装歩兵が一騎討ちの前に着けていた傷であった。

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